十月 03

Yeah!:Lil Jonとクランク

サザンヒップホップのサブジャンルがメインストリームに進出した歴史と理由を探る

By Christina Lee

 

15年前、コメディアンのDave Chappelleは冠番組『Chappelle’s Show』で得意としているセレブリティのモノマネのひとつを披露することにしたが、元ネタを先に明かさずにはいられなかった。

 

画面に映されたのはクランクをメインストリームに押し上げたアトランタ出身のトリオ、Lil Jon & The East Side Boyzだった。2002年にリリースされた彼らの「I Don’t Give A…」のミュージックビデオは、Club 112でMystikalやKrayzie Boneなどの仲間と出会い、Prodigy「Smack My Bitch Up」のミュージックビデオにインスパイアされたパーティを楽しむ彼らの姿が描かれている。しかし、番組の観客はその内容をほとんど見ることができない。ChappelleはLil Jonが「Okay」と2回シャウトする冒頭5秒ほどでビデオを止め、「こいつがこのトラックで歌っているのはこれだけなんだぜ!」とシャウトする。

 

2013年、MTVのコメディショー『Ridiculousness』に出演したLil Jonは自分の葬儀でどんなやりとりがあるかを想像して「牧師が “彼は善人でした” と言ったら “イェー!” って返ってくるだろうな」とジョークを飛ばした。面白いジョークだが、彼のようなしゃがれ声でそれを叫ぶためには、品行方正な人たちは「周囲からどう思われるか」という不安を先に払拭しなければならない。

 

上記のようなお気楽なジョークは、クラブの外にもれる低音・騒々しい叫び声・混乱に代表されるクランクの一般的なイメージに近い。しかし、ChappelleがLil Jonのモノマネを自分のレパートリーに加えた裏には、ひとつの意外な出来事があった。Lil JonとLudacrisをフィーチャーしたUserのシングル「Yeah!」が全米ナンバーワンを獲得し、2000年代で2番目に売れたシングルになったのだ。

 

当時The New York TimesのライターだったKelefa Sannehaは、Crunk&B(Lil JonたちはクランクとR&Bのハイブリッドをこう呼んでいた)のチャートデビューについて「どういう経緯かは分からないが、Lil Jonは意外な発見 ― クランクビートは喧嘩師だけではなく恋人たちにも機能する ― をした」と書いていた。2001年、メインストリームがクランクと同義としてのJonを知る前の話だった。

 

 

 

 

Lil JonことJonathan Smithは昔から多種多様な音楽を好んできた。プロダクションチームDynamik Duoのひとりとして活動してきたLil Jonはサウンドシステムを所有しており、ジャマイカナンバーワンヒットとなったCapleton「Tour」のプロデュースを担当した。そして、ベースミュージックがマイアミからアトランタに入ってくると、Lil Jonはアトランタ版ベースミュージックをを生み出す助けとなった。

 

当時、Jermaine DupriのレーベルSo So Def RecordingsのA&Rだった彼の最初の仕事は、Ghost Town DJs「My Boo」をヒットさせたアルバムシリーズ『So So Def Bass All-Stars』の制作だった。Lil JonがThe East Side Boyzと組んで1997年にリリースしたデビューアルバム『Get Crunk, Who U Wit: Da Album』は当時のアトランタにはまだマイアミの影響が色濃く残っていたことを示している。

 

しかし、ローファイサウンドの「Who U Wit」は、Lil Jonはメンフィスの乱雑なパーティシーン ― “Get Buck” と呼ばれていた音楽 ― から得たインスピレーションを表現している。本人はBen Westhoffの著書『Dirty South』の中で「8ball & MJGの “Lay It Down” がプレイされると、クラブの全員が狂ったように盛り上がった。自分の中のあらゆるエナジーを解放していたよ」と振り返っている。

 

Lil Jon & The East Side Boyzが2001年にTVTからリリースしたアルバム『Put Yo Hood Up』は、彼らのCrunk&B初挑戦となった。「Nothing Free」はごく普通のR&BとヒップホップのコラボレーションでCrunk&Bと呼べるほどハイブリッドではない。当時Lil Jonの下で学んでいたOobieはオープニングで「自分が普通のビッチとは違う」と恋人に話しかけるように優しく歌っている。

 

 

 

 

メロディはアトランタのクランクサウンドの重要な構成要素のひとつであり続けてきた。ピアノの正規教育を受けているプロデューサーJames “LROC” ElbertがLil Jonのキーボーディストを務めていたのはこれが理由だ。

 

Lil Jonたちのサウンドはキーボードやシンセの音数が少ない時代(例:Clipse「Grindin’」 / Jay Z「Dirt Off Your Shoulder」)に合っているが、LROCはひとつのガイドラインに沿って仕事をしていた。「Quincy Jonesのある言葉をガイドラインにしているんだ。キャリアを通じてその言葉を支えにしてきた。彼は “ヒットソングというのは指1本で弾ける曲のことだ” って言ったのさ」(この言葉の原典は不明だが、Quincy Jonesはしばしメロディを「神の声」と表現している)

 

しかし、「Bia’ Bia」や「I Like Dem Girlz」、「I Don’t Give A…」のようなLil Jonの代表的なトラックでは、シャウトするリフが他のすべてのサウンドを圧倒する。LROCが「Nothings Free」が当時非常に新鮮に響いたことを強調して止まないのはこれが理由だ。LROCは「Lil Jonが叫んでラップするのはそれはそれで素晴らしかったが、同じトラックで歌い上げるOobieは “オーマイゴッド” だったね」と振り返っている。相対的な話をすれば、「Nothings Free」はクランク史の “脚注” なのだ。

 

Lil Jonの幼少時代からの友人でBME EnterprisesのパートナーVince PhillipsはLil Jonがメインストリームでブレイクしてクランクのスポークスマンになれた要因として次の3つを挙げている。ひとつ目は、アトランタでクロしオーバーヒットとなったToo $hortとのコラボレーション「Couldn’t Be a Better Player」、2つ目はLil Jon & The East Side Boyz名義でのNing Inch Nails『Pretty Hate Machine』をリリースしたレーベルTVTとの契約、そしてもちろん3つ目は、2002年のアルバム『Kings of Crunk』のダブルプラチナム獲得に貢献したラップヒット「Get Low」だ。

 

 

 

 

Usherがアルバム『Confessions』をリリースする2004年頃までにクランクを取り入れることは一大トレンドになっていた。Britney Spears「(I Got That) Boom Boom」は最もアヴァンギャルドな例と言えるだろう。Ying Yang Twinsとバンジョーが「All the Southern Boys out there / サウスの男子全員」と呼びかけるBritneyを支えている。その歯に衣着せぬストレートさは評論家たちを困惑させたが(Village VoiceのGreg TateはLil Jonを “ミンストレルショー的な目立ちたがりの天才” と呼んだ)、クランクは急速にその存在感を増していった。

 

2003年、マイアミへ向かったLROCはシンセサイザーNovation A-Stationを手に入れ「Yeah!」の印象的なシンセフレーズに使用した。「ストリップクラブへ行くとテクノがかかっていたんだ。で、Jonから “こういうシンセサウンドをお前ならどう使う?” って訊かれたんだ」

 

 

 

"「Yeah!」は煌びやかだが、このトラックがクランクであることに変わりはない。UsherがLil Jonのトレードマーク “Yeah” を叫べば叫ぶほど、ヴォーカルは自分の目の前で前屈みになってつま先を触る女性のためなら何でもやりそうな雰囲気になっていく"

 

 

 

クランクの驚くほど幅広い音楽性についてもうひとつ面白い話がある。Usherが『Confessions』を提出すると、所属レーベルAristaのボス、LA ReidはソングライターのSean Garrettを呼び寄せた。Garrettはまだ何も実績らしい実績を残せていなかったソングライターだった。Usherは「Burn」をリードシングルに選びたがっていたが、Reidはもっとユニークなシングルヒットを狙っていたのだ。Garrettは「アルバムの他のトラックがどれもホットでR&B的だったから、もっとクリエイティブでダイナミックなトラックを提供したいと思った」と2006年の『Billboard』で回答している。

 

GarrettはMystikalとのスタジオセッションで余った素材にLil Jon、LROC、そしてTLCの「Waterfalls」のベースを担当していたベーシストLaMarquis Jeffersonを加えたトラック「Yeah!」を用意した。ハイエナジーなフックはUsherの声域を際立たせたが、インストゥルメンタルのチョイスとアレンジはもつれにもつれたRozonda “Chilli” Thomas(TLC)との離別などによって善人から悪人へ変わっていた彼のイメージに近かった。しかし、時を同じくして、誰も知らないうちにノースキャロライナの新進気鋭のラッパーPetey Pabloが同じサウンドアレンジで「Freek-A-Leek」を用意していた。

 

LROCは「当時の俺たちはマイアミとアトランタを行ったり来たりしていた。で、ある日、車で移動しているとラジオから “Freek-A-Leek” が流れてきたのさ。“何じゃこりゃ? Usherのトラックじゃねーか” って思ったよ」と振り返っている(Pablo本人と直接話したLil Jonは「 “レコーディングもミキシングもマスタリングもプレスも終わってる” って言われた。“ファック!” って思ったね」と振り返っている)。

 

「もちろん、Usherの方がビッグアーティストだから “Freek-A-Leek” のリリースを上回ろうとした」とLROCは続ける。この目標が定められると、LROCはLil Jonとマイアムで2日、アトランタで1日スタジオに籠もった。Lil JonたちはアトランタではOutKastが所有するStankonia Studiosを選び、そこでまだリリースされていなかった『Crunk Juice』の素材を色々と試し、Korg Triton(当時のサザンヒップホップ御用達キーボード)のストリングスサウンドをテストした(「ストリングとピアノがプログラミングじゃなくてサンプルベースだった。リアルなサウンドだったんだ」とLROCは説明している)。

 

キッチンにいたLROCはLil Jonのそのサウンドを聴くと、マイアミから得たインスピレーションと共にNovation A-Stationを初めて弾いた。「俺が “Freek-A-Leek” を真似てダダン、ダダンと弾くとJonはそこにストリングスを被せたんだ。 “いいね。完成だぜ” と思った 」

 

翌朝、Lil JonはLROCをあらためて呼び出し、Pabloのヴォーカルの上に他の楽器を被せる代わりにJonはUsherのヴォーカルを起用した。Lil Jonは「これで “Yeah!” のニューバージョンの誕生だ」とLROCに伝えた。

 

「Yeah!」は煌びやかだが、このトラックがクランクであることに変わりはない。UsherがLil Jonのトレードマーク “Yeah” を叫べば叫ぶほど、「Nice & Slow」をヒットさせたシンガーのヴォーカルは自分の目の前で前屈みになってつま先を触る女性のためなら何でもやりそうな雰囲気になっていく。LROCのキーボードフレーズ(3音)がさらにその雰囲気を加速させる。

 

LROCは「どんな音楽も同じさ。スタート直後にヒットトラックってことが分かる必要がある。あのメロディはすぐに入ってくる必要があったのさ」と振り返る。「Yeah!」はチャートアクションも同様にスタートから大きなインパクトを残した。このトラックはリリースから3週間後にBillboard Hot 100のナンバーワンになり、あっという間にメインストリームヒットとなった。最終的に「Yeah!」は12週連続ナンバーワンに輝き、「Burn」も8週連続ナンバーワンを記録した。クランクがトレンドになる中、Ciara「Goodies」やLil Jon feat Usher & Ludacris「Lovers And Friends」など、Crunk&Bのヒットも続いた(後者のアウトロは “恋人や友人に伝えてくれ。Usher、Jon、Ludaはまたやらなきゃならなかったのさ” と語りかけている)。

 

 

 

 

「Yeah!」はグラミー最優秀作品賞にノミネートされたが、このような賞は年配者や功労者に与えられる傾向が強い。LROCは「同じ年にRay Charlesが亡くなったから多くの票が彼に流れたのさ。でも、最優秀ラップ / コラボレーション賞では俺たちが勝ったのさ」と振り返っている。

 

長年、この功績がクランクのピークと思われていた。ここからアトランタのヒップホップはクランクからスナップへ、そしてトラップへと移行し、この都市の異なる “悪” が明らかになっていった。Lil Jon & The East Side Boyzは2005年に解散し、TVTは2008年に破産を申請した。Lil Jonはマイアミとラスベガスのクラブシーンへ隠れ、いくつかのクラブでレジデントとして活動した。長いブランクを経て2010年にリリースされた『Crunk Rock』よりもとっくに前の時点でアルバムリリースは意味がないものに思えていた。Usherは「Love in This Club」、「OMG」、「Without You」、「Climax」のようなトラックでそれまでとは違うエレクトロ・レイブサウンドを追求していった。

 

しかし、今振り返ると、クランクは完全消滅したわけではなかった。そのサウンドが多様化しただけだった。クランクはWaka Flocka FlameとLex Lugerのような芝居がかったサウンドに変化し、「Juju On That Beat」のような子供用のトラックになると、Lil Jon & DJ Snake「Turn Down for What」では完全なEDMになった。Saweetieが2019年に「My Type」でBillboard Hot 100にチャートデビューを果たし、同年に同チャートに入った7人目の女性ラッパーになったが、「My Type」は彼女が子供の頃に好きだったトラック「Freek-A-Leek」をサンプリングしている。「Yeah!」はこの未来を15年前に作り上げていた。

 

「俺たちのカルチャーのビートはずっとバウンスしているのさ。ジャンルが変わるだけだ。クランクからスナップ、トラップへ移行しても俺たちのカルチャーのビートはバウンスし続けている。頭をただ揺らすだけじゃないのさ。いつもここが俺たちと他との違いだと説明しているんだ。俺たちの音楽が時代性を失わない理由について話す時にね」

 

『サタデーナイトライブ』2016シーズンのフィナーレをホストしたChappelleは、あるスキットで『Chappelle’s Show』のモノマネのいくつかを久々に再現したのだが、そのスキットは『ウォーキングデッド』シーズン7・エピソード1のオープニングシーンにインスパイアされており、彼が演じる全員が鉄条網が巻かれたバットで殴り殺される恐怖におののくシーンとなっていた。

 

ドナルド・トランプ大統領誕生を受けてChappelleがマネするLil Jonは微妙にアップデートされており「何だって俺たちを殺すんだい?」と同じくChappelleがマネするニーガンに皮肉を込めて語りかける。Lil Jonは世の中を揺さぶりをかける方法を常に思いつく才能の持ち主だということをChappelleも認めているのだ。

 

 

 

Header Image:©Malick Kebe

 

Translation & Edit:Tokuto Denda

 

 

 4. Oct. 2019