二月 24

Young Chicago

ドリルシーンの誕生をきっかけに新世代のラッパーが台頭してきているシカゴのヒップホップシーン。その再生を担う中心的存在を紹介する

By Max Bell

 

今日もシカゴのストリートの縁石の上に最低1本は置かれている火の消えたロウソクに霜がおりる。そして数多のシカゴ市民が市内で勃発している銃撃戦による友人や家族の死を嘆く。連邦住宅局の人種差別的な投資差別が部分的な原因となっているシカゴのアフリカ系アメリカ人たちの間にはびこる慢性的な貧困は、ギャング関連/非関連の過激な暴力を数多く生み出しており、2013年にはイリノイ州代議士Monique Davisが同州知事に対し州兵の派遣を要請した。尚、この記事を執筆する2週間前にも、黒人が多く住むエリアで週末に銃撃戦により3人の男性が死亡、5人が負傷している。

 

過去20年間に渡りシカゴのラップシーンを追ってきた人にとって、悲しみを想起させる耳に刺さるような銃声とサイレンのサウンドは頻繁に使用されてきた。(90年代のシカゴの荒廃を綴ってきたCommon、Twista、Crucial Conflictなどの初期作品を参照)。そして、ここ3年間は、シカゴのラップシーン(そして少なくともその一派であるドリルシーン)への注目の高まりと重なるかのように、 増加傾向にあるシカゴの暴力が全国紙で取り上げられるようになってきている。

 

「みんな自分のスタイルでやってるよ。Chief Keefみたいにラップする奴はもういないのさ」− Lucki Eck$

 

シカゴで最も危険なエリアと言われるサウスサイドで生まれたドリルは、アトランタのトラップの直系に位置している。ドリルのサウンドには確固とした特徴はないが、セミオートマシンガンのような痛々しいパーカッションと、攻撃的で隙間のあるアレンジが多用されている。そして、これらよりも更に目立つ共通点が、運命論的な視点で書かれたリリック、シカゴ特有のスラング、そしてト恐々としたトラックのムードだ。だからと言って、ドリルのラッパーたちは銃、ドラッグ、暴力をワンセットとして扱うギャングスタラップを美化しているだけだと言い切ることはできない。何故なら、これらの要素は彼ら自身が自分たちの人生を通じてリアルに体験してきたものだからだ。そして彼らの音楽はその現実と同調しつつ、彼らがいかにその現実を恐れていないのかを表現している。

 

シカゴの死者数の増加とドリルの台頭には関連性があると報じるメディアもあったが、メジャーレーベルがその報道に怖じ気づくことはなかった。2012年にInterscopeがドリルシーンのスーパースター、Chief Keefと契約すると、他のレーベルもその後を追い、EpicはKing Lを、Def JamはLik DurkとLil Reeseを獲得。しかし、それから約2年経った段階でメジャーデビューを果たしたのはChief Keefだけで、しかも昨年10月に彼はInterscopeから契約を切られた。

 

「ああいうドリルはもう存在しないね。みんな自分のスタイルでやってるよ。Chief Keefみたいにラップする奴はもういないのさ」プッシャーとジャンキーの関係を冷静に見つめるリリックと淀みのあるサイケデリックなサウンドが特徴的なミックステープ『Body High』をリリースしたシカゴのラッパーLucki Eck$はこう説明する。「シカゴは進化したのさ。音楽は前よりも良くなった。世間はそれに気が付いていないのさ。奴らはまだ暴力の世界に囚われているんだ」

 

 

その進化を代表する存在がChance the RapperVic Mensaであることは、最新の『XXL Freshman』を読まずとも明白だろう。Chance the Rapperが2013年にリリースしたミックステープ『Acid Rap』は、豊富なボキャブラリー、社会を鋭く捉えた視点、様々なジャンルを混ぜ合わせたプロダクションによって幅広い層から支持を集め、ライブツアーは全米各地でソールドアウトとなった。そして同年にリリースされた Mensaのミックステープ『INNANETAPE』も同様の称賛を集め、Virgin EMIがヒップホップとハウスを巧妙に組み合わせたシングル『Down on My Luck』をライセンスリリースするという結果に繋がった。

 

「Lyricist LoftとYCAは訓練所のような位置づけだった」 − Saba

 

前述の2人がスターとしてシーンで活躍を続ける中、2014年は彼らと志を共にするLucki Eck$、Mick Jenkins、Saba、NoName Gypsy、Max Wonders、Jean Deaux、Dally Austonなど他のシカゴのローカルラッパーたちによる将来性に溢れるパワフルな音楽が数多く生まれることになった。ブレのない一貫したサウンド、ダイナミックだが時として詩的な趣が感じられるリリック、そして個人と社会を冷静に捉えるユニークな視点と共に、彼らはシカゴラップのクリエイティビティをこれまでにないレベルにまで引き上げた。ドリルの台頭と併せ、これはシカゴラップのルネッサンスであり、彼らは現時点のシカゴ、そしてシカゴラップシーンで最も重要な役割を担っている若者たちと言える。

 

彼らのような才能あるシカゴのローカルラッパーたちの台頭がただのまぐれだとする考えは馬鹿げている。ミッドウェストのラップシーンにおいて不可欠な存在であるウェブサイトFake Shore DriveRuby Hornetが彼らをシカゴから世界へと初めて紹介し、また彼らよりも先立つ形でブログによるバズも起きていた。更に言えば、ドリルシーンのラッパーたちが威嚇的なミュージックビデオを撮影し、レーベルとの契約を交わしている間、前出のシカゴの若きラッパーたちは固い絆で結ばれたコミュニティに参加していた。そのコミュニティはローカルの若者を中心としたLyricist LoftとYoung Chicago Authors(YCA)という2つのオープンマイクセッションから生まれたものだ。「この2つのセッションはシカゴのシーンの変革の中心に位置していたんだ。毎週最高にホットなアーティストが出演していたよ。あそこは訓練所のような位置づけだったね」Chance the Rapperの『Acid Rap』に参加したゲストアーティストの中で特に大きな存在感を放っていたひとり、Sabaはこう振り返る。

 

 

シカゴのダウンタウンにあるHarold Washington Libraryの一角にあるYOUmediaで毎週水曜日に開催されていたLyricist Loftには数多くの若手ラッパーや詩人が参加していた。その定期開催のセッションの参加者たちの中から登場したのが、Mensa、Chance the Rapper、Jenkins、Sabaなどで、彼らはステージに上がると、フリースタイルや最新のトラックを試していた。

 

YCAも同様で、シカゴ出身の詩人/作家で、世界最大のユース・ポエトリーフェスティバルLouder than a Bombの共同設立者Kevin Covalによって毎週火曜日にWicker Parkで開催されている。初期にはChance the RapperやSabaが出演していたこのイベントは、当然ながらCovalの影響が色濃く反映されており、詩の側面を重視している。

 

「ラッパーには詩のテクニックに集中するように伝え、詩人にはヒップホップの革新的な部分を作品に盛り込むように教えてきた。お互いの世界を混ぜ合わせることで生まれるある種の曖昧さにはパワーが詰まっている」Covalは説明する。

 

「Sabaがミックステープ『Comfort Zone』用の新しい素材を持ち込むと、みんなが『ワオ!』と興奮していた」 − Kevin Coval

 

参加者にとって、YOUmediaとYCAは家庭と高校以外でクリエイティブな活動を安心して行える唯一の空間であり、同世代と共通の話題を話し合える場所だった。そして何よりも重要だったのは、オープンマイクは彼らにとって初めて人前でパフォーマンスをするチャンスだったという点だ。「ミックステープもファンも持っていないラッパーたちは、ああいう場所へ行って沢山のチャンスがあることを知ると、何度も通ってそのチャンスを最大限活かそうとするようになるのさ」Sabaが説明する。

 

詩人や他の参加者達がラッパーたちの姿に触発されて自らラップを始めるようになるケースもあった。「ラップで自分の言葉を表現している彼らに触発されたのよ」当初は両セッションにポエトリー・リーディングで参加していたが、後にラッパーへ転向したNoName Gypsyが言う。『Acid Rap』への参加以降、ごくわずかの作品しか発表していない彼女がリリースする初のミックステープ『Telefone』は、シカゴラップシーンにおいて最も大きな期待を集めている作品のひとつとなっている。「ラッパーたちのストーリーの作り方とフリースタイルは本当に最高だったわ」

 

Gypsyの言葉からはLyricist LoftとYCAの本質が垣間見えるが、YCA、そしてLyricist Loftの毎週の様子を一番良く把握しているのはCovalだ。「みんなが成長していく姿を見守ることに興奮と喜びを覚えるよ。手に取れるようなヴァイブが生まれたよ。NoNameが次にどのようなことをやってくれるのだろうとワクワクしたものさ。Sabaがミックステープ『Comfort Zone』用の新しい素材を持ち込んだ時も、『ワオ! 上手いな!』とみんなが興奮していた。俺にとってはシカゴで最もエキサイティングなカルチャースペースだね」

 

 

この2つのシカゴのオープンマイクセッションに先んじたイベントとして挙げられるのが、LAのGood Life Caféだ。90年代前半、つまりLA周辺のメディアの多くが警察の残忍性やギャングの対立に注目し、ファンクに影響を受けたギャングスタラップがそれに伴う形で台頭してきた頃、高い知性を誇るラッパーたちが毎週Good Life Caféに集まり、フリースタイルやパフォーマンスを披露していた(Ice CubeやBone-Thugs –N-Harmonyなどが訪れ、革新的なラップを披露していたとも言われている)。健康食品を扱うこの小さなショップにどんな才能が集まっていたのかは、 Freestyle Fellowship、Pharcyde、Jurassic 5など、独創性を持ったLAのアンダーグラウンドラップグループの作品群が証明している。彼らはここの常連だった。

 

「ドリルの連中のことは良く知っているよ。俺はああいう生活を知っている。俺は奴らと一緒に育ったんだ」 − Mick Jenkins

 

現在のシカゴと90年代前半のLAに共通するのが、多種多様なスタイルのラップ、ギャングの暴力、そしてメディアからの注目度だ。当時のLAではGood Life Caféから生まれたギャングスタラップとは違う作品、まるで全く別の世界から来たかのような作品を生み出そうとする動きがあった。しかし、Good Life Caféのステージに立ったこれらのラッパーの多くは、N.W.A.と同じ環境で育っていた。これはオープンマイクのためにダウンタウンとWicker Parkへ通うシカゴのラッパーの多くにも共通する点だ。「ドリルの連中のことは良く知っているよ。俺はああいう生活を知っている。俺は奴らと一緒に育ったんだ」2014年のベストミックステープのリスト入りが確実と言われる、ジャズを取り入れた鮮烈なミックステープ『The Water(s)』をリリースしたMick Jenkinsが言う。「別に奴らと俺たちが違うとは思っていない。ただ作る音楽が違うだけさ」

 

Jenkinsのこの言葉は偶然にもFreestyle FellowmanshipのDJ Killuが1993年に出版されたBrian Crossの著作『It’s Not About a Salary』で語った次の言葉と共鳴する。「俺たちは他のクラブに出入りしていたかも知れないが、Ice Cubeのことは前から知っているし、ギャングスタの連中、銃弾、流血、ドラッグディーラーも知っている。俺たちはゲットーに住んでいる。ビバリーヒルズで育った訳じゃないんだ。ただ違う耳を持っているだけさ」

 

それでも、Jenkinsや他のシカゴのラッパーたちの生み出す音楽は「ノン・ドリル」と呼ばれる時がある。これはある意味正しいと言えるのかも知れないが、ドリルのラッパーたちと「ノン・ドリル」のラッパーたちは同じテーマを扱う場合が多い。前者はシカゴの片隅に立ち、後者はそこから人生を眺め、分析している。彼らを分けているのはその視点の違いだ。

 

 

残念なことに、Good Life Caféと同様、YOUmediaで開催されていたLyricist Loftはもう存在しない。YCAに関しては、ここで挙げたラッパーたちの多くが多忙や年を重ねたことを理由にもう参加していないが、ここのオープンマイクセッションは今でも成長と進化を続けている。「YCAに通い始めた頃は、ポエトリーが中心だったの」NoName Gypsyが説明する。「でも今のYCAはラップにシフトしているわね。ラッパーたちがビッグな存在になっていったから、ラップとポエトリーのバランスが変わってきていて、凄く面白くなっていると思う」

 

ここに挙げたラッパーの多くの作品を創出すると同時に彼らの基盤となったこれらのオープンマイクセッションは、Treated Crew(Wonders)、Save Money(Chance the Rapper、Mensa、Auston)、Pivot Gang(Saba)、Free Nation(Jenkins)など、シカゴ市内の様々なラップクルーやコレクティブから集まったアーティスト同士の友情と対話も生み出した。現在、これらのクルーに所属するメンバー間で行われているコラボレーションの数は数え切れない。

 

「しょっちゅうみんなに会うね」Jenkinsが説明する。「俺たちは大抵3カ所のスタジオでレコーディングしているから、よく出くわすのさ」その3つのスタジオに含まれるのが、Classick StudiosとSoundscape Studiosだ。Soundscape Studiosは、Ruby Hornetの元編集長Alexander Fruchterが共同設立者として名を連ねるシカゴで最も勢いのあるインディーヒップホップレーベルClosed Sessionsが所有している。Molemen Recordsのようなシカゴローカルのヒップホップレーベルは90年代後半から存在しているが、このようなローカルの新人アーティストを取り込んだのは、Closed Sessionsが初めてだ。

 

とは言え、今でも多くのシカゴのラッパーたちは宅録を行っている。Sabaの自宅の地下にあるホームスタジオはこれらのアーティストたちの第2のクリエイティブスペースとして機能しており、NoName Gypsy、Lucki Eck$、Dally Austonの3人は定期的にこのホームスタジオでレコーディングを行っている。また、瑞々しいピアノを中心としたアレンジと鋭いリリックを擁し、2014年を代表するミックステープと評価されるSabaの『Comfort Zone』の大半もここでレコーディングされた。「もっと広いスタジオでレコーディングする時もあるけど、最高にオーガニックな作品はこの地下から生まれるね」Sabaは言う。

 

そして最近のSabaの作品や、オープンマイクに参加していた他のアーティストたちの作品群は、確実に更に下の世代のシカゴのラッパーたちに大きな影響を与えている。「オープンマイクに通うというステップをすっ飛ばして、独学で宅録をしているんだ」2014年前半に2本目のミックステープ『The Wonder Tape』をリリースした17歳のMax Wondersは言う。

 

 

シカゴのラップシーンはこのような復活を遂げたが、残念なことに歴史は繰り返しているようだ。Kanye West、Common、Chief Keefに続く形で、シカゴ出身の前途有望なラッパーたちは既にシカゴを去りつつあり、(例:Chance the Rapper、Max Wonders)。Saba、NoName Gypsy、Lucki Eck$も近い将来に他の都市への移住を考えている。Jenkinsは説明する。「シカゴにはメジャーレーベルがないんだ。メディアの数も少ない。ラジオもニューヨークとは違う。俺たちが移住したいと思う理由は山ほどあるのさ」

 

「仲間が忙しいのは嬉しいもんだよ」 − Saba


しかし、移住がこのクリエイティブなコミュニティの崩壊を招くのではと危惧する者がいる一方、この変化をポジティブに考えている者もいる。Sabaは次のように説明する。「これはシカゴラップの問題というよりは、人生の選択だろ。ある程度年を取れば、疎遠になる友人が出てくるけど、奴らとの関係が何も変わっていないと感じる時もある。要するに人生の1ページなんだ。俺は前向きに考えているよ。仲間が忙しいのは嬉しいもんだよ」

 

実際、シカゴのラッパーたちはそれぞれ多忙のようだ。Interscopeから契約を切られたChief Keefは最近2本のミックステープをリリースし、Lil Herbの『Welcome to Fazoland』も2014年で最も強力なラップ/ドリル作品として高評価を得た。SabaはRed Bull Sound Select: 30 Days in LAA$AP Mobのオープニングを務めた他、新作の準備も進めている。そしてNoName Gypsyの『Telefone』はリリース目前と言われており、JenkinsはインディーレーベルCinematic Music Groupと契約を交わした。Jenkinsはこのままシカゴに留まり、彼のコミュニティが直面している問題の解決方法を見つけつつ、自分の影響力を使ってシカゴのシーンの未来を作り上げていきたいと言う。「ドープなアーティストたちとどんどん知り合っていくだけさ。俺たちはみんな仲間だから、協力して自分たちのプラットフォームを築いていくよ。俺たちはどこにも行かない。未来がどうなるかは分からないけど、大きく成長していくことだけは確かだね」