三月 07

マルディグラ・インディアンのヴィジュアル&サウンド

世界的に有名なニューオーリンズのカーニバルをカラフルに支えてきたグループの音楽と衣装の歴史と魅力に迫る

By Alison Fensterstock

 

1969年は、Quint Davisのようなホワイトの大学生がニューオーリンズのブラックエリアのバーに出入りするのはまだ珍しい時代だった。

 

1964年に公民権法が成立する前は、Ray CharlesやDuke Ellingtonのようなアーティストが定期的に演奏していたDew Drop Innのようなニューオーリンズの人気ヴェニューでは、「交流していた」という理由でホワイトとブラックの音楽ファンが頻繁に逮捕されていた。

 

そのDew Drop Innからさほど離れていない場所にBarrows and Sons Loungeというバーがあり、ある晩、ここでDavisはマルディグラ・インディアンたち(Mardi Gras Indians)が気楽にジャムセッションをしている姿を見かけた。Davisは、カラフルな羽根があしらわれ、大量のビーズが複雑なパターンで縫い込まれている彼らの派手な衣装のことは前から知っていたが、この時の彼を驚かせたのは彼らのサウンドだった。

 

手に持ったベルやドラムを荒々しく鳴らしながらシャウトし、チャントする彼らに魅了されたDavisは、クレッセント・シティ(※1)のストリートから生まれたそのユニークなサウンドを記録することにした。

 

※1:Crescent City:ニューオーリンズの通称。市が三日月のような形をしていることに起因する。市警の紋章にも三日月があしらわれている。

 

 

Leonard Brooks(2013年3月19日:聖ヨセフの夜 / ニューオーリンズ)

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

マルディグラ・インディアンの存在について最初に触れた文章は、Elise Kirschという名前の作家が19世紀後半にニューオーリンズで過ごした幼少期を振り返る回顧録の中に見つけることができる。

 

1883年の “太った火曜日” の朝(作家Jason Berryが戦後のニューオーリンズの音楽を精査した著作に書かれている通り)、彼女は「インディアンの姿をした60人ほどのグループを見かけた。リーダー格の “チーフ” たちは、頭から背中まで七面鳥の羽根を付けていた」と記している。そのグループは彼女の自宅周辺を歌いながら走り回り、たまに立ち止まってはダンスをしていた。この日以来、彼女はマルディグラの朝が来るたびに、「インディアンが通り過ぎるのを待つようになった」。

 

マルディグラ・インディアンのその不思議な伝統は、ルイジアナ州南部の奴隷と、脱走した彼らをかくまっていたネイティブ・アメリカンの間に築かれた友好から来ている。解放された奴隷たちがかつてかくまってくれたネイティブ・アメリカンたちへの感謝の気持ちをネイティブ・アメリカンのカルチャーを想起させる衣装と音楽で表現すると、やがてそれがひとつの独立したカルチャーになったのだ。

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

TipitinaでパフォーマンスをするGolden Eaglesのメンバー(2016年1月13日 / ニューオーリンズ)

 

 

この表現は、1880年代にCreole Wild Westというグループをニューオーリンズで創設したBecate Batisteという人物まで遡ることができる。彼独自の表現は3世代に渡って彼の家族に引き継がれ、20世紀に入ると歴史家たちにも伝えられた。そして、さらにはYellow Pocahontas Mardi Gras Indiansの “ビッグ・チーフ”(※2)で、“チーフ・オブ・チーフス” と尊敬されていたAllison “Tootie” Montanaにも引き継がれた。

 

2005年、市議会側との折衝中に心臓発作に襲われてこの世を去ったMontanaは、マルディグラ・インディアンの代表として、聖ヨゼフの夜(St. Joseph’s Night)と呼ばれるキリスト教の祝日の夜に仮装して市内を練り歩く自分たちを危険な存在として見なしていたニューオーリンズ警察との関係改善に尽力した人物だった。

 

※2:マルディグラ・インディアンのトライブ / ギャングには序列が存在し、ビッグ・チーフと呼ばれる男性のリーダーとビッグ・クイーンと呼ばれる女性のリーダーが存在する。スパイ・ボーイは先行して他のトライブ / ギャングと遭遇しないか確認する斥候的な役割を担う。フラッグ・ボーイはスパイ・ボーイからの情報を旗で本隊に伝える。ワイルド・マンは本隊の先頭を歩き、本隊が問題なく通行できるようにする。

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

Kirschが記したように、マルディグラ・インディアンのグループ - “ギャング”、または “トライブ” と呼ばれる - は、英語で “トゥウェイ・ポッカウェイ / two-way-poc-a-way”、または “マデ・クーチ・フョ / ma-day-cootie-fiyo” と聴き取れる、フランス語、スペイン語、ネイティブ・アメリカン語のミックスと研究家たちが指摘する独特のサウンドやフレーズを歌ったり、叫んだりしながら、タンバリン、カウベル、ハンドドラムなど、手で持てる楽器を演奏していた。

 

Kirschが言うところの “背中まで届く七面鳥の羽根” は、時間の流れと共に、エプロン、すね、腕、胸などにビーズパッチが縫い付けられている非常に精巧な作りのスーツと色鮮やかに染め上げられた羽冠に代わった。

 

一部のギャングは、ネイティブ・アメリカンの衣装に直接インスパイアされたスーツを好み、彼らのカルチャーを描いたビーズパターンを縫い付けた。また、他のギャングは、複雑なテクニックを開発し、人工宝石が散りばめられていて、現代の生活や個人的な出来事を描いたビーズパッチもあしらわれていた非常にクリエイティブな3次元のビーズスーツを製作した。

 

個人的な出来事を描いたビーズパッチの代表例としては、がんとの戦いに勝利した自分を描いているGuardians of the Flameのビッグ・クイーン、Cherice Harrison-Nelsonのビーズパッチが挙げられる。このようなスーツは、マルディグラの朝日や聖ヨセフの夜の街灯の光に照らされて輝きを放つのに役立った。

 

 

Washington Avenueを練り歩くCreole Wild Westのメンバーたち

 

 

New Orleans Jazz & Heritage FestivalでパフォーマンスするFi Yi Yiのメンバー、Victor Harris(2013年5月2日 / ニューオーリンズ)

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

マルディグラ・インディアンのスーツの重量は着用者の体重とほぼ同じで、費用も1着数千ドルかかる。また、伝統に従い、インディアンひとりひとりが頭部の飾りからモカシンシューズまでを “太った火曜日” から次の “太った火曜日” までの1年で自作しなければならない。

 

ある頃から、ギャングたちは “スーパーサンデー” と呼ばれる日曜日をいくつか設定するようになった。スーパーサンデーは、既存のインディアンカレンダーに近い日程に用意される、春先の複数の日曜日の午後に開催されるイベントで、ギャングたちが地元として知られるアップタウン、ダウンタウン、ミシシッピー川西岸のストリートに集まる。

 

マルディグラの朝、聖ヨセフの夜、スーパーサンデーの午後を問わず、マルディグラ・インディアンのギャングたちのその奇妙で素晴らしく、ワイルドな美しさはこちらを驚かせ、魅了する。

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ) 

 

 

 New Orleans Jazz & Heritage FestivalでパフォーマンスするCreole Wild Westのメンバーたち(2016年4月26日 / ニューオーリンズ)

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

1969年の小さなバーに話を戻そう。Quint Davis(のちにNew Orleans Jazz & Heritage Festivalのディレクターとなる)は、マルディグラ・インディアンのパワフルなチャントと激しく打ち鳴らされるドラムの強度に魅了された。

 

そこで彼は、ビッグ・チーフのBo Dollisをシンガーとして招き、The MetersのドラマーZigaboo ModelisteとベーシストGeorge Frenchが生み出す骨太のニューオーリンズファンクの上にコール&レスポンスのチャントとアコースティックパーカッションを載せた、Dollisのオリジナルトラック「Handa Wanda」をレコーディングした。

 

自主リリースだったこのシングルがニューオーリンズで話題となると、Davisは次にDollisのギャング、Wild Magnoliasのメンバーをテュレーン大学に招き、キーボーディストのWillie Teeと彼が率いるファンクバンドGatursを組み合わせたライブを開催した。このコンビネーションはしびれるような音楽を生み出したため、Davisは、フランス人レコードプロデューサーがニューオーリンズサウンドを探し求めてやってきたタイミングでTeeをこのプロデューサーと組ませ、のちにインディアン・ファンク初のフルアルバムとして知られることになる作品を制作させた。

 

 

マルディグラ当日にDyrades Streetを練り歩くGolden Bladesのメンバー(2007年2月20日 / ニューオーリンズ) 

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

1974年にPolydor Recordsからリリースされたそのアルバム『The Wild Magnolias』は、DollisとWhite Eaglesのビッグ・チーフ、Monk Boudreauxをフィーチャーしており、ギタリストのSnooks Eaglin、コンガプレイヤーのAlfred “Uganda” Robertsなど、大量の熟練ローカルミュージシャンたちが彼らのバックを担当した。

 

ニューオーリンズのエナジーが詰まっていたこのアルバムは、セクシー&ナスティーなファンクグルーヴをマルディグラの朝にストリートで鳴らされていたタンバリン、ハンドドラム、ベルが際立たせていた。これらのパーカッションサウンドはニューオーリンズと米国が持つアフリカ・ラテン・カリブのルーツを示していた。

 

このアルバムがチャートを賑わすことはなかったが、数人の批評家たちを唸らせた(『Village Voice』誌のRobert Christgauは「私が聴いてきた中で最高に派手なパーティサウンド」と前向きな評価を下した)。それよりも重要だったのは、スーツを着たマルディグラ・インディアンの周囲に宝石を散りばめたデザインの非常に複雑なビーズパッチを起用したアートワークで、これは、マルディグラ・インディアンがどのような姿をしているのかを世界に初めて示すことになった。

 

翌年にリリースされたセカンドアルバム『They Call Us Wild』のアートワークは彼らの姿をさらに明らかにしていた。ライム、オレンジ、ラベンダーに輝く羽根、長い三つ編み、光り輝くビーズを身に纏ってインディアンたちが黒地をバックにして写っているそのアートワークは、まるでサイケデリックな夢を具現化したようだった。

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

A.L Davis Parkに集まったマルディグラ・インディアン(2018年3月25日:スーパーサンデー / ニューオーリンズ)

 

 

1950年代と1960年代前半は、Samuel Chartersのようなフィールドレコーディング・アーティストたちがマルディグラ・インディアンの姿を録音した一方で、ニューオーリンズのアーティストたちが自分たちの音楽をポップシーンに持ち込んでいた。そのような中で最も有名なのが、ジャンプブルースのSugar Boy CrawfordとガールグループのThe Dixie Cupsがそれぞれ取り組んだ「Iko Iko」だ。こうして、ニューオーリンズ住民でもひと目見られるかどうかだったローカルの間だけに伝わってきた聖なる特別な日 - ありふれた日常の中に隠されてきた最もラウドで最も鮮やかな都市伝説 - を世界が知ることになった。

 

1976年、The Neville Brothersが自分たちの叔父にあたるビッグ・チーフ Jolleyのトライブ、The Wild Tchoupitoulasへのトリビュートアルバムをリリースした。このアルバムにはポップ寄りの音楽が盛り込まれており、その中のひとつで、ダンスフロア向きの愉快なトラック「Hey Pocky A-Way」は、Art NevilleのバンドThe Metersと、そのタイトでファンキーなセンスによって “トゥウェイ・ポッカウェイ / two-way-poc-a-way” を再解釈したものだ。

 

しかし、何よりも重要だったのは、このアルバムには、マルディグラ・インディアンの伝統を真面目にトリビュートしているトラックが含まれているという点で、信仰的なトラック「Indian Red」では、「won’t bow down / 絶対に服従しない」という反骨心溢れるフレーズが繰り返されている。このフレーズは、トライブの集会の最後や、マルディグラ・インディアンの葬儀での葬送曲として使われている。

 

 

Charbonnet-Labat Funeral Homeで執り行われたYellow Jacketsのビッグ・クイーンBarbara Sparksの葬儀(2008年7月26日 / ニューオーリンズ)

 

 


細部まで拘り抜いて縫製された荘厳なスーツを纏っていたマルディグラ・インディアンたちは、やがてニューオーリーンズを表現するイメージの一部となった。彼らは、長年歌い継がれてきた「Indian Red」をサウンドトラックに起用したHBOのドラマ『Treme』のようなエンターテインメント作品群、ハリケーン・カトリーナ襲撃後の不屈の精神を象徴するシンボル、エキゾチック性を打ち出すニューオーリンズ観光キャンペーンのシンボルなどに起用されてきた。

 

これらに対応する形で、近年のマルディグラ・インディアンたちは伝統を保護しようと努力しており、たとえば、Cherice Harrison-Nelsonが母親のHerreastと組んでMardi Gras Indian Hall of Fame(マルディグラ・インディアン栄誉の殿堂)を創設している。

 

Mardi Gras Indian Hall of Fameは、毎年マルディグラ・インディアンに賞を与えながら、トライブの現状を確認したり、様々なパートナーと組んでファンや記録のためのガイドラインを用意したりしている。このような彼女たちの活動はマルディグラ・インディアンを被写体とした画像の利用規約制定に繋がっており、現在マルディグラ・インディアンたちは画像の権利を自分で所有できるようになっている。2011年には、弁護士のAshlye Keatonと組み、マルディグラ・インディアンのスーツを著作権保護対象として扱うかどうかの裁判で勝訴した。

 

 

Ashe Cultural Arts Centerで開催された『Year of the Wild Man: 17th Annual Mardi Gras Indian Hall of Fame Induction, Awards and Memorial Ceremony』でパフォーマンスをするCreole Wild Westのワイルド・マンVincent Carter(2015年8月9日 / ニューオーリンズ)

 

 

マルディグラ・インディアンの伝統の中で育ったアーティストたちは、自分たちが受けた影響を作品に落とし込んでいる。

 

1992年にジャズミュージシャンのDonald Harrison Jr.がアルバム『Indian Blues』をリリースしており、2018年には、次世代マルディグラ・インディアン・ファンクバンドCha Waのデビューアルバム『Spyboy』がグラミー賞にノミネートされた。尚、21世紀に伝統を持ち込んでいるアーティストはCha Waだけではない。79ers Gangや、Bo Dollisの息子が引き継いでいるThe Wild Magnoliasなどが、2010年代にアルバム群をリリースしている。

 

1世紀近く続いてきた伝統を歌い上げるDollisの魂溢れるバリトンヴォイスをQuint Davisがバーで聴けたのは運が良かったからで、その後のレコード制作も賭けだった。しかし、そのレコーディングから50年経った今、マルディグラ・インディアンのルックスとサウンドの魅力は世界中に広がっている。

 

 

家族連れでFreret Street Festivalへ向かうCha WaのメンバーJwan Boudreaux(2018年4月7日 / ニューオーリンズ)

 

 

 

All Images inc. Header:© Erika Goldring

8 Mar. 2019