九月 27

Tony Allen が Fela Kuti に出会ったとき

2人のクリエイティブなマインドが初めて交わった時の出来事にスポットライトを当てるシリーズ第3回。

「Tony Allen なくしてアフロビートは存在しない」Fela Kuti は長年の盟友についてかつてこう語っていたことがある。ラゴス生まれのドラマーは、Art Blakey等アメリカン・ジャズのパイオニアに影響を受け、アフリカのハイライフ・シーンで、大西洋の両側の世界を融合させた爆発的なスタイルを確立させた。2007年にトロントで行われたRed Bull Music Academyのレクチャーで、Tony AllenはFella Kutiとの出会い、そして彼の革新的なバンドに欠かせない存在として活動した1968年から1979年までの話をしてくれた。Tony Allenは今年の9月上旬に、Dimensions Festival にも出演した。

 

 

By Tony Allen (Translation by Nobuyuki Suzuki)

 

Blue Noteのレコードがアフリカに入ってくるようになったとき、Art Blakeyを聴き出して「ワォ!こんなのは今まで聴いたことがない。ジャズを演奏してるのに、Gene Krupaなんかとは違うスタイルで、まるで全然別物だ。これはイイ。」と思ったね。そしてどんどん Art Blakey や Jo Jones のスタイルに傾倒していったんだ。Art Blakeyは、一人ではなく、まるで数人でドラムを叩いているよう聴こえたんだ。だから、レコードを聴きながら「これは一人でドラムを叩いてるのか?もしかしたらハイハットとかシンバルを叩いてる人が他にいるのかもしれない。」そう思ってたんだ。でも、彼があれを一人でできるんだったら、私もそれを目指すしかなかった。彼は私のアイドルだったからね。でも、どうやって自分のドラミングを確立していいか分からなかった。

 

当時、"巧い"とされていたドラマーの人たちを観察していて気付いたのは、ハイハットとバスドラム、それぞれに対してセットされたペダル、その4つの使い方だった。彼らはハイハットを全く演奏していなかったんだよ。常に閉じた状態で叩いているだけで、腑に落ちなかった。他にハイハットを演奏する方法があるはずだろ、ってね。全然納得できなかったんだ。何かがおかしい、不完全だと思ったんだ。ハイハットがちゃんと演奏されていない、ってね。でも、何をどうしていいか分からなかったんだ。ちょうどそんなとき、毎月買ってた、Downbeatマガジンを読んでたら、2ページに渡ってハイハットの特集があったんだ。それを見て「あっ!これだ!」と思ったね。そこには他のドラマーが誰もやってないことが書いてあったんだ。「よし、これに挑戦してみよう」と自分に言い聞かせたね。連日連夜ドラムの練習をしたよ。あのハイハットの奏法を、今までのドラムスタイルに融合させようとしてたんだ。それはまだ誰もやってなかったからね。そりゃ、とにかく時間がかかったよ。この方法を発見して「よし、乱さず上手く叩けるようになったぞ」と思えるようになった頃には、街中のドラマーが注目する存在になってたんだ。

 

「Tony!どうしちまったんだ?なにをどうやってるんだ?」って皆に言われたね。彼らがそれまでも演奏してた音楽と同じだったんだけど、それまで聴いたこともないようなスタイルを突然耳にしたんだ。だから皆にクレイジーだと思われたね。そのとき既に自分のものにしてたんだ。Felaに出会う前にね。

 

Felaとは、彼が留学から帰って来たときに出会ったんだ。彼はNigerian Radio Corporationで番組を持っていて、金曜の夜に古いジャズのレコードをかけてたよ。彼もミュージシャンだったから、帰国してからジャズをやりたがってたんだ。後に、レコードを紹介する代わりに、バンドを結成して、レコードの曲を生演奏するようになってね。3日くらいかけて、四半期分、30分の番組を13本、事前にレコーディングしてたよ。

 

当時、私は他のバンドの仕事をしててね。Felaはジャズをやりたくて3人の違うドラマーを試してたんだ。彼らは私より知られたドラマーたちだったよ。彼らと一緒に仕事をしたことがあったけど、皆優れたドラマーだった。でも、彼らと演奏したFelaは、「違う、ダメだ!この国にはドラマーがいない。お前らはドラムの叩き方を分かってない。」って言ったんだ。そのときのベーシストが「まだ試してない人がひとりいるよ。」って言って、Felaは「他に誰がいるんだ?ベストだと言われてる連中は皆チェックしたはずだ。」それでベーシストが「Tony Allenって言って、同じバンドでプレイしてるヤツだよ。」って勧めてくれたんだ。

 

それでFelaが家に招待してくれて、それから楽器がセットしてあるラジオ局に行ったんだ。Fela「Tony、12小節のブルースは叩けるか?」、私は「イエス」と言って、彼がトランペットを手に取って12小節ブルースを演奏し始めたんだ。3周目が終わった所で「ストップ、ストップ、ストップ!」って止められたから演奏を止めたんだ。何か問題があったのかと思うとFelaは「そうじゃない」と言って、私の方を見て、それからコントロールルームにいたスタッフを見て「おい!オレが今聴いたものを聴いてたか?」と言うと、スタッフはうなずき、Felaはまた「1周目にロールインして、また2周目でロールインして、3周目もロールインしたのを観てたか?他にこんなことできるヤツがいたか?」と言ったら、スタッフは「いなかった」と。するとFelaは「おぉ、よし、どんどんやろう。今度はソロ回しをしよう。」と言って、Felaが最初の4小節を、私が次の4小節をと言った具合に2回しした後に、「ストップ!どこでドラムを習ったんだ?アメリカか?イギリスか?」と訊かれたから私は「いいや、全部ここで覚えたよ。」と言ったんだ。Felaは「それは凄い!君のスタイルはパーカッションがなくても成立してる。」と言ってくれてね。最初の1年はそんな感じでやりつつも他のバンドの仕事をしてたんだ。

 

Felaはとにかくジャズをやりたかったんだ。だから私は2つのバンドを掛け持ちしてた。そんな中、1年もすると、Felaがローカルのシーンでもやりたいと言い出したんだ。ローカルのミュージック・シーンで王様のように君臨してた、ハイライフのシーンに混ざってね。Felaがハイライフのバンドのフロントマンになりたいが違う形で演奏したいと言ったので、私は「もちろん、可能だよ。君のやりたいようにやっていい。」って言ったんだ。当時もまだバンドの仕事をしてたんだけど、ある晩、私が演奏してたクラブにラジオのアシスタントがやってきて、「Tony!Felaがここの仕事を辞めろって言ってるんだ。」、私は「なぜ?」と訊くと、「新しいバンドを始めるから、ここの仕事を辞めて参加しろって。」そう伝えられたよ。「新しいバンド?まだ何をやるのかも分からないのにか?」と思ったが、私は安定した職を捨てて、またもや未知なるものに挑戦しようとしていた。「もしかしたら何かを得るためには、何かを諦めなきゃいけないのかも。」と思ったら納得してしまったんだ。つまり仕事を辞めなきゃいけないということだったから、「ちょっと待ってくれ、今月末まで時間をくれ。今月の仕事を全うしてから辞表を提出する。」って言ったら、冗談だと思われたよ。でも、Felaとならドラマーとして自分が求めてるものを素晴らしい形で達成できると思ったし、Fela以外に私をそのレベルにまで導いてくれる存在はいないと思ったんだ。かけてみるしかなかった。だから月末に給料をもらって仕事を辞めたよ。クラブの店長には辞めないでくれと頼まれた、「金が欲しいのか?金ならもっと払うから。」と言われたけど、私は「いや、金の話じゃない、将来の話なんだ。同じようなことを繰り返しやってるここのバンドの仕事には飽きたんだ。ここのバンドにいて上達できるとは思えないんだ。」ってね。純粋にミュージシャンになりたいという思いを伝え、「お願いです、仕事を辞めることを許してください。」と頼み込みました。「大変な道だと言うことは分かってるんだろうな?」と訊かれて、私は「分かってます。でも挑戦してみるしかないんです。」と言って次に進んだんだ。Felaが秀でた存在だということは明確だった。それまでに出会ったことがないような存在だった。だから私はFelaに誘われたとき首を縦に振ったんだ。

 

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Tony Allen は9月5日から9日までクロアチアで開催されたDimensions Festivalに出演しました。 RBMA Radioにてハイライトが公開される予定です。