十月 26

The Greatest Week in the History of Avant-Garde Jazz

RBMA PARIS 特集 PART2:アヴァンギャルドジャズ史上に燦然と輝く1969年のパリの1週間を紐解いていく。

By Britt Robson

 

1969年のパリ。若く才気に満ち溢れたジャズミュージシャンたちがこの地に集結した。わずか1週間の限られた時間に、彼らは一体どのようにして現代にも語り継がれる12枚ものアルバムを吹き込んだのか。Britt Robsonがその背景と経緯を紐解いていく。

 

1969年の春、Lester Bowieからカウチソファを買い上げた人物に世界中のジャズ・ファンは感謝せねばなるまい。感謝すべき対象は、カウチソファを買った人物だけではない。Bowieの椅子、ベッド、机を買った名もなき人たちすべてに感謝しよう。なぜなら、彼らの存在がなければアヴァンギャルド・ジャズ史上最も輝かしい1週間がこの地球上に訪れることは決してなかったかもしれないのだ。Bowieと活動を共にしたサキソフォニスト、Roscoe Mitchellは当時をこう振り返る。「Lesterは彼のバンドをヨーロッパに連れて行きたい一心で、彼の自宅にある家財道具一式を売り払っちまったんだ。彼はThe Chicago Defender(シカゴで発行されている地元紙)に『ミュージシャンの私財売ります』って広告を打ったのさ」

 

Mitchellも所属していたそのBowieのバンドは、当時「Art Ensemble」という名前で知られていた。パリのプロモーターは「Art Ensemble of Chicago」と、その出自を強調する名前に変えることを提案し、フランスでの歓迎ぶりに気を良くしていた彼らはそれを受け容れると、更にはシカゴ〜パリ間の渡航費も首尾よく確保できる運びとなった。「渡航費が確保できたと分かると、Lesterとその家族はさっそくPax Hotelのセーヌ川左岸沿いにある部屋を押さえたんだ」とMitchellは振り返り、更にこう続ける。「残りのバンドが宿泊場所としてあてがわれたのはパリ市内のMaison Blancheという名前で、要するに精神病院さ。その病院に勤務する医師のひとりがトランペットも自分でプレイするジャズファンだったので、我々が泊まれるように取り計らってくれたんだ」

 

 

 

Archie Sheppが奏でる烈しいテナーは、ベトコンの戦士たちの手に握られたマシンガンにも喩えられた

 

 

 

1969年の初夏、十分なギャラを稼いだArt Ensemble of Chicagoはパリから北に18km向かった場所にあるスタジオを借り上げ、2枚のアルバムを吹き込んだ。6月下旬に『A Jackson in Your House』が発売され、続く7月初旬には『People in Sorrow』が間髪入れずに発売された。8月になると、パリに新天地を求めたアメリカのジャズミュージシャンたちが続々と押し寄せることになるのだが、その時もArt Ensemble of Chicagoの面々は依然としてこのパリ近郊のスタジオに滞留していた。

 

Lester BowieとArt Ensemble of Chicagoに続いてパリへ辿り着くことになる一団は、パリへ向かう以前にはアルジェリアの首都アルジェに滞在していた。パリから南へ2600km離れたこの地で、このミュージシャンの一団は1週間かけて行われるPan African Cultural Festivalに参加していた。このフェスティバルには詩人、写真家、ミュージシャンなど様々な分野で活動するアーティストが31カ国から集まり、ブラックパンサー党のEldridge Cleaverやブラックパワー・ムーブメントのStokely Carmichaelといった活動家との交流を計っていた(当地にはアメリカ当局よりCIA諜報員も送り込まれており、こうした活動家の諜報監視活動はもとより、当時の冷戦構造の中でソビエト寄りと見られていたアルジェリア大統領Houari Boumediene氏の動向を探っていたという)。

 

このフェスティバルでのスターは、サキソフォニストのArchie Sheppだった。そのフェスティバルの気風と、彼のテナーが奏でる烈しいトーンは、あらかじめ誂えたかのようにぴったりとマッチしていた。折しもベトナム戦争が佳境を迎えていた当時、Sheppの奏でるテナーはベトコンの戦士たちの手に握られたマシンガンにも喩えられた。African Unityの運営委員会がSheppにこのフェスティバルへの出演オファーを依頼した際、SheppはドラマーのSunny Murray、ピアニストのDave Burrell、ベーシストのAlan Silva、そしてトロンボーニストのGrachan Moncur IIIといった同僚たちを同行させることを出演条件に提示し、そして他の同業ミュージシャンたちも、Shepp率いるバンドがこのフェスティバルに出演することを聞きつけると、こぞってはるばるアルジェまで駆けつけた。

 

 

フェスティバルは驚異的な成功を収め、音楽的には当時最先端のアフロアメリカンジャズと土着的なポリリズムとが不可分に結びつく、まさに「Pan African(=汎アフリカ)」というタイトルに相応しい内容となった。熱狂的なジャズファンだった写真家のJacques Biscegliaは、アルジェを舞台に繰り広げられたそんな一連のムーブメントに夢中になったひとりだ。Biscegliaはジャズとカルチャーを中心に取り扱う『Actuel』という雑誌のための素材撮影を担当していたが、『Actuel』誌はこのフェスティバルに先立つタイミングでレコードレーベルBYGのオーナーたちによって買収されたばかりだった。そしてBiscegliaは、自身もジャズドラムを嗜む、『Actuel』誌を創刊した編集者Claude Delclooと共に、BYGレーベルの2人のオーナー、Jean GeorgakarkosとJean-Luc Youngに対してある説得工作を行った。今回のアルジェでのフェスティバルに参加したミュージシャンたちの中の重要なキーパーソン数名をパリのレコーディングスタジオに招いて作品を録音し、まだ産声をあげて間もないBYGというレーベルを強烈に認知させようというのだ。

 

「Jacquesはレーベル首脳陣を説得し、今こそレーベルを成長させるべき絶好のチャンスだと説いた。そして、我々に契約を持ちかけてきたのさ」と振り返るAlan Silvaは、次のように続ける。「ArchieはすでにアメリカでImpulseとの契約下にあったんだが、そうした契約の重複を彼がどうクリアしたかについては私も知るところではない。ともあれ、Archieを含めた我々全員はBYGとの契約にサインしたのさ。私、Sonny Murray、Dave Burrellはもちろん、Andrew CyrilleもBYGと契約を交わしたはずさ。そして、互いのリーダーアルバムに追加のギャラ無しで客演することにも合意した。そんなわけで、私たちはそれぞれ自分のやりたいことができる環境が与えられたんだ。しかも、身の回りにはウマの合う腕利きのプレイヤーたちが揃っていた」

 

Pan African Cultural Festivalの閉幕からおよそ2週間後、パリは一躍ジャズプレイヤーたちにとっての音楽的なパラダイスへと変貌し、それはこの音楽に熱中するファンたちにとっても同じだった。Sheppのバックを務めていたプレイヤーたちをはじめ、アメリカからアルジェに渡って演奏したミュージシャンたち — Clifford Thornton(Silvaの証言によると、彼はアメリカからスイスに渡って暮らしていたそうだ)やLeroy Jones(当時アメリカからモロッコに移住していた)— もまたパリにこぞって集結し、Art Ensemble of ChicagoやピアニストBurton Greene(1969年初頭、一足先にパリへ活動の場を移していた)に合流した。

 

Mitchellは当時のパリの様子を興奮まじりに振り返る。「間違いなく、画期的な出来事だった。パリという街がこれほどコスモポリタン的な色彩を帯びたことはそれまでなかったはずさ。まさに世界中からミュージシャンが集まっていたんだ。当時のパリには最先端の設備を備えた施設もあったし、コンサートは市内のそこら中で開かれていた。パリは僕らの音楽を受け容れてくれていたし、自分が何をやりたいかというイマジネーション次第でどんなことだって可能だった」

 

「こうしたミュージシャンが集う場所の中で、特に重要だったのがAmerican Centerさ。あそこには練習できる部屋がいくつもあって、リハーサルも可能だった。コンサートが開催可能なシアタールームもあったね。だから、一日中いろんなミュージシャンたちが出入りしてコンサートの準備をしたり、レコーディングセッションをやったりしていたよ。当時は、セッションのための待ち合わせの時間さえ決めておけばOKだった。一日中American Centerに入り浸って、ときには夜通し過ごすこともあったね。いったんコーヒーとクロワッサンで休憩して、またセッションに戻るという繰り返しだった」

 

 

 

毎朝、でっかいパーティに出掛けていくような気分だったね。『さあ、今日は誰と一緒にレコーディングするんだ?』って具合でさ

— Dave Burrell、1998年

 

 

 

ピアニストのDave Burrellは2008年のインタビューで、当時についてこう振り返っている。「アルジェリアでの演奏を終えた俺たちは気分が最高潮に乗った状態が続いていたんだ。だから、パリは俺たちにとってメインディッシュの後のデザートのようなものだった。毎朝、でっかいパーティに出掛けていくような気分だったね。『さあ、今日は誰と一緒にレコーディングするんだ?』って具合でさ」

 

Silvaはこう語る。「ある意味、音楽の歴史上で最も長いレコーディングセッションだったとも言えるね。約1週間のあいだ、毎日のようにリハーサルセッションや反復セッション、レコーディングセッションが繰り広げられていた。それぞれ固有のアプローチを持っていたし、演奏したい自前の曲も持っていた。私がその時録音したアルバム『Luna Surfaces』に関して言えば、あの作品は私にとって初めて指揮を試みた作品で、指揮を通じてバンド全体に演奏させてみようというものだった。当時みんなが自由に使うことができた予算の潤沢ぶりは驚異的でさえあったね。BYGがシーン全体を支えていたんだ。私に言わせれば、BYGはクーデターを成し遂げたのさ。ジャズの本流を自認するアメリカのレーベル群は、私たちのような前衛的ジャズに対して尻込みするばかりだったからね」

 

BYGはこの時期の興奮によって熱に浮かされたような状態となり、彼らの音楽を強気に売り出し始めた。BYGは当初1969年10月にパリ市内でFestival Actuelを開催するために多額の投資を行ったが、当局の妨害によりパリの会場が使用できない事態となった。結局Festival Actuelはベルギーに舞台を移して開催されたが、BYGの損失はかなり大きなものだったと伝えられる。イベント自体はロック、ジャズ、その他様々なジャンルを横断する意欲的な内容で、Frank Zappa、Captain BeefheartそしてPink Floydといった当時のロック界の因習に捕らわれないアーティストたちと共にArt Ensembleをはじめとしたフリージャズの巨頭たちが同じステージに上がった。

 

 

 

この7日間においてレコーディングされた作品の数は、BYGのレーベルカタログ全体の実に2割にも及んだ

 

 

 

その意欲的な内容は別にして、Festival Actuelの商業的失敗はBYGにとって躓きの始まりでもあり、BYGレーベルは1973年までに破産に追い込まれてしまった。レーベルが持つカタログは廃盤と復刻が何回か繰り返され、そのたびに一部のマニアたちが争うように買い占める状況が続いたため、どの作品が入手可能かどうかを把握することはほぼ不可能に近かった。また、シーン黎明期のお気楽な寛容さが残した負の面と言うべきか、作品が復刻されてもミュージシャンたちに利益が正しく還元されることはなかった。ドラマーのSunny Murrayはそうした経験によって辛酸を舐めさせられ続けたため、BYGについてインタビューで話すだけでも500ユーロを要求してきた(今回の記事に彼のコメントが登場していないのは、そうした理由からだ)。しかし、彼らが残した音楽が持つ活気や一瞬の閃き、そしてほぼパーフェクトに近い革新的な共同作業のあり方は決して色褪せることはない。この7日間において実に12枚にも及ぶ作品が吹き込まれたが、その数はBYGのレーベルカタログ全体の2割強を占めている。BYGレーベルは1969年の8月以降もDon Cherryによる諸作品などを発表し、現代でも名盤とされる作品を何枚か残したが、それでも、この最初のビッグバン的な1週間に比べれば、そうした作品の存在感もやや霞んでしまうことは否めない。

 

「ただただ、驚かされるばかりだね」とRoscoe Mitchellは簡潔に言い放つ。「当時の作品を振り返って聴くたびに、そのセッションの内容の充実ぶりには心地よい驚きを覚えるよ。ありとあらゆる出自を持つ多彩なプレイヤーが集まっていたが、その音楽には調和と活き活きとした生命力が溢れているんだ。当代随一の名手たちと共に僕らはつるんでいたってわけさ… もし完全に音楽的に恵まれた環境ってやつがあるとすれば、1969年パリで過ごしたあの1週間がまさにそれだよ」

 

以下にリストアップしたのは、アルジェリアでのPan African Cultural Festival閉幕後の1969年8月11日から17日までの期間にBYGレーベルのためにパリで吹き込まれた作品群の一覧だ。

 

8月11日録音

 

Andrew Cyrille - 『What About?』

 

Cyrilleは1969年当時30歳。Cecil Taylorとの11年にもおよぶ活動もちょうど折り返し地点に差し掛かっていたこの時期に、彼はこの鋭敏でありながら驚くほど明快なパーカッション・ソロアルバムを録音した。前衛的なドラムを志す者にとっては、まさしくお手本となるべき作品で、5曲それぞれが少しづつ異なる個性を主張しており、アルバム表題曲冒頭のメトロノームのごとく正確な演奏には鼓笛隊に原点を持つCyrilleのルーツがにじみ出ている。続く「From Whence I Came」では更に強調されたタムとヴォーカルが存在感を主張する一方、「Rhythmical Space」ではさまざまな質感を含んだ多彩なシンバルの音色を楽しめる。また、「Rims and Things」はそのタイトル通りで、ドラムスキン部分を叩きつけるサウンドが強調されており、ラストの「Pioneering」はCyrilleのドラムに加え、ホイッスルがビートに色彩を添える。Cyrillはこの作品を発表した後もMilford Graves、Rashied Ali、そしてDon MoyeやKenny Clarkeと共にパーカッション・アルバムを多数制作することになるが、冷淡さを回避した、どこか暖かな印象を与える彼の軽快で素早いタッチによってまとめられているこのアルバムは、彼のカタログの中でも燦然とした輝きを放っている。

 

Grachan Moncur III - 『New Africa』

 

 

 

Grachan Moncur IIIは1960年代初頭ハードバップ期におけるBlue Noteの中心人物のひとりでありながら、それ以前にはRay CharlesといったR&Bアーティストの作品にも参加していた経歴を持つ融通無碍なトロンボーン奏者だ。彼のその経歴を踏まえれば、アフロセントリックなヴァイブが横溢した17分にもおよぶ表題曲から、MoncurとRoscoe Mitchellを引き立てながらもArchie Sheppがハードなブロウを聴かせる「When」でのColtrane調の演奏まで、Moncurがこのアルバムでメランコリーとモーダルの間を軽やかに興味深い形で行き来する様子は決して意外なものではないだろう。「Explorations」では色彩豊かで徐々に密度を増していく音のスプレーが往時のフリージャズの雰囲気を存分に伝えている。Cecil Taylorのリズム隊を務めるAndrew Cyrill(ドラム)とAlan Silva(ベース)、そこにDave Burrell(ピアノ)を加えたアンサンブルがアルバム全体を根幹からしっかりと支えている。

 

8月12日録音

 

Archie Shepp - 『Yasmina, A Black Woman』

 

 

この3曲には興奮が詰まっている。アルジェでの熱演冷めやらぬうちに録音された20分にもおよぶアフロセントリック調の表題曲では、NYの扇動的リーダーにしてColtraneフォロワーの筆頭であるSheppとArt Ensemble of Chicagoの4人のメンバー、それに名高いビバッパーとして尊敬を集めるPhilly Joe Jones、独創性に満ちたフリージャズ・ドラマーSunny Murrayを含む複数のパーカッショニストがめくるめく熱演を繰り広げている。Roscoe Mitchellが吹くピッコロの音色が高域でやたら鋭く冷徹に響くなど、録音のミックス状態は荒々しいが、アフリカ的な定型にはまった演奏というよりも、むしろ純粋な熱意が感じられる作品だ。それにしても、Sheppによる白熱したテナーとArt Taylorのリズム・ログを含む11ピースのアンサンブルによる表情の豊かさはまさに白眉としか言いようがない。

 

他の2つの収録曲もまた、Shepp自身の中に息づくジャズの伝統(これはSheppについてときに過小評価されている点でもある)を反映している。「Sonny’s Back」はそのタイトルからも想像できる通りクインテット編成で録音したテナー奏者Sonny Rollinsへのトリビュートで、SheppとBlue NoteのハードバッパーHank Mobleyが各自のスタイルをむき出しにして丁々発止でやり合う中、Art EnsembleのMalachi Favorsがストレートで力強いベースを淡々と演奏している。アルバムを締めくくる「Body and Soul」でのSheppは、まるでBen Websterが憑依したかのようなスタイルでクラシックなバラードをこなしている。

 

Art Ensemble of Chicago - 『Message to Our Folks』 /『Reece and the Smooth Ones』

 

 

 

この8月の1週間、BYGのために行われた各セッションではArt Ensemble of Chicagoのメンバーがそれぞれ様々な形で客演しているが、同時に彼らはまったく異なる性格を持つ2枚のアルバムをたった1日で吹き込んだ。そのうちの1枚、『Message to Our Folks』は心底リラックスした作品で、ときに熱のこもったところを見せたかと思えば急にふざけたり、ふざけ合いながらも深刻な演奏をしたりと、まさにArt Ensemble of Chicagoならではの瞬発力と諧謔性に満ちた作品と言え、とりわけパーカッショニストのPhillip WilsonとFamoudou Don Moyeがそこら中にビートをまき散らす様は白眉ものだ。また、彼らは教会、Charlie Parker、James Brownなどのモチーフを彼ら独特の鏡仕掛けの視点で屈折させており、冒頭の3曲ではそのアプローチが素晴らしい効果を生み出している。「Old Time Religion」では甲高いコール・アンド・レスポンスが聴かれ、彼らの演劇じみた一面を如実に表している。続く「Dexterity」はCharlie Parkerの曲だが、Bowie、Mitchell、Jarmanによる3本のホーンは、冒頭こそ “Bird”(訳注:Parkerの愛称のひとつ)のスタイルに忠実な演奏を聴かせるものの、段々と不可避的に耳障りで滑稽な演奏に変わっていく。とはいえ、ビバップが誕生した経緯にしっかりと沿った流儀になっているところは流石だ。そして「Rock Out」ではJames Brownの瞬発力と正確性に満ちたグルーヴを模倣しているが、ここでもやはりJarmanの激しいギターや鋭いシンバルが予定調和を掻き乱し、Art Ensemble of Chicagoならではの世界に引きずり込んでいく。

 

 

『Message to Our Folks』の最後を締めくくる「A Brain for the Seine」は22分間におよぶ音のポエムと言うべき曲で、むしろこの次に控える1曲41分間のアルバム『Reece and the Smooth Ones』への序章と捉えても良いだろう。この2枚の作品を最初に聴くと、随分曲がりくねって屈折した印象だが、聴くごとにだんだんその印象は薄れていく。ムードはせわしなく変化するが、その動きは有機的で、淡い色調のインタールードや螺旋状の即興、灼けつくようなプレイヤー同士のせめぎ合いなどがひとつに紡がれ、作曲性と鋭敏なインプロヴィゼーション性が表裏一体となった素晴らしいアマルガムを提示している。

 

8月13日録音

 

Dave Burrell - 『Echo』

 

 

このアルバム『Echo』の表題曲は衝突から始まるサウンドへの潜行だ。同時多発的な爆発は決して耳障りではなく、音楽的な波としての体裁を限りなく保持している。それは大海の激しい揺らぎのようでもあり、リスナーはピアノが奏でるコードやホーンの悲鳴、うねるドラムや爪弾かれるベースといった無数の断片に埋もれていくかのような感覚を覚える。このアルバムは、同じセプテット編成でPan African Cultural Festivalに出演した時にBurrellが耳にした、救急車とパトカーが生み出した増音程に触発されている。このレコーディングに参加したホーン隊はArchie Shepp(テナー)、Arthur Jones(アルト)、Grachan Moncur(トロンボーン)、Clifford Thornton(コルネット)の4名。そこにBurellのピアノが加わり、Alan SilvaのベースとSunny Murrayの比類なきドラムがリズムセクションを引き締める。『Echo』には表題曲の他にもうひとつ20分を越える曲が収録されており、その「Peace」はドレミの上昇音階の主旋律を中心に展開する。フリージャズの作品としては異例なほど秩序ある穏やかなもので、その夢見心地なムードは、形式上はヨーロッパのクラシックを踏襲している(Burellは後にPuciniのオペラ『La Vie De Boheme』のジャズバージョンをBYGに残している)。クラシックの影響はとりわけホーンのヴォイシングに顕著だが比較的穏やかで、騒々しさはほとんど感じられない。

 

8月14日録音

 

Archie Shepp - 『Poem for Malcolm』

 

 

この週で2作目のレコーディングとなるSheppの作品はまたしても多彩なコレクションを縫い合わせた集合体だ。ここで特筆すべき存在はハードなブローイングが冴え渡るフリージャズ作品「Rain Forest」で、Sheppのソロがリードしながらリズムセクションと共にMoncurの哀調を帯びたトロンボーンが徐々に加わり、Sonny Rollinsの「Oleo」を激烈な形で解釈したかのようなクライマックスを迎える。一方、アルバムの後半はより問題含みな内容となっている。「Mamarose」での音楽的な混沌の真っただ中にSheppのソプラノサックスとチャントが囲い込まれ、普段は魅力的に響く彼の疾風のようなテナーの力強さも奪われてしまっているように思える。そして表題曲の「Poem for Malcolm」は意味深長というよりはむしろ苦悶にあえいでいるかのような印象で、情熱的なシャウトが響くヴァース部に至っては卑屈な時代錯誤感を滲ませている。

 

8月15日録音

 

Jimmy Lyons - 『Other Afternoons』

 

この『Other Afternoons』にはCecil Taylor Unitとまったく同じメンバーが参加しているが、ひとつだけ決定的な違いがある。それは、Taylorによる象牙色のブリザードのようなピアノアルペジオがLester Bowieの更に抑制されたトランペットの音色に置き換えられている点だ。サウンドの空間にたっぷりと余裕を与えることで、それまで注目される機会が決して多くはなかったアルトサキソフォニストJimmy Lyonsの秘められた実力が伸び伸びと花を開いている。彼の作曲技法とアレンジには密やかでじわじわと密度を増すフレーズが落とし込まれており、ピークでのBowieによる絶妙なタイミングでの煽りも効果的だ。とりわけ、表題曲では終盤にBowieのトランペットとAndrew Cyrilleのドラムによる激しい応酬も聴ける。Lyonはまた「However」で小気味良いほど風変わりなスウィングを聴かせ、Lyonと同じくTaylorの大いなる影から解放されたベーシストAlan Silvaも、「Premonitions」での長いピチカートソロや「My You」でのしなやかな弦さばきなどでその才能を披露している。

 

Sunny Murray - 『Hommage to Africa』 / 『Sunshine』

 

 

Sunny MurrayはCecil TaylorやAlbert Aylerの小編成アンサンブルにおいて功績を残し、フリージャズの進化において根本的な影響をもたらしたドラマーとして一定の評価を得ているが、ESPやBYGといったレーベル群に残したリーダー作こそ、彼の名声を更に広げ、確固たるものにした作品だと言っておきたい。この『Hommage to Africa』は1969年8月の1週間に渡るレコーディングセッションも佳境に入った頃にようやく録音が開始された作品だが、13ピースのバンドによる2パート構成の「Suns of Africa」におけるその抑制ぶりは特筆に値する。複雑な重なりをみせるベルやパーカッション、そしてフルートや解読不能なヴォーカルなどが絡みつき、渾然一体となってその壮大な時間軸(2パートを合わせると18分を越える長尺となる)に相応しい儀式的な厳かさに満ちたアンビエンスを導き出している。残る2曲で印象に強く残るのは、どこかぎこちなさの残る「R.I.P」の終盤のMurrayによる圧巻のドラム・ソロで、低域を揺さぶるバスドラムとタムはリスナーに衝撃を与える。

 

 

もう1作の『Sunshine』というタイトルは、ここに収録された眩い輝きを持つ3曲に相応しい。最長尺の「Flower Trane」は葬送的なペースが支配しているが、それを攪乱するかのような逆流がリスナーを巻き込んでいく。Murrayによる狂乱的なフロウをバックに、Archie SheppとLester Bowieの2人が乱流の中でそれぞれ特徴的なトーンを繰り出しており、その異例なムードは無慈悲なほどにクレイジーだ。続く「Real」では、普段目立たないKenneth Terroadeのテナーがここぞとばかりに炸裂し、そこにMurrayのドラムとMalachi Favorsのベースという強烈にパワフルなリズムセクションが絡んでいる。そしてアルバムを締めくくる「Red Cross」は冒頭のイントロから狂乱ぶりを窺わせるが、Roscoe MitchellやArthur Jonesを擁するホーンセクションはむしろ統率のとれた演奏を聴かせている。この曲は2000年に発表されたBYG/Actuelのカタログから厳選して選曲された3枚組のコンピレーションのリードトラックとしても収録された。

 

8月16日録音

 

Archie Shepp - 『Blasé』

 

 

この週3作目の録音にして、Archie Sheppはついにベストと呼べる作品を創りあげた。胸を焦がすような熱情と共に様々なジャンルの境界を行き来する、鮮やかな驚きに満ちた音楽が収録されているこのアルバムのSheppは、自身のルーツとヴィジョンとの間にほぼ完璧に近いバランスを見出している。アルバム冒頭を飾る「My Angel」では2人のハーモニカプレイヤーとブルースを掘り下げ、Duke Ellingtonのカバー「Sophisticated Lady」ではヴォーカリストのJeanne Leeと味わい深い演奏を披露し、黒人霊歌である「Balm in Gilead」では原曲に対して誠実な解釈を聴かせる。

 

Sheppは「Touareg」で彼のスタイルの典型とも言える烈しいテナーを奮い立たせているが、バップドラマーとして尊敬を集めるPhilly Joe Jonesの繰り出すアフリカンポリリズムがSheppのショットガンスタイルを見事に乗りこなしている。そして怒濤の展開を見せるこのアルバムの極めつけと言えるのが表題曲の「Blasé」で、「Strange Fruit」を思わせる不穏で気怠いペースとジェンダーや人種の格差、性差別問題、そしてMarcus Garvey(訳注:ジャマイカ出身の黒人民族主義指導者。ネーション・オブ・イスラムやラスタファリアニズムなど後世の宗教・思想運動に大きな影響を残した)の再臨などをテーマにした、Jeanne Leeの主張が強くぶっきらぼうな歌唱が組み合わされている。そのくすんだヴォーカルの魅力はNina SimoneやAbbey Lincolnを思い起こさせるもので、彼女こそblasé(フランス語で「非常に洗練された」という意)と呼ぶに相応しい存在だ。

 

8月17日録音

 

Alan Silva and His Celestial Communication Orchestra - 『Luna Surface』

 

 

1週間に渡るBYGのレコーディングセッション中、そのワイルドさと混沌具合においてDave Burellの『Echo』と双璧を成すのがこの作品だ。第1部と第2部を合わせると実に41分という長尺を誇る「From the Luna Surface」は、翌年Silvaがフランスの公共ラジオのためにレコーディングすることになる3時間の大作『Seasons』の前段として位置づけられる。Silva自身が語ったところによると、このセッションの目的は、集団的インプロヴィゼーションという視点からJohn Coltrane「Ascension」の調性を解体しつつ、「その作品の構成要素としてソロを除外し、全体を通して全員で演奏し続ける」(Silva談)ことにあった。

 

このレコーディングに参加した11名のミュージシャンの中には、アルトのAnthony Braxton、バイオリンのLeroy Jenkinsという、遅咲きの大物と呼ぶべき2人が含まれている。特にJenkinsは他にも弦楽器を担当するミュージシャンが複数いる中で、その猛然たる弦さばきでアンサンブル全体の中枢を担っている。またこのアルバムでは、Archie Sheppがソプラノサックス、Grachan Moncurがトロンボーン、Silvaがベースとバイオリン、Claude Delclooがドラムを担当している。この作品はひとつの幻惑的な乱流と言うべきもので、その内側にあえて巻き込まれてみたり、逆にその波に乗ってみたりと様々な聴き方が楽しめる。アヴァンギャルドジャズ史上最も偉大なこの1週間に吹き込まれた数多くのアルバムの中でも、この作品はひときわ勇敢かつ個性的なもので、「不可能なことは何ひとつない」という楽観的な自信のもとに録音された1枚だ。