十月 17

2週連続 三宅純 特集第1弾インタビュー公開!

音にとらわれた記憶、日野皓正に見出されニューヨークに旅立つまでの意外なストーリー

 

Red Bull Music AcademyとInter FMがタッグを組み日本から世界に向けて音楽を発信するプログラム、『PLAY, JAPAN! Red Bull Music Academy Radio』第16回目の放送には、CM、映画、ドキュメンタリー、舞台、コンテンポラリーダンス等多くの作品に関わり、世界を舞台に活躍する音楽家、三宅純を2週に渡って特集。今回が第1週目。ロンドンのダンス・ミュージックの進化に多大なる影響を与えてきたDEGOが、今のロンドンを語ってくれました。次世代的トラックメイキングとライヴパフォーマンスで注目を集めるHiroaki OBAが、最近のFavorite Tunesを紹介。上記プレイヤーよりアーカイブをお聞きいただけます。番組内での英語コンテンツPart 1の要約とPart 2の翻訳を掲載、Part 3は日本語でのインタビューですのでそのままお楽しみください!

 

 

Part 1 Featuring : アーティストと音楽の関係に内面から迫るインタビュー
CM、映画、ドキュメンタリー、舞台、コンテンポラリーダンス等多くの作品に関わり、世界を舞台に活躍する音楽家、三宅純。天才舞踏家ピナ・バウシュに最も愛された彼の音楽は、昨年日本でも公開され話題となった映画『Pina /ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』で耳にした人も多いだろう。そんな世界が求める才能を持つ彼の音楽人生へ、2週に渡ってフォーカス。第1週目は、音にとらわれた記憶から、日野皓正に見出されニューヨークに旅立つまでの意外なストーリーまでを語ってくれた。

 

 

僕の父親は音楽が非常に嫌いで、無音が好きな人でした。家の中で物音がするのもダメで、ドアを開け閉めする音や足音も立ててはいけないし、食事中の会話も最小限にしなければいけない。とてもシーンとした家でした。そんな環境の中でも音楽が好きになったきっかけは、小学校低学年の時。下校時に校庭を歩いている時に鳴っていた、Nino Rotaの「道」のトランペットの演奏だったと思います。“いいな”と思う以前に耳から離れなくなったんです。最初は、頭の中でループしてしまうことが嫌だったんですが、いつの間にか、これは不思議な感情だなと思い始め、これはもしかしたら好きなんだな、という順番で音楽が好きになりました。

一番衝撃的な出来事は小学校6年生の時、友達の家に遊びに行った時のことです。その友達の家でかかってたのが、ジャズでした。それまでジャズをちゃんと聞いたことがなかったんですが、「これをやらないと今生きている意味がない」くらいに衝撃的でした。「どうしてこういう音になっているんですか?」と彼のお母さんに聞いたら「これは即興演奏なのよ」と言われ、こういうことが出来る人間になりたいと思いました。その時に聞いたのはCharlie ParkerとDizzy Gillespieの『Jazz at Massey Hall』とMiles Davisの『Miles in Tokyo』。それでどうしてもトランペットが欲しくなって、親に買ってくださいと言ったんです。母には「音も大きいし無理よ」と言われました。でもマウスピースだけ、自分でお金を貯めて買いました。学校の音楽室にあるのでトランペット吹いたりもしていたんですが、やっぱり自分のものが欲しくなったので、結局お金を貯めて買いました。そうやってトランペットを始めましたが、ブラスバンドの音楽には興味がなくて、やっぱりジャズがやりたかった。今はそんなにジャズをやってないんですが、精神的にはジャズをやっていますね。

日本で一番尊敬できると思っていたのが、日野皓正さん。当時“タロー”というジャズクラブが歌舞伎町にあったんですが、そこにしょっちゅう日野さんの演奏を聞きに行っていました。高校2年生の頃、その日野さんに自分の演奏を聞いてもらおうと決心しました。進学も考えなきゃいけない時期で、親には音楽の道は反対されていたので、一番尊敬できる方に聞いてもらい「やめたほうがいいね」と言われたら、やめるしかないと考えていました。意を決して会いに行ったら、「ユーさ、よく来てるだろ、顔知ってるぞ。吹いてみろ。」と言われて。その時は、緊張のあまりろくなことは出来なかったように思います。しばらく日野さんは黙って睨むように聞いていたのですが、突然「明日、俺沼津の家に帰るから東京駅に来い。」と言われました。驚きましたが僕は学校をサボって、ついて行くことに決めました。

沼津に着いたら、「海岸で練習しよう」って言うんです。トランペットと海ってイメージはいいかもしれないですけど、実際は海に音が全部吸われてしまいます。なので自分の音はしょぼく聞こえたんですが、それでも日野さんの音はふくよかで、違いが明らかでした。そこで、「君は奏法が基本的にマズいから、ゼロからやり直した方がいい」と言われました。これを僕に分からせるためにここまで連れて来てくれたのだとしたら凄く親切な方だなと思いましたし、さらには「日も暮れて来たから泊まっていけ」とも言ってくれました。自宅には今日帰らなければこの番号に連絡して、というメモは残していたので、こういう経験も滅多にないだろうと思い、お邪魔することにしました。そしたら、母親から電話がかかってきたんです。日野さんがその電話に出たのですが、そこで一言「おたくの息子さんはアメリカに行くことが決まりました」と言ったんです。僕は「聞いてませんけど!?」と思いましたし、さすがにそれが親にすんなり受け入れられることもありませんでした。留学するという彼の思いつきは、家族に大きな波紋を呼びましたが、結局1年間なら行っていいとなりました。結果的には5年はいましたけどね。

留学中、マサチューセッツ州であった作曲のコンクールに出した作品が受賞して、賞金を頂けました。これで日本に一回ぐらい帰れるなと思い、5年ぶりに日本に帰ることに決めました。その直前にアメリカでMiles Davisのカムバックコンサートがあったので、僕はそこでジャズの未来をみて、日本に凱旋しようくらいの気持ちでいました。でもそこで、今まで目指して来たジャズが完璧に終わってしまったと痛感してしまった。あれほどの天才を持ってしても、新しいビジョンが何も示せていなかったんです。僕は目標も見失ってしまい、今後今まで勉強して来たことを生かしていく意欲も湧くか分からなかった。常に新しいことが起こり続けているというのが好きだったので、その可能性がないジャンルだとすれば、ジャズにしがみつくつもりもなかったんです。日進月歩を好むメンタルをどこで生かしていけば自分の人生になるか、と考え込んでしまうほどの辛い帰国になりました。

ジャズの仕事として、日本で最高峰のドラマーだった日野元彦さんのグループに入り演奏していました。広告に興味を持ったのは、その当時、たまたまついていたテレビで、石岡瑛子さんの素晴らしいビジュアルイメージのパルコか何かの広告をみた時。これはジャズよりジャズだなと思いました。プレイヤーとしての初めてリリースしたレコードがTDKのアンディー・ウォーホルのCMに使われて以降、いろいろとお仕事をいただくようになりました。

 

三宅純 Official

 

 

Part 2 AROUND THE WORLD: 世界の音楽シーンをキャッチ!
ロンドンのダンス・ミュージックの進化に多大なる影響を与えてきたDEGO。一時は、活動の拠点をNYに。
そして再びホームタウンに戻った彼が、今のロンドンを語ってくれました。

 

音楽に大して常に挑戦的、先鋭的。 音の革命が起こり続けるクリエイティブで、新鮮な街こそロンドンだ。イーストロンドン、ショーディッチのクラブ「 XLYO 」ではBenji Bが多彩なゲストを招いて「 Deviation 」というイベントを定期的に行なっている。

ダルストンのクラブ【Dance Tunnel】でもNonsenseを始め、注目のクラブナイトが。そして、老舗クラブ【Plastic People】こそ、常にカッティングエッジで、音楽のルーツに忠実な箱。

現在DEGOもプロデューサー/ビートメイカー・Eric Lauと、パーティを開催。しかし、イベントタイトルもない、不定期開催の、“知るヒトゾ知る一夜”という、スタイルにこだわっているそう。

4hero、そして2000 BLACKとして多彩なサウンドを発信するDEGO、リフレッシュするためには、美味しいケーキを食べたり、頭の中をクリアにするためには、フットボールをして、精神的なメディテーションをしているそう。

Sonar Kollektiv、Sound Signature、そして、FaltyDLが立ち上げた新レーベル<BlueBerry Records>からの新作。更に、 Kaidi Tathamとの新作は、<Igloo>からのリリースが決定しており多忙な秋がスタンバイしている。

DEGO Official

 

 

Part 3 Experience : Red Bull Music Academyに参加した日本人アーティストが体験談やサウンドをシェア

参加:London 2010 | Red Bull Music Academy


アカデミー参加者Hiroaki OBAの最近のFavorite Tuneがこちら