七月 09

Tortoise:メンバーが語るデビューアルバム当時

シカゴが誇るポストロックバンドTortoiseのファーストアルバム『Tortoise』のリリース20周年を記念し、メンバーたちに話を聞いた。

By Ronald Hart

 

シカゴのアンダーグラウンドシーンを拠点にしていた仲間同士内の、まるで遊びに誘うような気楽な電話連絡が、後にエキサイティングで大胆不敵なサウンドを生み出すことになった。Doug McCombs、Johnny Herndon、John McEntire、Bundy K. Brown、Dan Bitneyによって結成されたTortoiseは、当時の他のバンドが目指していたようなギター中心のヘヴィーなサウンドからできるだけ遠くへ向かい、ダブ、ジャズ、現代音楽、アフロポップ、ハウス、そしてSSTからリリースされていた難解な作品群などを組み合わせ、ひとつにまとめた音楽を生み出そうとしていた。

 

当時のシカゴはMTVで頻繁にプレイされていたSmashing Pumpkins、Liz Phair、Urge Overkill、Veruca Saltの成功により、オルタナティブロックが突如として盛り上がりを見せていたが、Tortoiseの目指していた音楽、のちにファーストアルバム『Tortoise』としてThrill Jockeyからリリースされる音楽は、その後長年に渡り、シカゴを代表するサウンドとなった。1996年にリリースされたセカンドアルバム『Millions Now Living Will Never Die』は彼らの代表作として知られているが、1994年にリリースされたファーストアルバムこそが、「ポストロック」というサブジャンルを生み出すきっかけとなった。このアルバムのリリース20周年を記念して、今回は各メンバーにコンセプトや誕生秘話について話を訊いた。

 

 

登場メンバー/関係者

 

Bundy K. Brown:Tortoiseメンバー。Bastro、Gastr del Sol、Directions、Pullman元メンバー。ベテランレコーディングエンジニア。

 

Doug McCombs:Tortoiseオリジナルメンバー。Eleventh DreamとBrokebackのリーダー

 

John McEntire:Soma Electronic Music Studiosのオーナー兼プロデューサー。Tortoise・The Red Krayola・The Sea and Cakeのメンバー。My Dad is Dead・Bastro・Gastr del Sol・Seamの元メンバー。

 

Dan Bitney:Tortoiseメンバー。Tar Babies元メンバー。

 

Sam Prekop:The Sea and Cakeのシンガー・作曲担当。Shrimp Boat元メンバー。ペインターとしても有名で、Tortoiseのアルバムカバーに作品が使われている。

 

David Wm. Sims:Scratch Acid、Jesus Lizardのベース。TortoiseのファーストシングルをリリースしたTorsion Recordsのオーナー。

 

Brad Wood:Shrimp Boatの元ドラム。Tortoiseを生んだIdful Music Corporationの共同オーナー兼チーフエンジニア。

 

 

Bundy K. Brown:TortoiseはDoug McCombsとJohnny Herndonによって結成されたバンドだ。

 

Doug McCombs:John(McEntire)とBundyに加入を要請する前から、僕の手元にはレコーディングした素材がいくつかあった。ただし、それは完成していた楽曲ではなく、Johnnyと僕が何回か一緒にプレイして、何をやっていこうか試した時の素材だ。どういうバンドにしたいのかというしっかりとしたビジョンはなかった。何回かリハーサルスタジオで練習しただけだ。「こういうアイディアがあるんだけど、一緒にプレイしてみて何か作れるか試してみよう」という感じだった。

 

Bundy K. Brown:僕たちは全員シカゴの小さなコミュニティに属していた。当時シカゴにはIdfulというレコーディングスタジオがあった。Dougたちはそのスタジオのオーナーのひとりで、チーフエンジニアだったBrad Woodと仲が良かった。だからBradからよく彼らに「金曜の夜が空いてる。使いたいなら使ってくれ」という感じで連絡が入っていた。

 

Brad Wood:Idful Musicはミュージシャンが生活しているエリアに近かった。このスタジオは安価で、比較的きちんと整備されていて、私たちの仕事もスピーディーだった。だからTortoiseはこのスタジオの空き時間を使ってセッションを重ねていった。

 

Stereolab at Idful / Credit: Tortoise Instagram

 

Doug McCombs:僕たちは夕方や深夜にIdfulに出向いて、7インチシングルを制作するためにレコーディングをスタートさせた。当時は僕とJohnnyだけだった。この時にレコーディングした楽曲が最初にリリースした2枚の7インチになった。(first two

 

David Wm. Sims:最初TortoiseはMosquitoという名前になる予定だった。

 

Bundy K. Brown:僕たちは ベース2人とドラム2人という構成だったから、世間はヘヴィーな音楽を想像していた。だからその真逆のイメージのMosquitoがいいと思った。

 

「最初TortoiseはMosquitoという名前になる予定だった」−David WM. Sims

Doug McCombs:初めてライブをやる日、Mosquitoという名前の別のバンドがいることを知った。そのバンドにはニューヨークの僕の友人が参加していた。僕は彼らに電話して、「君たちはバンドとして本格的に活動しているのかい? それともシングルを制作するだけ?」と訊ねたら、「俺たちは本格的に活動しているバンドだよ」と言われた。だからバンド名を変えた。結局彼らはアルバムを3枚リリースして、解散した。

 

Bundy K. Brown:Tortoiseという名前は民主的に決めたよ。初期はそうやって物事を決めていた。バンド名には色々な候補が挙がった。Dougは自分で考えたTerrapin Rhythm Sectionという名前を推していた。なんでこのバンド名を僕たちが気に入らなかったのかは覚えていない。長すぎると思ったのかも知れない。とにかく、僕たちはTortoiseという短い名前に決めた。

 

Doug McCombs:(Thrill JockeyのBettina Richardsから)「丁度自分のレーベルを始めたところなの。これが最初にリリースする3枚よ。何かウチと一緒にやりたかったら声をかけて」と言われていた。だから僕は「今この7インチを準備しているんだ。良かったらリリースしないか」と彼女に伝えた。僕たちは2枚の7インチを用意していたが、結局Bettinaは1枚だけをリリースして、もう1枚はDavid Simsが彼のレーベルTorsionからリリースした。

 

 

Bundy K. Brown:Tortoiseがスタートした頃、DougはEleventh Dream Dayというバンドで本格的な活動をしていた。Johnnyも参加していたPoster ChildrenでSireと契約したばかりだった。だから2人ともメジャーレーベルからリリースするデビューアルバムに取りかかり始めていて、シリアスなツアーも組んでいた。またJohnはシカゴへ移ってきたばかりで、シカゴのスタジオで仕事やセッションワークを増やそうと努力していたし、僕もSeamとGastr del Solで活動していた。だからTortoiseはサイドプロジェクトのような存在だった。スタジオに誰もいない夜中に集まって、好きなことをやるグループだった。

 

Sam Prekop:The Sea and Cakeのファーストリリースに参加したドラマーがBrad Woodで、彼は当時のシカゴのシーンのひとつを担っていたIdful Studiosのオーナーだった。僕はそこでDoug McCombsと出会った。みんなIdfulを中心に活動していたんだ。

 

John McEntire:DougとJohnnyの2人が用意した素材に僕とBundyが参加して、最初の7インチがリリースされたが、4人の作品というよりは彼ら2人の作品と言った方が良いだろう。DougとBundyが一緒に作曲を始めた頃からバンドらしくなっていったと思う。2人の作ったデモを聴いて、凄く興奮したのを憶えている。薄っぺらなデモだったが、大きな可能性が秘められていると思った。作曲や方向性は本当に素晴らしいものだった。

 

Brad Wood:JohnnyとDougはメインのバンドの活動よりも、 Tortoiseで音楽性を突き詰めたいと思っていた。Tortoiseは2人が遊びながら音楽を探っていく場所だった。Idfulでの初期セッションは一般的なバンド構造の外にある音楽を楽しもうというシンプルなものだった。

 

「彼らからは『ロックの再構築を目指している』という説明すらなかった。『変な音楽やっているから来てくれよ』というシンプルな誘い方だった」−Dan Bitney

Bundy K. Brown:Gastrは知的な音楽だったが、初期Tortoiseはダンスパーティーのような音楽だった。リズムが前面に押し出されていて、そのバイブスをリスナーは楽しんでいた。僕はずっとヒップホップを聴いてきたが、BastroやGastrではそういう自分を活かせていなかった。だからTortoiseにレゲエやダブ、ヒップホップの要素を持ち込めるのは凄く新鮮だった。当時はIssac Hayesのカバーをよくプレイしたよ。

 

Dan Bitney:Johnnyが電話をしてきた時のことをよく憶えているよ。「スタジオに来て演奏してくれないか?」と言ってきた。すごく気楽な感じだった。「俺たちがやろうとしている音楽はこういう感じなんだ。ロックの再構築を目指している」という説明すらなかった。「変な音楽やっているから来てくれよ」というシンプルなものだった。

 

Doug McCombs:DanのことはTar Babiesの頃から知っていた。僕たちは自分たちの楽曲をどういう方向に仕上げるか具体的なアイディアを持っていなかったから、とにかくレコーディングして、そこにどんどんサウンドを足していった。それでDanが来た時に、「僕たちのレコードを手伝ってくれないか?」と頼んだ。それで最終的に彼はバンドに加わることになった。

 

Dan Bitney:僕は1980年代初期のパンクシーンを聴いて育った世代だ。Tortoiseの最初の2枚のシングルは奇妙でエクスペリメンタルだった。僕はあのような音楽を今までプレイしたことがなかったが、自分がギター中心の音楽の相手をするのに疲れているのは分かっていた。

 

John McEntire and Casey Rice (Tortoise sound guy), 1995  / Credit: Tortoise Instagram

 

Bundy K. Brown:Johnは大学でパーカッションを専攻していて、ビブラフォンを学んでいた。だから本当に上手かった。ドラム2台、またはドラム2台にパーカッションという編成が必要ない楽曲があったから、その代わりにビブラフォンを足そうという考えに至った。Tortoiseの楽曲はヴォーカルもないしね。 Tortoiseの楽曲は99%インストゥルメンタルだから、多くの人はインストバンドだと考えているが、実はファーストシングルにはヴォーカル入りの楽曲もあった。別に最初からインストバンドになろうとしていた訳じゃなかった。ただ歌いたいという人がいなかっただけだ。

 

John McEntire:当時メンバー全員が同じ考えだった。特に当時はビブラフォンの導入は本当に珍しかったし、僕たちはギターやキーボードとは違うメロディー楽器を入れるのは面白いだろうと思ったんだ。

 

「僕はクラウトロックについて何も知らなかった。だからメディアからインタビューを受け始めた頃、『なんて自分は世間知らずなんだ!』と思ったよ」−Dan Bitney

Bundy K. Brown:僕は1985年から1991年にかけてシカゴのサウスサイドに住んでいた。Hyde Parkというエリアで、AACMに参加しているミュージシャンが多く住んでいた。凄くクールなジャズシーンがあった。僕はシカゴに移ったことで、凄く大きな影響を受けた。ワールドクラスのジャズシーンとインプロシーンに出入りできたからね。Johnnyは最終的にAACMメンバーのドラマーAjaramuにドラムを学んだんだ。

 

Doug McCombs:当時僕たちは全員ジャズを聴き込んでいた。僕たちは別にジャズミュージシャンになろうとしていた訳ではないが、ジャズという音楽は刺激的だったし、僕たちは当時の音楽業界で主流だったヘヴィーな音楽に対するある種の回答を出そうとしていた。

 

Bundy K. Brown:僕たちが大好きで参考にしていた作品は、Brian EnoとDavid Byrneの『My Life in the Bush of Ghostsだった。数々の楽器が使われながらも、非常にリズムが強調されたアルバムだ。

 

John McEntire:ジャズなアプローチよりも、Steve Reichの「Six Marimbas」に対するメンバー間の共通理解の方が、僕たちがやりたいことを表現するのに役だった。

 

Dan Bitney:僕はクラウトロックについて何も知らなかった。だからメディアからインタビューを受ける始めた頃、「なんて自分は世間知らずなんだ!」と思ったよ。ドイツに行った時なんて特にね。だが、有り難かったよ。俺たちはロックシーンに対する挑戦状のような存在だったからさ。だが、ドイツは常に俺たちが故意ではないにせよ、シーンを乱しているだけだと思っていた。でも、僕たちはただスタジオに入って、飲み食いをしながら良い音を探っていっただけだ。「意図的ではないのかい?」と訊かれたけれど、そうじゃないのさ。

 

John McEntire:僕は当時クラウトロックの大ファンだった。特にCanが好きだった。『Ege Baymiasi』はクラシックだが、すべての作品が最高だった。

 

 

Bundy K. Brown:Ry Cooder」は映画『パリ、テキサス』のサウンドトラックをベースにした楽曲だ。Dougが書いたこの曲は彼の音楽性を顕著に表している。こういうサウンド、Tortoiseのサウンドトラック的なサウンドを聴けば、「これはDougが書いた曲だ」ってすぐに分かる(笑)。

 

Doug McCombs:1980年代後半、僕は自分が聴いてきた音楽の外へ向かおうとしていた。「Ry Cooder」は本人の音楽とは全く関係がない。単純に彼へのオマージュだった。

 

「僕たち以前にリミックスをリリースしたロック、またはインディーロックのバンドはいなかったと思う」—Bundy K. Brown

Bundy K. Brown:シカゴではハウスミュージックを無視することはできない。ハウスミュージックが生まれた街だし、街に根付いている。当時はレイヴがどんどん大きくなっていき、アート系の学生がそのシーンに携わっていた。シカゴ全体でそういう動きがあった。僕たちも同じ街に住んでいたから、多少は重なる部分があった。土曜日の夜に遊んでいると隣のビルでパーティーが行われていて、世界的に有名なDJがプレイしていた。そしてジャングルのDJを聴いた時に、もっと興味を持って、もっと積極的に関わるようになった。

 

Doug McCombs:僕は別にハウスミュージックやアーティストたちを知っていた訳じゃなかった。JohnnyとBundyが詳しかった。僕は彼らからヒップホップも学んだ。Johnny Herndonも好きで、Dan BitneyとBundyは当時のヒップホップにかなり詳しかった。彼らから色々教えてもらったんだ。

 

Bundy K. Brown:僕たち以前にリミックスをリリースしたロック、またはインディーロックのバンドはいなかったと思う(Tortoiseは1995年にリミックス集『Rhythms, Resolutions & Clusters』をリリース)。だからTortoiseの功績は何かと訊ねられたら、僕はエレクトロニック・ミュージックのアーティストたちにリミックスを担当してもらうというクールなアイディアを実現したという点を挙げるだろうね。Steve Albiniにもリミックスを頼んだ。最初彼は「何を言っているんだ?」という感じだったね。彼は最も才能のあるレコーディングエンジニアで、テープエディットの神だ。彼はサンプラー以前の時代にいかにして優れたリミックスを行うかについて熟知していた。でも彼は、「リミックス? 何を言っているんだ? レコードはレコードで成り立っているじゃないか」と言ってきたから、僕は「違うんだ。21世紀はすぐそこなんだよ!」と返したんだ。

 

 

Brad Wood:僕はLounge AxでのTortoiseの最初のライブに参加した。

 

Doug McCombs:Lounge Axは1990年代、シカゴのすべてのアーティストにとって重要なヴェニューだった。MaxwellやCBGBほど伝説の存在ではなかったし、実際長くは続かなかったヴェニューだ。だが当時は全米ツアー中のバンドなら必ずそこでプレイした。彼らに400人規模のクラブでどこが好きか訊ねてみれば、Lounge Axと答えたよ。

 

Brad Wood:僕たちはLounge Axのロフトでリハーサルをした。僕がソプラノサックスとドラムをプレイした。ラインアップは流動的だったし、僕は重視なメンバーだと感じていなかったし、僕は自分のサックスとディレイペダルにみんなが合わせてくれているだけだと思っていた。だから僕が抜けた時、僕を含めた全員がほっとしたんだ。

 

Bundy K. Brown:Gang of Fourのカバーをプレイして、Johnny Herndonがヴォーカルを担当した。この時の映像が残っているから、YouTubeにいつかアップロードするぞとみんなを脅しているんだ。ちなみに「Paralysed」のカバーをプレイした。

 

 

David Wm. Sims:僕はTortoiseのデビューライブをLounge Axで見た。大抵の場合、バンドのデビューライブはあまり良くない。まぁこんなものかと寛大な気持ちで受け止めるものだ。でも彼らのライブは良かった。何回も言っているけれど、僕が今まで見たデビューライブの中でベストのものだった。

 

「ライブでは最初の3年間、自分たちが何をやっているのか、何をやりたいのか良く分かっていなかった」−Doug McCombs

Doug McCombs:初期のライブはベース2人、ドラム2人という編成で、最後の最後で何か一緒に演奏するようなスタイルだった。初期のライブは色々と変化があった。ベース2人、ドラム2人でやったライブから、1年後には同じ編成にシンセ、そしてテープや予め録音してあったドラムトラックなどを使うようになった。かなり変則的なバンドだったね。ライブでは最初の3年間、自分たちが何をやっているのか、何をやりたいのか良く分かっていなかった。

 

Bundy K. Brown:Tortoiseはツアーは行わずに、単発でライブをやっていた。Red Red Meatと共にマディソンやミルウォーキーでライブなど、要するにシカゴから車で行ける範囲内で週末だけライブをやっていた。ツアーには出なかった。なぜならDougとJohnnyが他のバンドで忙しかったからだ。1年目、JohnnyはPoster Childrenのツアーで半年間いなかったのを憶えているよ。彼が帰ってきた後で音楽の制作に取りかかり、誰かが「ライブやろうぜ」と言った。だがJohnnyは「半年ぶりに帰ってきたんだ。俺は嫌だね!」と返していたよ。

 

 

Sam Prekop:Tortoiseが自分の絵をアルバムカバーに使用した時のことを憶えているよ。僕はTortoiseがリハーサルをしていたロフトから1ブロック半位離れた場所に住んでいたから、DougかJohnが僕の絵を見かけて、カバーに起用しようと思ったんだろうね。

 

Bundy K. Brown:僕たちはSamの家の近所に住んでいて、彼とは友人だった。彼が展覧会を開催した時に、あの絵が飾られていた。僕たちは全員あの絵が気に入って、「これをカバーにしよう」と決めた。あの絵は僕たちの音楽とバイブスを物語っていると思う。

 

Sam Prekop:絵のデザインはDougの思いつきで色々変えられた。オリジナル盤はオレンジ系が茶色の紙バッグのような紙にシルクスクリーンで刷られたデザインで、リプレス盤は白とグリーンのデザインになっているが、当然僕はこの2枚の色使いに関してOKを出していない(笑)。オリジナル盤のデザインは実際の絵に近いけどね。当時の僕は線を使用した絵を描いていて、シンプルでグラフィックな、静かなイメージの作品を作っていた。控えめなカラーパターンとフラットな塗り方の作品をね。

 

Bundy K. Brown:Tortoiseという名前で活動しようと決めた時、フライヤーやステッカーで使うための亀の画像を集め始めた。2人の子供が亀の背中に乗っているイラストは、Johnnyが彼の友人の女性からもらったものだ。彼女はコラージュ作品を数多く手がけていて、Johnnyもビジュアルアーティストだから、2人のコラボレーション作品も多かった。彼女はああいうイラストを古い児童絵本などから見つけてくるのが上手かった。

 

Sam Prekop:今あの絵を誰が持っているか知っているよ。Peter Margasakだ。彼はChicago Readerの音楽評論家で、シーンを盛り上げてくれた重要な人物だ。彼があの絵を所有している。

 

Image courtesy of Peter Margasak

 

Bundy K. Brown:Tortoiseのデビューはまずまずだったと思う。ローカルバンドの中では比較的人気があった。

 

Sam Prekop:Thrill Jockey、Tortoise、The Sea and Cakeなどの周囲は盛り上がっている感じがあったし、どれもが有機的に結びついていた。当時はまだインターネットで音楽が変えられてしまう前だったから、ああいう形で有機的にすべてが絡まって盛り上がっていけたのはラッキーだったと思う。世間から注目を集めて、メディアで色々取り上げられていったのは本当に興奮したよ。

 

「Jim Derogatisがラジオ番組で僕たちについてレビューしているのを聞いた時、彼は「こいつらは偉そうだ」と批判していた。『ワオ!こいつ随分怒っているな!』と思ったよ」−Dan Bitney

Dan Bitney:Jim Derogatisが自分のラジオ番組でレビューしているのを聞いた時、彼は「こいつらは偉そうだ」と批判していた。「ワオ!こいつ随分怒っているな!」と思ったよ。でも、実は僕たちは彼からインタビューを受けていたことをあとから教えられた。僕は5回ほどしかインタビューを受けたことがなかったし、McEntireは基本的に何も話さないから、「こいつら最低だな」と思われて当然だった。僕たちは奇妙なバンドだったんだ。

 

John McEntire:最初のアルバムは色々な意味でその後のTortoiseの大枠を決めた。他の作品とは全然違う。本当にミニマルだ。クールなアルバムだが、僕はまだ基礎工事だと感じていた。僕にとってはその後で挑戦する音楽への伏線というべきアルバムだ。

 

Doug McCombs:Millions Now Living Will Never Die』はもっと面白い作品だと思う。ファーストアルバムの方が実験的で、自分たちがやりたいことを試して、形にしようとしていた。『Millions…』はあまり考えずに、とにかく「アイディアを上手くまとめて、個々のアイディアよりも優れた何かにしよう」としていた。そこを可能な限り突き詰めたんだ。

 

タイトル写真 Tortoise(1994) - 左から右: Brad Wood、John Herndon、Doug McCombs、Bundy K. Brown、John McEntire、Dan Bitney