八月 22

2週に渡る、DJ KRUSHへのインタビュー第1弾アーカイブ!

“誰もやらないことをやる”それがDJ KRUSHだ

Red Bull Music AcademyとInter FMがタッグを組み日本から世界に向けて音楽を発信するプログラム、『PLAY, JAPAN! Red Bull Music Academy Radio』第8回目の放送には、世界がリスペクトするDJ KRUSHを2週に渡ってフィーチャー。今回が第1週目。仏リオン出身のアーティストDe La Montagneがカナダ、モントリオールのエレクトロニック・サウンドの今をガイド。そして、sauce81がSpecial Mixを提供してくれました。上記プレイヤーよりアーカイブをお聞きいただけます。番組内での英語コンテンツPart 1の要約とPart 2の翻訳を掲載、Part 3は日本語でのインタビューですのでそのままお楽しみください!

 

 

Part 1 Featuring : アーティストと音楽の関係に内面から迫るインタビュー

世界がリスペクトするDJ KRUSHを2週に渡ってフィーチャー。今回が、第1週目。幼少期の音楽体験から、ターンテーブルを手にするきっかけとなった出会いを語る。アメリカのモノ(ヒップホップ)が土台だからこそ、真似だと言われないまでに高めた音楽作りへの姿勢を知れば、世界的な活躍の場を手にすることが必然だったと分かるだろう。“誰もやらないことをやる”それがDJ KRUSHだ。


小学校5年生当時、僕は2階建てのアパートに暮らしていました。僕らの隣の部屋に、年上の怖いお兄さん方が住んでいて、そこから、ステレオの音がガンガン聞こえていたんです。その音に僕は凄く興味がわいたので彼らと友だちになり、教えてもらった音楽がブラックミュージックでした。それが、自分で音楽をやりたくなるきっかけにもなったんです。当時、朝礼で鼓笛隊というのがあって、普通たて笛担当になるんだけど僕はそれがいやで、小太鼓担当にしてもらいました。一番最初の楽器に触った体験はそれです。


70年代、The Commodores、Stevie Wonder、Lionel RichieとかSmokey Robinsonを聞いていました。それと平行して友だちがRed Zeppelin、Black Sabbath、Deep Purpleなどのロックを聞いてたから、中1くらいの時そいつらとロックバンドをやろうってなったんです。僕は裕福じゃなかったからレコードも変えなかったんだけど、ベース担当の子がでっかい家に住んでるお金持ちで。その家の台所には、英語のラベルがついたおしゃれなクッキー缶が山積みになってたりして、僕にとっては凄い不思議な光景だったこと覚えています。そこで、その子の家がバンドの練習場になりました。みんな親に楽器を買ってもらってたんですけど、ドラム担当の僕だけが買ってもらえなかったし、家に楽器を置く所もなかった。しょうがないから、ドラムの変わりを探していた時に、そこんちのクッキー
缶を持ってくる訳ですよ。缶を見た時に、これ叩けばいいじゃん!って、なったんです。これを机の上に並べ、ステッキやキックのペダルは学校から借りて練習してました。シンバルはハートのクッキー缶の蓋(笑)。みんなちゃんとした楽器だったのに、僕はそういうことを1年くらいやってましたね。あと、当時は、安いステレオに安いヘッドフォンで、音楽を聞いていました。大きい音出せないからフルテンで自分が叩いてる姿を妄想して、発散していた感じです。


中学1年の頃、ハードロックにもはまったんですけど、それはギター搔き鳴らす音とか、ドラムの音そのものにやられました。英語の歌詞は分からないですから、雰囲気でかっこいいっ!と思っていました。中学2年生になると、女の子とデートしたりと、色々芽生えてくる時期だったから、歌詞を気にしはじめるようになって、永ちゃんの詞だったり、荒井由実さん、サザンの歌詞にしびれてました。それと平行してブラックミュージックの英語の曲もフィーリングで聞いてました。


曲作りに関しては、僕らがやっているヒップホップというのはサンプリングが主体です。気になった部分を寄せ集めて一つの作品にしていき、そこから新しいグルーヴを作ります。よくよく考えると、僕は、小学校の低学年の頃絵を描くのが凄い好きだったんです。運動会で全校生徒に渡す手帳のデザインを募集してた時、それに出したら採用されたり。他にも、図工で茶色のボール紙ででっかい帆船を作ったものが学校に飾られたり、そういう物作り全般が好きでした。今やってることは、それに近いと思うんです。ベースの子の家には、戦車や飛行機のプラモデルのカスがいっぱいあったんだけど、当時僕は貧乏だったから、それをもらって、火で曲げたりしてロボット作ったりもしていたんです。元からあるもので何かを作りあげるというのは、そこで鍛え上げられたかもしれない。子供の頃と今やってることは同じだなと気がつきました。


やんちゃの果て、暴走族をやったりもしたんですけど、いい歳して暴走族やってらんねえってなると今度、本格的な方に行こうかなと思ったりするじゃないですか。ちょっとそっちに足つけたんですけど、いざつけてみると根性なしなんですね。そっちに染まりきれなかった。パンチパーマでスーツ着て新宿ふらふらした当時の方が、今より老けてたんじゃないかな(笑)。でも俺も悩んでで、どっかでそろそろ目標定めないとまずいと思ってたんですよ。その時たまたま入った新宿の映画館で、「ワイルド・スタイル」をやってたんです。あまりお客さんはいなかったけど、それを見たのが自分にとって大きなきっかけになりました。アメリカの不良たちが、「銃なんかぶっぱなしてないで、マイクで戦え」って言ってることに凄いシンパシーを感じたんです。そこで、昔好きだった音楽の血が一気にバーッて沸騰したんです。何日も経たないうちに、昔の池袋のパルコのオーディオショップにターンテーブル買いに行きました。店の親父に「ターンテーブル2つくれ。」って言ったら「お客さん、レコード聞くんだったら1台でいいんですよ」って言われました。でも「とにかく2つくれ」って言ったんです。それには真ん中に音が混じる部分がついてて、これは何だろうと思っていたら「ストリップ小屋で使ってるやつですよ」って言われて(笑)。踊り子さんがはける時につなぎ目で音が出てくるアレだったんです。まあでもそれを買って練習を始め、スーツを脱ぎ捨て、アディダス履き始めたって感じです(笑)。


グラフィティにも凄い興味持ったし、ラップもブレイクダンスも真似してやってみたけど、やっぱり一番熱いのは音楽だった。ヒップホップのやり方は泥臭いし、上品じゃない。けどそれが身近に感じました。家で壁に向かって音楽作っててもストレスたまるし、友だちにテープを作ってあげることでも満足出来なくなり、だんだん人に見せたくなりました。自分のレベルを知りたかったのかもしれない。当時、原宿の歩行者天国ではブレイクダンサーが音楽かけて踊ってましたから、まあいってみようと思いました。そこで知り合ったのがCRAZY-Aだったり、ZOOのメンバー。僕はターンテーブルを出してプレイしました。それが、人前でやった初めての体験です。


毎週日曜日、昼間は現場仕事してました。自分の父親はペンキ屋の親方で、女房の親父さんも鉄骨屋の親方で職人気質だったから、必然的にそっちにいきました。それに、中学もろくに行かなかったですから、体動かすしかなかった。日曜日の夜は楽しみに音を出してました。でも、そのうち欲が出て、大会に出て優勝したりすると、現場で泥だらけになってるより、自分の頭の中にあるものを音にしていくことが凄い気持ちいいことだと思えて来たので、これでお金が稼げるなら凄くいいなと純粋に思い始めました。そこからは試行錯誤です。昼間の仕事やめるわけにはいかないからどうしようと悩んだ期間が長かったですから、苦労しています。


特にニューヨークで生まれた音楽が好きでした。N.W.Aとか西海岸の音楽にも少しハマりましたけど、でも東の音に凄いハマりました。 MURO、DJ KRUSH、DJ GOが居たんですけど3人で音を作ろうってなった時に、どうしても見本は向こうのヒップホップになりました。初めはそれでいいのかなと思って作ってましたが、俺は絶対音楽で飯が食いたいと思ってたから、こんなことしててもダメだと感じ始めました。結局俺らはアメリカ人じゃないし、B-BOYだぜ!みたいなことを日本でやっても、アメリカでやったら「真似してバカじゃないの」とか言われるって思ったんです。僕はそう思ったんだけど、みんな若かったから、二人にこれで食っていきたいかどうかは聞かなかった。そのへんの気持ちの違いは音に出てましたね。僕は当時、人があまり使ってなかったJAZZを取り入れてみたりしたんだけど、彼らはピントきてなかったみたいです。ヒップホップ的じゃないと。でも僕は“人と違うことやんないと絶対ダメなんだ”と思ってたから、そこで彼らとは別れてソロになりました。そこからは自分探しです。


当時の自分は、「こいつにお手上げ」って言わせる方法を持ってなかった。彼らと同じ音作りを僕は出来たと思うけど、それじゃ自分は満足できない。「お前しか出来ないよね」「何コレ!?」ってものを作りたくてヨーロッパにいったのかもしれない。そこから生まれたのが『STRICTLY TURNTABLIZED』。そこでコレはなんじゃ!?とちょっとアメリカでも注目されて、やったじゃんって思いました。それを持って、アメリカに殴り込みに行こうって感じでしたね。


ヒップホップっていう土台を僕はもらったけれども、それと同じことしてても絶対世界は受け止めてくれない。それはアメリカ人がやればいい話だから、そこらへん試行錯誤して今のDJ KRUSHがあると思います。


DJ KRUSH Official

 


Part 2 AROUND THE WORLD: 世界の音楽シーンをキャッチ!

仏リオン出身のアーティストDe La Montagneが登場。ポップとエレクトロ・サウンドを融合し、キュートな歌声と、トロピカルサウンドで 個性的な世界を描くニューカマー。現在、活動の拠点とするカナダ、モントリオールのエレクトロニック・サウンドの今を、ガイドしてくれた。


故郷のリオンには、ノイズや、インディロックのシーンや、数々のエレクトロニックミュージック・フェスティバルなど、充実したアンダーグラウンドシーンがある。しかし、モントリオールには、音楽のエキサイトメントと、アーティストとしてのチャンスを感じたから移住を決意。モントリオールの音楽シーンを語る上で欠かせない音楽の祭典が、毎年9月に開催されるフェスティバルPOP Montreal。Grimesも、ここへの出演をきかっけにスポットライトを浴びた。モントリオールでは、ヴォーカルをループしてアンビエントなサウンドを作る、まさに、Grimesのスタイルがたくさんのアーティストに影響を与えていて、彼女と同じギアを使って、音作りをしているアーティストも増えてい。Mozart’s Sisterも、まさに、その1人。


De La Montagne Official

 


Part 3 Experience:

sauce81 Special Mix のトラックリストはこちらからご覧ください。