六月 11

D’Angeloを待ち続けて

Red Bull Music Academy Festival New Yorkでレクチャーを行ったD’Angeloについて、Jayson Greeeneが彼のファンであり続けることの意味を探る。

D’Angeloは世間から忘れられようと必死の努力をしているようだが、私たちはD’Angeloを待ち続けている。2枚のクラシックアルバムを生み出し、人気絶頂時に表舞台から姿を消したことで、D’Angeloは超スローペースでリリースするか、(こんなことは決して起きて欲しくないが)リリースを永遠にしないことが許された天才という、セレブリティの世界における唯一無二のスポットを勝ち得ることになった。よって、彼のような存在が自分たちの方へ近づいてくると、私たちは嘆願するような顔をして、たとえば「Andre 3000、スタジオに入ってください」、「George R.R. Martin、本を書き上げてください」などと言うようになる。しかし、これはいかに私たちがそこに関わっていないかを改めて示しているに過ぎず、私たちはこのような事実を知りたくはない。

D’Angeloが迎える結末はデビューした瞬間から決まっていた。彼はMarvin Gayeの生まれ変わりになるか、世間によって殺されるかのどちらかだったのだ。

D’Angeloが抱えるある種の精神的デタントには皮肉が内在している。アーティストは、まず自分の存在を信じようとしない傍観者たちが生み出す疑念の世界を自身の力で説得しなければならない。そしてそれが成功すれば、今度は自分抜きでは生きていけないと判断したファンからの終わりのない欲求と対峙しなければならない。これは恐ろしい契約であり、その内容は当惑させるものだが、この契約を拒否したアーティストは、二度と世間と上手くやっていくことはできない。これがD’Angeloが抱える皮肉だが、これはほんの一部にしか過ぎない。彼の場合は、「神童」という評価、そして「偉大なR&Bアーティストを求め続ける世界的なシンドローム」により更に複雑なものになっている。つまりD’Angeloが迎える結末はデビューした瞬間から決まっていた。彼はMarvin Gayeの生まれ変わりになるか、世間によって殺されるかのどちらかだったのだ。

そのD’Angeloは2014年現在もまだ無傷で生きている。しかし、過去にはその生命を脅かす場面もあった。2005年には高速で交通事故を起こし、運転していたハマーのフロントガラスを突き破って放り出された他、2度に渡るリハビリの失敗や、数度の逮捕も経験しており、私たちにすがるような視線を向けているマグショットも世間に公開されている。当時のジャーナリストやファンが「Untitled」の筋肉質な肉体美をもった美青年から、この哀れなマグショットへの痛々しい変化を追体験するのは非常に簡単な作業だった。この4分半のビデオクリップの中におけるD’Angeloは 象徴的で完ぺきなひとつの「惑星」だった。ゆえに世間は「一体何が起きたのだろうか?」と思わずにはいられなかった。

D’Angeloほどアンフェアな期待をかけられているアーティストはいないに等しい。

しかし、彼の人生はそこで終わるほど単純なものではなかった。その後彼は更生し、私たちの前に戻ってきたのだ。2012年の『GQ』誌の特集では、彼の贖罪、そして音楽への再度の専心について詳細に語られ、そして断続的ではあるがステージにも舞い戻り、更にはサードアルバムについても言及した。D’Angeloが戻ってきたのだ! しかし、そのアルバムは未だに私たちの手元には届いていない。彼にまつわるストーリーはこのような変化が付き物だ。D’Angeloほどアンフェアな期待をかけられているアーティストはいないに等しい。そして彼の人生には罠が沢山仕掛けられており、彼はそれらをギリギリでかわしてきた。


彼の人生のストーリーは、当初は80年代後半の音楽業界のそれと大差はなかった。窓の外からギャングスタラップが聴こえる中、ピアノの前に座った若者が、Marvin Gaye、Sly Stone、Stevie Wonderの才能を静かに学んでいき、ピアノのレッスンは修道女から教わった。その後EMIと契約。初めて提供した楽曲は、ギャングたちの暴力に反対するBlack Men Unitedの「U Will Know」だった(JodeciやLenny Kravitsなどがヴォーカルを担当したこのトラックは、2 Pacの『Me Against the World』やMobb Deepの『The Infamous』と共にBillboardにチャートインした)。そして21歳の時にリリースされたデビューアルバム『Brown Sugar』の収録曲の大半は、彼が10代の頃に自室で書いたものだった。

彼が最初に出くわした罠は健康的なイメージだった。しかし、『Brown Sugar』は純粋無垢でもなければ、弱気なものでもなく、真面目な慎重さもなかった。タイトルトラック「Brown Sugar」で静かに鳴るパイプオルガン系シンセは、ドアに寄りかかって麻薬を吸う人物がうっすらと暗闇に浮かび上がるようであり、これ がセックスやダークな感情を具現化しており、D’Angeloの作品に埃臭さとテクスチャを与えていた。『Voodoo』のリリースに伴った『VIBE』誌の特集で、dream hamptonは、デトロイト出身のストリッパーの友人たちがこの曲を何回も使用しており、ラジオでヒットする何週間も前から、彼女たちはこの曲で稼いでいた」と述べている。このオルガンは「Jonz in My Bonz」と「S.D.M.」でも使用されているが、後者ではミックスの後方で囁くように鳴っており、楽曲から切り離されたような、遠い記憶のように用いられている。

このようなアレンジはビートの力強さを際立たせた。Raphael Saadiq、Angie Stoneと共にドラムプログラミングに携わったA Tribe Called QuestのAli Shaheed Muhammadが、このネオソウルのアルバムのリズム感を力強いものにした。またStoneとの共作である「Jonz in My Bonz」のベースはドラッギーで硬く、肉体的で、「Smooth」はクラシックなジャズのコンピングに、往年のTimbarandのような泥臭いビートが乗っている。


これらは時間と共に明確になっていく彼の個性の最初の露見だった。D’Angeloは保守的なR&Bアーティストという皮を巧妙にかぶった、破壊分子だったのだ。彼は往年のビッグアーティストたちが生み出したすべての音やフィルインを熟知しており、それらを鋭敏な視点から構文解析していった。「James Brownは “ある程度” ファンキーだったけど、彼のバックバンドの演奏はクリーンだったね」D’Angeloは2000年の『VIBE』誌でのQuestloveとの対談でこのように考察している。James Brownを “ある程度” ファンキーと評価するということは、James Brownよりファンキーな音楽が存在するということなのだろうか? 彼が追求しようとしていたのはこの部分だった。

D’Angeloとバンドは、毎回アルバム1枚とSoul Trainの1エピソードを取り上げながら、R&Bの40年間の歴史を消化していった。

しかし、そこを追求するよりも先に、D’Angeloは自己破壊を試みた。結果、『Brown Sugar』と『Voodoo』までの5年間は、「D’Angelo」と「忘却」というふたつの言葉がひとつの意味として語られる最初の時期となった。この時期のD’Angeloは、Jimi HendrixのElectric Lady StudiosにQuestloveが率いるバンドと共に籠もると、毎回アルバム1枚とSoul Trainの1エピソードを取り上げ、それらに含まれるすべてのサウンド、コード、リックなどを学んで自分のものにするという作業を繰り返し、R&Bの40年間の歴史を消化していった。

このような作業は通常は実現不可能だ。メジャーレーベルと契約している場合は尚更だった。しかし、D’Angeloが『Voodoo』で実現しようとしていた野望自体も実現困難なものだったのだ。D’Angeloはルーツであるアフリカへの明確なコネクションが感じられるモダンなアルバムを制作しようとしていた。『Voodoo』はそのタイトルは勿論、サンテーリアと関わりの深いビーズのネックレスとエレケを身に着けた姿がアートワークに用いられ、そしてアルバム内の写真の多くには生贄用の鶏が写っている。とはいえ、D’Angeloは原始主義者になろうとしていたわけではなく、またそのテーマを軽薄に扱おうとしていたわけでもなかった。“ヴードゥー” というルーツは音楽の表層的な部分よりも更に奥深くまで掘り進められていた。音楽学者Loren Kajikawaは2012年に発表した学術論文で、収録曲「Playa Playa」のイントロの変拍子のクラベスと、ヴードゥーの儀式の冒頭で使用されていたリズムに共通点があることを示している。

これこそが表現できない恐怖、宇宙の法則における不安定要素、「ファンク」だった。彼について書かれたほぼすべての文書や記事で、D’Angeloはペンテコステ派の家庭に育ったとされている。この教派は悪魔と有形のダークフォースが世界に存在することを認めている宗派だが、その恐怖は我慢できないほどの緊張感を常に彼に与えていた。2000年の『VIBE』誌のインタビューで、QuestloveがMarvin Gayeに対する彼の複雑な気持ちについて問いただした際、D’Angeloは、「彼の精神を感じることができる」と答え、更に「軽く考えたくないでほしい。ただの幽霊のように考えてもらいたくはない」と続け、そのような感覚を持つ自分を擁護する姿勢を覗かせている。

Samuel A. Floydが1995年に発表した論文『The Power of Black Music』では、アメリカの音楽カルチャーとアフリカのディアスポラの関連性について書かれており、Floydはその関連性を「サブリミナルで、不明瞭で、間接的だ」と解説している。これらの単語は、アルバム『Voodoo』を簡単に形容するする単語としても使用できる。これこそがD’Angeloがその圧倒的な音楽的才能を超越した部分で挑戦しているものであり、彼は私たちの記憶の深淵、つまり指紋や霊のような部分と繋がろうとしている。『Voodoo』は、私たちが視覚よりも感覚で理解するような世界、脳内風景を縦断する作品なのだ。

D’Angeloの声は、ミックスの一番上に置かれているようでもあり、一番下に埋もれているようでもある。彼の声はリスナーの頭の中から囁いている。

『Voodoo』は囁くようなアルバムで、音楽の形式的な意味を越えた部分から作られた音楽だ。その沸点は非常に低く、ハイライトはないに等しい。ホーンはおとなしく、ベースラインは耳から遠ざかり、空間の隅へと消えていく。Pino Palladinoのベースは本人が快適に感じる距離よりも遠くに置かれている。そしてD’Angeloの声は、ミックスの一番上に置かれているようでもあり、一番下に埋もれているようでもある。彼の声はリスナーの頭の中から囁いている。

このアルバムにひどく落胆させられた人も少なからずおり、Robert Christgauはライブを見るまでこのアルバムを否定していた。またThe Philadelphia InquirerのTom Moonはこのアルバムは方向性が欠けていると批判した。しかし、D’Angeloと彼のバンドは、すべてを一掃することで、そこに漠然とした高尚な何かを入り込ませようとしていた。『Voodoo』はアルバムではなく精算である。動き回るに十分なスペースを生み出す巨大な精算作業なのだ。そしてこれこそがD’Angeloと彼の従者たちが過去14年に渡りやり続けてきたことなのだ。

このアルバムの大きな構成要素のひとつが、D’Angeloが意図的に行った70年代のR&Bのクラシックのサンプリング及びループであるという点については、数多くが指摘している。しかし、実際「Chicken Grease」のギターコードは薄汚れたレコードからサンプリングしたもののように聴こえるだろうか? 否。ここでのギターは素晴らしいサウンドを誇っている。また「The Line」で聴けるドライなスネアサウンドを得られるアーティストがD’Angeloの他にいるだろうか? 私は誰も知らない。むしろ、D’Angeloと彼のバンド以外、知っている人は誰もいないと自信を持って言える。『Voodoo』はネオソウル・ムーヴメントを代表するオリジナルな作品だが、この作品が過去に対する勤勉なリスペクトから生まれたというのは皮肉だ。

しかし、これはより大きな括りで考えると納得がいく。つまり、長時間に渡って練習を積めば、通常の数学的順列にわずかな変化が生まれる。刺激的な発明が生まれる頃には、無意識が設けていた枠をしっかりとした意識が丁寧に踏み越えている。これこそが実習によって得られるものだ。誰かの言葉を話し続けていれば、最終的には自分の言葉が生み出せるようになるのだ。D’Angeloはポップミュージックにおける最後の勤勉な生徒であり、『Voodoo』はその彼の最高傑作である。過去数十年のR&Bの最高傑作を生み出してきた何千もの細かいサンプリングの集合体だ。Questloveは2013年のRed Bull Music Academyのレクチャーで、このアルバムが完成した時は高校を卒業したような気持ちになったと振り返っている。

「D’Angeloは復活する」と語ってきたQuestloveの言葉の数々は、自信満々に雇用は復活すると説明してきた経済学者の愚行の数々と同じだ。

QuestloveほどD’Angeloに関わってきた人物はいない。彼は何年もD’Angeloの舞台に下ろされたカーテンの前に立ち続け、D’Angeloの登場を約束し続けてきた。 「D’Angeloは復活する」と語ってきたQuestloveの言葉の数々は、経済学者が自信満々に雇用は復活すると説明し続けきた愚行の数々と同じだ。 2013年QuestloveはMTVに対し、「俺が言えるのは、ここ2週間でかなりの進展があったということだけだ。間違いなく2013年にアルバムは出るよ。間違いなくね」−Questloveに神の御加護をと願わずにはいられない。「間違いなく」という言葉を繰り返し使用した彼には同情を禁じ得ない。

D’Angeloに関しては、すべてが未確定だ。『Voodoo』の収録曲「The Line」で彼は、「周囲はありとあらゆる角度から俺を見つめている」と歌っている。このトラックは、自分を外界に晒せ、リスクを受け容れろというメッセージが放たれている。しかし、世間への露出は彼自身を蝕み、結果として彼は前述の歌詞が間違いであって欲しいと願いながらも、何年にも渡って姿を隠すことになった。前述のニューアルバムは2014年、2015年にリリースされるのかもしれない。なぜなら今の彼はまだ完全に姿を消した訳ではないからだ。しかし、確定事項は何もない。分かっているのは、どれだけの時間がかかろうと、私たちはそこにいるということだけだ。私たちは彼と一緒にその時を待っている。