十二月 19

シンセ今と昔 : 音を記録するメディア

3回に渡ってお届けしたシリーズ番外編、サンプラー特集。The Beatlesが使用した磁気テープ式サンプラーMellotronから、デジタル・サンプラーの先駆的存在Fairlight CMI、その後のEmulator、MPC、デジタル・ドラム・マシンLinn Drum、著作権問題まで

By Ryota Hayashida (Iroha Studio)

 

 前回までのシンセサイザーの話に続いて今回はサンプラーの話だ。サンプリングという言葉は誰でも耳にしたことがあると思うが、ここではその意味を、"音声の数値化"というくらいにとどめておこう。あえて詳しくは触れない。またそれを行う機械のことをサンプラーと呼んでいる。
 サンプラーは音声をデジタルのメモリーチップに記憶させて自由に取り出せるようにできているが、この技術が実用化されたのは1979年頃だ。それまでにも実験的なレベルではあったが、商品化には至っていなかった。
 サンプラーがなかった時代、音声を記録する方法には限りがあった。最も古いのはエジソンが発明したと言われているレコードで、これは当初円形の筒を回転させてその表面に螺旋状に溝を刻んでいく方法だったが、保管に場所をとることなどから現在のレコードのように円盤になった。
 1948年に登場したSPレコード(78rpm)によって音楽を"買う"という行為が普及し、多くのレコード会社が生まれた。
その後より長時間の記録ができるよう回転数を落としたEP(45rmp)、LP(33rpm)へと進化していくのは御存知の通り。余談だがシングルCDのことを"EP"と称する場合があるが厳密には間違いで、EP、つまりExtended Playingとはレコードの回転数の規格を表す名称で、決して盤のサイズやシングルの形式の名称ではないのだ。
 レコードは製造技術の向上でこれ以上は期待できないほどに高音質なものに進化してきたが、手軽に音声を記録するという意味では不向きなメディアだった。そこで登場したのが磁気テープに音声を記録するというテープ・レコーダーの発明だ。
 19世紀末にはテープ・レコーダーは存在していたが、高音質で実用化されたものが出てきたのは1948年。いわゆる"オープン・リール"と呼ばれる形のテープ・メディアを使ったものがドイツで開発したが、それまで紙でできていたベースになる素材をアセテート樹脂に変更したことで音質はぐっと向上した。
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●オープンリール型テープ・レコーダーは半世紀以上にわたって進化を遂げた。ワルシャワ出身の技師Stefan Kudelski(ステファン・クデルスキー)が製作したNagraのテープ・レコーダーはレコーディング、特に映画業界で広く使われていた。74年には手のひらサイズのオープンリール・レコーダーを発表し、スパイ映画などでも登場していた。軍事用に開発された美しい機能美に目を奪われる。

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テープ・ミュージック

 テープ・レコーダーは消去も簡単にできるため、広く録音の現場で利用されることとなったが、このメディアの特性を活かして音楽をつくろうとしたのがフランスのPierre Schaeffer(ピエール・シェフェール)だ。
 1948年、Schaefferは持ち運びのできるポータブルなテープ・レコーダーで列車の音や日常のノイズを録音し、これをコラージュする作品の制作にとりかかった。発想的にはまさにこれがサンプリングの先駆けといえる。彼はこれを"ミュージック・コンクレート"と呼び、Pierre Henry(ピエール・アンリ)と共にフランスの国営放送を通じて作品を発表し続けた。
 その後、ドイツではケルンの放送局を通じてKarlheinz Stockhausen(カールハイツ・シュトックハウゼン)が、アメリカではMorton Subotnick(モートン・サボトニック)やPauline Oliveros(ポーリン・オリヴェロス)らがサンフランシスコ・テープ・ミュージック・センターを通じて、日本ではNHKを通じて黛敏郎らが磁気テープを使った音楽作品を発表してきた。どういうわけかこの時代のサンプリングミュージック(と言ってしまっていいかは疑問だが)はラジオ放送局がからんでいるのが面白い。ラジオは自由な音楽を発表できるメディアだったのだ。

 

 

ChamberlinとMellotron

 この同時期に、テープ・メディアはアメリカのHarry Chamberlin(ハリー・チェンバリン)によって楽器に生まれ変わろうとしていた。"Chamberlin(チェンバリン)"は鍵盤の一つ一つにテープと再生ヘッドを取り付け、鍵盤を押すと磁気テープに記録された音が出るという仕組みの楽器で、これはまさにサンプラーと同じ発想だった。また彼はテープ・ループによるドラムマシンも開発しており、これは現在のブレイクビーツも真っ青のリズム・ループがレバーひとつで切り替えられるという製品だった。
 これをもとに1960年代に改良されたのがイギリスのBradley(ブラッドレイ)三兄弟によって開発された"Mellotron(メロトロン)"だ。MellotronはChamberlinの模倣であったが、ロック・ミュージックに適していなかったChamberlinの特性を改良し、広くロックの世界で使われたため、ChamberlinよりもMellotronが磁気テープ式サンプラーの代名詞となっている。ただ、Mellotronも音色の切り替えがさほど簡単ではなかったうえ、なによりメンテナンスや持ち運びの容易さとは縁遠いシロモノだったことも事実だ。

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●Mellotronを有名にしたのはなんといってもThe Beatlesの"Strawberry Fields Forever"だろう。このイントロに出てくるMellotronのなんともいえない物悲しいフルートは典型的な音色だ。

 

 

●もうひとつMellotronの代表的なものを挙げておくなら、King Crimson(キング・クリムゾン)の"Epitaph"だろうか。The Beatlesの『Abbey Road』をアルバム・チャートの1位から引きずり落としたKing Crimsonのファースト・アルバムに入っているプログレの名曲だが、日本でも西城秀樹などがカバーしていることで一部のファンで話題になった。このイントロから出てくるストリングスもまたよく使われるMellotronの代表的な音色だ。Mellotronはその構造上、鍵盤を押さえて8秒足らずでテープが切れてしまうので長いフレーズには向かない。鍵盤から手を離すとテープが自動的にバネで巻き上げられ、素早くアタマに戻る仕組みだが、戻り切る前に再度鍵盤を押した場合はその途中の位置から再生を始める。

 

 

●The Moody Boues(ムーディ・ブルース)もよくこのストリングスの音を使っている。Mellotronはとりわけその物悲しい音色からプログレッシヴ・ロックの世界で重宝されることとなった。

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デジタル・サンプラーの登場

 70年代に入って質のいいストリングス・シンセサイザーが登場して以来、徐々に陰りを見せ始めていたMellotronの存在の裏では、新しい技術によるテープ・メディアに依存しない「デジタル・サンプラー」が開発されていた。1979年、オーストラリアのFairlight(フェアライト)社から発表されたCMIはその先駆的存在だった。シーケンサーも内蔵し、サウンド・ライブラリは8インチのフロッピーによって供給された(ハードディスクはまだ一般的に存在していない時代)。1200万円もする超高額な楽器だったが、いわゆるワークステーションの元祖としていまや伝説化している。

 

 まもなくしてアメリカのNew England Digital社からSynclavier(シンクラヴィア)のサンプリング・オプションが登場。こちらはのちにハード・ディスク・レコーディング・オプションも発表され、フルセットで1億円近かったが、それでもそこそこ売れたという。
 1982年になってアメリカのE-mu Systems社からEmulator(イーミュレーター)が発表された。これは300万円近かったが、それまでのものと比べると格段に安く、最大8ボイスで8ビット、メモリ128キロバイト、サンプリング・タイムは2秒と今では1万円のオモチャと比べても見劣るスペックだが、これは相当数売れたようだ。その登場のインパクトはMellotronの比ではなかった。鍵盤を押さえると生音が聞こえるという感覚は当時の人にはあまりにも衝撃的だったのだ。

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●EmulatorやCMIなどの初期のサンプラーだけでほとんどの音を作ったアルバムは特にニュー・ウェーブ系のアーティストにいくつか見られるがかなり少ない。
細野晴臣の『フィルハーモニー』も8bitのEmulatorを多用した作品として有名だが、ここではイギリスのOMDが1983年に発表した『Dazzle Ships』というアルバムからのシングルを紹介しておきたい。OMDは独特の暗さとエレクトロニック感を持ち合わせたグループで、このアルバムは全編にわたってロービットなサンプラーの嵐が吹き荒れている。

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 これらの海外勢を打ち破ったのが日本のAKAIのサンプラーだ。1985年に発表されたS612はEmulatorに負けずとも劣らないスペックでありながら16万8千円という現実的な価格で人気が出た。海外のメーカーもこれに対向する製品を作らざるを得なかったのは火を見るよりも明らかだ。のちにAKAIはMPCシリーズでヒット商品を送り出し、特にヒップホップの世界でもてはやされていた。
 もう一つ忘れてはならないのがサンプリング技術を使ったドラムマシンの登場だ。ロサンゼルス出身のRoger Linn(ロジャー・リン)が1979年に開発したドラムマシンLM-1がこの世に出た最初のデジタル・ドラム・マシンだろう。とにかく音がかっこよく、当初から注目されていたが、最初の数十台は彼自身がガレージで組み立てていた。途中で手に負えなくなり製造を外注することになるが、その改良版Linn Drumはさらにヒットした。LM1はサンプリングタイムに限界があり、メモリを消費するシンバルの音をあきらめざるを得なかったが、Linn Drumではそれが搭載。音質も一段と良くなった(ただし現在ではLM1のほうが評価が高い場合もある)。
 しかしこれもまた日本のメーカーによって駆逐され、Roger Linn自身もAKAIのMPCの開発に参加することになった。この時期、デジタル機器の開発を得意としていた日本の攻勢はとどまるところを知らなかった。
 以後10年ばかりは大きな動きもなく、サンプラーの世界は地道なスペックアップを繰り返していくだけのように見えたが、事情が変わってきたのはここ5~6年のことだろう。

 

 

サンプリング・ミュージック

 サンプラーは出た当初からすぐに新しもの好きのミュージシャンが飛びついたが、実際のところはまだどうやって使うべきものなのか、そこが今ひとつ確立していなかった。
 サンプラーの持つ特異な音の世界をむき出しの状態で披露してくれたのは以前の連載でも少し取り上げたイギリスのArt of Noiseだった。Buggles、YESのメンバーでもあり、tATu、Frankie Goes To Hollywood、Grace Jonesなどのプロデューサーとしても高い評価を受けていたイギリスの重鎮Trevor Horn(トレヴァー・ホーン)を中心としたメンバーで1983年に結成された。メンバーのJ.J. Jeczalik(J.J.ジェクザリク)はFairlight CMIを2台所有しており、初期Pet Shop Boysのメンバーとしても活動していた。バンドのネーミングはイタリアのLuigi Russolo(ルイージ・ルッソロ)が1913年に提唱した"騒音芸術"から来ている。Russoloはイタリア未来派の音楽家で、"L'Intonarumori(イントナルモーリ)"という騒音発生装置を作ったことで知られている。Art of NoiseはこのRussoloの提唱したことをサンプラーによってポップミュージックに昇華させようという試みだった。

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●サンプリングの面白さをみんなに教えてくれたのはきっとこの曲だった。
全部Fairlight CMIで作っているため、いわゆる"ハイ落ち"が激しく、全体的にキラキラした倍音成分がないが、それがまた良かった。途中で一瞬TOTOの"Aftrica"のワンフレーズがサンプリングで登場するが、これは問題にならなかったのだろうか。

 

 

●もうひとつArt of Noiseと聴いてこの曲を思い出す人がいればかなり"わかっている人"だろう。これもまたサンプリングの可能性を新たに見出してくれた傑作だ。

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著作権問題 

 サンプラーの普及によって音楽は一変したが、一方では"著作権"という新たな問題が発生した。ヒップホップの世界では特に他人のレコードから抜いてきた音をサンプリングして組み上げていくという手法がとられるため、ことさら問題になることが多かった。Sugarhill Gang(シュガーヒル・ギャング)の"Rapper's Delight"がCHICの"Good Times"をサンプリングして問題になった最初のサンプリング事例として有名だが、Afrika Bambaataaも"Planet Rock"でKraftwerkの"Trans-Europe Express"のサンプリング問題でモメにモメたが、結局は金で解決した。
 イギリスのKLFはもっと挑戦的な手法でサンプリングにおける著作権問題に噛み付いていた。いかにもやってはまずそうなThe BeatlesやABBAやSamantha Foxの大ネタを無許可でサンプリングしまくった。2 Live Crewもいかにもヤバそうな替え歌をサンプリングで堂々とリリースしてしまい、案の定訴えられて、すわ賠償金かと思いきや、なんと2 Live Crew側が勝訴するというウルトラC的な裁判結果が出た。いずれにせよ現在ではサンプリングは権利者の許諾をとって使用するのが普通である。まー、こういうおおらかな時代もあったということだろう。

 

 

脱・サンプラー 

 パーソナル・コンピュータの発達によって2000年前後からハードディスク・レコーディングが普及し始め、何でもかんでもパソコンでできるようになってきた。サンプラーもまたソフト化してしまい、今ではサンプラーは何十ギガという膨大なサンプルライブラリーとプラグインで24bitの超高音質なサンプルを扱えるようになった。何十万もするハードウエア・サンプラーにZipドライブを付けて数メガバイトのライブラリをロードしていた時代からすると信じられない進化だ。
 大容量化してきた最大の理由は、ちょっとしたことならわざわざサンプリングしなくてもDAWソフト上で波形をペタペタ貼り付けていけばできてしまうことだろう。なんでもかんでもサンプラーに頼ってた時代は終わってしまった。しかしだからといってサンプラーの役目が終わったわけではなかった。大容量化によってより細かなサンプリングが可能になり、ドラムやピアノ、ストリングスなどでは本物と見分けがつかないくらいにまで制度が向上している。つまり本物楽器の代用品としての使い方だ。あるいはプロが時間をかけて作ったシンセの音やフレーズがそのままサンプリングされているものもたくさん発売されていて、ひとつライブラリ・ディスクを買えば、それだけでダンスミュージックが作れるということも珍しくない。最近ではソフト・サンプラー用のライブラリをダウンロード販売しているメーカーも増えた。パソコンのほうがなにかと安価で便利なのはいうまでもない。
 さらに最近ではそのパソコンですらスマホやタブレットに駆逐されようとしている。iPad用のサンプラーソフトの中には無料のものもあるくらいだ。1200万円だったFairlight CMIも今ではiPad用アプリになって1000円で売られている。価格が実機の1万分の1以下になってしまった。

 

 このようにうっかりよそ見をしているとすぐに置いて行かれるサンプリング事情だが、新しい流れの中で24bitから32bitへの移行も噂されている。8→12→16→24とハイビット化してきたサンプリング業界ではあるが、人間は飽くなき欲求を満たそうとしている。その一方でロービットの持つ独特の"粗さ"を再評価する声も相変わらずあることも忘れてはならない。E-mu SP-1200のように12bitでありながら再生産まで成し遂げた名機もあり、これはハイビットであることが必ずしも音楽の需要を満たすものではないことを示唆している。この論争も永遠に終わることはないだろう。