十二月 05

The Artisan: 山下達郎

除川哲朗が分析する、ジャパニーズ・ファンクの名匠の比類なき才能

By Tetsuro Yokegawa

 

ディスコ・リエディットや80年代のブギー・ファンク、あるいはヴェイパーウェイヴの文脈において、ジャパニーズ・ファンクの名匠として、近年、海外で知られるようになった山下達郎。日本においては知らない者がいないレジェンドであるが、1970年代から始まる彼のキャリアや音楽観について、長らくCisco Recordsに勤務し、ダンス・ミュージックの観点からキャラメル・ママ周辺の楽曲をコンパイルした1996年の名作『Caramel Papa〜Panam Soul In Tokyo〜』の監修者でもある音楽ライターの除川哲朗が迫る。

 

さしずめ日本でのキング・オブ・ポップス、ということになるのだろうか。かといって、いわゆるスーパー・スター・タイプではなく、ミリオン・ヒットを連発してきたようなタイプでもない。広く一般的に認知されているヒット曲といえば、最初のブレイクを果たしたシングル「Ride On Time」(80年)と、発表から6年半越しでナンバー1を獲得した「Christmas Eve」(82年)ぐらい。なのだが、とりわけ「Christmas Eve」は、わかりやすく例えればWham!「Last Christmas」のように親しまれ、日本では誰もが知っているスタンダードとなっている。クリスマス・シーズンになると街角から流れてきて誰もが口ずさむ冬の風物詩として。つまり、瞬間的なミリオン・ヒットよりも時代を越えたロングセラーを、アルバム中心に送り出してきたマエストロなのである。

 

確かな信念とスタンスを持って、鍛練を重ねた技量と方法論で、黙々と創作に没頭していく職人タイプ。そこは本人も自覚的で、『Artisan』(91年)というタイトルのアルバムをリリースしたほど。それでいて、決してマニアックな懐古趣味などに陥ることなく、常にリアルなポピュラリティーを獲得しているところがまた、この人の非凡なところだろう。目指すのは心地よさを提供する中道ポップス=ミドル・オブ・ザ・ロードとしながら、ともすれば毒にも薬にもならずに流れてしまう危惧のあるそれを最高水準のポップスとして成立させているのが素晴らしい。素地とする洋楽をベースに磨き上げられたオーセンティックなオリジナリティ。何よりも圧倒的なのは歌とメロディーの底力で、そこから溢れ出る尋常じゃない色彩感や躍動感にたまらなく身心揺さぶられてしまうのだ。込められたセンスとスキル、パッションとエモーションが、彼のポップスのオモチャ箱に輝きをずっと与え続けている。

 

そうして幾多の名作を世に送り出しながら、61歳になった現在も、長期ツアーを行い毎回3時間を超えるライヴを繰り広げているという、リヴィング・リジェンドと呼ぶには現役感があり過ぎる希有なパフォーマーでもある。珠玉のバラードから怒涛のファンキー・チューンまで、気心知れた辣腕メンバーによるバンドとのステージは追随を許さない濃密なプログラムで構成され、ハイ・ノートの歌い上げやシャウト、グルーヴィーなギター・カッティングでアンサンブルを鼓舞していく場面はまさに圧巻。鬼気迫る情念を止めどなく感じさせてくれる。

 

 

その音楽性に見え隠れするルーツは主だったところで6つ。プリミティヴなストリート・コーナー・シンフォニーであるドゥーワップ、ドリーミーな60'Sアメリカン・ポップス、その中でもThe Venturesのエレキ・インストにFour Freshmenのオープン・ヴォイシングを取り入れてハーモニー・ポップの可能性を広げたThe Beach Boys、Righteous BrothersからThe Young Rascalsに至る白人による解釈のソウル=ブルー・アイド・ソウル、The Lovin' SpoonfulやThe Youngbloodsなど洒脱な感性のナイス・フォークス(Nice Folks=The Fifth Avenue Bandの曲名より)、ファンキーからメロウまでグルーヴとダイナミズム獲得のためのソウル・ミュージックといったところだが、朗々とした歌い上げには、少年期に親しんだという三波春夫からのドメスティックな影響も感じられて興味深い。

 

キャリアのスタートとなるシュガー・ベイブ(73~76年)は、The Youngbloodsの曲目から拝借したバンド名通り明るいアメリカン・ポップスを標榜していて、山下はそのサウンド・ポリシーについて唯一のアルバム『Songs』(75年)の94年リイシュー盤にこう記している。「各楽器にそれぞれシンプルなパターンを提示させ、それらの複合でグルーヴを発生させるという、非常にアレンジャー的な発想で曲を作っていた」「分数和音やフラット5th、シャープ9thといった、当時の日本のロック界では珍しかったコード・プログレッションを多用することで作品にユニークさを与えていた」

 

 

先の色彩感や躍動感を表現のニュアンスに最大限盛り込もうとするための創意工夫で、コーラス/ヴォーカル・ハーモニーへの造詣の深さも同じ理由からだろう。この基本的な音楽性はその後も揺らぐことなく、今日まで貫徹。後年、山下達郎バンドに加入するギタリスト佐橋佳幸は、「メジャー7thでロックンロールできることを『Songs』が教えてくれた」と、後進の心情を代表するようなコメントを残している。しかし、当時の日本の音楽シーンはというと、一方では歌謡曲ないしフォークの全盛期、他方ではハード・ロックや関西ブルースが幅を利かせていた時代で、シュガー・ベイブのようなタイプの受け皿はほとんどない状況。紆余曲折を強いられ、大阪ツアーでは「帰れ!」と罵声を浴びせられることもあったという。その席でウエスト・ロード・ブルース・バンドの山岸潤史に「外国人は乗っていたから心配いらへん」となだめられたエピソードに象徴されるように、ミュージシャンの理解者や熱心なファンはつくものの、一般リスナーからの広い支持は得られずに惜しくも解散の憂き目を迎えてしまう。

 

そんな苦境の中でも、新たな潮流として細野晴臣率いるサウンド・プロデュース集団、キャラメル・ママ~ティン・パン・アレーがシーンを牽引し始めていたこの時期、様々なセッションの現場で次に繋がる出会いをいくつも果たしている。シュガー・ベイブが所属したナイアガラ・レーベル主宰の大滝詠一や細野といったはっぴいえんどOBはもとより、荒井由実、矢野顕子、坂本龍一、ソングライティング・チームを組むことになる吉田美奈子、等々。そして山下のファースト・ソロ・アルバムを本場アメリカで録音するプロジェクトが、本人の要望のもとに立ち上がる。

 

 

『Circus Town』(76年)

 

当時の同系アーティストの数少ない海外録音では、はっぴいえんどの『Happy End』(72年/Van Dyke Parks、Lowell George参加)、はっぴいえんどのギタリスト鈴木茂のソロ『Band Wagon』(75年/Little Feat、Santana、Tower Of Power、Sly & The Family Stoneのメンバー参加)、矢野顕子の『Japanese Girl』(76年/ Little Feat参加)といった画期的作品があるが、山下のそれも同様に以降の試金石となる一念発起の作となっている。その狙いは、自身の選定したプロデューサー/アレンジャー/ミュージシャンと組むことで、いかなるケミストリーが得られるのか。名匠Charlie Calelloに委ね、Will Lee、John Tropea、Randy Breckerほか一流プレイヤーとタイトな16ビートやジャズ的アプローチを具現したニューヨーク・サイド、ジョン・サイター(スパンキー&アワ・ギャング)やジェリー・イエスター(The Lovin’ Spoonful)、Kenny Altman(The Fifth Avenue Band)等と解放感溢れるセッションに興じたロサンゼルス・サイドと、それぞれ思惑通りの音像を刻み込んで改めて確信を深めることに。何より演奏負けしていないヴォーカルが際立っていて、シカゴ・ソウルへのオマージュ「Windy Lady」なんかは秀逸なレア・グルーヴとして生き続けている。ちなみに本作とほぼ同時期に同じスタッフ/ミュージシャンが携わったLaura Nyroの『Smile』、Barry Mannの『Survivor』、Frankie Valliの『Close Up』は、海を越えた兄姉作と言える。

 

 

『Spacy』(77年)

 

アメリカでの他流試合、特にCharlie Calelloから学んだ実践的スコアと今を生きている音で勝負するという教訓を早々に活かすべく着手したセカンドでは、見合った技量のリズム・セクションとして村上秀一、細野晴臣、松木恒秀、佐藤博を起用。そのメンバーならではの高揚感漲る「Love Space」や、坂本龍一と大村憲司のベスト・ソロを引き出した「Solid Slider」などで“動”のスタジオ・セッションを極める一方、後半ではピアノ弾き語りにコーラスを添えた内省作や一人アカペラを初めて実験的に試みて“静”のスタジオ・ワークを掘り下げている。

 

 

『It’s A Poppin’ Time』(78年)

 

Donny Hathawayの名作ライヴを標榜したような六本木Pit Innでのライヴ・レコーディング作。懇意にしていた村上秀一、岡沢章、松木恒秀、坂本龍一、土岐英史ほか、ジャズ・フュージョン畑の高度なミュージシャンシップを反映した演奏が、ホットかつクールな味わいを醸し出している。新曲やカヴァー曲を数曲盛り込みながら準新作としているところも本作ならではの旬な趣。ちなみに同時期、YMO前夜の2人のソロ作、高橋幸宏の『サラヴァ』と坂本の『千のナイフ』に山下が参加しているも、こうしたクロスオーヴァー・セッションの流れなのだろう。

 

 

『Go Ahead』(78年)

 

現実的には思うようにセールスを伸ばせず、これが最後か?とばかりに背水の陣で臨んだサード・アルバム。ならば、やりたいことは全て盛り込んでと、今までになくヴァラエティに富んだ楽曲を寄せ集めている。Todd Rundgren風のメロウ・バラード「潮騒」、Curtis MayfieldばりのシカゴR&B「Paper Doll」、Phil Spectorへのオマージュ「2000トンの雨」、The Isley Brothers流儀のヘヴィー・ファンク「Bomber」、等々。そして、シングル「Let’s Dance Baby」のB面カップリング曲だった「Bomber」が大阪のディスコでヒットして、ブレイクのきっかけをつかむことに。図らずも16ビートのファンク・マスターとしてまず認知される。

 

『Moonglow』(79年)

 

「Bomber」の路線を継いだ「Funky Flushin'」はじめ、時流のディスコ・ファンクを意識的に取り入れたトレンディーなアルバムでいよいよロングセラーを記録。ライヴ演奏を前提にしたダンサブルでコンテンポラリーな楽曲中心だが、Smokey Robinsonばりのファルセットをしっとり聴かせるバラード「Touch Me Lightly」なんかもバランス良く配して陰影を施してある。プラスティックな感触のシカゴ・ソウル調「Rainy Walk」のリズム・セクションは、YMO全盛期にあった細野晴臣と高橋幸宏。実はティン・パン・アレー&サディスティック・ミカ・バンドの俊英プレイヤーだったことを改めて想起させる名演である。

 

『Ride On Time』(80年)

 

然るべき8ビートも16ビートもオール・ラウンドにこなせる理想のリズム・セクション=青山純&伊藤広規と運命的に出会い、念願のレギュラー・バンドを固定。以降、スタジオもライヴもこのメンバーで切磋琢磨しながら、アイデアや閃きを作品にフィードバックさせていく実践パターンが可能に。それによって広がった表現の幅が、楽曲にさらなるダイナミズムをもたらすという鉄壁のソング・サイクルを獲得している。その最初の結晶が、CMタイアップも奏功してヒット・チャート・ナンバー1に輝いた「Ride On Time」。しかし決して浮足立つことなく、自身の音楽を頑なに追求しているところがこの人らしい。山下=吉田美奈子コンビの16ビート最高峰と言える「Daydream」の鮮やかさは、次作で一気に炸裂するテイストの予兆。

 

『For You』(82年)

 

「Ride On Time」のブレイクを受けての全国コンサート・ツアーで、ヴォーカルもバンド・アンサンブルも最高潮に研ぎ澄まされていた最中での録音。さらにアナログ・レコーディングのピークを迎えていたスタジオ環境とも相まって、奇跡的なまでに鮮明な音像を刻み込んでいる。Telecasterの鳴りを活かしたギター・カッティング・グルーヴ「Sparkle」、サンバとマイアミTKサウンドの爽やかなミクスチャー「Loveland, Island」、独壇場のThe Isley Brothers調ミドル・テンポ・ファンク「Love Talkin’」等々、沸き上がるリズム・パターンやフレーズが降り注ぐ陽光のように眩しい。ベストセラーを記録してプラチナ・ディスクとなり、鈴木英人のカラフルなジャケット・イラストにそのまま同化していくようなサウンドスケープからは、「夏だ、海だ、タツローだ!」のキャッチフレーズも登場。

 

『Melodies』(83年)

 

一転して「夏だ、海だ、タツローだ!」のようなトレンドに流されない、本来の自己表現を全うするべく原点回帰を図った内省の作。ほぼ全ての作詞を手掛け、シンプルな8ビートに私的ニュアンスを込めたというシンガー・ソングライター的なアプローチで臨んでいる。が、そこは希代のクリエイター。演奏にコーラスに八面六臂の意匠を凝らして、音色や質感の独自性を際立たせているところがさすが。軽快なトロピカル・ラテン・ポップ「高気圧ガール」、派手なポリリズム・ファンクに幻想的な詞を乗せて世界観を広げた「Merry Go Round」には従来の開放感を持たせつつ、いくつかのソウル・バラードにはホロ苦い余韻を施しながらフィラデルフィアからメンフィスまで巡らせるといった風情。そして代名詞となる名曲「Christmas Eve」は、バロック音楽のコード進行による構成で、間奏に「パッヘルベルのカノン」を一人多重アカペラで引用している。その折り重なるハーモニーの信じられないほど美しい響きに、山下達郎ミュージックの計り知れない懐の深さが垣間見れる。

 

ここまでが、大きな最初の一区切りだろう。from『Songs』to『Melodies』---シュガー・ベイブでのデビュー作から、ムーン・レーベルを立ち上げての第1弾(ソロ8枚目)まで。そして、16ビートを主軸にしたバンド・アンサンブルで駆け抜けたグルーヴの時代から、ダンス・ミュージックに拘らないロックンロール・スピリットを改めて甦らせて、作詞・作曲・編曲・演奏・コーラス・歌唱・プロデュースと全てのプロセスに従事しながら心象風景を投影していく私的内省の時代へと、80年代半ばから向うことになる。

 

時を同じくしてハードウェア環境の目まぐるしい変化との悪戦苦闘も始まり、創作の間隔が空くなど活動にも大いに影響していくも、その都度フレキシブルに対応してノウハウを獲得。コンピュータ・ミュージックを導入しての初デジタル・レコーディング作『Pocket Music』(86年)、さらにハードディスク・レコーディングへ移行した『Sonorite』(05年)といった過渡的作品には試行錯誤の痕跡も窺えるが、いずれの段階でも持ち前の色彩感や躍動感を失うことなく新たな地平へと踏み出している。その間もCMやTVドラマ、映画主題歌絡みのタイアップ曲、ヒット曲を折に触れてリリース。あるいはまた、「蒼氓(そうぼう)」や「希望という名の光/Ray Of Hope」といった非常に重みのある楽曲も残し始めている。それらは例えばCurtis Mayfieldの『There’s No Place Like America Today』などにも通じる高い精神性をはらんでいて、山下が提唱する同世代音楽の未来を切り開いていくことになるだろう。

 

 

ユニークかつ重要なトピックとしては、アメリカン・ポップスやブラック・ミュージックの熱烈な愛好家、有数のレコード・コレクター(所有6万枚!)でもあり、そのコレクションを紐解いていく自身のFMラジオ番組『Sunday Song Book』は20年以上続いている”Oldies(but goodies)”人気番組であること。しかも、オンエアされる楽曲は自らリマスターして音質・音圧を向上させている徹底ぶりも特筆に値する。

 

それから、コーラス/ヴォーカル・ハーモニーへの造詣の深さが講じて派生したワン・マン・アカペラの企画アルバム『On The Street Corner』シリーズも、「これをやりたくてオリジナルやってる」などと公言するほどに愛着のあるライフ・ワークとして第3弾までリリース(80年、86年、99年)。50~60年代のドゥーワップ・ナンバーを中心に、ストリート・コーナー・シンフォニーへのオマージュをたっぷり滲ませている。サントラで後半をThe Beach Boysのカヴァー集とした『Big Wave』(84年)、クリスマス・シーズン用にアカペラとオーケストラであしらった『Season’s Greetings』(93年)も、そのヴァリエーションと言える企画作である。

 

こうした枝葉となる活動や諸作もひっくるめて、山下達郎ミュージックの歴史は個性化、差別化の歴史にほかならない。ミドル・オブ・ザ・ロードに転がっている他と違う何か光り輝くものを見つけては磨いていく、その初期衝動を時にはパンキッシュなまでにほとばしらせて、持てるセンスやスキルを総動員しながら、ポップスのマジックやイリュージョンを執拗に追い求めた凄まじいまでの若気の至り。まさに“Young, Gifted and Black”の域であるが、決してそこに甘んじない探求と鍛練の人なのである。幾度となく音楽の持久力、スタンダードの正体、ポップ・ミュージックのあり方を鮮やかに提示し続けて、日本のポピュラー・ミュージック・シーンの底上げと方向づけに寄与してきたのは言うまでもなく、今またライヴの現場に戻ってきて同世代から新世代までの大きな指標となっている無二の存在なのだ。その意味でも『Joy』(89年)に続く圧倒的なパフォーマンス続編『Joy 2』を、首を長くしながら待ちたいところ。

 

 

Title Image: From 山下達郎『Go Ahead』