九月 15

Princeの素顔

1980年代のPrinceのクラシックアルバム群とツアーに深く関わったエンジニアSusan Rogersが、当時のPrinceについて振り返る

By Torsten Schmidt
 
『Purple Rain』、『Sign ‘O’ The Times』、『Parade』など、1980年代中期のPrinceのパープルクラシックスを聴いたことがある人は、1983年から5年間に渡りPrinceのエンジニアを担当したSusan Rogersの仕事にも触れたことになる。高校を中退し、独学でサウンドエンジニア / テクニシャンになったRogersは、当初こそ自分の新しいボスの要求に応えられる段階にはなかった。しかし、Princeファンを自認する彼女は、Princeの徹底的な仕事の進め方と非凡なクリエイティビティに全力でコミットし、数枚のユニークなアルバムを世に送り出す助けとなり、唯一無二のアルバム群と世界的評価を誇っていたPrinceの黄金時代において、彼から最も近い距離で仕事をしたコラボレーターのひとりになった。

 

Rogersはその後も、The Jacksons、Laurie Anderson、David Byrneといったアーティストたちのレコーディング、ミキシング、またはプロデュースを担当したが、最近の彼女はアカデミックな方向に進んでおり、マギル大学心理学部博士課程修了後、バークレー音楽大学・音楽知覚認識研究所(Barkley Music Perception and Cognition Laboratory)のディレクターを務めており、聴覚記憶、心理音響学、音楽信号の知覚などについて研究を続けている。Torsten Schmidtが進行役を務めたRed Bull Music Academy 2016 Montrealの彼女のレクチャーからの抜粋となる今回の記事の中で、彼女はPrinceの音楽における価値体系やオルターエゴ、当時のツアー生活、女性関係などについて語っている。

 

Susan Rogers ©Karel Chladek / Red Bull Content Pool

 

 

 

Princeの価値体系

 

SUSAN ROGERS

Princeの自宅のマスターベッドルームの向かいには小さなベッドルームがあり、そこにはテープマシンとコンソールが置かれていました。そこで彼は『Purple Rain』の一部を制作したんです。また、リハーサルルーム - 実際はウェアハウスでしたが - もあり、そこは、バンドの演奏をステージ上のマイクで拾い、そのサウンドをスネークケーブル経由でモニターミックス用コンソールとAPRレコーディングコンソールに送れるようになっていました。また、テープマシンにも送っていたので、その演奏をそのままレコーディングできるようにもなっていました。

 

コンソール類とバンドの間にセパレーションが置かれていなかったので、わたしがサウンドをチェックするためには、ヘッドフォンを装着するか、ラウドスピーカーに耳を近づけてモニタリングするしかありませんでしたが、バンドの演奏が大音量だったので、どちらの方法でもまともに聴くことはできませんでした。Princeは、ステージ上のバンドでベーシックトラックをレコーディングしたあと、その場に残るように指示していたWendyやLisaをはじめとする女性陣のバッキングヴォーカルをレコーディングしていました。そのあとで、わたしと一緒に徹夜で楽曲を完成させ、2ミックスにまとめたのです。

 

基本的にPrinceとは1日16~24時間は一緒でした。16時間は比較的短い方でしたね。24時間仕事をするのはざらでした。よくあることでした。1曲にそのくらい時間をかけていたんです。というのも、Princeはあとで同じ曲に戻って作業することを嫌っていたからです。ある楽曲のレコーディングを開始すれば、そのままオーバーダブやミキシングも続けて、2トラックまでまとめました。それから数時間眠って、次の楽曲のレコーディングをさせるというスタイルでした。

 

 

 

“Princeの主食はドリトスとケーキでした”

 

 

 

わたしにとっては楽でしたし、活気も感じられる仕事でした。なぜならPrinceのファンだったからです。その場にいるだけで興奮を覚えていましたし、1曲だけ例外がありますが - どの曲も「彼の最高傑作よ。これこそ “グレイテスト” に違いないわ。世間が耳にする日が来るのが待ちきれない! 最高!」と思っていました。次から次へと素晴らしい楽曲が生み出されていきました。純粋な若さにある程度のトレーニングと準備を加え、その合成物質を「ここに大金がある。映画を作れ。レコードを作れ。好きなことをやってくれ。プロデューサーも存在しない。君とミュージシャン、エンジニアだけだ。なぜなら我々は君を信用しているからだ」と周囲が許してくれる環境と組み合わせるようなものです。ですので、とても活気に溢れていました。

 

彼の死因については皆さんも知っていると思いますが、当時のPrinceはドラッグを一切やっていませんでした。ドラッグに手を出していたら、あそこまで寝ずの作業はできなかったでしょう。当時の彼は若くて健康で、パワーがありました。たまにコーヒーを飲むくらいでした。ですが、わたしたちとしてはコーヒーを飲んでもらいたくなかったですね。飲めば仕事が24時間続きましたから!

 

TORSTEN SCHMIDT

かなりの甘党だったという話もありますね。

 

SUSAN ROGERS

そうではない時期もありましたが、基本的に甘党でしたね。Princeの主食はドリトスとケーキでした。

 

TORSTEN SCHMIDT

僕はそれで何の問題もないですが。

 

SUSAN ROGERS

当時の彼はまるで子供のように食べていましたね。

 

 

 

RBMA Montreal 2016のSusan Rogersのレクチャー全編はこちら>>

 

 

 

TORSTEN SCHMIDT

ミネアポリスに到着する前のあなたは、レコーディングセッションを何回経験していたのでしょう?

 

SUSAN ROGERS

数えられるほどでしたし、その多くがアシスタントエンジニアとしての参加でした。Princeはわたしを専属テクニシャンとして雇いました。彼はマネージメントに「ニューヨークかロサンゼルスから誰か呼んでくれ」というリクエストを出していました。なぜなら、ミネアポリスのローカルスタッフはプロレベルのオーディオテクニックに長じていなかったからです。ですので、彼は知識を持ち合わせているスタッフを求めていました。当時、わたしは5年の経験を積んでいました。ハリウッドにあるCrosby, Stills & Nashのスタジオで働いていたのですが、Princeがテクニシャンを探しているという話を人づてに聞いて、そのチャンスに飛びついたんです。なぜなら、彼が女性と仕事するのを好んでいることを知っていましたし、彼はわたしが一番好きなアーティストでしたから。ですので、絶対に仕事を得たいと思っていました。そして選考後に、マネージメントに雇われました。インタビューだけで決まりました。テストセッションは一度もしませんでした。

 

ミネアポリス入りしたわたしの最初の仕事は、古いコンソールをどかして、新しいコンソールを導入することでした。そのあとは、テープマシンやアウトボード系の修理をしました。基本的に、わたしの仕事は『Purple Rain』のレコーディングを続けられるようにスタジオを整備することでした。そしてPrinceは、わたしをエンジニアとしても起用しました。なぜなら、彼は沢山の人に囲まれて仕事をするのを好んでいなかったからです。また、彼は「機材の直し方を知っている人物は、その使い方も知っているはずだ」と考えていました。ですので、わたしはエンジニアとしても扱われたのです。まさに夢が叶った瞬間でした。

 

TORSTEN SCHMIDT

仕事に不慣れゆえに「まずい!」と思った瞬間はありましたか?

 

SUSAN ROGERS

もちろんありましたよ。あれは仕事を始めたばかりの頃でした…。スタジオのセットアップがようやく終わると、Princeからヴォーカルマイクの立て方を指示されました。そのヴォーカルマイクは、当時はそこまでレアではなかったですが、今はとてもレアなNeumannのTube U47でした。今はとても高価なマイクとして扱われています。本当に素晴らしい貴重なマイクです。わたしはそのTube U47をマイクスタンドに装着し、彼の指示通りにコンソール越しに立てたのですが、その時にずっと「わたしが触るのはまずいわ。エンジニアがすぐにでも入ってくるんじゃないかしら。どやしつけられたら『Princeに指示されたからやっただけなんです』と言わないと」と思っていました。Princeがマイクのサウンドを立ち上げるように指示した時も「オーマイゴッド。絶対クビだわ。エンジニアに告げ口されて終わりね」と思っていました。

わたしはPrinceに言われた通りに動きました。そしてサウンドを立ち上げると、Princeがわたしのところにやってきたので、「誰がレコーディング作業を担当するんですか?」と訊ねると、「君だよ」と言われました。それで「承知しました。では始めましょう」と返したんです。わたしたちの共同作業はこうやってスタートしたんです。しばらく経ってから「Princeはわたしが正式なエンジニアではないことを知らないんだわ」と気付きましたが、「いいえ、知っているんだわ。でも彼は気にしていないんだわ」という結論に辿り着きました。ですので、彼との毎日をとても幸運に感じていました。

 

 

 

“Princeは完全主義者ではありませんでした。そうだったらあのような作品群は生まれていなかったはずです”

 

 

 

TORSTEN SCHMIDT

そのような通常とは異なるセットアップ方法やレコーディングセッションの進め方は、彼のアートをレコードに落とし込む際にどう役立っていたと思いますか?

 

SUSAN ROGERS

それらのアプローチは非常に重要だったと思います。とても重要でした。わたしが良く受ける質問、または質問の前振りに「Princeは完全主義者」という表現が使われますが、そのたびに、わたしはその表現を修正しています。Princeは完全主義者ではありませんでした。そうだったらあのような作品は生まれていなかったはずです。ただ単に、Princeは優秀なプレイヤーで、メロディとリズム、作曲の天才でした。そして彼の中からアイディアがひたすら湧き出ていたので、ひとつひとつのアイディアをパーフェクトに仕上げるまで時間をかけることができませんでした。サウンドがアイディアに仕えるのであり、アイディアがサウンドに仕えるのではない - これがとても重要でした。ですので、彼にとっては素早く曲を仕上げることは問題ではありませんでした。また、やたら時間をかけるという悪癖を持っていないのは新米のエンジニアだけです。とっとと仕上げて先へ進みたがるのは当時のわたしのような駆け出しのエンジニアだけです。

 

TORSTEN SCHMIDT

当時のあなたには、Princeが好むルールの破り方について教えてくれる人がいましたね。彼と一緒に仕事をした経験を持つある人物が、あなたに手ほどきをしました。

 

SUSAN ROGERS

The TimeのJesse Johnsonです。Princeは映画『Purple Rain』のロジスティックス関係の仕事でロサンゼルスに滞在する間、わたしとJesseにスタジオを使わせてくれました。Jesseの手元に彼がレコーディングしたい楽曲が数曲あったので、それらの楽曲のレコーディング作業を通じて、わたしが仕事を維持できるように彼が手ほどきをしてくれたんです。彼は「これがPrinceの好むキックドラム。これが彼の好きなスネア。ハイハットの位置は必ずレフトだ。リズムギターはこんな感じで、エレキギターはこうだね」などと教えてくれました。コンソールに座って「これがPrinceのサウンドだよ」と教えてくれたんです。わたしたちは沢山の会話をしました。彼がわたしにPrinceの価値体系を教えてくれました。

 

TORSTEN SCHMIDT

その価値体系とは?

 

SUSAN ROGERS

「音楽をどう機能させたいのか」です。ミキシング中は、リスナーの意識をどこに持っていきたいのかを理解しておく必要があります。無意識レベルで、自分の音楽にリスナーがどう反応してもらいたいのかをイメージとして持っておく必要があります。「リスナーにどう踊って欲しいのか?」 − キックよりもベースを大きくする、またはベースよりキックを大きくするなどの作業を通じてこの質問の答えが決まってきます。2拍・4拍を強調するのか。それとも1拍・3拍を強調するのか。ヴォーカルを前に出すのか。それとも後ろに下げるのか。リスナーの意識をどこに持っていきたいのか。聴いた時にどう感じて欲しいのか。これらが価値体系です。これはどのアーティストにも備わっています。Jesseは、わたしがロサンゼルスサウンドからミネアポリスサウンドへ移行する際に手を差し伸べてくれました。ミネアポリスサウンドとは、基本的にPrinceがひとりで作り上げたサウンドでした。Jesseは「これが僕たちのサウンドだ。これが僕たちの個性なんだ。僕たちのサウンドはこうなんだ」と教えてくれました。

 

 

Princeのオルターエゴ

 

SUSAN ROGERS

The TimeはPrinceです。Princeが彼らのアルバムの全楽曲と全演奏を担当しました(ギターソロはJesse Johnsonに任せましたが)。ヴォーカルもPrinceがガイドを歌い、Morris Dayがそれをコピーしただけです。The TimeはPrinceの音楽的人格のひとつです。音楽は人生を表現するアートフォームですが、アーティストの人生全てを表現するものではありません。Princeにとっても、音楽は人生の一部でしかなく、また、Prince名義の音楽は彼の音楽の一部でしかありませんでした。The Time、Shelia E.やVanity 6も彼の音楽の一部でした。彼の音楽のオルターエゴだったのです。The Timeは、Princeの別バージョンでしかありません。当時世間はそのことを知りませんでした。なぜなら、Princeがそれを願っていなかったからです。自分の音楽だということを知って欲しくなかったのです。

 

 

わたしが知る限り、このような活動をしたアーティストは彼が初めてでした。自分のライバルをわざわざ自分で作り出し、ミネソタ州ミネアポリスはひとりのアーティストで成り立っているのではない、ひとつのシーンなのだということを世間に伝えようとする人なんていません。彼は自分のライバルとしてThe Timeを生み出し、映画『パープルレイン』の中で自分の生み出したバンドを競争させましたが、その競争で得られる報酬も、自分のもうひとつのオルターエゴ、Apollonia 6でした。

 
彼の人格はアンバランスでした。完ぺきな人などいませんが、彼は多面性のある人格の持ち主でした。また、彼はとてもマスキュリンでしたが、同じくらいフェミニンでもありました。フェミニンなセンスとストリートなセンスを兼ね備えていて、非常に洗練されていました。また、周囲からはあまり評価されなかった独特のアーティスティックなセンスも備えていました。たとえば、彼が好きだった映画のひとつは、David Lynchの『イレイザーヘッド』でした。彼はとても特殊で非凡な人物でした。

 

 

Princeのツアー生活

 

SUSAN ROGERS

彼は狂気的に音楽制作へのめりこんでいました。食事と睡眠を除く時間 - しかも両方ともほとんど時間をかけませんでした - または仕事の電話をしている時間以外は、必ず楽器を手に持っていました。

 

ツアーの典型的な1日について話しましょう。おそらく今も同じですが、ビッグツアーやビッグアリーナツアーには、サウンドチェックがありました。会場のセットアップが終わったあと、20~30分程度のサウンドチェックがあり、それからディナータイムになります。開場したあとは、まずオープニングアクトが演奏し、それからヘッドライナーが演奏します。チケットが低価格の公演の場合、通常ヘッドライナーの演奏は45分程度ですが、1時間から1時間半、2時間に及ぶ時もあります。そして、それなりの価格が設定されている公演なら2時間半プレイします。それが終われば、メンバーは外出してパーティを楽しみます。

 

ですが、Princeはサウンドチェックに4時間かけていました。自分が楽しむためだけにです。新曲を試すためです。ですので、サウンドチェックは14時から18時まで続きました。Princeが18時半頃ステージから下りると、それからオープニングアクトのサウンドチェックが30分行われ、ディナータイムを経て開場します。ですので、オープニングアクトが20時半から30分の演奏を終えて、Princeがステージに上がると21時くらいになっていました。彼はそれから23時半まで2時間半のセットを演奏していました。

 

最後の曲は「Purple Rain」でした。Princeはバンドに最後のフレーズを繰り返させている間にステージから下り、小さなバンに乗り込みます。そして、そのバンでホテルに戻ると、シャワーを浴びて服を着替え、次の2つのどちらかをしていました。徹夜でのレコーディングかアフターパーティです。ツアーには小型トラックが帯同していて、その中には楽器がワンセット揃っていました。わたしは、自分たちが時代を先取りしていることは分かっていました。彼がレコーディングをする時は、スタジオか小さなクラブでした。夜中の1時に彼がレコーディングを始める時がありました。もちろん、わたしもセットアップがあるために同行する必要がありました。ですので、会場からスタジオかクラブへ直接向かわなければなりませんでした。クラブのミキシングデスクに座り、ミックスやレコーディングを飛行機やバスが出る時間まで続けて、次の都市に移動して、また同じ作業を繰り返すという感じでした。

 

 

ツアー中はこの生活が続きました。彼は1日中演奏しても満足しませんでした。彼は人を側に置きたがりましたが、社交は苦手でした。彼は話がしたいから人と一緒にいたかったわけではありませんでした。彼は演奏したいから人と一緒にいたがったのです。演奏ができれば良かったのです。仕上げる必要がある楽曲を抱えていることも多かったですし、彼の頭の中にはアイディアが常に生まれていたので、すぐにそれらをレコーディングできるスタジオ設備が必要だったのです。わたしたちはツアー中にレコーディングしていました。

 

ツアーではなく、ミネアポリスに戻っている時のPrinceは、朝、または数時間の睡眠 − 彼の場合は4時間で十分でした − のあとから動き始めます。目覚めた彼は数本電話をかけたあと、髪の毛をセットなど身の回りのことを済ませます。そして目覚めてから数時間後に、スタジオに集合しろという連絡をわたしの元へ入れてきます。スタジオのセットアップについて具体的な指示を出す時もありましたし、わたし宛てにメモを残しておく時もありました。指示もメモもない日は、全てを使えるようにセットアップしておきました。ドラムセットやドラムマシンなど、スタジオ内の全てです。

 

スタジオのセットアップが終わるとPrinceがやってきて、その日の仕事が始まります。そして20~24時間後に終了し、彼はまた眠ります。わたしは彼が聴くカセットテープへのダビング作業が残っていたので、睡眠時間は毎日約3時間でした。電話が鳴り、彼が「準備はいいか?」と訊ね、わたしが「はい」と答える。それでまた新しい1日が始まりました。

 

 

 

“Princeも他のアーティストと同じで、愛されたいと思っていました。世間に自分の音楽を愛してもらいたいと思っていました”

 

 

 

わたしを含めた全スタッフが、自分たちの仕事を「兵役期間」と呼んでいました。わたしの “兵役” は4年以上続きました。5年目に入った時のわたしは疲れていましたが、それでも毎日楽しく過ごしていました。ですが、自分にできることはやりきっていました。かなり長く続いた関係だったと思います。わたしはその間ずっと彼のすぐ側にいました。映画であろうと、ツアーであろうと、私は彼に雇われている身でしたので、彼が起きていて、音楽制作をしている時は必ずその横にいました。最後はそれに疲れてしまいました。ちゃんとした生活が必要でした。ですが、彼との日々は楽しかったですね。

 

 

Princeとセックス

 

SUSAN ROGERS

Princeは大胆な人物で、力強いアーティストでした。また、Princeも他のアーティストと同じで、愛されたいと思っていました。世間に愛して欲しかったのです。自分の音楽を愛してもらいたいと思っていました。Michael Jacksonとはずっとライバル関係にありましたが、これは悲しかったですね。世間はMichaelを善人、安心できる人物として考えていました。15歳の娘とデートさせても問題ない相手だと見なされていました。ベビーシッターも任せられると。Michael Jacksonは善人として扱われていました。

 

一方、Princeはなぜか危険な人物として見られていました。Sunset Soundのアシスタントエンジニアの発言を今でも良く覚えています。彼はBruce SpringsteenとPrinceを比較して、「僕はBruce Springsteenの方が好きだね。彼なら一緒にビールを飲めそうな気がするな。でも、Princeは… 自分の彼女を取られそうな気がするんだ」と言っていました。

 

Princeにはこのようなイメージがついて回っていました。いつもパーティで騒いでいる、常に女性を狙っていると。ですが、実際はその逆でした。真実を言えば、彼は毎日働いていた仕事熱心な人物でした。基本的に彼は仕事しかしていませんでした。デートもしていましたが、基本的にその相手は、VanityやSusannah Melvoin、Jill Jones、Sheila E.など、彼の周囲にいた女性でした。また、彼は一切アルコールを飲みませんでした。ですので、子供も安心できる人物でした。

 

 

米国にはアフリカ系アメリカ人アーティストに対するステレオタイプが存在していましたし、しかも、Princeはセックスをテーマにした楽曲を歌っていました。このような楽曲は一部の人たちには通用しませんでした。彼のファンの一部という意味ではありません。世間の一部に通用しなかったのです。彼らは、セックスをテーマにしたPrinceの楽曲が、女性に力を与えるためのものだったということを理解していませんでした。「Do Me, Baby」はその好例ですね。「Do Me, Baby」は『Controversy』のシングルでしたが、彼はこの楽曲を通じて女性にメッセージを送っていました。「You Do Me. You be the guy. You be the aggressor. (見せてくれよ。君も男になれるんだ。攻撃できるんだ)」というメッセージが込められていたんです。Princeは、女性があらゆる力を手に入れる姿を見たいと思っていたんです。

 

このような楽曲は全てが素晴らしく、全てがわたしたちについて書かれたものでした。Princeは、女性を支配しようという捕食者的な考えを持っていませんでした。「お前は獲物だ。いただいてやる」というような考えは彼にはありませんでした。彼は常に女性を平等に扱っていました。だからこそ、Princeは女性から愛されたのだと思います。わたしたち女性は彼を信頼していましたし、彼からは安心感を得られました。また、力を得たような気分にもなれました。平等に扱われていると思えました。彼は常にそうでした。彼のこの部分がブレることはありませんでした。Princeはそういう人物でした。

 

 

Princeと「If I Was Your Girlfriend」

 

SUSAN ROGERS

この楽曲では、BOSSのコンパクトエフェクターのサウンドが確認できます。ドラムにはフランジャーがかかっていますが、スネアは完全にドライですね。当時、コンプレッサーをUREI 1176に入れ替えていたわたしは、スネアにこれを使い始めていました。Princeもわたしが色々と試すことを許してくれました。ですが、ヴォーカルが歪んでいるのが分かると思います。この歪みはアクシデントでした。

 

 

 

“Princeは「僕たちのサウンドは他とは違う。Michael Jacksonのサウンドとも違う。彼のように大金をつぎ込んでいるわけでもない。スピーディに制作するぞ。だからミスもするぞ」と良く言っていました”

 

 

 

TORSTEN SCHMIDT

そのアクシデントを悔やんでいますか?

 

SUSAN ROGERS

ええ。ひどいミスでした。Sunset Soundのコンソールのゲインは10dBごとにダイヤルを切り替えるステップ方式だったのですが、わたしが間違って10dB分大きく設定してしまったんです。Princeはコントロールルームでヴォーカルをひとりでレコーディングすることを好んでいました。誰にも立ち会ってもらいたくないと思っていたのです。それで、わたしが彼のためにシグナルパスを用意して、ケーブルにテープを貼って分かりやすくしておきました。それで、彼がバッキングヴォーカルを入れる必要があれば、自分でそのケーブルを別のトラックに差し替えて、トラックをアームにしていたわけですが、その間、わたしは隣の部屋で待っていました。ですので、わたしはコントロールルームのサウンドを聴くことができなかったんです。ですが、聴けば分かる通り、APIのプリアンプがクリッピングしています。Princeは激高するだろうと思っていました。ヘッドフォンではなく、スピーカーで聴いた時にさぞ怒るだろうと思っていたんです。ですが、彼は気に入りました。

 

Princeは「僕たちのサウンドは他とは違う。Michael Jacksonのサウンドとも違う。彼のように大金をつぎ込んでいるわけでもない。スピーディに制作するぞ。だからミスもするぞ」と良く言っていました。ですので、あの時も問題なかったんです。わたしは少し悔しい思いをしましたが。ちなみに、この楽曲のハイトーンヴォーカルはテープマシンの再生速度を変えて作ったサウンドです。

 

TORSTEN SCHMIDT

あえてその手法を使ったんですか?

 

SUSAN ROGERS

ええ。もちろん。わたしたちはテープマシンの再生速度を変えて、自分たちが望んでいるサウンドを得ていました。ハイトーンではなくロートーンも得られます。ファットなロートーンが得られるんです。たとえば、テープマシンのスピードを上げた状態で演奏をレコーディングして、そのあとで元のスピードに戻せば、素晴らしい低音が得られます。ハイトーンはその逆で、トラックのスピードを極端に下げてヴォーカルを録り、あとでスピードを戻せば、彼が好んでいたハイトーンのヴォーカルが得られました。彼はヴォーカルにキャラクターを加えていました。自分のメッセージを伝えるために、各楽曲のヴォーカルにキャラクターを加えていたんです。

 

この頃のPrinceはSusannah Melvoinと付き合っていました。2人はとても親密な関係を築いていましたが、Susannahには双子の妹、Wendy Melvoinがいました。彼女たちはとても仲が良い双子で、おそらくPrinceは… これは憶測に過ぎませんが、この楽曲で彼はSusannahに「君とWendyのような関係を、僕も君と築きたい。僕も君たちのような親密な関係になりたいんだ」と伝えたかったんだと思います。

 

ですが、シングルカットには向いていない楽曲でした。先ほども参加者の皆さんと話したのですが、当時の彼、つまり『Sign ‘O’ The Times』時代の彼は、ブラック系ラジオ局での人気復活を狙っていました。彼にはブラック系ラジオ局でのオンエアを増やす必要がありました。それで「Sign ‘O’ The Times」と「Adore」をこのアルバムに収録し、自分のコア層であるブラック系ファンを取り戻そうとしたんです。この楽曲にもそのコア層へアピールする要素が含まれていましたが、他のいくつかの要素が逆に彼らをPrinceから遠ざけることになってしまいました。都市部に暮らすアフリカ系アメリカ人の大半にとって、男性が「For you, naked I will dance a ballet(君のために裸でバレエを踊ろう)」と言うのは、クールではなかったのです。

 

一部のコミュニティや、ニューヨークなどでは受け容れられたと思いますが、多くの人たちにとって、この楽曲はクールではありませんでした。『Sign ‘O’ The Times』は、Princeにとってはある意味「寄せ集め」的なアルバムだったと思いますが、彼は根っからのアーティストですし、自分がクールだと思うことを実行し、世間もそれをクールに思ってくれることを期待していました。