八月 27

『Wild Style』オリジナルブレイクビーツ秘話

1981年6月のある3日間に渡り、映画監督、ヒップホップアーティスト、ドラマーの3人がマンハッタンのBlank Tapesスタジオに集まり、音楽史に燦然と輝くヒップホップムービー『Wild Style』のサウンドトラックを制作した。Phillip Mlynerが当時の状況を追った。

By Phillip Mlynar

1981年6月のある3日間を、映画監督、ヒップホップアーティスト、ドラマーの3人がマンハッタンのBlank Tapesスタジオに集まり、音楽史に燦然と輝くヒップホップムービー『Wild Style』のサウンドトラックを制作した。『Wild Style』は当時売り出し中の映画監督Charlie Ahearnと(ダウンタウンのシーンではFab 5 Freddyとして知られていた)Fred Brathwaiteがタイムズスクウェアで開催されたショーで出会い、「ヒップホップとグラフィティに焦点を当てた映画を制作しよう」と意気投合したことで生まれた映画だが、Ahearnはその音楽について、「今振り返ると馬鹿げている」(本人談)ちょっとした変化球を思い付く。Grand Wizard TheodoreやGrandmaster Flashなどがパーティーでプレイしていた有名なソウルやファンクのブレイクを使う代わりに、映画用のオリジナルブレイクを用意しようと考えたのだ。

そのアイディアの実現をするために、彼らはかつてAretha FranklinやJerry Butlerのバックバンドでプレイした経験を持つパンクドラマーLenny Ferraro(Ferrari名義でも活動)に演奏を担当してもらった。こうして行われた彼らのスタジオセッションは後に、『Wild Style』ブレイクビーツとして知られるようになり、その13曲の短いインスト群は、ヒップホップシーンで最も崇拝されているミステリアスな作品のひとつとなっている。



1980年6月、『Wild Style』の草稿を練り上げたAhearnは、翌年夏からの撮影を企画していたが、そのタイミングが迫る中、AhearnはMCのラップとDJのシーンで使う音楽を何にしたら良いか悩んでいた。本人は、「出演者全員がラジオでプレイされているヒットソングをプレイしたいと言い出したら? また25曲を選んだのは良いが、レコード会社から使用許可について厳しい条件を出されてしまったら? と考えていた」と当時を振り返る。尚、Ahearnは当時のヒップホップシーンについて、手早く制作して、事情を把握していない世間に売り捌くという「金儲け主義」だったため、Sugar Hillのようなヒップホップレーベルに話を持ちかけることはなかったとしている。

やがて、この映画が「ドキュメンタリーとフィクションのミックス」であることにヒントを得たAhearnは、 DJたちのとっておきの1枚を集めたかのような内容に聴こえる完全新作のブレイク集を用意したいというアイディアをBrathwaiteに相談した。

「俺たちはレコードを作ろうとしていた訳じゃなく、ブレイクを作ろうとしていたんだ」 − Charlie Ahearn「Fredは話を聞いて驚いていたね。俺たちは別にレコード・プロデューサーではないし、予算もなかった。それにDJたちが使っていたブレイクは8年に渡るヒップホップシーン黎明期を通じて培われてきたものだったから、いきなり新しいブレイクを代わりに使うのは馬鹿げているように思えたのさ」しかし、Brathwaiteは信じられないという顔をしたものの、結局2人はその計画を進めることになった。Ahearnは当時を振り返る。「俺たちはレコードを作ろうとしていた訳じゃなく、ブレイクを作ろうとしていたんだ」

AhearnとBrathwaiteが『Wild Style』の計画を進めていた頃、ドラマーFerraroはニューヨーク・イーストヴィレッジへ移住し、幼少時からの友人でアーティストとして活動していたHenry Benvenuti、そしてKid Creole And The Coconutsに加入する女性シンガーを加えた3人での共同生活をスタートさせていた。元々R&Bにルーツを持つFerraroだったが、ニューヨークではパンクシーンを中心に活動し、週15バンドを渡り歩いてプレイすることで家賃を払っていた。



彼が住んでいたアパートはJean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)がBenvenutiの絵を見にしばし立ち寄るなど、クリエイティブな人たちの溜まり場となっており、そういったダウンタウンのアートシーンとの関わりにより、FerraroはジャーナリストGlenn O’brienとBlondieのメンバーChris Steinによる視聴者制作番組『TV Party』の専属ドラマーとして活動することになった。その番組の収録スタジオはドラムのフルセットを持ち込むには狭すぎたため、Ferraroはダンボール箱と雑誌に小さなシンバル2枚で作った即席のセットをブラシで叩くことになった。またFerraroは番組中にマジックを披露する時もあり、その持ちネタの中にはDebbie Harryに5分間のキスを迫るというものもあった(彼女は美しい唇をしていたと本人は当時を振り返っている)。

「エゴを捨てて、音楽に身を任せるだけだった。ドラムマシンのようにひたすらビートを叩き出していったよ」 − Lenny Ferraro当時のニューヨークのクリエイティブなシーンは密接に繋がっており、『TV Party』の撮影はBrathwaiteが担当していた。こうしてBrathwaiteとFerraroは懇意になったが、その直接的な原因についてFerraroは、「Brathwaiteの “Bad” という単語の使い方が、かつて俺が一緒にプレイしていたR&Bシンガーたちと同じ使い方をしていたからだ」と振り返っている。こうして、BrathwaiteとAhearnがブレイク用のドラマーの必要性に迫られた時、まずはFerraroに白羽の矢が立てられることになった。「Freddyがブロンクスとブルックリンでヒップホップというシーンが生まれていると教えてくれた。それでいくつか曲をプレイしてもらって、これはビートの音楽なんだということが理解できた」Ferraroは当時をこう振り返っている。

Ferraroがドラマーとして参加することが決まると、AhearnとBrathwaiteは計画を実行に移し始めた。まず、DJ Grand Wizard Theodoreから自分のお気に入りのブレイクが詰まったテープをもらうと、今度はFerraroがそれを手本として新たなドラムフレーズを叩いた。Ferraroはレコーディング初日について 2分間のフレーズはすべてワンテイクでレコーディングしたと振り返る。「ブレイクは60年代のR&Bをベースにしたものだった。だから俺には簡単だった。俺は当時神童として扱われ、彼らと一緒にプレイしていたからね。あとはエゴを捨てて、音楽に身を任せるだけだった。ドラムマシンのようにひたすらビートを叩き出していったよ」

こうしてFerraroが録り終わると、次にDavid Harperがベースを、そしてChris Steinがシンセギターのフレーズを足していった。Ahearnが当時を振り返る。「Chrisはオモチャや小さなマシンが好きだった。彼はBlondieでどうやったら面白いギターサウンドが出せるのかと常々考えていた。だから『Wild Style』ではドラムとベースの間に面白いメロディが入れられると思いつき、ギターとエフェクトを使って表現したんだ」



そして3日目になると、AhearnとBrathwaiteがミキシングを行ったが、その様子はまるでマッドサイエンティストのような料理人2人が、時間に追われながらあくせくと腕を振るっているような光景だったとAhearnは振り返っている。「ケーキを作っているような感じだったね。材料はすべて揃っていて、イチゴもあるし、あとはホイップクリームをつけようと言っているような感じだった。俺たちはミキサーから流れる音楽にサウンドを加えていった。まるで実際に1インチテープが再生されているかのようにミックスしていったね」そこで加えられたサウンドには、Ahearnが所有していた40年代、50年代のTV番組のサウンドトラックの声が含まれており、中でも「Ready on the right!」と叫ぶ声のサンプルが入ったブレイクは後に「Military Cut」として知られるようになる(このレコーディングが即興で行われていったため、当時は曲名がついていなかった)。

「正直言って、Grand Wizard Theodoreは俺たちがやろうとしていたことを理解していなかったと思うね」 − Charlie Ahearnこのレコーディングが終わると、その次はレコードを『Wild Style』に出演するDJに渡して、 彼らの所有するレコードと同じように好きに使ってもらおうと考えていたAhearnとBrathwaiteは、イニシャルで少数を制作したあと、100枚のホワイト盤を発注した。

しかし、レコーディングが計画通りに行ったにも関わらず、この段階では問題が発生した。「正直言って、Grand Wizard Theodoreは俺たちがやろうとしていたことを理解していなかったと思うね」Ahearnは言う。他のヒップホップアーティストたちも同じで、彼らは他のトラックを使わず「Down by Law」だけを使っていたのだ。Ferraroはこの曲の魅力について、「ライブで演奏すると女の子たちが踊ったからね」と説明している。



こうして「Down by Law」があらゆるDJに好まれたが、Ahearn本人はその状況に落胆したと振り返る。「少なくともあの曲の他にも4曲は面白いブレイクが収録されていると思っていたからね」 Charlie ChaseやGrandmixer D.STがフィーチャーされていたDJ/MC/ブレイクダンスシーンはヒップホップ史における神聖な存在として崇められているが、結果的にこれらのシーンでは2人の制作したサウンドトラックからは半数程しか使用されなかった。

「みんな混乱していた。出処 が分からない謎のブレイクビーツだと思っていたのさ」 − Charlie AhearnAhearnとBrathwaiteによる「新しいブレイクを生み出そう」というアイディアは当時としては奇妙だったかも知れないが、このサウンドトラックの存在は、「このレコードは何だ?」、「誰がレコーディングしたんだ?」、「どこで買えるんだ?」とすぐにシーンの注目を集めるようになった。「みんな混乱していた。出処が分からない謎のブレイクビーツだと思っていたのさ。見つけるのが難しかったから、実際に存在するのかも知られていなかった」Ahearnは振り返る。またホワイト盤というリリース形態がそのミステリアスなイメージに拍車をかけた。「見方によっては皮肉な状況だったが、別にそうじゃなかった。プレスをすればデフォルトではこの形で仕上がってくるし、単純に俺たちにはレーベル面のデザインを用意する時間がなかっただけだったのさ」

それから30年が経った今、オリジナル盤はその希少価値により、ディガーたち渇望の1枚となっている(Ahearnの手元にあるイニシャルプレスの3枚に対し大量のオファーが届いたが、本人は値段が付けられないとして断っている)。しかし、今年Kenny DopeのレーベルKay-Deeから再発され、入手の難易度は一気に下がった。Kennyは説明する。「このブレイクには常に興味を持っていた。Music of LifeのSimon Harrisのブートレッグなどがリリースされてきたが、ミステリアスなイメージは残り続けていたからね」尚、Kenny自身はオリジナルを持っていないとしたが、レコードショップSound Libraryで昔一度非売品を見たことがあったと振り返っている。



Ahearnはこの再発を受け、「映画の中であまり使われなかった」という当時の個人的な失望が癒されるのではと感じているようだ。Ahearnは、Nasのアルバム『Illmatic』の1曲目「Subway Beat」を使われていることを引き合いに出し、「こうやって使われるポテンシャルがあると踏まえると、当時は十分に使われていなかったね」と説明している。また、Kenny Dopeもこの意見に同調し、次のようにコメントしている。「ファンキーなトラックが収録されているので、このリリースが多くのアーティストの元へ届き、新しい音楽が生まれるきっかけになればと願っているよ」

フォトクレジット:Charlie Ahearn/Kenny Dope