八月 16

Sylvester:カヴァーソングとLGBTQ

カヴァーソングを通じて自分の真実を語り続けたディスコアーティストの愛と勇気と才能に迫る

By Chrissy on August 8, 2018

 

音楽上、ディスコシンガーのSylvesterは、そのパワフルなファルセットヴォイスと、ゴスペルの影響下にあるR&B系ディスコにメカニカルでシンセヘヴィなダンスミュージックを組み合わせたユニークなスタイルで知られており、後者は、ハウスとテクノ、そしてこれらに続く数多の他ジャンルの誕生を促したが、彼はゲイの権利活動家を代表するひとりとしても有名だ。

 

米国・サンフランシスコのゲイエリア、カストロ(The Castro)の住民だったSylvesterは、LGBTの政治家ハーヴェイ・ミルクからAIDS危機を経て1988年に死を迎えるまで、音楽業界内にゲイを公言する人物がまだほとんどいなかった中、そうであることを公言し続けた。

 

また、Sylvesterは “ジェンダー・フルイド / Gender Fluid” 、 “ジェンダークイア / Genderqueer” 、または “ノンバイナリー / Nonbinary” のような言葉が生まれるかなり前から、明確に、そして堂々とジェンダー・フルイドだった。彼はゲイカルチャー、具体的に言えば、サンフランシスコのそれがまだ白人、男性的力強さ、社会適合性を軸にしていた時代に、有色人種のゲイ男性として上記の言葉を実践していた。

 

カルト映画監督John WatersはSylvesterを「LSDでキマってるBillie HolidayとDiana Ross」と評価し、他からは「The Queen of Disco」と呼ばれ、その中性的なスタイルと風変わりなパフォーマンスはGrace Jonesと比較された。そして、Grace Jonesと同じように、Sylvesterの中でもカヴァーソングは非常に大きな部分を占めていた。彼はキャリアを通じて、25曲以上のカヴァーソングをレコーディングした。

 

Sylvesterのカヴァーソングへの取り組み方は非常にユニークで、他人の楽曲を定期的にピックアップしては、楽曲だけではなく歌詞も再解釈していた。Sylvesterは、それまで特定の意味で解釈されていたが、フェミニンな黒人ゲイ男性が歌うことで完全に違う意味を帯びる楽曲を選び出す才能に長けていた。

 

 

 

“Sylvesterは、カヴァーソングを通じてこのようなクイアな再文脈化作業をポップミュージックファンに届けた最初のひとりだった”

 

 

 

Sylvesterのカヴァーソングは、音楽業界が異常なほどこのようなテーマに関する議論を忌避していた時代の中で(当時は、Elton JohnやLiberaceのようなポップスターにもゲイであることを隠すように大きなプレッシャーがかかっていた)、セクシュアリティ、ジェンダー、人種などについての意見を述べていた。

 

また、誰もが知っている通り、ゲイカルチャーは再生と再利用が根底にある文化であり、たとえば、“キャンプ” の美学、“クイア” という単語の再定義、そして “ドラァグパフォーマンス” (特定の楽曲をクレバーに再解釈したものであることが多い)などがあるが、Sylvesterは、カヴァーソングを通じてこのような "クイアな再文脈化作業" をポップミュージックファンに届けた最初のひとりだった。

 

Sylvesterはロサンゼルスのペンテコステ派教会で歌いながら幼少期を過ごしたが、ティーンエイジャーになるとそこから抜け出し、サンフランシスコで活動していた、汎性欲主義のアシッド&ドラァグパフォーマンス集団 / ヒッピーコミューン、The Cockettesに参加した。Sylvesterは、ジャズ、ブルーズ、R&Bのクラシックな女性シンガーをアイドル視していたため、The Cockettesでは、Bessie Smith、Lena Horne、Josephine Bakerなど、自分が好んでいたシンガーの役を演じることが良くあった。

 

その後、Sylvesterは “Sylvester & The Hot Band” を結成し、サンフランシスコ周辺のクラブでオリジナルを演奏しながら、数々のカヴァーソングも演奏した。その中には、Herb Alpert「This Guy’s In Love With You」のカヴァーだったDionne Warwick「This Girl’s In Love With You」などが含まれており、この楽曲に関しては、当然ながら、Sylvesterは女性が主人公に設定されているWarwickヴァージョンを選んでいた。

 

1972年、Sylvester & The Hot BandがBlue Thumb Recordsと契約を交わすと、Sylvesterはそのクレバーなカヴァーソングをステージからスタジオへ移した。Neil Young「Southern Man」とLeonard Cohen「Hey, That’s No Way To Say Goodbye」のSylvesterヴァージョンには、オリジナルにはないSylvesterの個人的な経験が盛り込まれており、それぞれ人種差別と裏切りをテーマに据えている。しかし、この時代のSylvesterのカヴァーソングの中で出色なのは、Gram Parsons「She」のカヴァーだ。

 

 

オリジナルは、ロサンゼルスでカントリーロックを開花させた南部出身のロッカーParsonsが、南部のアフリカ系米国人女性のイメージをズレて理想化した楽曲で、“歴史ある広大な畑で奴隷のように働き”、“そこまで美人ではない” が、“歌は上手かった” という歌詞が用いられていた。この楽曲は、主人公として取り上げているアフリカ系米国人女性が経験してきた苦しみを全く考慮できておらず、まるで、The Eaglesがディズニーの『南部の唄』のテーマソングを手掛けたかのような内容になっている。

 

Sylvesterは主人公を自分に置き換えて歌っており、歌詞をほぼそのまま使うことで、 “She” を、自分自身、自分の声、有色人種である自分、自分のジェンダー・フルイド性、ステージ上の自分、そして教会での幼少時代を堂々と認めるステートメントに仕立て上げている。0:55からの歌詞がこの特徴を見事に要約している。

 

 

She could sing


She had faith, she had believing


She led the people all together singing


Praises of joy to the Lord up above


Hallelujah, hallelujah

 

彼女には歌声があった

彼女には信仰と信念があった

彼女は歌で人々を導いた

歓喜の歌を主へ捧げていた

ハレルヤ ハレルヤ

 

 

やがてThe Hot Bandが解散すると、Sylvesterはダンスフロアへの進出を目指すようになった。彼はサンフランシスコのゲイバーのライティングテクニシャンで、シンセサイザーの天才だったPatrick Cowleyと音楽制作を始めた。Cowleyの最先端のスタイルは、ゲイアンセム「You Make Me Feel (Mighty Real)」や「Do Ya Wanna Funk」など、Sylvesterの最大のヒット曲群に見られる、Hi-NRGディスコを生み出す助けとなった。

 

Sylvesterのサウンドが変わっても、カヴァーソングは継続された。その例のひとつが、1979年にリリースされたBen E. King「I (Who Have Nothing)」のカヴァーだ。Ben E. Kingのこの楽曲は、1961年にリリースされてイタリアでヒットしたJoe Sentieri「Uno Dei Tanti」の英語ヴァージョンで、時代遅れの家父長的ポップソングのクリシェを用いている。歌詞は、労働階級の男性が富裕層の女性と恋に落ちるが、彼女の求める絢爛なライフスタイルを提供できず、経済力のある他の男性に求婚される彼女をただ無力に眺めるしかないという内容だ。

 

 

I, I who have nothing 


I, I who have no one


Adore you, and want you so


I’m just a no one


With nothing to give you but oh,


I love you


He, he buys you diamonds


Bright, sparkling diamonds


But believe me


Dear when I say


That he can give you the world


But he’ll never love you the way


I love you

 

俺には何もない

俺には誰もいない

君を愛している 君を求めている

でも俺は何者でもない

俺は君に何もあげられない

でも愛ならある

彼は君にダイヤを買うだろう

まばゆい光を放つダイヤを

でも信じて欲しい

俺の言葉を

彼なら世界を君に渡せるだろう

でも彼には俺のような愛し方はできない

 

 

Sylvesterは歌詞の “彼” を “彼女” に置き換えており、「I (Who Have Nothing)」を、ゲイの男性がストレートの男性に恋をしたという内容の楽曲に変えている。

 

 

I must watch you


Go passing by


Wrapped in the arms of someone when, darling, it’s I


Who loves you


She, she buys you diamonds


Bright, sparkling diamonds


But baby I love you so


She can give you the world


But darling she’ll never know


How much I love you


Don’t you know that I love you

 

僕は君を見つめることしかできない

僕の前を通り過ぎる君を

別の誰かの胸の中にいる君を

でも、君を愛しているのは僕なんだ

彼女は君にダイヤを買うだろうね

まばゆい光を放つダイヤを

でも君を愛しているのは僕なんだ

彼女なら君に世界を与えられるかもね

でも彼女には分かりっこない

僕が君をどれだけ愛しているのかは

僕のこの気持ちが分からないのかい?

 

 

 

Sylvesterのカヴァーで換えられているのは人称代名詞だけではない。彼は「He’ll never love you the way I love you」と歌う代わりに「She’ll never know how much I love you」と歌っている。また、彼は、オリジナルの「I’m just a no one with nothing to give you / 俺は何者でもない 俺は君に何もあげられない」という一節を削除し、「I must watch you go passing by, wrapped in the arms of someone when, darling, it’s I who loves you / 僕は君を見つめることしかできない 僕の前を通り過ぎる君を 別の誰かの胸の中にいる君を」という歌詞を繰り返している。この変更は、オリジナルの歌詞のフォーカスを甲斐性から窃視症的なものへ変移させている。また、Sylvesterはアウトロで以下のヴァースを5回繰り返すことで、自分のヴァージョンを10分以上の長尺にしている。

 

 

Take you any place she wants

To fancy clubs and restaurants

And honey I can only watch you with

My nose pressed against the window pane

 

彼女は自分が行きたい場所へ君を連れ回す

素敵なクラブやレストランにね

でも僕は君を見ることしかできない

窓に鼻を押しつけながら覗くしかないのさ

 

 

このような秘密主義と窃視症へのフォーカスは、「I (Who Have Nothing)」という楽曲を、ゲイライフの孤独感、枠の外から眺めることしかできないやるせなさを訴える楽曲に変えている。このカヴァーソングは、初めてこのようなテーマに光を当てたメインストリームレコーディングのひとつで、Erasure、Bronski Beat、Pet Shop Boysなどの後発アーティストたちが1980年代に同様のテーマを持ち出す道筋を作った。

 

 

 

“Sylvesterは他人の楽曲で自分の真実を語り、ジェンダー・フルイドな黒人ゲイ男性がまだ発話できなかった言葉を話し、後進たちがより正直に自分たちの真実を語れるように道を切り拓いた”

 

 

 

1980年にリリースされたアルバム『Sell My Soul』で、SylvesterはPeggy Leeのヴァージョンで世界的に有名になった、Little Willy John「Fever」のカヴァーを収録した。Sylvesterは、歌詞はほぼ換えなかったが、バックアップシンガーに「Fire shut up in my bones / 骨の中に封じ込まれた炎のように」というフレーズを歌わせている。

 

4分過ぎから始まるこのフレーズは、リスナーを「I (Who Have Nothing)」的なダンスフロアトランスへと誘っていくが、このフレーズは、聖書の預言者エレミヤの言葉から引用されたものだ。エレミヤは「主の言葉は一日中、私に辱めと嘲りを与えました。しかし、私が “二度と主の名前を語るまい、主について触れまい” と誓っても、主の言葉は私の心の中で炎のように、骨の中に封じ込まれた炎のように燃え上がるのです。私はその炎を抑えるのに疲れました。抑えつけるのは不可能なのです」と語っている(エレミヤ第20章8・9)。

 

 

Sylvesterが幼少時代を送った黒人系ペンテコステ派教会の中ではこのエレミヤの言葉は直接的・恍惚的神体験を表現するものとして有名で、信者の間で引用される機会もままある。この言葉を引用することで、Sylvesterは「Fever」の中心に据えられている熱と情熱のメタファーを、本当を気持ちを隠すことはできないというエレミヤの苦しみと結びつけながら、同性愛のロマンスとカミングアウトをやんわりと暗示しつつ、かつてペンテコステ派信者だったリスナーたちにウインクを送っている。

 

ダンスミュージックカルチャーの大部分、具体的に言えば、恍惚感、トランス感、共感、一体感は、黒人系ペンテコステ派教会をルーツに持っており、ダンスミュージック史に名を残してきた有色人種系LGBTQアーティストの多くは、この宗派の元メンバーだった。彼らは、自分たちのセクシャル / ジェンダーのアイデンティティを受け容れながら、教会で過ごした日々に得ていたコミュニティ感と霊性、畏敬の念を感じられる独自の空間とシーンを作り上げようとしていた。Sylvesterは、「Fever」にたったワンフレーズを加えることで、この楽曲をゲイ / ブラック / 教会出身のダンスミュージックファンの密かな賛美に変えていた。

 

その後数年は、ダンスミュージックとLGBTQコミュニティ、そしてSylvester本人に大きな変化をもたらすことになった。同性愛嫌悪・人種差別主義がディスコシーンを全面攻撃し、メジャーレーベルがディスコ系アーティストを大量解雇することになるのだが、Sylvesterの全ディスコトラックをリリースしていたFantasy Recordsは、以前からセクシャリティとジェンダープレゼンテーションについてSylvesterと意見が対立していた。

 

Fantasy Recordsの元プレスディレクターTerry Hinteは「一部の小売店が彼のアルバムを置くのを拒否したし、一部のラジオ局、特にブラック系ラジオ局は彼のトラックをプレイするのを拒否したわ。どちらも、彼の煌びやかで艶やかなイメージを嫌がっていたわ」と振り返っている。そのため、Fantasy RecordsはSylvesterのイメージを、Teddy Pendergrassのような、より男性的なR&Bシンガーのそれに変えようとしたが、Sylvesterは自分の派手なイメージを変えることを拒んだ。

 

Sylvesterの共同作業者だったJemes “Tip” Wirrickは「レコード会社は女性に寄りすぎないイメージを維持したがった。男性ファッションに身を包んだ短髪の彼を打ち出そうとしたんだ。結局、そのイメージ戦略は上手く行かなかったが、彼らはその方向性をプッシュしようとした。商品価値を失わないようにしたんだよ」と語っている。

 

 

Sylvester in Golden Gate Park © Fayette Hauser

 

 

このような証言は次の疑問に繋がる。果たしてFantasy Recordsは、Sylvesterが「She’ll never know how much I love you」のような歌詞のオリジナル楽曲を制作していたら、それらを素直にリリースしたのだろうか? 

 

資本主義と同性愛嫌悪主義の影響で言いたいことを直接言えなかったSylvesterは、他人の歌詞を拝借することで自分を語る手段を得ていたのだ。

 

Fantasy Recordsとのイメージを巡る衝突に加え、メインストリームの音楽的趣向の変化もあったため、Sylvesterとレーベルは1981年に袂を分かった。そしてほぼ同時期に、Sylvesterは、20万ドル以上のロイヤリティの支払いを怠っていたマネージャー / レコードプロデューサーのHarvey Fuquaとの関係も断ち切ると、共同作業者で友人でもあるPatrick Cowleyがサンフランシスコで立ち上げたゲイディスコインディーレーベル、Megatone Recordsへ移籍した。

 

この移籍は、メインストリームへの影響力という意味では、彼にとってステップダウンとなったが、クリエイティブな自由度は高まり、自分の性的指向とジェンダーアイデンティティも受け容れられた。しかし、Sylvesterのキャリアがまた軌道に乗ったかのように思えた瞬間、Cowleyが謎の病に冒されてしまう。1982年11月、Patrick CowleyはAIDS患者最初の1,000人のひとりとして、この世を去った。

 

当時、この疾患に関する世間の知識はゼロに近かった。AIDSという単語が生まれたのは1982年7月になってからで、1982年6月には、米国防疫センターが、この疾患はゲイクラブシーンで好まれていた2種類のドラッグ(ポッパー / エクスタシー)経由で発症する可能性があるという内容の報告書を発表していた。

 

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)はまだ発見されておらず、AIDSの感染テストや治療法も存在しなかった。AIDSを患っていたセレブリティはまだひとりもおらず、AIDS患者擁護団体もひとつも存在しなかった。時の米国大統領、ロナルド・レーガン(共和党)はAIDSの存在自体を認めることを拒否し、この疾患の感染経路がトイレの便座なのか、蚊なのか、キスなのか、握手なのかも不明だった。このような状況が重なったことで米国社会ではAIDSヒステリーが発生し、その現象は時として “同性愛嫌悪” と表現された。一部の共和党議員を含む多くの米国人が、AIDS患者を政府管轄対象とし、隔離施設に収容するか、国外へ追放することを求めた。

 

このような状況の中、1983年にSylvesterはアルバム『Call Me』をリリースした。約1年前にこの世を去った親友が立ち上げたゲイレーベルからリリースされたこのアルバムは、AIDS危機への彼からの回答だった。

 

 

『Call Me』のAサイドは、Sylvesterが「サンフランシスコへ向けたAIDSにつちてのメッセージ」としていた、オリジナルの失恋ソング「Trouble In Paradise」で幕を開け、死と死後の世界、そして神との出会いがテーマに据えられている葬儀用ゴスペル「He’ll Understand and Say Well Done」のカヴァー「He’ll Understand」で終わる。この楽曲には次のような歌詞が含まれている。

 

 

If when you give the best of your service

Telling the world that Savior has come

Be not dismayed if your friends don’t believe you

I know that He’ll understand and say “well done”

 

主に精一杯の奉仕をし

主が現世にいらっしゃったと世に伝えようとする時に

周りから信じてもらえなくても気落ちする必要はない

主はあなたの努力を認め「ご苦労でした」と褒めてくださるでしょう

 

 

この歌詞は、冷笑や嘲りに屈せず勇気を持って自分に正直でいようとするエレミヤの言葉に通じているが、敗北感の中に明るさと希望を加えている。この楽曲も彼がペンテコステ派をポジティブなものとして捉えている証左のひとつだ。Fantasy Recordsとの苦い経験、カストロに住む自分の周囲で起きていた仲間の死を考慮すると、「He'll Understand」はパワフルで感動的なステートメントと言えるだろう。そして続くBサイドは、ある意味この楽曲とは180度方向性が異なる楽曲、「One Night Only」のカヴァーから始まる。

 

 

「One Night Only」は、The Supremesを想起させる女性ヴォーカルグループを主人公に据えた1981年のブロードウェイミュージカル『Dreamgirls』の楽曲だ。Motownの首脳陣のアイディアによって、Diana Rossを中心に据えられたグループから追われるように脱退したThe Supremesの初代リードシンガーFlorence Ballardを思わせるストーリーが組み込まれているこのミュージカルは、Sylvesterが『Call Me』を制作している期間に大ヒットを記録していた。よって、音楽業界を疑問視し、The Supremes(とクラシックな女性R&Bシンガー全般)を神聖視していたSylvesterが、このミュージカルに共感を覚えたのは簡単に想像できる。

 

Sylvesterが数ある『Dreamgirls』の楽曲の中から選んだ「One Night Only」は、第2幕の後半に登場する楽曲で、劇中でFlorence Ballard的役割を演じているEffie Whiteが、Dreams(The Supremesに相当)を追われたあとにカムバックを目指す際に用いられる。WhiteがスローなR&Bシングル「One Night Only」をリリースすると、Dreamsがそのディスコヴァージョンをリリースし、両シングルがチャートの順位を争うというストーリーだ。

 

「One Night Only」の歌詞は、カジュアルセックス、悲しみ、喪失がテーマで、AIDS危機直前の米国で暮らすストレートな女性の視点で書かれたものだ。そのオリジナルから2年後にリリースされたSylvesterヴァージョンは、AIDSがテーマのひとつに据えられている楽曲として捉えることができる。収録順が「He’ll Understand」の次であることを踏まえれば、この解釈の正当性はさらに高まる。

 

尚、このアルバムのリリース後、A&Rの優秀なメタアイディアだったのか、単純に現実を奇妙になぞったアートだったのかは分からないが、Megatone Recordsは「One Night Only」のライバルヴァージョンもリリースした。こちらは『Dreamgirls』のヴァージョンと同じアップテンポなダンストラックで、現実世界のThe Supremesの元メンバーScherrie Payneがヴォーカルを担当した。ちなみに、アルバム『Call Me』のラストを飾っているR&Bクラシック「Band of Gold」のオリジナルを歌ったFreda Payneは、Scherrieの姉だ(彼女もまたSylvesterのアイドルのひとり)。

 

上記の様々な事実は、複数の要素が複雑に絡み合うコンセプチュアルな "カヴァーソング・イースターエッグ” を構成している。このイースターエッグからは、SylvesterとLGBTQコミュニティが1980年代前半に何を体験していたのかを理解することができる。

 

オリジナルの「Band of Gold」は、ゲイの男性と結婚した女性を主人公に据えていると思われる歌詞が理由でゲイクラブでも受け容れられたクロスオーバーヒットR&Bだった。この楽曲を手掛けたHolland-Dozier-Hollandは、そのようなバックストーリーを意識していなかったが、ゲイのリスナーたちがそう捉えた理由は、以下の歌詞を読めば簡単に理解できる。

 

 

We kissed after taking vows

But that night of the honeymoon


We stayed in separate rooms 


I wait in the darkness of my lonely room


Filled with sadness, filled with gloom


Hoping soon


That you’d walk back through that door


And love me like you tried before

 

わたしたちは愛を誓いあいキスをしたわ

でもハネムーンの初夜

2人は別々の部屋にいる

ひとりぼっちで暗い部屋にいるわたし

悲しみに包まれ 心は沈んだまま

待っているの

あのドアを開けてあなたが入ってくるのを

また愛そうとしてくれるのを

 

 

当時のSylvesterは、指輪を交換し自分の夫だと呼んでいたパートナーに突然別れを告げられたばかりだった。よって、この「Band of Gold」のカヴァーは、本質的にはその辛さを叫ぶためにレコーディングされた作品だ。Sylvesterは、歌詞から「separated rooms」(ゲイをイメージさせる唯一の部分)を削除し、「love me like you tried before(また愛そうとしてくれるのを)」を「like you did before(また愛してくれるのを)」に換え、さらには独自のイントロを加えることで、「Band of Gold」をよりパーソナルな失恋ソングにした。

 

 

また、この楽曲のもうひとつの特徴は、センターイメージ、つまり結婚指輪にある。「I (Who Have Nothing)」の「ダイヤを買う」の一節と同じく、Sylvesterは、宝石が出てくる歌詞(また、宝石を身に着けて楽しむのは誰なのかについての一般的なイメージ)を利用することで楽曲の意味を変えている。

 

1983年当時、ゲイを公言する男性が結婚指輪の楽曲を歌うことは、本人のステートメントを発表することと同じだった。Sylvesterは社会が認めるかどうかは関係なくパートナーと籍を入れており、「Band of Gold」のカヴァーはそれを支持するステートメントとして機能している。こうして、ゴスペルとR&Bをゲイコミュニティの死と喪失にフォーカスするレンズとして使用して制作されたアルバム『Call Me』は、また別の喪失をテーマに据えたR&Bクラシックのカヴァーで幕を閉じるわけだが、このゲイコミュニティに愛された楽曲のカヴァーには、ゲイの権利に関するSylvesterからの挑戦的なメッセージも含まれているのだ。

 

AIDS危機の頃のゲイライフについて言及しているもうひとつのSylvesterのカヴァーソングが、1984年にリリースされた「Lovin’ Is Really My Game」だ。1977年にディスコヒットとなったBrainstormのオリジナルはBPMが140近くあり、当時は高速ダンスミュージックとして認識されていた。また、歌詞は、ダンスは嫌いだが男との出会いを求めてナイトクラブへ出向く女性を主人公に据えている。

 

1984年までに、AIDSによる死者は7,500人を超えていたが、まだウイルス検査や血液検査は存在せず、サンフランシスコやニューヨークのような大都市群は、法的な圧力をかけてサウナやゲイバーを閉店に追い込んでいた。この当時、ゲイクラブで好まれる音楽はより高速に、よりメカニカルになっており、SylvesterとPatrick Cowleyが創出に手を貸したサブジャンル、Hi-ERGが台頭しつつあった。

 

「Lovin Is Really My Game」のSylvesterヴァージョンも高速テンポで、オリジナルを上手く再現していたが、男を捕まえるために堂々とクラブへ出向く女性を主人公に据えていたオリジナルの歌詞は、AIDS危機の最中にいたSylvesterが歌うことで大きく異なる意味を与えられていた。当時、周囲の友人たちが命を落としていく中で、Sylvesterは空き時間に病院のAIDS病棟でボランティアに従事しており、その一方で、行政府は彼がこのカヴァーで取り上げている場所そのもの − クラブ − をシャットダウンしようと躍起になっていた。しかし、Sylvesterのカヴァーでは、タイトルの「Lovin Is Really My Game」がトランス的フレーズとして何回も繰り返されていくうちに、ダンスミュージックシーンの礎である愛と一体感によって楽曲全体のフィーリングが楽観と回復力と普遍性を備えたものへと変わっていく。

 

Sylvesterはこのテクニックをキャリアを通じて繰り返し使用した。彼は、他のアーティストの歌詞の中にポテンシャルを見出し、それを自分のセクシャリティ、ジェンダー、人種、経験を語るのにどう使えるのかを精査したあと、そのようなテーマを中心に据えた、長尺のトランスモーメントをダンスフロアに生み出した。Sylvesterは、他人の楽曲で自分の真実を語り、ジェンダー・フルイドな黒人ゲイ男性がまだ発話することを許されていなかった言葉を話し、後進たちがより正直に自分たちの真実を語れる道を切り拓いた。Sylversterのように他人の言葉を介して自分たちの立場を我々に教えてくれるアーティストは他のどのジャンルでもまず見つけることはできない。

 

 

Header Photo:© Michael Ochs Archives