四月 06

Hydraulophone:液体と音楽

ウェアラブルテクノロジーの先駆者として知られるカナダ人発明家が液体の振動を利用した楽器の研究を進めている。

By Jason Anderson

 

Steve Mannは幼少の頃、音楽の世界には何かが欠けているということに気が付いた。「幼稚園時代に、先生が『楽器には3種類あります。弦楽器、打楽器、管楽器です』と教えてくれたんですが、私は『弦楽器と打楽器は固体の振動を伝えていて、管楽器は気体の振動を伝えている』と考えました。それで、先生に『じゃあ、固体、固体、気体ってことだね』と返したんです」

 

幼稚園児がこのような結論を導き出したという話はどうにも怪しく聞こえるが、その園児がSteve Mannだったならば話は別だ。発明家・研究家のトロント大学教授Mannは、カナダ国内ではギーク的セレブとしての人生を楽しんでいる。ウェラブルテクノロジーに早くから着目したMannは、自分の視点をカメラやディスプレイとして利用できるEyeTapと呼ばれるメガネガジェットを開発し、自らを「サイボーグ」と称してそのメガネガジェットで自分の行動を数年間記録している。

 

しかし、人間と機械の融合を心に描く前からMannが考えていたのが “Hydraulophon” だった。これは彼が発明した楽器群の総称であり、本人はこの楽器群を通じて、音楽界で長年放置されてきた「液体」楽器の可能性をリスナーと演奏者の両方に提示したいと考えている。

 

「ネアンデルタール人の骨笛を見れば分かる通り、人類は管楽器を3万年以上前から使用しています」自身がデザインしたHydraulophoneが数多く収蔵されているArt Gallery of Ontarioの向かいにある研究室兼デザインスタジオで行われたインタビューでMannが説明する。「固体の楽器の歴史はもっと長いかも知れません。人類は大昔から太鼓を打ち鳴らしていましたからね。ですが、液体の振動を使用した楽器はこれまで開発されてきませんでした」

 

Mannは、そのような液体楽器に必要とされる "圧力をかけた水流" は、古代ギリシャが放水路を使用した頃からこの世に存在していると説明しているが、固体楽器と気体楽器が存在する一方で液体楽器が存在しないことに納得がいかなかった若きMannは、そのプロトタイプの発明に取り組み始めた。その過程で、彼は発明家の特徴である勤勉さを発揮し、マサチューセッツ工科大学の博士課程に在籍していた彼の履歴書には、HDR(High Dynamic Range)画像の開発と特許取得も書き加えられた他、ウェアラブル技術のパイオニアとしても活躍した。2001年のドキュメンタリー『Cyberman』では、Google GlassとApple Watchを10年以上先取りした彼の発明品が紹介されている。

 

 

Mannは、液体の音楽というアイディアは完全に新しいものではないとしているが、「水の振動の使用」というテーマの周辺にはMannとは違う形の音楽が数多く存在する。たとえば、中央アフリカのジャングルでは、バカ・ピグミーが水を使ったドラミングを行っている。ただし、彼らは手のひらを器のようにして水面を叩いているため、正確には気体の振動を利用していると言える。また、サンフランシスコのExploratorium(体験型科学博物館)付近に設置されているWave Organや、UKのブラックプールにあるBlackpool High Tide OrganやクロアチアのSea Organも仕組みは同じで、これら3台は波の力を利用してオルガンのパイプの中に空気を送り込んでいる。

 

Blackpool High Tide Organ 

 

Wave Organ

 

過去に発表された水をテーマにした音楽群も「水の振動の使用」という意味では微妙だ。Georg Freiedrich Handelはテムズ川で開催された舟遊びのための音楽、「水上の音楽」を作曲したが、ジョージ1世の舟遊びで披露された初演(1717年)で、演奏に水が使用されることはなかった。また、最近ではArcade FireのRichard Reed PerryとThe NationalのBryce Dessnerが「Wave Movements」を共作し、波の揺れを楽譜に落とし込んだが、演奏は一般的なオーケストラが担当した。そして、John Luther Adamsのピューリッツアー賞作品「Become Ocean」も同様に水を扱っているが、水は演奏用ではなく、コンセプトとして扱われている。雨の夜の孤独を歌った数々のソウルの名曲においても、Willie Mitchellがエレクトリック・ティンバレスで雨音を再現したAnn Peeblesの「I Can’t Stand the Rain」以来、水を演奏に用いた楽曲は1曲も存在しない。

 

 

 

シャワーヘッドに向かって歌ったり、蛇口に口をつけて歌ったりした時の独特のサウンドを知っている人もいるはずだが、Hydraulophoneのサウンドはそれらとはまったく異なる。Mannが発明したこの楽器群のフラッグシップモデルは、リードが内蔵されているClarinessieと呼ばれているタイプで、そのオタマジャクシのような形状から子供たちの間では “Nessie”(ネッシー)と呼ばれて親しまれている(Mannは「娘は4歳の頃に『この子が寒がってる』と言ってNessieにブランケットをかけていた」と振り返っている)。

 

Mannと研究チームは、いつの日かこの楽器が世界各地のウォーターパークや子供向けの科学博物館に設置されることを祈っている。実際、過去10年において、この楽器はこれらの施設を中心に設置されてきた。適当なカラーリングが施されたこの曲線の楽器は横1.5m・奥行き60cmほどの大きさで、電動ポンプで水が内部に送り込まれている。そして、その内部には多数のウォータージェットが音階に沿って並べられている(MannはNessieはAマイナーとDマイナーが最美しく響くとしている)。サウンドは噴水のような穴を指で押さえることで鳴るようになっており、その穴は簡単に演奏できるように等距離に配置されている。押さえる場所によって水の流れが変わり、それによってサウンドも変化していくわけだが、そのサウンドは驚くほど豊かで甘美だ。

 

Nessie

 

Mannは、Nessieとその従兄弟的存在のH2Oboeは共にリードが備わっていることから(Nessieのリードはひとつだが、H2Oboeは各ノートにリードが備わっている)、そのサウンドは固体の振動と液体の振動がミックスされたものになるとしており、この仕組みについて「固体と気体の振動を利用したクラリネットと同じです」と説明している。気体の振動のみを利用する本物のフルートと同じように、液体の振動のみを利用するもうひとつの楽器Water Fluteの方が、より純粋な「液体楽器」と言えるだろう。

 

 

 

“水は基本エレメントなので人を惹きつけます。音楽と同じで、人間が生来備えているものなのです”

Steve Mann

 

 

 

一番大きなサイズのNessieには45個の穴が開けられている。自浄システムが組み込まれた銀色に光り輝く2つの装置で構成されるこのNessieは、2006年にOntario Science Centreに設置された。Chicago Children’s MusiumやコペンハーゲンのExperimentariumなどにも設置されているNessieは、パイプオルガン、巨大なフルート、噴水に喩えられることが多いが、Mannは、この楽器は既存の楽器とは大きく異なる音楽的特徴を備えているとしている。

 

「Hydraulophoneの特徴は、ポリフォニック・アンブシュアというコンセプトにあります。フルートはアンブシュアによって非常に豊かな表現が可能ですが、ピアノやオルガンはフルートほどの表現力を備えていません。ピアノの代わりにフルートを88本揃えれば、より流麗な音楽を生み出せます。また、フルートならば、循環呼吸をすればサウンドの長さも自由に変えられます。ピアノは弦の振動が止まればサウンドは消えてしまいますよね。オルガンならば一応持続音が出せますが、基本的にスイッチでオンとオフを切り替えるだけなので、時間軸に沿った流れるような変化は不可能です」

 

Nessie @ Ontario Science Centre

 

Hydraulophoneの演奏の例として、MannはGabriel Faureの作品「Sicilienne」を演奏するRyan Janzenを引き合いに出す。JanzenはMannのチームで科学者兼作曲家として活躍するHydraulophoneのエキスパートだ。「原曲には、ピアノとフルート、もしくはピアノとチェロのバージョンがあります。ピアノが和音を担い、フルートかチェロがメロディを担います。ですが、Ryanはポリフォニック・アンブシュアによって、その2つが生み出すハーモニーをひとりで生み出します。私はこれを「ハーメロディ」と呼んでいます。ハーモニーとメロディを組み合わせているからです。彼は1台の楽器を演奏しているだけですが、豊かな表現力によってオーケストラのようなサウンドに聴こえます」

 

 

また、MannはHydraulophoneのユニークな触覚は視覚や聴覚に障害を抱える人たちに適していると考えている。Mannは、グラミー賞を受賞した経験を持つ耳に障害を抱えるパーカショニスト兼作曲家のEvelyn Glennieは、2007年にトロント大学でMannがデモ演奏をした際に大いに感動してくれたとしている。「彼女はHydraulophoneを気に入っていましたね。振動が感じられるからです。人体は大部分が水です。ですので、水中の振動を自分の指で触れればその振動が体に伝わります。耳を使わずに音を聴くことになるのです」

 

この楽器の唯一の欠点は、演奏者が濡れてしまう可能性があることだが、プールやバスタブの横に配置されていれば、大きな問題にはならない(ちなみにMannたちは専用のバスタブも開発している)。Mannはこの問題の解決策として水中での演奏を推奨している。水中で演奏すれば、時として演奏の邪魔になる可能性がある水流自体の音も消せるようになるからだ。

 

Mannはその他にも水をテーマにした楽器として、氷製シロフォンのPagophoneや蒸気を利用するCalliofluteなどを発明してきたが、本人たちが望んでいるのは、Nessieがより幅広い層に認知されることだ。そして、その目標のために大量生産モデルの開発を担当する企業Splashtonesが最近設立されている。

 

Pagophone

 

Callioflute

 

「(Hydraulophoneに)触れた人は言葉では言い表せない感動を得ることになります。水は基本エレメントのひとつなので、人は惹きつけられるのです。音楽と同じで、人間と深く結びついているものなのです」

 

Mannは、音楽業界は固体楽器と気体楽器を好む傾向にあるが、最終的にはこの楽器が世間に受け入れられるようになると自信を見せる。「プロのミュージシャンたちは自分を型にはめる時があります。特定の楽器のために特定の練習を重ねるわけです。ですから、その意味では、この楽器は彼らにとって新しい体験になるでしょう。ですが、Hydraulophoneを演奏する新しい世代が育ちつつあります」

 

「また、問題のひとつとして挙げられるのは、クラシック音楽が "音楽院で学ぶ守られた存在" だということです。カナダにはRoyal Conservatory of Music(トロント王立音楽院)が存在しますが、Royal Inventa-tory of Music(トロント音楽発明院)も作られるべきですよ」