七月 16

The Style Council:Paul Wellerがすべてを捨てて挑んだもの

Paul WellerはThe JamでUKを代表するポップスターとなったが、次に取り組んだThe Style Councilで世間を唖然とさせた。

1982年にPaul WellerがThe Jamの解散を決めた当時、このバンドはUK最大の人気を誇っていた。しかし、当時わずか24歳だったWellerは3ピースバンドだったThe Jamでは自身の音楽性が制限されていると判断。WellerはThe Jamの大々的な解散ツアーを行い、ホーンとピアノを取り入れたラストシングル「Beat Surrender」でチャート1位を獲得すると、Rickenbackerのギターとユニオンジャックのブレザーに別れを告げ、新たな音楽性の追求に乗りだした。

この方向転換はThe Jamのファンにはショックだったが、実はその兆候は以前から見られていた。The Jamの後期の作品ではホーン、ストリングス、オルガンなどが取り入れられるなど音楽性が拡散しており、モータウンやラテン、Curtis Mayfieldなどからの影響がそのグルーヴに徐々に現れるようになっていた。

1983年3月1日、Wellerはこの新しいプロジェクトにThe Style Councilという名前を付け、以降6年間に渡り、Mick Talbot(キーボード)と共にその先進的な音楽で、多くのファンにスリルと謎を交互に与え続けることになった。またThe Style Councilは意図的に「ヨーロッパ」というイメージを明確に打ち出すことでWellerから「労働者階級のモッズ」というイメージを遠ざけ、その代わりにロングのレインコートとイタリア製ローファーを身にまとい、パリのカフェでカプチーノを飲むアーティストというイメージを植え付けた。フランス語の歌詞と水玉模様のスカーフなどと共にイメージ戦略が用いられ、ウォキング出身の英国人Wellerは正真正銘のヨーロッパ人になったのだ。



The Jam時代のファンの多くはWellerのThe Style Councilでの新たな挑戦にしばらくは付き合ったが、その理由は簡単に理解できる。というのは、「Speak Like a Child」や「A Solid Bond in Your Heart」のようなThe Style Councilの初期シングル群はThe Jamが活動後期に打ち出していたアップテンポなソウルポップそのものだったからだ。実際「A Solid Bond in Your Heart」はThe Jam時代にレコーディングされた楽曲で、当初は「Beat Surrender」の代わりにラストシングルとしてリリースされる予定だった。ただし、The Style Councilではこれらの楽曲の他に、スラップベースのファンク「Money-Go-Round」やスロージャムバラード「Long Hot Summer」など、更に幅広い音楽性の作品が作られた。とは言え、The Style Councilが、The Whoの打ち出した「Maximum R&B」の80年代版と言えたThe JamをよりモダンなR&Bで表現したプロジェクトだったと考えれば、これらの幅広い音楽もThe Jamからの論理的な進化として捉えることができた。

しかし、ファーストアルバムがリリースと共にすべてが変わった。再びWellerがギターをかき鳴らすのではないかというThe Jam時代のファンの期待は、この『Café Bleu』のA面が終わるまでには完全に打ち砕かれることになった。Wellerはこのアルバムの収録曲の半分しか歌っておらず(A面では2曲だけ)、彼の特徴だった激しいギターも姿を消し、その代わりにジャジーなコードとホーン、陽気なピアノが中心に据えられたインスト、ゲストヴォーカル、更には(成功とは言えなかったが)ラップまでもが用いられていた。尚、「The Paris Match」に至ってはWellerの姿はどこにもなく、ヴォーカルはEverything But The GirlのTracey Thornが歌っている。



レコードの売り上げが落ちなかったため、結果的に誰にも邪魔をされなかったWellerは次の作品で更に遠くへと歩を進めた。セカンドアルバム『Our Favourite Shop』では非常に巧妙な形でボサノバとフィリーソウルに取り組んでいるなど、その戦略は更に進められ、ギターは更に後方へと引っ込んだ。

しかし、サードアルバムから状況は悪化していく。 トラディショナルな1枚のLPにする代わりに、45回転のダブルパックが採用され、滑稽なオレンジ色のアートワークと共に1987年にリリースされた『The Cost of Loving』は、当時アメリカで流行していたR&Bやソウルをそれまで以上に追求した、The JamよりもJimmy Jam & Terry Lewis(Jam & Lewis)に大幅に寄った作品で、Anita Bakerの作品「Angel」のカバーにも挑戦している。Mick Talbotが初期The Style Councilに持ち込んでいたレトロなオルガンとエレピのサウンドは洗練されたシンセとFender Rhodesのサウンドに置き換えられた他、後にWellerの妻となるサポートヴォーカリストDee C. Leeの存在感も更に大きくなった。

このアルバムはUKチャートで2位を獲得したが、Wellerが自信とまでは言わずとも、音楽的な方向を見失っていることが感じられる作品となった。批評家たちはこのアルバムを酷評し、アコースティックバラードのセカンドシングル「Waiting」は、Wellerがキャリアで初めて味わった失敗となった。そしてWellerが自身の気持ちに正直に、The Style Councilが常に打ち出していたアンチロックの姿勢を保ち続けたことで、更に悪い結果が生まれる。『Confessions of a Pop Group』は批評家たち、そしてリスナーからも徹底的に嫌われ、大惨事となった。このアルバムでは彼らがそれまでの数年で培ってきたモダンなポップとソウルを組み合わせたアップテンポな音楽と、DebussyやFrank Sinatra、The Swingle Singers(彼らは「The Story of Someone’s Shoe」にゲスト参加している)などに影響を受けた、ヴィンテージなポップ/クラシックな音楽という2つの方向性によって分断されていた。

しかし、収録曲の大半が見当違いな結果に終わった『Confessions of a Pop Group』の中には、何故かWellerの作品の中でもとりわけ素晴らしいクオリティを誇る楽曲が2曲含まれている。ドラマティックにアルバムの幕を開ける「It’s a Very Deep Sea」はダイビングをメタファーに用い、「僕は水面へ浮かび上がり、正気を取り戻すのだろう」と歌っているが、これは当時彼が何を考えていたのかを理解するための大きなヒントとなっている。控えめなアレンジに支えられた流麗なピアノと美しいヴォーカルハーモニーが特徴のこの楽曲は、Wellerのオールタイムベストに匹敵するクオリティと言えるだろう。



そしてもう1曲、「Changing of the Guard」はWellerとLeeのデュエットがフィーチャーされた力強い50年代風ポップだが、この楽曲での両者のヴォーカルは過去最高と言って差し支えのないクオリティで、2人のデュエットとしては間違いなく最高傑作だ。Wellerのヴォーカリストとしての実力はThe Jam時代から急速に落ち着きを見せるようになっており、「The Eton Rifles」の彼からは全く想像できない存在感を放っている。

The Style Councilの音楽的な統合失調症の最終段階は、このバンドの活動期間中に日の目を見ることはなかった。ソウルとR&Bを離れ、アメリカで急速に成長していたアンダーグラウンドダンスミュージックへ興味を持ちだしていたWellerはハウスとガラージへ傾倒し、結果的にアルバムを1枚制作した。 そのアルバム『Modernism: A New Decade』は、Wellerにとっては10年後に迎える新世紀に向けたソウルミュージックだったが、このアルバムからはラストシングル(1989年にリリースされた「Long Hot Summer」のリミックスは除く)となったJoe Smoothのカバー「Promised Land」 (このシングルのリミキサーのひとりに起用されたのが、デトロイトの若手プロデューサー “Magic” Juan Atkinsだった)を含む3曲だけがリアルタイムでリリースされるに留まった。



Weller本人はこのアルバムに対して非常に情熱的だったが、所属レーベルPolydorはリリースを拒否。そしてRoyal Albert Hallでのライブも失敗に終わると、Wellerはファンが自分と共に次の音楽体験をする準備ができていないことを悟り、The Style Councilは1989年末に解散。Wellerはその後ほぼ2年間に渡って公の場から姿を消した。結果的にWellerはその後ソロとして復活し、再び大人気を獲得することになるが、それは彼が再びギターソロを弾くようになってからのことだ。

The Style Councilの作品群を振り返ると、Wellerは自己崩壊の危機と名声との葛藤を自分が唯一知っている方法、「音楽」を通じて表現していただけなのだということが明らかになってくる。色々言われながらも、結局のところThe Style CouncilでもWellerのキャリアの源である類い希なる作曲能力は発揮されており、その楽曲の多くは、古臭いレコーディングテクニックやThe Jamというハンデを抱えているにも関わらず、時の試練に耐えて今まで生き残っている。Wellerの迷走は、今振り返ればどう考えても避けておくべきだった方向へ彼の音楽を向かわせることになったが、徐々に下がった人気やレコードの売り上げ、そして大企業からの巨大なプレッシャーなどに晒されながらも、自分の信じた方向を追い続けた彼は尊敬に値する。現代の音楽の系譜からは外れているかもしれないが、The Style Councilの作品群には大小の宝石がちりばめられており、再評価の機は熟していると言える。