十月 01

古代祐三インタビュー

国や時を超えて絶大な影響を与えてきたゲーム音楽作曲家のルーツに迫る

By Nick Dwyer

 

現在公開中のビデオゲームミュージックのドキュメンタリーシリーズ『ディギン・イン・ザ・カーツ』の特別編として、古代祐三に彼のインスピレーションの源泉や作曲の背景について語ってもらった。

 

 

最初はお母様から、そして9歳から久石譲氏にピアノを教わったそうですね。その経験はどうでしたか?

 

久石先生に習ったのは、覚えているのは小学校3年生くらいだったと思うんですけど、2年生かな。8歳とか9歳くらいに習っていたんですけど。何故習ったかというと、私の母が久石さんの奥さんにピアノを教えていたんです。それがご縁で知り合うことになって習っていたんです。当時の先生はまだそんなに今みたいに有名な方ではなくて、普通に音楽のお仕事をされていたと思います。私も小さかったので、どういうお仕事をされていたのか詳しくは知らないんですが。アニメの音楽も手掛けていらっしゃいましたし、ミニマル音楽という音楽があるんですが、そういう音楽も作っていらして。当時から色々幅広くお仕事はされていたと思います。すごく良い先生でした。

 

先生のレッスンの秘密やコツで、今でもためになっているものはありますか?

 

何を習っていたかっていうと、私もすごく小さかったですから、具体的な作曲方法は全く学んでいないんですよね。どういうことをやっていたかというと、譜面などは書かないで、先生がイントロのフレーズを弾いて、この続きを弾いてみなさいっていう。その場で曲を作って弾かないといけない、みたいな。そういうことが結構今も役に立っていますね。

 

NECのPC88の導入は、音楽制作にどのような影響を与えましたか?

 

最初に、音が出ない初代PC88を買ったんですよ。1号機ですよね。当時ゲームで遊ぶのが好きだったんですが、プログラムをして動かすのも大好きで。そのためにPC88を買ったんですよね。その時はまだ音楽が鳴らせなくて。PC88を最初に買ったのが16歳だったかな。高校入学祝いで買ってもらって。それから3年間ほどはPC88で音楽制作はやりませんでした。音が出ないんで当然できないんですけど。初めて音楽制作ができるようになったのは、88SRが出た時ですね。私が17歳の頃に出たんですが、FM音源が最初から搭載されていたので、音楽制作が可能でした。その頃好きだった「ドルアーガの塔」や「スペースハリアー」、「グラディウス」みたいなかっこいい音楽を鳴らせる環境が初めて手に入ったんですよ。当時SRは25万円位したので、高くて買えなかったですが、たまたま私のクラスメイトが買ったんです。その友だちの家に遊びに行って、最初に打ち込んだのが「ドルアーガの塔」のBGMでした。ゲームセンターに録音できるウォークマンを持ち込んで、カセットテープに録音して、それを耳コピしながら88SRでミュージックプログラムを作りました。それが最初ですね。17歳の頃です。

 

 

80年代はピコピコサウンドが流行っていましたが、FM音源が出て急に変わりましたよね。FM音源の特徴を教えてください。

 

ゲーム音楽に限らず、普通の音楽でも、FM音源が出るまではシンセサイザーはアナログシンセサイザーだったわけです。アナログシンセサイザーだと、本当にシンセっぽい音、いわゆるステレオタイプな音しか出せなかったんですが、FM音源の登場によって色んな楽器、例えば弦楽器・管楽器・打楽器などを1つのFM音源のチップで出せるようになりました。FM音源のサウンドを初めて聴いた時は、ピコピコというよりは、CDから音楽が流れているみたいだと思いました。初めて「スペースハリアー」の曲をゲームセンターで聴いた時は、中にCDが入っているのかなと思ったくらい凄かったです。それまでは、ゲームだからこういう音だよなという程度の音しか出てなかったと思うんですが、初めてCDにレコーディングしたような音楽が流れていると思いました。ドラムとかもかっこいいみたいな。初めてそう思いましたね。FM音源の登場で一変したと思います。

 

海外の人にゲームミュージックが認知され始めたのはメガドライブの頃ですが、その頃には既にPC88のゲームなどで音楽制作を経験されています。

 

海外ではあまり有名ではないかもしれないですが、『ザナドゥ・シナリオ2』というタイトルで、初めてゲーム音楽の制作に参加しまして。それから『イース』、『イースII』、『ソーサリアン』を制作して。その後ファルコムを抜けました。その後は、『』を作るまで、『ザ・スキーム』や『ミスティー・ブルー』など、いくつかのゲームを手掛けました。この時期は本当に沢山のことを覚えましたね。初めて制作した時はFMが3ボイス、PSGが3ボイスだけのすごくシンプルな小さい音源だったんです。『ザ・スキーム』の制作時にちょうど倍の大きさになって。FMが6ボイス、PSGが3ボイス、それにリズム音源という、当時のアーケードゲームのスペックと同程度のFM音源が扱えるようになりました。それが嬉しくて『ザ・スキーム』を作ったんです。『忍』は、『ザ・スキーム』や『ミスティー・ブルー』を新しいFM音源で作る経験をした後でしたから、何の問題もなくすんなり作れましたね。

 

『忍』の制作時にご自分で会社を立ち上げてフリーランスとして作曲を担当しましたが、これは当時の日本では初めての試みでした。

 

そんなことはないと思います。たまたま名前がクレジットされただけですね。

 

 

『忍』の音楽は何か目標を定めていましたか?

 

当時は他に比べるものがなかったんですよね。元々セガは『忍』シリーズを既にいくつか出していて、アーケードでも確か『忍』のゲームが出ているんですよ。システム16って基盤があるんですが、それで『忍』のアーケード版が出ているんですよね。ですので、最初にセガから、こういう曲を作ってください、このゲームの曲を作ってくださいって『忍』の資料を渡された時は、アーケードの続編なんだなと思いました。私もゲームセンターでそのゲームをやり込んでいましたし、曲も知っていたので、その延長線上で曲を作りたいなと思いました。続編っぽい感じが出せればいいなと最初は思っていましたが、追及していくうちに、もっと当時で言うところの「今っぽい」というか、その頃はクラブミュージックやディスコミュージックを聴き始めていたのですが、そういう音楽と、『忍』の持っているジャパニーズテイストみたいなものをくっつけてやってみたら面白いんじゃないかなと思って作っていきました。ですので、ちょっと恥ずかしいんですが、Princeの『Batdance』のような曲もあります。当時そういう曲を聴いていたんですよね。今みたいにインターネットがあって、誰でも昔の曲を聴けるような時代ではなかったので、聴ける曲は限られていました。当時はプリンスだったらプリンスばかり聴いていましたので、ああいうかっこいい曲をゲームミュージックで鳴らしたいなと。そういう音楽や日本的な音楽に、海外のかっこいいクラブサウンドをくっつけてみようと思っていましたね。

 

『ベア・ナックル』の音楽の制作背景について教えて下さい。

 

『ベア・ナックル』は日本の市場ではなく、海外の市場を意識して作った最初の音楽だったと思います。

『ベア・ナックル』を手掛けた頃は、北米やヨーロッパでメガドライブが売れ始めていて、日本よりも海外で人気があるということは分かっていました。当時のセガの音楽は、『スペースハリアー』、『ファンタジーゾーン』、『カルテット』のようなフュージョン系のサウンドが多くて、それはそれで大好きでしたし、自分もそこから影響を受けてそういう音楽を沢山作ったんですが、当時海外で伸びていたのはクラブミュージックでした。日本ではまだあまりクラブミュージックは認知されていなくて、本当に一部のマニアの人しか知らない音楽でしたが、これから絶対にクラブミュージックの時代が来ると思っていましたし、メガドライブが売れているエリア、特に北米ではすでにそういう曲がMTVなどで頻繁にプレイされていたんですよね。ですので、向こうの人たちはクラブミュージックが絶対に好きだから、ゲームミュージックに取り入れたらすごく喜んでもらえるだろうなと思いまして。それで『ベア・ナックル』では思い切ってハウスとかテクノのサウンドにチェンジしたんですよね。日本の市場ではなく、海外の市場を意識して作った最初の音楽だったと思います。

 

それが正解なのかは作っている私は分かっていなかったんです。セガからこういう音楽にしてくださいという指示が一切なく、好きな音楽を作っただけだったので。とにかくクラブミュージックは絶対に流行るからこういう音楽にしたいと言ってデモを渡したら、当時のセガのコンシューマー部門の部長さんが大変気に入ってくださって。ラッキーでしたよね。日本ではあまり流行ってない音楽だということで、拒絶してしまう人も中にはいると思うんですが、その方は好意的に受け取ってくれました。

 

Yuzo さん

 

当時日本では流行していなかったハウスやテクノを聴き始めたきっかけは?

 

その頃丁度LAに行ったんです。観光してホテルへ戻ってきたら、あとはずっとMTVを観ていたんですが、すごい衝撃を受けたんですよね。日本で流行っているのと全然違うなと思いました。それでお土産にいっぱいカセットやCDを買ってきて。地元の日野のCDショップではそんな音楽は当然売っていなかったので、新宿や渋谷に行って向こうで買ってきたものと似たような音楽を一生懸命集めて、徐々に情報を増やしていきました。20歳の頃ですかね。20か21歳の頃です。

 

1988年頃ですね。LAではどんなレコードを買いましたか?

 

LAで買ったのは、Milli Vanilliって知っていますか? 彼らがずっとチャートの1位で、まずそれを買いました。あとMadonnaも買いましたね。Madonnaは日本ですごく売れていたんですが、LAでは日本にインポートされる前の曲や新曲が流れていて。その頃からMadonnaもクラブミュージックに徐々に傾倒するんですが、傾倒し始めた頃の曲ですよね。ちょっと曲名は忘れてしまいました。あとロックも好きで、Guns N’ Rosesとかも好きでした。LAのタワーレコードに行った時に、W. Axl Roseがたまたま来ていて、かっこいいとか思いましたね。そういう音楽も好きでした。買ったのはそういう音楽ですかね。

 

1988年当時は、クラブミュージックというよりは、まだディスコだったんです。日本だと例えばマハラジャというディスコがすごく流行っていたんですが、その頃はそこまで通わなかったですね。あとはユーロビートも流行っていました。クラブミュージック、いわゆるハウスやテクノは、それから2年、3年後に流行りました。ディスコサウンドからハウスが流行るまでの間に『ベア・ナックル』などを手掛けたはずです。クラブへ通い始めたのは89年頃ですね。西麻布にYellowというクラブがあったんですが、そこによく通っていました。クラブっぽい場所といえばそこでしたね。

 

 

『ベア・ナックル』のオープニングトラックについて解説してもらえますか?

 

あの曲は『ベア・ナックル』の制作をスタートさせてから、最初か2番目か3番目… とにかく最初の段階で作った曲なんですが、あの曲を聴くと、昔クラブミュージックが好きだった人はあーっと思うかもしれないですが、Soul II SoulやEnigmaなどの音楽の影響を受けています。何が中心にあるかというと、グラウンドビートですよね。グラウンドビート自体がものすごく新しくて、かっこ良かったんです。こういう微妙にスウィングしたビートは当時の日本の音楽にはなかったですし、当然ゲームミュージックにもなかったので。このビートを絶対鳴らしたい、そこから始まったんですよね。あの微妙なスウィング感を入れたかったんです。当時のゲームミュージックはメロディがはっきりしてないと受け入れられないというか、人気がなかったんですが、ビートに注目した音楽自体が当時の日本にはあまりなくて、これからは絶対ビートの時代だなと思いまして。メロディではなくビートが音楽を引っ張っていく。そういう音楽が絶対流行るだろうなと思ったんです。その象徴というか、最初に入れ込んで作った曲があの曲ですね。

 

新しい新鮮な音楽をゲームミュージックで表現する作業はエキサイティングでしたか。

 

『ベア・ナックル』のオープニングトラックは、昔クラブミュージックが好きだった人はあーっと思うかもしれないですが、Soul II SoulやEnigmaなどの音楽の影響を受けています。

そうですね。日本の音楽史においてこういうサウンドはほとんどなかったので、それはもうエキサイティングでしたね。FM音源でも こういう音楽は割りと上手く再現できるんです。FM音源の他にPCMも1チャンネルありましたし。Rolandの有名な機材でTR909、TR808というリズムマシンがあるんですが、これらのサウンドをサンプリングしてビートを組むんですが、そのビートを組んでいく作業はすごくエキサイティングで楽しかったですね。

 

PCMについて少し説明してもらえますか?

 

PC88のPC88 SRという機種が出たんですが、最初はPCMが搭載されていませんでした。後からサウンドボード2というのが追加されて、それで初めて88でPCMが使えるようになったんですね。PCMは1チャンネルしかないので、当然FM音源が苦手とする音色をPCMで補うという形で制作するのがベストで、PCMは大抵の場合、ドラムに使います。何故ドラムに使うのかというと、まずドラムというのは凄く小さいメモリでも再現ができるという点ですね。ですから、必然的にPCMはドラム用になってしまうんですが。あとはドラムがリアルなサウンドになれば、サウンド全体にリアリティが生まれるという点です。あとPCMで使ったのは当時流行り始めていたオーケストラヒット位ですかね。PCMではジャン、バン、ダン位しか鳴らせなかったです。なのでそういう短くてリアルなサウンドをPCMに割り当てて、残りを全部FM音源とPSGで鳴らしていました。

 

 

『ベア・ナックル2』の音楽は1よりも更に進化しました。

 

『ベア・ナックル』の音楽がセガ側で好評だったんです。それで『ベア・ナックル2』は、その続きを作ろうと思ったんですが、クラブサウンドって常に新しく変わっていきますよね。『ベア・ナックル』の制作時よりも『ベア・ナックル2』の方がテクノ寄りになっているのは、当時Yellowなどで聴いていたのがハードテクノみたいな音楽で、だんだんそういう音楽が流行るようになっていたことが理由ですね。レベルアップしたいというよりも新しいサウンドを取り入れたいと思って作ったんです。テクノだけじゃなくてハウスも進化していて、もうちょっとファンク寄りのハウスが流行っていました。

 

『ベア・ナックル2』で何が変わったかというと、当時はサンプラーがどんどん改良されたことで、昔のファンクミュージックやエスニックミュージックを、TR808やTR909のビートに絡めるようなスタイルが次から次へ生まれていた頃だったので、『ベア・ナックル2』でもそういう音楽を再現したいと思って色々なパーカッションサウンドをFMで作ったり、ビートもより複雑な組み方をしたりしていたという点ですね。あとシンセサイズも変わりましたね。当時、Roland TB303というベースシンセがあったんですが、それのフィルターを開閉すると独特のサウンドが鳴るんです。それをFM音源で再現したいと思っていました。

 

 

Yellowで好きなDJはいましたか?

 

好きだったDJはいたんですが、名前とかはあまり覚えてないんです。私のダメなところなんですが。私はクラブシーンに詳しいわけではないですが、『ベア・ナックル』を一緒に作った川島基宏さんという方がクラブ大好き人間で、情報をいつも持ってきたんです。今度あそこ行ってみようとか誘われて、いつも一緒に遊びに行っていたんですが、彼はYellowが大好きで。Yellowは当時のクラブミュージックの最先端を行っていて、DJもあそこを意識してプレイしているということは聞いて知っていました。まだまだディスコ全盛だった日本のクラブシーンでハードテクノみたいな音楽が一晩中流れていました。それがすごく独特で楽しかったですね。

 

90年代前半のYellowはエキサイティングでしたか?

 

はい。楽しんでいたのは一部の人だけだったのかもしれないですが。テクノと言えば、普通の人はYMOと答えていた時代だったと思いますから。ケン・イシイさん、石野卓球さんたちが丁度出てきた時代でした。電気グルーヴなどがテクノを有名にしていったと思いますが、それよりもちょっと前の時代ですよね。まぁ、ほとんど重なっているんですが。ですので、非常に熱狂的な人もいましたが、みんながみんな聴いているわけではなかったですね。結構マニアックなジャンルだったと思います。

 

 

今聴いてもゲームミュージックだとは思えないクオリティです。では次に『ベア・ナックル3』について解説してもらえますか?

 

『ベア・ナックル3』のサウンドは、これが好きだと言ってくれるのはすごく嬉しいんですが、人によっては聴くに堪えない音楽だと思います。今でこそ、最近の若い方たちなら、こういう音楽を聴いても違和感ないかもしれないですが。当時はまだ2000年にもなっていないですよね、97年、98年でもなく、94年ですから。こういう曲を作ったのは、Yellowなどで流れていた曲を再現したいと思ったからです。『ベア・ナックル2』から更に進化させたいと思って作りました。

 

改めて聴くとぐちゃぐちゃじゃないですか。メロディどこにあるの、みたいな曲ですよね。これはさすがに受け入れられないかなと思ったんですが、幸いにもセガは受け入れてくれました。当時のリスナーからは、所謂「フルボッコ」っていうんですかね、「こんなのは音楽じゃない」みたいな評価をもらったことを記憶しています。非常に実験的でもありましたし。本人は絶対こういう時代が来るだろうと思って作ったんですが。日本ではこういう方向性の音楽はあまり受け入れられないですね。今でもなんだかよく分からないと言う人がいます。ですが、好きだと言ってくださる人もいらっしゃるので、これもひとつの正解だったんだなと思っています。

 

こういう音楽はPC88でどうやって制作していたのでしょう?

 

『ベア・ナックル3』で制作方法が劇的に変わったんです。まずPC88から98に変わりました。それで、98上で『ベア・ナックル』のサウンドを制作するために、新たにミュージックジェネレートプログラムみたいなものを作りました。これは自分で音符を書く代わりに条件を書き込むという、プログラミング言語のようなもので、音を生成するプログラムを自分で組んだんですね。音は自動的に生成されるのですが、その中から良いサウンドを選んで、塊を張り付けていくというか。今のテクノの制作方法に近いと思います。そのミュージックジェネレートプログラムを新たに組み込んで、新しいサウンドを生みだした、この点が2と3の違いですね。

 

25年以上前の作品ですが、今の音楽にも影響を与えていますよね。

 

アメリカやイギリスの音楽に影響を受けて作ったのに、それを向こうの人から好きだと言われるのはすごく不思議な感覚ですね。「オリジナルがそっちにあるじゃん」って思いますから。

非常に光栄ですね。最近はインターネットがありますから、海外の方からメッセージをもらう時もありますが、元々『ベア・ナックル』は日本の音楽ではなく、アメリカやイギリスの音楽に影響を受けて作ったのに、それを向こうの人から好きだと言われるのはすごく不思議な感覚ですね。「オリジナルがそっちにあるじゃん」って思いますから。ただ、影響は受けていましたが、物真似で作っていたわけではなくて、ゲームミュージックとして機能するように作っていました。あとFM音源のサウンドも自分でプログラミングしないといけなかったので、そういう形で作った自分のクラブミュージックはユニークだったのかなと思います。MTVで流れているクラブミュージックとはまたちょっと違う音楽でしたから。あとゲームは繰り返し遊ぶので、すごく耳に残るんですよね。

 

制作時の制限を最大限まで有効活用するためのテクニックなどがあれば教えてください。。

 

PC88で良い音楽を引き出すために使っていたテクニックは、ミュージックドライバを自作したことですね。あとは出したいサウンドを好きなように出せるエディタも自作しました。そこまでやったから限界を超えた音楽が生み出せたのかなと思います。

 

「FM音源の王様」と呼ばれているようですが。

 

それは光栄ですが、FM音源で上手に音楽制作をする方は他にも沢山いらっしゃいます。 さっきの話と重なりますが、ゲームミュージックではない一般的な音楽のFM音源はMIDIがベースですが、MIDIでFM音源を使うとどうしても制約が多くなってしまいます。ですので、当時はチップの性能を活かしきれなかった場合があったと思うんですが、私はドライバとエディタを自作したので、チップの細かいところまで全部自分でコントロールすることができたんです。ですので、あれだけのサウンドを出せたんだと思います。自分では音色の作り込みが上手いと思っていませんが、細部まで自在にコントロールできたという点がそういう評価を頂ける一番の要因だと思います。