四月 26

Instrumental Instruments:Vocoder

ミュージシャンだけではなく政治家も使用した "ロボットボイス" は現代人の日常生活でも使用されている。1920年代に生まれたテクノロジーの奇妙な歴史を振り返る

By Sophie Weiner

 

ヴォコーダー(Vocoder)とはどんなサウンドか? 1920年代に音声圧縮技術として生まれたこの機材は、何よりも先にあるひとつの時代と音楽を想起させる。1970年代後半のエレクトロニック&ファンクだ。しかし、ほとんどの人が気付いていないが、実は、我々はほぼ毎日ヴォコーダーサウンドを耳にしている。Electronic Light Orchestra「Mr. Blue Sky」や、Jonzun Crew「Pac Jam」のような初期ヒップホップレコードをこの世に送り出したこのテクノロジーは、地球上に存在する全ての携帯電話で使用されている。ヴォコーダーは、トーキングモジュレーター(トークボックス)やAuto-Tuneと混同されることが多いが、現在、このテクノロジーの優秀な子孫たちは我々の周りに偏在しているのだ。

 

しかし、このテクノロジーはモバイル通信の進化以上のことを成し遂げてきた。このテクノロジーを生み出した20世紀初頭の実験からKanye Westまでの間に、ヴォコーダーは第2次世界大戦で暗号ツールとして重用された他、人工内耳の誕生も促しており、我々を、かつてヴォコーダーを使って真似していたあの “サイボーグ” へと変えている。

 

全ては圧縮技術として始まった。Alexander Graham Bellが電話を発明した1876年、この発明品が使用する周波数帯域は非常に狭かったため、人間の声はほんの一部しか電話線を通過できなかった - 当時の電話では、叫ばなければ相手に自分の声を伝えることができなかった。そしてそれから数十年が経過するとテクノロジーが改良され、ほぼ全帯域を送信することが可能になったため、受話器の向こうにオリジナルの音声をほぼ完全な形で届けられるようになった。こうして、1920年代に電話は爆発的な勢いで普及した。

 

この頃、大西洋の海底にケーブルを引いて北米ーヨーロッパ間の通話を実現しようというアイディアが生まれたが、大陸間を結ぶにも関わらず、その海底ケーブルは数回線分しか対応できないことが判明した。そこで、この一大プロジェクトの実用化を図るために、科学者たちは電話線になるべく多くの回線を入れ込む方法を模索する必要に迫られた。

 

 

幸運なことに、Homer Dudleyという名の科学者がその数年前から発話をコンポーネントに圧縮する実験に取り組んでいた。Dudleyは、電話機の製造元として知られ、のちに通信テクノロジーに革新を起こすことになるあの有名なベル研究所の研究員だった。

 

ある日、読唇術の大会を観たDudleyは、人間が発話経由で得ている情報の大半は、音声が聞こえなくても理解できることを理解した。ニューヨーク大学スタイハルト校メディア・カルチャー・コミュニケーション学部の准教授で、障害者用テクノロジーの研究をしているMara Millsは次のように説明する。「Dudleyは『発話のパラメーターを解明して、それを電話線で送信できれば、使用する周波数帯域を大幅に節約できる』と思ったんです。AT&Tの書庫に残されているDudleyの研究日誌を読めば、1920年代後半に彼が人間の声の周波数帯域を圧縮することに興味を持っていたことが理解できます」

 

 

 

"人工喉頭テクノロジーに触発されたDudleyは、コード化されたサンプルを人間の声に近づけて発音するシンセサイザーを開発した"

 

 

 

1928年、Dudleyは “Voice Coder(ヴォイス・コーダー)”、略して "ヴォコーダー" と名付けた、発話を分析してコンポーネントに分け、音声ではなくコードを電話線経由で送信し、受信側に届いたコードがオリジナルの発話を再現するというテクノロジーの開発をスタートさせた。

 

Voice Coderは、人間の発話の波形を10種類の周波数帯に分解したあと、各周波数帯を毎秒数回レベルのスピードでサンプリングし、オリジナルの波形よりも省スペースを実現するコードを生み出せた。また、人工喉頭テクノロジーに触発されたDudleyは、このコード化されたサンプルを人間の声に近づけて発音するシンセサイザーも開発した。この2つのテクノロジーが、我々が知っているヴォコーダーになった。

 

当時のヴォコーダーサウンドは魅力的という言葉からはほど遠く、人間の声とは完全に異なっていた。Dudleyは人間の声の “音程” を考慮するのを忘れていたのだ。Millsは「ヴォコーダーは長年に渡り、ピッチに大きな問題を抱えていました。実際、第2次世界大戦が始まるまで実用化に向けた動きは止まっていました。なぜなら、あまりにも気に障るサウンドだったからです。電話利用者が望まないものでした」と説明している。

 

ヴォコーダーを無味乾燥なロボットアクセントにしていたもうひとつの原因は、サンプルレートにあった。現在のCDのサンプルレートは44,000回/秒なのに対し、Dudleyのヴォコーダーのサンプルレートは50回/秒以下だった。ヴォコーダーはローファイ以下の存在だったのだ。

 

 

この一連の実験中に、Dudleyはもうひとつの機材、Voder(ヴォーダー)の開発にも成功した。

 

『How To Wreck A Nice Beach: The Vocoder from World War II to Hip-Hop』の著者Dave Tompkinsが「Voderは手動のトーキングマシンでした」としているその奇妙なトーキングキーボードは、1939年にニューヨーク・クイーンズで開催された世界博覧会で初公開された。

 

Tompkinsは「Voderは電話交換手が “演奏” していました。キーボードとフットペダルを使えば子音と母音を発声できました。また、ピッチモジュレーター的な機能も備わっていました」と続けている。結果、Voderは奇妙な存在として扱われた。Dudleyが発明したヴォコーダーとVoderは、共に実用性が低いと見なされていたのだった。しかし、この評価は国際社会で変わることになる。

 

第2次世界大戦は通信に新たな問題をもたらした。テクノロジーが第1次大戦時から飛躍的に進歩していたため、連合国は各種報告を安全に送信する方法を確立する必要に追われていた。

 

ヨーク大学で数学を教える准教授で『Secret History: The Story of Cryptology』の著者Craig Bauerは「軍はすでに音声暗号化テクノロジーを開発していましたが、そのクオリティはお粗末なものでした」と語る。

 

第2次世界大戦開戦時、フランクリン・ルーズベルト米大統領やウィンストン・チャーチル英首相をはじめとする連合国のリーダーたちは、A-3 Scramblerと呼ばれるツールを使って連絡を取り合っていた。このツールについてBauerは「安全性はゼロでした。ドイツ軍が解読に成功し、傍受していました」と続けている。

 

専門家たちの間で "Unbreakable Speech(アンブレイカブル・スピーチ / 解読不可能な発話)"と呼ばれていた、より高度な暗号化テクノロジーの捜索が始まった。

 

 

米国国防研究委員会が暗号通信手段の候補としてヴォコーダーのテストを始めると、部分的に利用できることが判明したため、1940年代前半、彼らはベル研究所に安全な長距離通信を可能にするヴォコーダー用巨大端末の開発を命じた。この開発プロジェクトにはSIGSALYというコードネームが与えられ、1943年にドワイト・D・アイゼンハワー連合国軍最高司令官(ヨーロッパ圏内)とチャーチル英首相の間で初の通信が記録された。

 

SIGSALYに "Unbreakable Speech" をもたらしたテクノロジーは非常に複雑なもので、特殊なヴァイナルから生み出されるランダムノイズがヴォコーダーの通信に重ねられていた。

 

Bauerは「簡単に言えば、ヴァイナルはデジタル化された発話にランダム値を加えていたのです。受信側でこのランダム値が取り除かれ、オリジナルの発話が再現されるという仕組みでした」と説明している。SIGSALYの各端末に置かれていた2台のターンテーブルで再生されていたヴァイナルは、受信側端末の2台のターンテーブルに置かれていたヴァイナルと完全に同期して再生される必要があった。

 

同期を実現するために、そのターンテーブルにはクオーツを使用した正確なクロックが組み込まれていた。また、2枚のヴァイナルは暗号解読を防ぐために通信毎に新しいものに交換されていた。ヴァイナルは1枚ずつ再生され、1枚が終わると、そのままスムースにもう1枚が再生されていた。ヴァイナルだけを聴こうとすると、テレビの空きチャンネルのようなホワイトノイズしか耳に入ってこなかった。

 

最終的にSIGSALYは12台製造され、ダウニング街9番地のチャーチル英首相の防空壕(隣のダウニング街10番地は現在も使用されている英国首相官邸)、ペンタゴン(米国国防総省)、日本、アルジェリアなどを含む世界各国に配置された。

 

SIGSALYにはProject XやGreen Hornetなど、コミックブック的なクールな名前が色々と付けられたが、現実を言えば、非常に大きくて厄介な代物だった。端末全体の大きさは米国郊外で良く見かける一軒家ほどもあり、重量は数千トンもあった。また、非常に高額で、当時で1台100万ドル、現在のレートで1,300万ドル(約14億3,000万円)もした。しかも、非常に高温になるため、熱だれを防ぐために巨大なエアコンを用意する必要もあり、さらに言えば、通信そのものクオリティはDudleyのオリジナルを超えていなかった。依然としてサンプルレートは50回/秒だったため、SIGSALYを通した各国要人の声はダフィー・ダックのようだった。

 

「音程がとにかく不安定で、また高音に偏りがちでしたので、司令官や指導者のような男気を売りにしていた上層部は大いに不満を感じていました。SIGSALYを通した自分たちの声が “女性的すぎる” と感じていたのです」とTompkinsは説明している。

 

この結果、彼らのプライドを守るためにいくつかの調整が加えられたが、Bauerは、上層部のそのような意見はあくまで副次的なものだったとし、彼らがSIGSALYに求めていた主目的とは違ったとしている。「SIGSALYの開発において、彼らは微妙なニュアンスやトーンを捉えることに興味を持っていませんでした。受信側が内容を理解できればそれで良かったんです。解像度がさらに低かったとしても、問題はなかったでしょう」

 

 

 

Meyer-Epplerは、ヴォコーダーにエレクトロニック・ミュージックの未来を見出した最初のひとりでした

Dave Tompkins

 

 

 

第2次世界大戦が終戦を迎えると、SIGSALYは維持が難しいという理由から全端末が解体された。こうして、戦争におけるヴォコーダーの歴史は終わった。しかし、音楽とエンターテインメントにおける歴史は始まったばかりだった。

 

戦後、軍事目的のために開発された数多くのツールが別の使用方法を与えられることになった。そして、ヴォコーダーの “従兄弟” たちも世の中に浸透していった。1940年代後半から1950年代にかけて、ヴォコーダーサウンドはエンターテインメント業界で使用されるようになった。Tompkinsは「映画『ダンボ』の機関車の声が最も有名です(編注:下の動画の後半)。また、映画『失われた心』でジョーン・クロフォードを悩ませる声としても使用されました」と説明している。

 

 

1950年代に入ると、SennheiserやSiemensのような電機メーカーがDudleyの発明品やSIGSALYよりも高機能なエレクトロニック・ヴォコーダーを開発したが、それでもまだその声は抑揚のないロボットボイスだった。やがて、このような実験的な機材のサウンドを録音したデモテープが出回るようになり、Kraftwerkを結成するFlorian Schneiderのようなミュージシャンたちの手にも渡った。

 

この頃、ドイツ・ボン大学の科学者Werner Meyer-Epplerがエレクトロニック・ミュージックの可能性について研究を重ねていた。Tompkinsは「Meyer-Epplerは終戦直後にHomer Dudleyと面会してヴォコーダーに関する情報交換を行いました。Meyer-Epplerは、ヴォコーダーにエレクトロニック・ミュージックの未来を見出した最初のひとりでした」と語る。1949年にドイツ・デトモルトで行われた有名なスピーチで、Meyer-Epplerは自分のヴィジョンを世間に広めようとした。Tompkinsが続ける。

 

「Meyer-Epplerは、電気式喉頭を使用した録音物とヴォコーダーを使った録音物を流しました。また、Homer Dudleyがヴォコーダーで “How Dry I am” と “Suzy Sells Seashells” を演奏した録音物も流しました」

 

当時、Meyer-Epplerに師事していた、エクスペリメンタル・エレクトロニック・ミュージックのパイオニアKarlheinz Stockhausenもその録音物に刺激を受けたひとりだった。こうして、Meyer-Epplerたちによって未来の楽器として紹介されたヴォコーダーは、先進的な考えを持つ作曲家たちの作品の中で使用されるようになった。

 

 

 

我々はピアノやチューバなどの楽器のサウンドと人間の声の両方に慣れていますが、両者は大きく異なります。その大きく異なる2つのサウンドを非常に珍しい形で組み合わせていたので、ヴォコーダーは世間から注目されたのです

Mark Jenkins

 

 

 

1960年代に入る頃には、ヴォコーダーはそのポテンシャルの高さを見せるようになっていた。Wendy Carlosが映画『時計仕掛けのオレンジ』のサウンドトラックで使用したヴォコーダーサウンドは、楽器としてのヴォコーダーをブレイクさせるきっかけとなった。「Wendy CarlosがBeethovenをヴォコーダーで再現した『時計仕掛けのオレンジの』サウンドトラックはひとつの大きなきっかけでした」とTompkinsは説明している。Wendy Carlosは映画『シャイニング』のアウトテイクにもヴォコーダーを使用し、Kraftwerkは初期ライブのイントロとしてWendy Carlosの楽曲を使用した。

 

ヴォコーダーと宇宙が結びつけられるようになったのもこの頃で、ドイツのテレビ番組『Raumpatrouille』がロケット発射のカウントダウンの声にヴォコーダーを使用した。また、英国のシンセメーカーENSがラジオ用サウンドエフェクト制作を担っていたBBC Radiophonic Workshopに高価で巨大なヴォコーダー1台を提供し、Radiophonic WorkshopのメンバーだったMalcolm Clarkeがレイ・ブラッドベリの著作『火星年代記』の一部を用いたラジオドラマ『There Will Be Soft Rains』にそのヴォコーダーを起用した。

 

このラジオドラマのストーリーの中心には、核戦争による大量殺戮の中を生き残るコンピューター化された家が据えられていた。Tompkinsが「この家は支払期限や天気予報を自動音声で教えてくれるんですが、住民が核爆発に巻き込まれて死んだあとも、勝手に朝食を用意するんです」と説明する、その不気味なほど冷静な “スマートハウス” の自動音声に使われたのがヴォコーダーだった。

 

 

 

1975年、Kraftwerkがアルバム『Autobahn』をリリースしたことできっかけで、ポップミュージックの世界でヴォコーダーが使用される最初の時代が始まった。

 

英国のエレクトロニック・ミュージシャンで『Analog Synthesizers』の著者Mark Jenkinsは「当時のKraftwerkは人気が出始めた頃でしたが、それでもまだ彼らの生活は楽ではありませんでした。そこで、ヴォコーダーを自作してもらえないかと電話関係のエンジニアに話を持ちかけたんです」と説明し、次のように続ける。「ですので、彼らが手に入れたヴォコーダーはかなり手を加えられているカスタムモデルでした。2つの巨大な金属製ボックスに入っていて、中には大量のサーキットボードが組み込まれていました。あのサウンドがその後の20年のヴォコーダーサウンドのスタンダードになったんです」

 

Kraftwerkのユニークなヴォコーダーサウンドとテクノロジーへの拘りが世間から注目を集めた。

 

Jenkinsは「ヴォコーダーは非常に魅力的で他にはないサウンドを生み出します。我々はピアノやチューバなどの楽器のサウンドと人間の声の両方に慣れていますが、両者は大きく異なります。その大きく異なる2つのサウンドを非常に珍しい形で組み合わせていたので、ヴォコーダーは世間から注目されたのです」と続けている。

 

その世間からの注目が、ヴォコーダーを使用していた数々のポップソングのヒットへ繋がった。1977年のElectric Light Orchestra「Mr. Blue Sky」がそのひとつだ。また、ディスコレジェンドGiorgio Moroderも1975年のアルバム『Einzelgänger』と1977年のアルバム『From Here To Eternity』でヴォコーダーを多用して、1980年代のヒップホップ&ハウスシーンにおけるヴォコーダーの土台を築いた。完全に新しい方法でターンテーブルを使用することになるヒップホップとハウスのDJたちはMoroderのヴァイナルを好んでプレイした。

 

 

また、様々なミュージシャンたちがこの新しい楽器を使って興味深いエフェクトも生み出すようになった。

 

Jenkinsは「Klaus Schulzeのようなドイツ人ミュージシャンたちがヴォコーダーをパッドのように使い始めました。リスナーは “人間の声が使われている” ことはなんとなく分かるのですが、具体的に何を言っているのかは分かりませんでした。逆に、日本のYellow Magic Orchestraや、Totoをはじめとする米国のヘヴィロックやプログレッシブロックのバンドは、言葉がより明確に聴けるように試行錯誤していました」としている。

 

このようにヴォコーダーの人気は高まっていたが、当時はまだ非常に高価で、手に入れるのは難しかった。初期ヒップホップ&ハウスに影響を与えた作品群を生み出したMoroderやHerbie Hancockなどのアーティストは、若手アーティストならまず手が出ない高額のテクノロジーを使っていた。たとえば、Sennheiser製のヴォコーダーは当時1万ドル(現在のレートで約500万円)以上もした。この経済的バリアがあったために、ヒップホップ最初期に使われたヴォコーダーサウンドは、全てがヴァイナルからのサンプルだった。

 

1970年代は、Sly Stone、Peter Frampton、Roger Troutman(Zapp)などのアーティストがビニールホースを口にくわえて演奏するトーキングモジュレーターを起用した時代でもあった。ヴォコーダーと同様、トーキングモジュレーターも人間の声を加工することが可能で、トーキングモジュレーターを接続した楽器がまるで話しているようなサウンドを生み出せた。リスナーがヴォコーダーとトーキングモジュレーターを区別するのは難しかったため、この2つは混ざり合いながら後発のミュージシャンたちに影響を与えることになった。

 

1970年代末には、Afrika Bambaataaのようなヒップホップのパイオニアたちが、トーキングモジュレーターとヴォコーダーが使われているMoroderやKraftwerkなどのヴァイナルをDJセットに組み込むようになっていた。このようなヴァイナルは、Sly StoneやParliament / Funkadelicのようなアーティストたちのレガシーを引き継いだアフロフューチャーヒップホップに影響を与えた。

 

 

The Jonzun Crewとして初期ヒップホップシーンで活躍し、ヴォコーダーを初めてメインストリームに持ち込んだ人物のひとりとして知られるMichael Jonzunは「相当な金額を払って最初の1台を手に入れた。ヴォコーダーとシンセサイザーを手に入れるために全財産を払ったことを覚えているよ」と振り返っている。

 

NASAのケネディ宇宙センターがあるフロリダ州ケープ・カナベラルの近くで育ったあと、ボストンのロックスベリーに移り住んだJonzunは以前から宇宙に惹かれていた。彼が初めて耳にした「変わった声」は、人工喉頭を使っていた隣人の声だった。Jonzunが続ける。「最初は怖いと思ったね。でも、人工喉頭の声だというのが分かったあとはクールだと思ったよ。宇宙人みたいな声だったからさ」

 

やがて、Jonzunは、ボストンに長期滞在していたSun Raのサウンドテクニシャンを担当した関係でアフロフューチャリズムに出会った。そして、「Pac Jam」をはじめとするヴォコーダーを使用した彼のトラックの人気が出始めると、世間は彼を “Spaceman” と呼ぶようになった。Jonzunは「ヴォコーダーが俺の未来的な部分を全部引き出してくれたんだ。魔法のような機材だったよ。自分のクリエイティビティに欠けていた部分を埋めてくれたんだ。自分の一部だと感じることができた」と語る。

  

  

 

1970年代後半に入ると、安価なシンセサイザーが大量生産されるようになったことからヴォコーダーの価格も一気に下落した。1978年にリリースされたKORG VC-10は約500ドル(日本の販売価格:15万5,000円)だった。Jenkinsは「この頃になるとあらゆるミュージシャンが買えるようになっていた」と振り返っている。

 

1980年代前半も、ファンクとヒップホップシーンのテクノロジーと宇宙への興味は続いた。Afrika Bambaataa、Jonzun、グラフィティアーティスト / ミュージシャンのRammellzee、Newcleus、Warp 9、X-Clanは宇宙服のような未来的な衣装を好み、そこにアフリカの民族衣装を組み合わせながら、自分たちの音楽に宇宙論的なテーマを持ち込んだ。このような彼らの姿勢を表現するもうひとつの方法が、ヴォコーダーを使った自分たちの声の加工だった。

 

「ヴォコーダーは人間の声を肉体から切り離しました。ヒップホップは社会の隅に追いやられていた人たち、社会から "切り離されていた" 人たちから生まれた音楽です。彼らの声は抑圧されていました。ですので、ヴォコーダーで新しい声を手に入れ、それを自分たちの声としていたのです」

 

ヴォコーダーのサウンドは非常に特徴的だったため流行と衰退を同時に味わうことになった。1980年代後半、Run-DMCがヴォコーダーとファンク的アプローチのサウンドを否定して荒削りなサウンドを打ち出し、のちのギャングスタラップの原型を作り出した。しかし、そのギャングスタラップが一大現象に成長していた1990年代前半、ウェストサイドのDr. Dre & Tupac「California Love」がトーキングモジュレーターを復活させた。このトラックに参加していたZappのRoger Troutmanは映画『マッドマックス』を模したミュージックビデオにも出演し、自分たちの音楽に再びスポットライトを当てることに成功した。

 

 

1990年代中頃に入ると、ヴォコーダーのテクノロジーは誕生した70年前から飛躍的な進歩を遂げており、もはや誰にも気付かれることなく使うことも可能になっていた。Mara Millsは「サンプルレートが高いヴォコーダーはオリジナルのサウンドを再現できます」としている。

 

携帯電話の声は全てヴォコーダーに似た音声分析・合成テクノロジーを経由している。今我々が携帯電話経由で聞いている声は、オリジナルの声ではなく、超小型シンセサイザーがコードを元に再現した人工音声なのだ。

 

ヴォコーダーから生まれたテクノロジーを使ってサウンドを伝達しているコミュニケーションテクノロジーはこれだけではない。他にも無数に存在する。Millsが続ける。「デジタルメディアの大半が音声分析・合成テクノロジーを使用しています。現在は多種多様なヴォコーダーが存在するのです。Channel Vocoder、Voice-Excited Vocoder、Linear Predictive Vocoderなどが存在します。ヴォコーダーは1個のテクノロジーではなく、1セットのテクノロジーなのです」

 

また、テクノロジーは人工内耳の進歩も可能にしており、使用者は以前よりも音を聞き逃さないようになっている。Millsは「人工内耳の問題は、内耳に送れるチャンネル数に限りがあることです。最初期の人工内耳は1チャンネルしかありませんでした。ですので、彼らが人工内耳を通して得る情報量は、健常者の内耳が得る情報量よりも大幅に少なかったのです」としている。当然、現在の人工内耳のクオリティは当時よりも飛躍的に進歩しているが、それでも初期ヴォコーダーが抱えていたものと同じ問題をいくつか抱えている。

 

Millsが続ける。「人工内耳の使用者は、初めて使用した時に聞こえるサウンドが非常に金属的・ロボット的だと言っています。使用者は時間をかけてそのサウンドに慣れていく必要があるのです。人工内耳を使用する前は普通に耳が聞こえていた人は、特にそう感じるようです」

 

一方、楽器としてのヴォコーダーはユビキタス化している。現在は数百ドルも出せば優れたヴォコーダーサウンドを得られる。最近のキーボードにはヴォコーダー機能を最初から備えている製品が多く、LogicやCubaseのようなソフトウェアにもヴォコーダー的エフェクトが用意されている。

 

 

Homer Dudleyが人間の声を合成し始めた時、彼の発明品は技術力の結晶だった。彼のヴォコーダーが放ったのは人間の声からはほど遠いノイズだったが、それは未来のサウンドだった。

 

レイ・ブラッドベリの “スマートハウス” やWendy Carlosの『時計仕掛けのオレンジ』のサウンドトラックで表現されていたように、長年に渡りヴォコーダーのロボットボイスは人智を超えたものを示してきた。しかし、現在の我々は、人智を超えたものをヴォコーダーではなく、PC Musicの音楽のような煌びやかでオーバープロデュースされたサウンドと結びつけるようになっている。

 

人工知能の脅威は “パーフェクト” という単語に紐付けられており、不明瞭で抑揚のないロボットボイスには紐付けられていない。そして、テクノロジーの高度化はテクノロジーの透明化を意味している。先述した通り、携帯電話の向こうで聞こえている声は、人間の声ではなくヴォコーダーによる合成音だ。現在のオリジナルヴォコーダーは、ヴァイナルと同じく、ノスタルジックな人間的温もりへのスローバックとして扱われている。

 

加工されたヴォーカル、携帯電話に残された聞き取りにくい録音メッセージ、ヒップホップトラックのサンプル、R&Bトラックのヴォコーダーを使ったフックを聴くと、我々は人間の不完全性に気付く。ヴォコーダーは完全に一周した。人間の声を完全再現するという大きな夢から始まり、暗号化に使われた時代を経た今のヴォコーダーは、逆に我々が人間であることを再確認する手段となっている。

 

 

All Images:©RBMA