六月 30

Yess Records:インドネシアのブートレグカセットレーベル

1970年代から1980年代にかけて存在したインドネシアのブートレグカセットレーベルは今もこの国の音楽シーンに影響を与えている。

By Stanley Widianto

 

1975年から1988年にかけて、インドネシア・バンドンのレコードレーベルYess Recordsはプログレッシブロックを中心にしたミュージックライフを追求したいと思っていたインドネシア国民のインスピレーションとして機能した。しかし、Yess Recordsの業務内容は必ずしも “レーベル” と言い切れるものではなかった。彼らのカタログの大半は、Maxellのカセットテープ(C-60かC-90)に既存のリリース作品を落とし込んだブートレグだったからだ。

 

Yess Recordsの3人のオーナー、A Fung、Ian Arliandy、そしてその人物像がほとんど明らかになっていないIhokは音質を重視していたが、国際著作権法は重視していなかった。しかし、このレーベルはその活動期間中にリリースした731作品を通じて、インドネシアの音楽ファンにMarillion、Pendragon、Tangerine Dream、King Crimson、そしてレーベル名の元となったYesなどの奇妙な音楽を紹介する重要な役目を担った。Yessのブルーグリーンのカセットケースは今でもインドネシア国内の小さなレコードショップやノスタルジックなコレクターの自宅の棚に見つけることができる。

 

Yess Recordsは1972年から1973年の間にA FungによってDiamond Recordsという名前で立ち上げられ、その後すぐにIan Arliandyがキュレーターとして参加した。A Fungがカセットテープへのダビング作業を管理し、Ihokがショップの面倒を見ていた中で、キュレーターのArliandyは非常に具体的なヴィジョンの実現を目指していた。かつて本人は「Yess Recordsをプログレッシブな音楽に特化した存在にしたいんだ。そのような音楽を広めることが僕の使命だ。不可解なプログレッシブミュージックであればあるほど良いんだ」とコメントしている。

 

基本的に、1970年代のインドネシア国内の音楽的興味はクラシックロック(Led  ZeppelinやDeep Purple的な欧米のポップカルチャー)か、ダンドゥット(アラブとマレーシアの音楽に影響を受けたリズミカルなインドネシアの国民的音楽)止まりだった。当時のインドネシアは独裁政権下で厳しい法律が敷かれており、テレビはプロパガンダでしかなく、プリントメディアも発行に特別な許可が必要だったため、音楽が広がるまでは時間がかかった。そのような状況の中、Yess Recordsは常に “オルタナティブ” を意識していた。彼らの扱うプログレッシブロックやアヴァンギャルドはポップに対する “オルタナティブ” で、カセットテープは希少で高価だったヴァイナルの “オルタナティブ” だった。

 

ミュージックフォトグラファーでインディーロックバンドEfek Rumah Kaca(2015年にプログレッシブロックにインスパイアされたアルバム『Sinestesia』をリリースしている)のキーボードを担当しているMuhammad Asranurは「Yess Recordsがなかったら、面白い音楽とは出会えなかった」と振り返っている。Yess Recordsは10代のAsranurにとって非常に大きな存在で、両親に彼らの扱うカセットテープをまとめて購入するように頼み込んだこともあるくらいだった。プログレッシブロックがもっと簡単に手に入る音楽だということをAsranurが知ったのは、彼がUSへ渡った1991年のことだった。

 

しかし、Yess Recordsはプログレッシブロックだけを広めていたわけではなく、US、UK、オランダ、シンガポールなどからの輸入盤が多くを占めていた彼らの大量のダビングタイトル群は、リリース数が増えるにつれてジャンルに縛られなくなっていった。Yess Recordsについての論文を書いた研究者Yuka Narendraは「Yess Recordsには独特の個性がありました。欧米のプログレッシブロックファンはPat MethenyやLyle MaysのようなECMのジャズ作品を聴かないと思いますが、彼らはそのような音楽も聴いていました」と説明している。Yess Recordsのファンは、YessというひとつのジャンルのファンだったとNarendraは考えている。「Yesの『Relayer』を初めて聴いた時、僕はシンセサイザーのサウンドに夢中になりました。その影響で、YessでリリースされていたYellow Magic Orchestraや坂本龍一を聴くようになりました」

 

 

 

"当時は全てが海賊盤だった。オフィシャルリリースは1枚もなかった"

Arman Wahyudi

 

 

 

NarendraにとってYess Recordsは「手頃なモダン」だった。安価で欧米のモダンなポップカルチャーにアクセスできるチャンスだったからだ。つまり、利益はあったにせよ、オーナー3人にとってYess Recordsは採算性の高いビジネスではなかったのだ。Narendraにとって、近年のSpotifyのアルゴリズムは、カスタマー(その多くはバンドン、スカブミ、マディウン、バンダ・アチェなどの小都市の学生だった)にあれを聴けこれを聴けと興奮して勧めていたYess Recordsのスタッフと同じだ。Yess Recordsは、点を線にするため、バックカタログをコンプリートするために情熱を注ぎ続けていた。彼らは常に特定のバンドのディスコグラフィーを揃えようと努力を続け、ベスト盤 - おそらく公式には存在しない作品 - を用意することもあった。

 

「当時は全てが海賊盤だった。オフィシャルリリースは1枚もなかった」とジャカルタのショッピングモールBlok M Squareの地下に位置するレコードショップJatinegara MusikのオーナーArman Wahyudiは振り返っている。しかし、このような著作権侵害は、Yessとその周辺に位置するダビング業者やレーベルにとって違法行為ではなかった。なぜなら、インドネシアは1997年までベルヌ条約や国連が設定した著作権保護条約や印税分配条約などの国際協定にひとつも署名していなかったからだ。Narendraは、当時のインドネシア政府は国内のミュージシャンに対する著作権侵害行為については厳しく取り締まっていたが、欧米の音楽のカセットテープ販売については何も気にしていなかったと指摘している。実際、Yess Recordsのカセットケースを開けてみると、インドネシア政府発行の税表示シールと、インドネシアレコード協会(ASIRI)発行のシリアルナンバーが確認できる。Yessはこのようなグレーゾーンの商品を扱いながらも、納税義務を果たしていた。

 

この “手頃なモダン” は、Live AidのオーガナイザーBob Geldofが、このチャリティコンサートの録音物を含む150万本以上のカセットテープがインドネシアで製造されてから東南アジアや中東、イタリアに輸出されていたことを突き止めた1985年に大きな音を立てて停まった。『Billboard』誌によると、この事実を突き止めたGeldofは怒り心頭で、インドネシアから観光産業を奪うようにオーストラリア政府に進言する準備も進めていた。その結果、1988年を迎える頃、このような国際的批判に晒されることを懸念したインドネシア政府は、Live Aid関連かどうかを問わず国内のカセットテープを対象にした著作権保護法を施行。カセットテープは強制的に市場から消されていった。

 

 

 

 

Yess Recordsは当時のインドネシア唯一のダビングレーベルではなかった。むしろ、インドネシア初でもなかった。当時はTeam(Rock LineというシリーズにはMetallicaやMotörheadの楽曲が収録されていた)、Mona Lisa、Billboard、Aquarius、Appleというレーベルも存在していた。このようなレーベルと彼らの音楽的遺産により、インドネシアの音楽ファンは歌詞付きのアルバムを手に入れることができていた。歌詞付きという仕様は英語を学べるチャンスを与えており、多くのカスタマーにとって大きな魅力のひとつとなっていた。少なくとも1988年まではそうだった。

 

「個人的にはカセットテープのモラル的問題は気にしていません」とNarendraは強い口調で話す。「世界のポップカルチャーに遅れずについていくための唯一の方法でしたからね。むしろ、僕たちは彼らと競い合えていました。インドネシアのミュージシャンたちが何を参考にしていたと思うんですか? モラルなんてクソ食らえですよ!」

 

シンプルな真実を言えば、彼のようなリスナーにとってカセットテープ以外の方法はなかった。「当時のインドネシア人の大半は、このようなカセットテープが海賊版だということに気が付いていませんでした。モラル的に正しいかどうかは別として、Yess Recordsのような存在は聴くに値するバンドの情報を広めてくれました。また、カセットテープは安く手に入れることができました。当時、ヴァイナルを買う余裕があるインドネシア人がどれだけいたと思いますか?」

 

Yess Recordsがその活動を通じて遺したレガシーは今となっては非常に小さなものに見える。プログレッシブロックへの愛情は誇りでしかなく、著作権侵害行為は一般的な入手方法でしかなかった。しかし、Yess Recordsは音楽探究の貴重なチャンスを提供することで、音楽の入手方法を求め続けていたインドネシアの音楽史を構成するひとつの世代に訴えかけた。13年間に渡り、Yess Recordsは人間の興味によって生み出されたひとつのスピリットを体現し続けた。ゼロから何かを生み出すというスピリットを。