八月 22

ワールドクラブ&フェスティバル ロゴ Part 1

世界各地のクラブやフェスティバルのロゴとそのバックストーリーを2回に分けて紹介する

By Gabriel Szatan

 

クラブやフェスティバルのオリジナルヴィジュアルIDの創出は意外と難しい。高機能のソフトウェアがレイヤーの重ねすぎや過剰な装飾による「やり過ぎ」を簡単に許してしまい、クラブを輝かせるはずが目の毒になってしまう。また、アシッドハウスのド派手なクリエイティビティやパンクのカット&ペーストの美学でさえも今は何回も繰り返し使用されるトロープと化している。しかし、有り難いことに、いくつかのクラブやフェスティバルがこのような流れとは異なるデザインを打ち出している。

 

その中には長い歴史を誇る存在があれば、ほんの数年前に生まれたばかりの存在もあるが、どちらも常識をスレッジハンマーで打ち砕きながら独自の歴史を築き上げている。そして、太古から伝わるカリグラフィーにモダンなテクニックを精緻に組み合わせたデザインがあれば、適当に描いた落書きが残り続けたデザインもある。政治的メッセージが添えられたシンボルからマスコットが全面に散りばめられているフライヤーまで、どれもが非常にユニークだ。

 

RBMAはこれまでに特定の地域のアーティストロゴやレーベルロゴのデザインにフォーカスした記事を発表してきたが(最下部参照)、今回は地理的範囲を広げつつ選出基準を絞り込み、南極を除く6大陸に存在する13のフェスティバルとクラブをピックアップした。それぞれに自分たちを表現するロゴが生まれるまでのプロセスやデザインにまつわるユニークなストーリーを語ってもらい、現地へ行かなくても、またはそこでプレイされている音楽が好きではなくても、デザインを楽しんでもらえるようになっている。

 

今回紹介しているバラエティに富んだ13のデザインに共通しているのは、ひと目見ただけですぐに判別できるという謎のクオリティ “覚えやすさ” だ。

 

 

 

 

Animals Dancing(オーストラリア・メルボルン)

 

 

© Animals Dancing 

 

 

Animal Dancingはメルボルンで最も高い人気を誇るパーティクルーのひとつだ。彼らのロゴは圧倒的な認知度を誇っているため、ロケーションの確保やチケット販売、ウェブ展開などに力を割かなくても十分なプロモーションができている。日付と踊るクマ2匹を用意するだけで良いのだ。Animal Dancingは近年のメルボルンを代表する若手DJ陣、Andee Frost、Otologic(Tom Moore & Nick Murray)、Tornado Wallace(Lewie Day)を抱えていることで知られているが、共同オーガナイザーのDaragh Kanによれば、このクルーは “アドリブ芸術大学” 卒業生の集まりでもある。

 

かつて存在したメルボルンのヴェニューMercatで明け方まで開催されていたパーティ、C Gradeが母体となって生まれたAnimal Dancingは、アートシーンで本格的に活動するプロデザイナーにロゴを任せる金銭的余裕がなかったため、ステンシルとスプレーを使って自力で1色刷りポスターを製作することにした。Kanは名前の経緯について「Lewieの家に集まってYouTubeを観ている時に、Mercatの共同オーナーだったMylesが “animals dancing” で検索したんだ。僕はそれをメチャクチャ面白いと思ったんだよね。だって、普通なら “dancing animals” で検索するはずだからさ」と振り返っている。

 

そしてそれから数週間が経っても笑いが止まらなかったKanは、オンラインで見つけたキャンドルホルダーのデザインをベースにこのロゴをスケッチした。クマを選んだ理由についてKanは次のように説明する。「アリゲーターにしようと思ったんだけど、僕が描けなかったからやめたんだ」

 

「10年近く同じデザインを使い続けるっていうのは勇気がいることだと思うんだ」と続けるKanは、昼間はオーストラリア全土に展開するフードトラック&レストランチェーン、100 Burgersを経営している。このロゴにはいくつかアレンジバージョンが存在し、その中で最も人気が高いのがレインボーバージョンだが、これはいくつかの修正を経て完成した。“ANIMALS” が上部、 “DANCING” が下部に配置されていた最初のデザインはバイカーギャングのパッチ(ワッペン)のように見えたため、“ANIMALS DANCING” を下部にまとめてレインボーサークルを強調した。

 

「実はSan Properがこのレインボーバージョンをタトゥーに入れたいって言ってきたことがあるんだ。でも、僕は彼をクラブから追い出したんだ。会ったことがなかったから誰だか知らなかったし、ただの酔客だと思ったからさ(笑)」と振り返るKanは次のように続ける。「僕はタトゥーをひとつも入れていないけれど、入れるならこのクマを尻に入れるだろうね」

 

 

 

 

Atlas Electronic(モロッコ・マラケシュ北部)

 

 

© Atlas Electronic

 

 

Atlas Electronicは2016年にオランダ系モロッコ人のプロモーター、Karim Mrabtiが設立したフェスティバルで、運営チームは両国出身のスタッフで構成されている。

 

このフェスティバルはその名の通り、マラケシュ郊外、アトラス山脈の麓に位置するVill Jannaで開催されており、2014年にエレクトロニック・ミュージックの魔術師として知られるJames Holdenとグワナの偉人、故Mâalem Mahmoud Guiniaとのコラボレーションが行われたロケーションもこの近くにある。3年目までクリエイティブディレクター兼アートディレクターを務めたロッテルダム出身のTijn de Kokは、このフェスティバルで異文化交流を発展させる機会を提供することを当初の目標に据えていた。

 

しかし、1年目は彼の狙い通りには進まなかった。Atlas Electronicは国外から観光を兼ねて訪れていたオーディエンスにコスモポリタンなノースアフリカ・エクスペリエンスを提供したが、ローカルアーティストにチャンスを与えることができなかった。しかし、現在のプログラムはインターナショナルとローカルのバランスが50/50で保たれており、Asmâa Hamzaoui & Bnat Timbouktouのような女性グワナグループ、モロッコのエレクトロニック・ミュージックシーンを牽引するDJ YasmeanやレーベルCasa Voyagerなどにパフォーマンスのチャンスを提供している。de Kokが「非常に厳しい学習機会だった」と振り返る1年目が「社会的義務感」をチームの中に生み出したのだ。

 

マラケシュの曲がりくねった通りをガイドしてもらいながら太古の盾や記章を眺めていたチームは「鮮やかな色彩、市内の壁に描かれているシンボル、力強い香り、あたたかい雰囲気」(de Kok)に魅了され、それらのインスピレーションを元にした「より相応しいヴィジュアルランゲージ」を創出すべく、2年目のAtlas Electronicのデザインを見直すことを決定した。

 

 

 

"現在、太古の美観にモダンなアプローチを組み合わせるというAtlas Electronicの手法は、モロッコのカルチャーの進化を促進するというこのフェスティバルの目標をより正確に反映するようになっている"

 

 

 

その中でひとつだけ据え置かれたのがロゴだった。このロゴのインスピレーションになっているのは、マラケシュ周辺の建築物に用いられている、7世紀頃から存在するフォント、クーフィー体だが、このフォントのバリエーションの中で先進的な音楽フェスティバルに最も相応しいと思えたのが幾何学模様のクーフィー体だった。de Kokはこのバージョンを「装飾の多い伝統的なクーフィー体をピクセルアートのようにミニマイズしたフォント」と表現している。フォントを決めたde KokはAdobe Illustratorでロゴの下書きをしたあと、正式な書法を参考にしながら “Atlas” の形に整え、その下にクーフィー体のグリッドに収まるオリジナルデザインのアルファベットで “Electronic” を配置した。

 

様々なパターンが用意された2017年のアートワークを経て、2018年は配色が4色に絞り込まれ、幾何学パターンにテクスチャが加えられ、アルファベットとアラビア文字が併用された。現在、太古の美観にモダンなアプローチを組み合わせるというAtlas Electronicの手法は、モロッコのカルチャーの進化を促し、同国のアーティストをグローバルなエレクトロニック・ミュージックマップに配置しつつ、新しいカルチャーを同国の豊かなカルチャーに加えるというこのフェスティバルの目標をより正確に反映するようになっている。

 

 

 

 

Bhavishyavani Future Soundz(インド・ムンバイ)

 

 

© Bhavishyavani Future Soundz 

 

 

1999年、ムンバイのジュフービーチを歩いていたTejas Mangeshkarと友人たちは偶然奇妙な物体を目にした。それは未来を予言する機能を備えた巨大ヘッドフォン付き小型ロボットだった。

 

結局、このロボットの予言はひとつも当たらなかったが、昼はデザイナー、夜は音楽ファンだった彼らを未来へ進ませるパーフェクトなきっかけとなった。側面に「Bhavish-Yavani(ヒンディー語で “未来の音”)」と書かれていた、その「デシでローテク、近未来的でキッチュ」(Mangeshkar)なルックスのロボットのイメージは彼らの中に長く残り、Bhavishyavani Future Soundzが生まれた。ロゴの「भ」はデーヴァナガリーの1文字で、その発音「Bha(バ)」はこのブランドの略称 “BHA” として機能する。そしてロボットは彼らのマスコットになった。

 

ボリウッドのヴォーカルを時代遅れの1980年代ポップに被せてループさせるだけのローカルDJたちに辟易しており、ゴア一辺倒のインドのエレクトロニック・ミュージックシーン全体にも飽きていたBHAは、ドラムンベース、トリップホップ、テクノなど、自分たちが掲げたコピー「Asian Breakbeat Electronix」にフィットするあらゆるジャンルをプッシュしていった。

 

また、当時はイベント関連の法整備が緩く、やりたいようにできたため、放浪していたヒッピーや不良、サブウーファー信者で構成される熱狂的なサポーターグループを作り出すことになった。また、Sonyや東南アジアのテレビ局Channel Vなどをクライアントに抱える広告代理店Grandmotherを経営していたMangeshkarとKurnal Rawatは人望があったため、ブランドが人気を拡大するにつれて、彼らと仕事をしたがったムンバイのあらゆる若手クリエイターや金に目がないビジネスマンたちも集まるようになった。

 

活気ある都市日常生活をモチーフにしたデザイン、『ジェットセットラジオ』や『SSX』のような2000年代初頭のビデオゲームで多用されていた派手なグラフィックスにインスパイアされたデザイン、共同オーガナイザーのAshim Ahluwaliaが「アシッドをキメたIndrajal Comics」と表現するユーモアを盛り込んだデザインを問わず、彼らのすべてのフライヤーにはインパクトがあった。

 

やがて、Laurent Garnierなどのアーティストを招聘するチャンスが訪れ、ブランドがフルスケールのフェスティバルへ拡大していくと、そのサウンドもAphroditeやAphex Twinをルーツに持つ激しいジャングルサウンドからDJ KozeやCobblestone Jazzのようなトリッピーで多方面なサウンドへとシフトしていったが、20周年を迎えた今も、BHAはシャープなデザインを探求し続けており、オリジナルのアイディア「Fast Dancing For A New India」からもシフトしていない。

 

 

 

 

Cream(UK・リヴァプール)

 

 

 © Cream

 

 

ミステリーサークル、歯列矯正具、髪型、飛行機の主翼… Creamは様々な場所に顔を出してきた。1992年、リヴァプール大学でグラフィックデザインを学び、Pet Shop Boys専属アートディレクターだったMark Farrowの元で働いていたRob Petrieは開催予定のあるクラブナイトのロゴデザインを頼まれたが、その指示は恐ろしいほど適当だった ― 「NIKEのロゴみたいな奴」。

 

Petrieは「マンチェスターのHaçiendaがすでにクールでインダストリアルな存在として知られていたから、Creamのロゴはもっとオーガニックで遊び心のあるものにするべきだと思った。控え目だで個性が感じられるようなロゴだ」と振り返っている。そして、NIKEのロゴ、太極図、オリンピック五輪、ToyotaやAudi、Mitsubishiのような自動車メーカーが、3,000ポンド(当時のレートで約67万円)の仕事の参考に用いられた。Petrieは「グラデーションやベベル、トリッキーなオーバーラップのような初期Adobe Illustratorのテクニックは使用するべきではない。シンプルさがカギになる」と確信していた。

 

1台のMacと1冊のA4レイアウトパッドだけを使って3つの水滴(「精子じゃない」とPetrieは苦々しく指摘している)を組み合わせたCreamのロゴがデザインされ、「お互い違う方向を向いているが、ひとつにまとまっている」レイアウトに落ち着くと、このロゴに何かが備わっていることが明確に理解できた。そこで、Petrieは「パーフェクトなバランスを取るため」に、それぞれの水滴を「3つの円だけを組み合わせてデザインし、ロゴ全体が9つの円だけで構成されるようにした」。

 

 

 

"上半身裸の男の胸に直系10cmのCreamロゴタトゥーが入っているのを見たんだ。あれには心底驚いたね"

Rob Petrie

 

 

 

Petrieが自分のデザインしたロゴとリヴァプール市民の間に深い繋がりが生まれているのを理解したのは、James Burton、Darren Hughes、Andy CarrollがCreamをこのパーティをレギュラー開催していたクラブNationを訪れた時だった。Petrieは「あそこで上半身裸の男の胸に直系10cmのCreamロゴタトゥーが入っているのを見たんだ。あれには心底驚いたね」と振り返っている。

 

こうして、音楽史で最も野心的で遍在的な広告キャンペーンがスタートした。「アクリル板モデルが製作され、クロームメッキのバージョンも製作された。花だけでアレンジされたバージョンもあったし、スノードームも製作された。バルーンもあったね」とPetrieは振り返っているが、本人のアイディアによって、2枚組CD『Cream Live』の初回限定盤は5色展開のラバーケースが付けられた。Petrieは「ソフトな感触で匂いも良かった」としている。

 

20世紀が終わりに近づくとCreamやクラブカルチャー周辺の音楽が爆発的な人気を獲得するようになっていた。地元のプロサッカークラブ、リヴァプールFCの選手たちは毎週末Nationへ繰り出し、パーティへのオマージュとしてクリームカラーのスーツを着た時もあった。1999年に公開されたコメディ映画『イビサボーイズ GO DJ!』には主人公2人がCreamのイビサのホームヴェニュー、Amnesiaを訪れるシーンが収録された。そして、ミレニアムイブの高額なパーティプランも世界各地のヴェニューで発表されたが、その多くが大失敗に終わった。2002年を迎えるまでにバブルは完全に弾けた。

 

Petrieは「当時のCreamは他のクラブナイトとがむしゃらに張り合っていた。Ministry of SoundやRenaissance、Gatecrasherなどとね。最大で最高の存在になりたかったんだ。ロゴは今も誇りに思っているけれど、スーパークラブで世界を支配するっていうアイディアは時代の流れに合っていなかった」と振り返っている。30周年がそう遠くない中、「リヴァプールの連中はまだこのクラブを誇りに思って」おり、このダンスミュージックシーンを大きく変えることになったこのロゴをデザインしたことをPetieが明かすたびに、人々は「それなりに驚いて」いる。

 

 

 

Irtijal(レバノン・ベイルート)

 

 

© Irtijal / Mazen Kerbaj
 

 

 

2001年に開催された3つのフリーインプロコンサートからスタートしたIrtijalは2003年に複数日開催のフェスティバルへと拡大。現在はこのタイプのフェスティバルとしてはレバノン最長を誇る。また、Irtijalは目下成長中のアラブ諸国全体のエクスペリメンタル・ミュージックシーン(共同オーガナイザーのMazen Kerbajはこのシーンについて「10~20年前は存在していなかった」としている)のリーダー的存在でもある。

 

このフェスティバルのアートワークは、Lebanese Academy of Fine Arts(レバノン芸術アカデミー)で学位を取得したコミックアーティストのKerbajが毎年新しいテーマと共に製作している。尚、Kerbajはジャズトランペッター、またはRabih BeainiのようなローカルアーティストやアナクロパンクバンドThe Exのようなインターナショナルアーティストなどとのコラボレーターとして定期的に出演もしている。

 

今も続くベイルートの政情不安がIrtijalに大きな影響を与えてきた。たとえば2006年、このフェスティバルのレギュラーアーティストでエレクトロアコースティック・ミュージシャンのTarek Atouiがストリートのフィールドレコーディングを通じて抗議の意を示したことで拘束され、当局から激しい暴行を受けて聴覚に後遺症が残ってしまった。しかし、ベイルートの政情不安がフェスティバル全体の中止に繋がったことは一度もなく、この事実はこのコミュニティのレジリエンス(耐性)を示している。

 

Kerbajが毎年用意しているアートワーク ― カラーは赤・黒・白で固定されている ― は市民が抱える不安を表現しており、パニックに陥っている表情をあしらった作品やプライバシーの侵害を意味する作品などがある。また兵器に直接言及する時もある。しかし、他の作風もあり、笑顔の出演アーティストを並べた作品や、 “サバイバルキット” としてのホイッスルがあしわれた作品、抵抗の手段としてノイズを演奏するミュージシャンをフィーチャーした作品などもある。

 

 

 

 

Life Force(日本)

 

 

© Life Force

 

 

1993年9月は日本のオープンエアとガラージハウスパーティーの伝統の始まりで、Life Force はその種子だった。このパーティーを5年の英国滞在の後に立ち上げたフリースピリットの体現者 Massa Horieは「僕がUKで遭遇、体験した ” テクノレイブ " の衝撃を、商業的フィルターを通さずにそのまま持ち込みたかったんだ。」とレジデントDJのMaNAと共に受けたメールインタビューで回答している。ウェールズで Hawkwind の NikTurner のバンドとジャンべを演奏していたMassaは現地とロンドンで得た経験を広める音楽啓蒙活動を日本で展開することにした。

 

「社会的成熟度の低い日本には僕が魅力として捉えた政治的抵抗力を持った Spiral Tribe のような強烈なテクノよりもガラージハウスやディープなシカゴやデトロイトのテクノの方が受け入れ易いと考えた」「知名度に頼らないロンドンの生きているアンダーグラウンドをどうにかして切り取ることが出来て、そのまま持ち込めれば東京にとっては十分に大きなインパクトを与えるだろう」(Massa) 

 

その中で、UKのDJ陣と、Adrian SherwoodやJeff Mills、Body &Soul を含む様々なアーティストと仕事をした経験を持ち、1999年にはDavid Mancusoに指名されジャパンツアーにMassaと共にサウンドデザインで参加したことでも知られる日本人PAエンジニアYutaka Asada(浅田泰)の助けを借りて、1993年にLife Forceは産声を上げた。そしてMassaが予想していた通り、このパーティは日本のオーディエンスに相当なショックを与えることになり、ライフフォースを追随するグループが次々と生まれた。

 

アートワークを含む、ブッキング、アテンダント、装飾、ライティングなど、専門的で重要な役割の音響を除く殆どの作業をMassaが最初は手がけた。偶然にもマヤ暦のライフフォースの年、月、週に開始された儀式の中で、「最も重要だったのは目には見えない魔方陣の中で捧げる、戦いの印である花を手向けた祈りだった」(Massa)。

 

珍しいことに、Life Force には2種類のロゴが存在する。より広く知られているのは ” 世界を貫くクリスタルダガー " だが、使用ペースは不定期ながらも非常にキャッチーなのがもうひとつのロゴ、“ ダンシングモンスター ” だ。立ち上げ当初から Life Force のフライヤーデザインを担当し続けた Kousuke Obayashi (大林孝介 - Macca) がふたつのロゴもデザインした。Life Force のイベントは現在も続いているが(霧の濃い森の中よりもウェアハウスで開催されることが多い)、彼らがどのタイミングでクリスタルダガーを選ぶのか、またどのタイミングでダンシングモンスターを選んで ” Giant Step " を開催するのかは分からない。MassaもMaNAもこの点については回答していないが、” ユニークな生命の根源 ” に説明は必要ないということなのだろう。 

 

 

 

 

宀(香港)

 

© 宀 

 

 

広東語の読み “ミン” に倣いアルファベットでは「Minh」と表記するこのクラブを運営するチームは「香港ではルールを守っている限り問題ない。当局は必ず書類をチェックします。その書類が問題なければ、何も問題は起きません」と説明しているが、本記事のためのインタビューと公開までの間に香港は大きな政情不安に巻き込まれることになった。2019年8月15日現在、その不安は続いている。

 

2018年6月1日にオープンした宀は1周年を迎える前後から当局からマークされるようになっていたが、彼らの監視の目を外すことに成功した。現在、彼らは24時間の酒類販売許可を得ており、海外アーティストのビザ発給を確保しており、キャパシティはわずか100人程度だが特注の防音扉も設置している。しかし、このクラブが位置する地区、上環(シャンワン)は、デモによって甚大な物理的損害を被っており、通りには催涙弾を構えた機動隊がずらりと並んでいる。2019年夏の香港を揺るがしたこの政情不安の影響を受けていない市民はひとりもいない。

 

宀は2つの野心と共に立ち上げられた。ひとつは、彼らが東アジア最大の音楽都市として捉えている東京とソウルのベストヴェニューに対抗できる優雅で自由な空間と最高のDJを用意することだった。そして、台湾のOrganik FestivalやドイツのレーベルKlasse Wrecksと繋がりを持つヨーロッパ人とローカルで構成されている運営チームのもうひとつの野心は、夜遊びを台無しにしてしまう香港特有の拝金主義的キャピタリズムと家父長的マイクロアグレッション(無意識の差別)からの逃避手段を提供することだった。

 

 

 

"宀はドイツ語や英語を店名に用いるアジアのクラブに違和感を抱いており、適切で地域性があり、正しいメッセージを送れる名前を求めていた"

 

 

 

宀はInstagramに安全宣言を投稿しているが、これはエントランスにも掲げられている。飛行機の機内安全ビデオのように機能しているこの宣言はこのクラブの常連には常識であり、いちいち読み返すものではないかもしれないが、初訪問した人は熟読し理解するように勧められる。この宣言に用いられているフレーズのいくつか(Express Yourself / Feel Free To Feel Free)はザラついたテクスチャが特徴的なプロモーション画像にコピーとしてしばし採用されている。

 

このクラブの名前は上記のすべてをひとつにまとめている。宀はドイツ語や英語を店名に用いるアジアのクラブに違和感を抱いており、適切で地域性があり、正しいメッセージを送れる名前を求めていた。「中国語だったら何でも良いというわけではありませんでした。特別な意味があり、珍しいものである必要がありました。今は使われていないような言葉のようなものを探していました」と説明するチームは、最終的に “宀” を選び、台湾に拠点を置くデザイナーJill Chienにデザインとしてまとめてもらった。

 

“宀部 / べんぶ”(編注:日本名は “うかんむり”。康熙字典214部首で40番目であることから英語圏の学術用語では “Radical 40” と呼ばれる)は漢字の部首「冠(かんむり)」のひとつで、下に「脚(あし)」を配置して組み合わせなければ成立しない。単体では屋根を意味するが、それだけでは機能しない。チームは「漢字を読める人なら判別はできますが、困惑してしまいます。“知ってるけど何だっけ?” と思うのです。それで意味を教えると “ああ、そうだった” と頷きます。これは、守る・覆う・安全・安心・家屋を微妙かつ限定的に意味する文字なのです」と説明している。そして最後にクィアフレンドリーであることを強調するためにピンクが選ばれ、このロゴは完成した。

 

 

Part 2へ続く。

 

 

《過去記事》 

NYの音楽シーンを代表するロゴデザイン22(Mar. 2014)

NY MUSIC LOGO(July. 2016)

LONDON MUSIC LOGOS(Sep. 2016)

 

 

Header Image:© Johannes Ammler

 

23. Aug. 2019