七月 08

横尾忠則が手がけたアートワーク

日本を代表するアーティストが手がけたアートワークを紹介

By Ian Lynam

 

横尾忠則は日本人で最も有名なグラフィックデザイナーのひとりだ。横尾は1960年代の革新的なポスターデザイン群で知られているが、1970年代と1980年代を通じて数々のアルバムジャケットデザインも担当している。しかし、そこでつい見落としがちなのが、その歴史的意義の大きさだ。彼の作品はアートとデザインの交点を再定義しており、今でも日本国内をはじめ、世界各国のクリエイティブ層に刺激を与え続けている。

 

横尾忠則は1936年、京都から電車で3時間半の距離にある兵庫県西脇市に生まれた。10代の頃は郵便局員を志望しており、余暇で絵を描きたいと思っていた横尾だったが、結局ポスターデザインや西脇市商工会議所の包装紙のデザインなどでキャリアを積んだのち、1960年に上京。上京後は劇場のステージデザインやグラフィックデザインを手がけ始めた。東京で手がけた劇場用のポスターデザインは、第2次世界大戦後の日本のアブストラクトなデザインと、短縮遠近法と平面を用いたスタイルで話題となった。日本独自の製版や中国の装飾品、ヴィクトリア朝などをモチーフに用いていた過去の日本のパッケージデザインに影響を受けた彼の作品群は同時期のデザイナーのそれとは一線を画していた。

 

 

横尾がブレイクするきっかけとなったのが、1965年に東京・銀座の松屋で開催されたグループ展「ペルソナ」への参加だった(1920年代後半から現在までにおける日本のデパートは消費活動だけのために存在しているのではなく、中にはアートギャラリーやミュージアム、カフェなどが入っており、日本のカルチャーにおけるいわゆるサロンの役割を担っているという点はは明記しておくべきだろう)。この展示会用に横尾が手がけたポスター『Made in Japan, Tadanori Yokoo, Having Reached Climax at the Age of 29, I Was Dead』には様々なメッセージが含まれていた。

 

 

日本の帝国主義のシンボルだった日章旗がモチーフとして使用されているこのポスターでは復興が皮肉的に表現されている。上部に描かれている2つの富士山にはそれぞれ新幹線と原爆雲が描かれ、左下には1歳半の横尾の写真が、そして右下には小学校時代の写真の上に、欧米の中指を立てるポーズに似た、日本で性交を意味する親指を人差し指で隠した手がデザインされたものが配置されている。また中央で首を吊っているのは横尾自身であり、手にはバラの花が握られている。1960年代という時代において、このような帝国主義や経済成長に対する政治的メッセージや自殺、ましてや自分自身を盛り込んだポスターを手がけるデザイナーはいなかった。ポスターとはクライアントのために存在する物として考えられていたため、この作品は人々を驚愕させた。このような抽象的な自己表現は当時の日本、そして世界でも見られなかったものだ。

 

このポスターと、ヌードや政治的メッセージ、グロテスクな暴力描写を盛り込んだその他の作品によって、横尾忠則は日本のポップカルチャーの最上部へと登っていった。横尾は過去を振り返りながら、視覚的な隠喩・換喩・寓揄・コラージュやチャンスプロセスを利用してすべてをひとつにまとめあげることで、いわゆるグラフィックデザインの歴史の連続性を否定するデザインを生み出した。横尾は「ポストモダン」という言葉が生まれる前から「ポストモダン」だったのだ。比較されることが多いサンフランシスコのサイケデリックムーブメントに参加していたデザイナーたちが表層的な作品作りをしていたのに対し、彼の作品には様々な意味が含まれていた。

 

横尾忠則は多作なアーティストであり、今でも書籍デザインやポスター、写真などの作品制作に従事しながら画家としての活動も続けている。しかし、彼の手がけてきたデザインの中で一際目立っているのがレコードジャケット群だ。初期のレコードジャケットの中で著名な作品は、ラウンジミュージックに影響された中庸なグループ・サウンズ、ザ・ハプニングス・フォーのシングルのジャケットデザインで、ハンドペイントが施されたメンバーの写真にサイケ的なレタリングのバンド名と多少の装飾が加えられている。

 

 

そして日本国内の注目を更に集めることになったのが、高倉健の『Deluxe(デラックス)』(1969年)と藤淳子の『緋牡丹博徒』(1970年)のデザインだ。彼のデザインは両レコードのヤクザ的魅力を存分に引き出したものであり、共に俳優のイラストを用いながら、横尾自身による美しい手書きの文字と、伝統的な浮世絵にヒントを得たグラデーションのかかった版画的印刷にポップな色彩を組み合わせている。

 

1969年には、当時のオノ・ヨーコの夫であり、John Cageの元で学んだ経験を持つことでも知られる作曲家、一柳慧が手がけたサイケと演歌とエクスペリメンタル・ミュージックのハイブリッドオペラ『横尾忠則を歌う』のジャケットも手がけている。このダブルピクチャーディスクは、横尾の初期グラフィックデザインへのオマージュであり、不確定性音楽とデザインにおける重要な作品として位置づけられている。

 

 

同年、横尾は浅丘ルリ子のアルバム『心の裏窓』のジャケットデザインも手がけた。浅丘ルリ子は当時日活が売り出し中の新進女優で、宍戸錠(日本で初めて美容整形手術を受け、その手術が失敗して頬がたるんでしまったことで有名)など、その頃の国内のトップ俳優たちと共演を多く果たしていた。しかし、戦後最大のセックスシンボルのひとりでもあったこの人気女優のアルバムで、横尾は本人の写真を複眼レンズ的視点を用いて衝撃的な形でコラージュした。尚、この非凡なブルータリスト・コラージュは、横尾の最も優れたグラフィック作品のひとつとして知られている。

 

 

1970年代に入ると、横尾はEarth Wind and Fire、The Beatles、Emerson Lake and Palmer、Cat Stevens、Tangerine Dreamなどを含む海外のロックバンドのポスターをデザインするようになった。この一連のポスター群は、海外の音楽業界、特に欧米のレコード会社に彼の名を知らしめることになった。尚、この頃から横尾はイラスト的な手描きのスタイルから、コラージュを中心に据えたスタイルにシフトしており、これらのポスター群では当時のポップスターと歴史的な建造物や土地が並置されており、バビロンやエジプト、そしてどこか分からないジャングルなどにミュージシャンを配置することで、ポップスターたちの存在の大きさが強調されている。

 

 

日本公演を録音したSantanaの3枚組ライブアルバム『Lotus』のジャケットデザインは大きな話題となった。スリーブ中央には魚眼レンズで撮影された日の出の写真を背景に赤い蓮を背にしたブッダの写真が置かれ、その上下に光の階調のような円形のチャクラが浮いている。また、四隅にはデバナーガリ文字を模したレタリングでアーティスト名とアルバム名が書かれている。このジャケットは、当時の横尾が興味を持っていたインド絵画や、瞑想、オカルト、地球外生命体などが反映されたものだ。

 

 

『Lotus』で使用されたイメージは、Miles Davisが同じく日本公演を録音した2枚組アルバム『Agharta』で更に進化を遂げた。Santanaの『Lotus』での横尾の仕事ぶりを見たDavisが横尾にこのテーマを更に進めたアートワークの制作を依頼したのだが、Davisのアルバムのデザインは中空のユートピアのマッシュアップで、そこにアトランティスやUFO、アフロフューチャリズムを微妙に盛り込んだものだったのだが、元々『Lotus』のアートワークがアガルタ(Agartha)という伝説の地底のユートピアをイメージしてデザインされたものだったというのは面白い偶然だろう。

 

このジャケットデザインでは巨大都市を背景に、ジャングルにいる2人の女性が手前に配置されている。また、ゲートフォルドを開くと横尾のデザインに関する詳細な説明が次のように記されている。

 

【歴史の様々なピリオドにおいて、アガルタの超人たちは人類に戦争や災害、破壊から身を守り、平和に生きる方法を教えるべく地上に現れだ。広島に原爆が落とされた直後に目撃された数個のUFOは彼らの活動のひとつである可能性がある。ここで描かれているUFOもそのような人類との接触を表現したものだ】(原文は英文)

 

横尾のユートピアを探す旅はここで終わらなかった。横尾は、1977年に郷ひろみと樹木希林が出演して話題になり、後に続編『ムー一族』も制作された人気テレビ番組『ムー』のサウンドトラックも手がけた。横尾はこの番組のオープニングイラストを手がけているが、これは動く横尾作品としてはレアだ。『ムー』は平凡なファミリードラマの部類だったが、挿入歌「お化けのロックンロール」が異例のヒットとなった。

 

 

横尾のアルバムデザインにおける次のビッグプロジェクトは、Santanaが1976年にリリースした『Amigos』だった。ここでは『Agahrta』のデザインが更に押し進められており、サイケデリックなマヤ人の男女がジャングルに立つ中で、古い広告から流用されたドラミングをする原住民や野生動物が周囲に配置され、背後には『Lotus』を彷彿とさせる漆黒の空間が広がっている。

 

 

また、横尾ははっぴいえんど解散後・YMO始動前の細野晴臣によるエクスペリメンタルなエレクトロ/エキゾチカアルバム『コチンの月』のアートワークも手がけた。このアルバムの音楽は、架空のインド映画を表現したものだ。尚、このアルバムは元々横尾と細野の共作名義になるはずで、2人はインド旅行を共にした。尚、この道中で2人はひどい下痢に悩まされるというアクシデントに見舞われている。結局このアルバムは細野ひとりで仕上げられた。(編注:細野晴臣のRBMAレクチャーでこのアルバムについて触れられている)

 

 

横尾が理想化されたオルタナティブな未来へのイメージを用いた最後の作品が、日本のシンセサイザーの第一人者である冨田勲が1978年にリリースした『バミューダ・トライアングル』だ。オリジナル盤のアートワークは、タイトルが中央を斜めに横切るように配置され、その上に半分が月、半分が多角形ドームの球体が配置されている。そしてハイヒールの足が左上に配置されているアーティスト名の上に位置し、その下では宗教的な像がフォロ・ロマーノを見下ろしている。その更に下には手を取り合う人間が、Superstudio(1960年代に存在したデザイン批評集団)のデザインに影響を受けた不等角投影図のグリッドがレイヤーされた風景を見下ろしている。そのグリッドの下部には「Pyramid Sounds」と書かれており、その右隣にはロココ調のパターンが施されたローマ時代の柱が置かれ、左側には小さく四角に切り取られたスペースに黒く塗られた窓が置かれた風景がはめ込まれている。

 

内面世界を示す横尾の作品群は、彼からこのカルチャーへ向けられた最高のプレゼントだろう。その中に入らなければ本当の答えは見えてこないということを伝えるために、横尾は自分に夢を与えてくれたレコードのアートワークで自分の夢を表現している。

 

注:使用されているイメージは日本を中心に書かれているブログ「Pink Tentacle」の著者の厚意によって提供されたものです。