三月 18

The End of The Beginning – AIR閉店に寄せて

2016年を迎えると同時に14年の歴史に幕を閉じた代官山のクラブ "AIR"。このクラブが東京のクラブシーンで果たした役割とシーンの未来について浅沼優子が考える。

By 浅沼優子

 

日本、特に東京のクラブ・シーンが現在過渡期にあることは誰の目にも明らかだと思う。この10年ほどでManiac LoveやMixが無くなり、Yellowが閉店し、続くelevenも数年で幕を閉じ、Moduleもクローズ。その他にも多くの老舗クラブが様々な理由で東京という街から消えてしまった。そもそもクラブというのはトレンドの移り変わりの速い世界なので、ある程度のサイクルで循環していくのは自然なことだと言えるのだが、問題はこれらの店に代わるような存在感と音楽的・文化的影響力のあるクラブが新たに出現して来ていないということだ。

 

そんな中、今年の新年カウントダウン・パーティーを最後に、代官山のクラブAIRもその14年の歴史に幕を閉じた。経営上のやむを得ない理由からとはいえ、既に東京では希少となってしまったナイトライフの華やかさとアンダーグラウンドな雰囲気を兼ね備えたクラブらしいクラブがまた無くなってしまったことのダメージは大きい。

 

photo: Yusaku Aoki

 

奇しくも、AIRは「当たり前に存在するが無くなると生きていけない、そんな空気のような場所でありたい」という願いを込めてつけられた名前だったという。AIRの設立者であり、Cave、Yellowのプロデュースを務め、SOUND MUSEUM VISIONやMicrocosmos、Bar Bridgeなどを経営する村田大造氏は2010年の『GROOVE』誌のインタビューでこう答えている。

 

AIRがオープンした2001年という年は、今振り返ると東京においてクラブ・シーンが最も活気づいていた、最盛期だったように思える。西麻布にはYellowがあり、新宿歌舞伎町にはLiquidroomやOtoがあり、青山にはManiac LoveやMix、渋谷にはCave、Harlem、Nuts、Club Asia、Wombなどがあった。六本木界隈や下北沢にもそれぞれの街のカラーに合うクラブが多く営業していたし、翌年2002年には首都圏最大規模のageHaが新木場にオープンした。確かに、その頃AIRはむしろいい意味で平均的なクラブとして登場し、長い間東京のシーンの中堅を支えてきた。週末には国内外のトップDJたちがプレイし、平日はローカルな若手やより実験的な内容のパーティーが行われていた。

 

いわゆる「オオバコ」と呼ばれる千人以上クラスでもなく、数百人以下の「コバコ」でもない、その中間の大きさも新鮮だった。代官山といえばファッションの街で、遊びに来る人も「クラバー」というよりはおしゃれで落ち着いている印象の人が多かった。地上1階に開放感のあるカフェを併設していたことで、クラブ慣れしていない人でも、足を踏み入れやすくなっていた。その一方で、まだ一般層には知られていないような海外の注目DJや、新たな音楽スタイルなども積極的に紹介していた。コマーシャルでもなく、極めてアンダーグラウンドというわけでもない、まさに東京のクラブの平均的スタンダードを象徴していたのがAIRだったように思えるのだ。そしてそのスタンダードは、世界にも類を見ない高さを誇っていた。

 

 

通常ならオオバコで使用するようなスケールの最高品質のサウンドシステム(Yellowと同機種のRey Audioのスピーカーが導入されていた)と、吹き抜けの天井の堂々と輝く大きなミラーボール、そして黒い壁に映える鮮やかな照明。正面のダンスフロアよりほんの少し高い位置に設置されたDJブースは、DJの使い勝手がいいように完璧にデザインされていた。その音の良さと迫力、きらびやかな演出は数多くの出演者や来場者を魅了した。

 

東京を訪れる、もしくは日本に憧れる訪米人のほとんどが見ているであろう、2004年の東京を舞台にしたアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』で、主人公の映画俳優と出張中に彼が出会う若い女の子が共に訪れる東京のクラブのシーンが撮影されたのがこのAIRだった。このため、東京のクラブというとここをイメージする外国人は多い。遊び慣れた感じのファッショナブルで都会的な人々が集い、華やかさと色気、そしてややミステリアスな雰囲気を備えた場所。多様な人と音楽が混ざり合う、東京の洗練を表す空間だったのだ。

 

近年、東京から他のクラブが姿を消していってしまったことに伴い、AIRの存在が益々重要になり、特にハウス・ミュージックにおいてはeleven閉店後、最もかけがえのないクラブとなったと言える。

 

残念ながら、そんなAIRが空気のように当たり前に存在する時代が終わってしまった。日本から海外へ進出して活躍するDJやアーティストが増えている一方で、彼らが国内でその腕を奮う場所がまた一つ消えてしまったのは非常に残念なことだ。

 

photo: Yusaku Aoki

 

しかし、それを嘆いているだけではあまりに後ろ向きなので、未来に目を向けてみよう。そう、東京には計り知れないポテンシャルがある。少子化が進み若者が減っているとはいえ、まだまだ絶対的な人口は極めて多い。東京には、数が減ったとはいえ世界でも有数のレコード市場があり、世界中のあらゆる優れた音楽が手に入る。日本には高い技術力と、職人気質のサウンド・エンジニアや照明アーティスト、VJ、そして何より優れたDJやプロデューサーが沢山いる。すでに触れたように、中には海外のクラブ・シーンでも高く評価され活躍している人たち、例えば寺田創一や瀧見憲司、DJ NOBU、Gonno、Force of Nature、Kuniyuki、Daisuke Tanabe、Yosi Horikawa、Goth Trad、Ena、Takaaki Itohなどがいる。外国では知られていないが、ローカルに活動する実力派はさらに多数いる。こうした人々がいる限り、クラブという場所が完全に無くなってしまうことはない。

 

クラブという場所は、音楽を体で楽しみ、踊り、ストレスを発散し、自己を解放し、知らない人と笑い合い、知らない人と知り合い、楽しい時間を過ごし、また次の週から日常を生きるエネルギーを得るのに必要な場所なのだ。言葉が通じなくたっていい、年齢が離れていたっていい、肌の色が違ってもいい、誰もが一体となって感動を共有し合い、平等に遊べる場所なんて、そう他にない。そういう意味で、非常に貴重な場所なのである。今の東京には、もっともっとクラブがあっていいし、それを楽しむ人がいていい。

 

クラブの素晴らしさを知る私たちのような人間が、もう少し積極的にこのカルチャーを伝えていかなければならない時が来たのだと思う。ただこれまでのクラブを維持したり押しつけたりするのではなく、東京における新しいクラブのあり方を真剣に考える時なのだと思う。AIRの閉店は、改めてそのことを気づかせてくれた、これをいいきっかけだと思って、前に進むしかない。

 

最後に、AIRのクローズに際し、RBMAが国内外のDJたちが熱いメッセージを集めて制作した映像があるので、ご覧下さい。終わりは始まり。東京にエキサイティングなクラブ・カルチャーが再び開花することを願って。