十月 06

シンセ今と昔 : 80年代前半、デジタル、リズムマシン、そしてMIDIの誕生

シリーズ第2回目はシンセの低価格化がもたらした Depeche Modeらの"ニューウェーブ"、そしてサンプラー・ミュージックのはしり Art Of Noise!? CMソングでも知られるあの曲や不思議な音の出るシンセの映像を交えて70年代末〜80年代前半を紐解く

By Ryota Hayashida

 

 80年代に入ってからのシンセサイザーは、日本ではYMOの成功によって一般に認知されていたが、まだまだ市民権を得たわけではなく「あ、なんか不思議な音が出るあれね」というキワモノ的な見方をされていた。"デジタル"という言葉を聞いて殆どの人が出始めたばかりの液晶の腕時計しか思い浮かべなかった時代に、コンピュータで音楽を作るという行為そのものがまったくもって一般人の理解の範疇を超えていた。

 

 とはいえシンセサイザー・ミュージックは急速に発達しようとしていたのだ。

 

 70年代の特権階級的な存在だったシンセをアマチュア・レベルのオモチャ的楽器に引き下げてくれたのは、イギリスのインディーズ・シーンで活躍した若いアーティストたちだった。1978年頃のイギリスは若者が失業者であふれかえり、廃墟ビルを不法占拠して自由に音楽制作をしていた。

 

 いわゆる"ニューウェーブ"と呼ばれたムーヴメントがそれで、それまでのパンク・ムーヴメントからの脱却を図ろうと試行錯誤していたイギリスの若者は、席巻していたロック的要素を捨て去り、ブラックミュージック、とりわけモータウンやレゲエの思想に傾倒していた。それと同時にドイツやフランスの電子音楽や実験音楽が行ってきたエレクトロニクスの技術がより新しいサウンドを作ることにも注目されてきた。

 

 彼らの多くは楽器をろくに弾けない若者で、バイトで貯めた金で買ったチープなシンセを使って自宅や廃墟で録音するというものだった。シンセの低価格化によってこういうグループがイギリスにたくさん出現した。

 

 1981年にStevo(スティーヴォ)という左官屋の息子がDJ業の片手間に面白そうなデモテープを作ってきた連中たちの作品を集めたコンピレーション・アルバム『Some Bizzare Album』はまったく無名なアーティストしか参加していないにもかかわらず2000枚を売り上げた、ニューウェーブの創世記を語る上で欠かせない歴史的作品と言われている。参加アーティストにはDepeche Mode(デペッシュ・モード)、Soft Cell(ソフト・セル)、The The(ザ・ザ)など、のちにミリオンセラーをたたき出した大物たち。ほとんどの日本の人達はこの名前を知らないが、イギリスではその後大メジャーなアーティストになっていったのだった。そしてこの歴史的アルバムが今で言う"宅録"のはしりだった。これらの音楽はのちに日本で「テクノポップ」と呼ばれるようになっていく(海外ではSynth Popという)。テクノポップはニューウェーブから派生してきた電子音楽のことだと、とりあえず考えていいだろう。

 

「宅録の歴史的名盤Some Bizzare AlbumからSoft Cellの"The Girl With The Patent Leather Face"。彼らはノーザン・ソウルとノイジーでダークなポスト・パンクを融合させた二人組だが、たぶん知らない人はこの音楽を聴いて相当どマイナーなグループだったと思うだろう。しかし彼らはこのコンピの参加後に出したシングルが大ヒットしてイギリスはもちろん、アメリカでも一躍有名になった。実はボーカルのMarc Almond(マーク・アーモンド)はネット上にはローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)が彼の物まねをしている映像があるくらい知名度がある。まったくプログラミングできないリズムマシンを使っているため、シンプルこの上ないが、80年前後に打ち込みで音楽を作っている人はだいたいこれくらい出来ていれば上出来だった。4chのテープレコーダーで録音している作品。」

 

 

 特にDepeche Modeはシンセサイザーを多用した音作りと甘いルックスで人気があった。彼らの人気は日本では考えられないくらい高く、アメリカでは4万人のフットボール場をワンマンで超満員にできるほどのアーティストになっていった。

 

「エレクトロニック・ポップの新時代を築いたイギリスのDepeche Modeのデビュー曲“Just Can’t get Enough”の映像。日産マーチやGAPのCMなどでも流れ、The Saturdays、Dick Brave‬‬ & The Backbeats‬など多数のアーティストがカバーしておなじみだが、彼らはこのシングルをインディーズからリリースしていた。現在のヘヴィなイメージのDepeche Modeを知っている人ならこの初期のイメージは相当戸惑うかも。映像上での使用機材はmoog the source、YAMAHA CS15D、Roland Jupiter-4。」

 

 

 初期Depeche Modeのサウンドを支えていたのはのちにヒップホップやデトロイト・テクノなどでも定番となるリズムマシンRoland TR-808、そしてプログラミングがまだできず、プリセットのリズムパターンを選択してプレイするだけだったKORG KR-55、や持ち運び可能なセミ・モジュラーシンセARP 2600、当時の入門機だったRoland SH-2などで、比較的高価だった機種はプロデューサーだったDaniel Miller(ダニエル・ミラー:<Mute Records>のオーナー)などの私物でまかなっていた。

 

 79〜81年あたりまでは彼らのようにシンセサイザーをプログラミングして音楽を作っているインディーズのアーティストはまだまだ異端扱いだった。というのも、まず楽曲をまるごとプログラミングできるコンピュータがごく限られていて価格もまだまだ高かったこと、そしてシンセも外部からコントロールして音を出すということにさほど特化した機能を持っていなかった。

 

「Depeche Modeの初期リーダーで、トラックを作っていたVince Clarke(ヴィンス・クラーク)も日本ではほとんど知られていない。見ての通りキーボードはヘタクソだが当時の曲作りのプロセスを見せてくれている貴重な映像。」

 

 

 これを克服しようとしたのがMIDI規格の出現だ。楽器業界は1983年にMIDIの統一規格を発表し、外部からコントロールすることが簡単なMIDI端子を搭載したシンセを発売した。これには初期のデジタル技術が使われておりテンポの同期なども簡単にできるよう作られていた。


 

 デジタル技術はMIDIだけではなくアナログ方式のシンセのピッチの不安定さを解消する機能などでも使われはじめ、しだいにシンセもデジタル化の波が押し寄せてきた。この頃になるとまるごと一曲をプログラミングできるシーケンサー(自動演奏機)もだんだん安価に揃えられるようになってきた。

 

 1982年にはついにデジタル・サンプラー”Emulator”も登場。200万円以上もする非常に高価な楽器だったが、サンプリングできる時間はわずか2秒。まだまだ一般人が買えるような代物ではなかったが、誰もが未来の音楽のありかたを激変させる可能性を感じていた。

 

「E-Mu Emulator:サンプラーの元祖といっていいエポックメイキングな楽器。8ビットで、音は5インチのフロッピー・ディスケットから読み出し・保存が出来た。ニューウェーブのみならずBilly Joelなんかもこれをよく使っていた。シリアル番号1番はStevie Wonderが所有している。」

 

 

 1983年にはYamaha DX7を発表。これはデジタル音源を搭載したいわゆる"デジタル・シンセ"の幕開けとなった大ヒット商品で、25万円もしたのに1万台以上が売れたという。

 

 1985年には日本のAKAI Professionalが国産のサンプラーを発表、のちのMPCシリーズにつながっていく。

 

 サンプラー・ミュージックのはしりといえば、Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)などではなく実はイギリスのArt Of Noise(アート・オブ・ノイズ)だっただろう。YESやThe Buggles(バグルス)のヒットで既に名声を上げていたプロデューサー、Trevor Horn(トレヴァー・ホーン)が立ち上げたセッション・グループで、名前は1910年代に活躍したイタリアのLuigi Russolo(ルイジ・ルッソロ)が提唱した騒音芸術=Art of Noiseから来ている。ルッソロは電気もろくになかった時代に騒音発生器を作り上げ、それを使った実験音楽作品を作っていた。そのコンセプトをサンプリングで現代的にかっこよくやってみよう、としたのがAONだったのだ。サンプリングのお手本のような彼らの曲はインスト音楽だったにもかかわらずセールスもそこそこで結構話題になった。彼らの曲を聴いてサンプラーの可能性に興味を持ったアーティストは多かったと思う。"オーケストラ・ヒット"の生みの親といってもいいだろう。

 

「Art Of Noise "Beat Box"初期サンプリング音楽のお手本的作品。当時1200万円もしたオーストラリア製のサンプリング・ワークステーションFairlight CMIをイギリスで2台も所有していたJ.J. Jeczalik(ジェイ・ジェイ・ジェクザリク)が大きな役割を果たしている。なんとこのPVもディレクターは巨匠Anton Corbijn(アントン・コービン)だ。」

 

 

 80年代も後半になってくると世界のシンセ・ミュージックの事情は一変していく。それまでのニューウェーブは主流から遠ざかり、テクノやハウスといったクラブミュージックが台頭してくるのだ。次回はこのあたりから始めます。