三月 20

Stretch & Bobbito:90年代NYを代表する伝説のラジオDJが当時を振り返る

NasやNotorious B.I.G.が世に出たきっかけ-それはThe Stretch Armstrong & Bobbito Showに他ならない。毎週深夜にニューヨークで放送されていたこのインディーラジオ番組は、1990年代を代表するラッパー全員がゲスト出演したと言っても過言ではない伝説の番組として知られている。現在はもう放送されていないが、オンライン上にはファンが今でも多数残っており、人気回を録音したテープの交換が頻繁に行われている。今回はRBMA RadioのDJ、Chairman MaoがStretch(DJ)とBobbito(MC)を迎え、当時のゲストやリスナー、そして「最高のヒップホップラジオ番組」という評価を得た理由などについて語り合った(尚、Vimeo上でレクチャーが視聴できる)。

RBMA:1998年にThe Source誌が「The Stretch Armstrong & Bobbito Show」をヒップホップラジオ番組のオールタイムベストに選出したよね。その当時はどういう気分で受け止めたのかな?

STRETCH:あの号を見た人なら憶えているかも知れないが、写真も載っていたんだ。あの写真の俺の髪型を見た? 世界中の奴らに見られたから、相当恥ずかしかったね。俺のヒップホップ体験は80年代のニューヨークでラジオから始まった。ラジオを聴いて俺はDJになろうと思ったんだ。だから評価された時は本当に嬉しかったけれど、話半分で受け止めておいた。なぜなら、Marley MarlやChuck Chillout、Red Alertが80年代にやっていた番組には遠く及ばなかったからさ。

BOBBITO:恐縮したのを憶えているよ。俺はカレッジラジオ、コミュニティラジオを経て、1989年から1993年の間はDef Jamのミックスショーのプロモーションをしていた。だからMarley MarlやPete Rock、Kevvy Key、Special K、Teddy Ted、Dirty Dozenなどを聴いて育ったってわけじゃないんだ。むしろ奴らは俺の友人だった。本物のコミュニティだったし、それ以上の存在だったね。全国的に有名になることは俺たち2人が最初から願っていたことだったが、結果的にダビングテープの交換やブートレッグでそうなっていった。



RBMA:「全国的に」じゃなくて「世界的に」だよね。

BOBBITO:そう、世界的だった。インターネットが生まれる前の時代だったのにさ。80年代は80年代で素晴らしかったが、俺らはそれを少し違う形でやろうとした。ラップのラジオ番組のスタイルを変えたんだ。俺たちはCM抜きで4時間放送した。これは誰もやったことがなかった。それに、StretchがGG Allinのレコードをプレイする時もあった。

RBMA:君たちの番組に対してみんなが噂にしていたのは、プレイされるレコード、フリースタイル、様々なゲストだった。だけど、それ以上に君たちは当時のニューヨークのシーン、そしてコミュニティを表現した存在だったよね。君たちのスタイル、話し方、お互いをいじりあうトーク、リスナーへのいじり、すべてが生粋のニューヨーカーを感じさせるものだった。

BOBBITO:多くの人がカレッジラジオを足掛かりにコマーシャルラジオに進出しようとしていたが、俺とStretchは当初そういうことは全く考えていなかった。ただ面白い番組にしたいと思っていただけだった。実際、トラックリストの公表すら考えていなかった。リスナーがそれでクレイジーになると思ったからね。

STRETCH:みんな最初の2ヵ月はプレイされたトラックをメモしていたけれど、その後はもうメモ用の紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱へ投げ捨てて、2度とメモしようとは思わなくなった。

BOBBITO:俺たちが愛された理由は、自分たちに正直にいようとしたから-要するにバカでオタクな感じを続けたからだと思う。

Flexに「お前の番組最高だぜ。でもお前DJなんだからもっとトークしろよ! リスナーにはお前が誰か分からないじゃないか」って言われた

STRETCH:初回のDJは凄く緊張したね。最低でも15人は聴いているのを知っていたからさ。で、俺がDJに集中し始めて、Bobがマイクのフェーダーを上げたんだが、Bobはまたすぐにフェーダーを下げてしまった。ビビってたんだろ?

BOBBITO:俺は「元気かい、ニューヨーク!」って言ったんだ。でも怖くなってすぐにマイクを下げた。圧倒されちゃってさ。ニューヨークはヒップホップシーンの中心地なのに、俺はただのオタクに過ぎなかった訳だから。

STRETCH:当時はお互い知り合ってまだ数週間だった。でも初めて会った時から親友になれる感覚があった。彼と一緒に番組をやりたいと思った理由は、俺がトークを担当したくなかったからなんだ。最終的には俺もかなりトークをするようになったけどね。でもそれには理由がある。ある日、Warlock Recordsから「F.A.L.L.I.N. (And You Can’t Get UP)」をリリースしていたFunkmaster FlexとNine Double Mがブロンクスのクラブでプレイしている俺のところに来たんだ。それでFlexに「お前の番組最高だぜ。でもお前DJなんだからもっとトークしろよ! リスナーにはお前が誰か分からないじゃないか」って言われたんだ。それがきっかけさ。

BOBBITO:それは知らなかったな。



STRETCH:番組を続けている間、スタジオには窓がなかった。そして毎週木曜日にその密室に俺たち2人と友人が集まっていただけだった。『Cheers』(80年代を代表するシットコム)みたいなものだったね。ラジオを通じて誰かが聴いてくれているのは有難かったけれど、実際は俺たちだけでも構わなかった。自分たちでプレイする音楽が大好きだったからさ。何よりもあの場所が一番楽しかった。もらった賞賛やフィードバックはあくまでオマケだったんだ。

BOBBITO:最初からリアルなアーティストたちが来てくれたし。

STRETCH:ああ。BobがDef Jamにいたからコネクションが沢山あったし、俺もダウンタウンのクラブシーンに顔が利いたからね。

BOBBITO:Stretchの存在は知り会う前からプレイを聴いて知っていた。Marsへ出向いた時に、地下で彼がDJをしていたんだ。俺が着いた時はKool G Rapをプレイしていたね。俺はG Rapの大ファンだったから、「このDJのことは知らないけど、やるな」と思った。その晩のScratchはUltramagneticやUptownの「Dope On Plastic」など、次から次へとプレイしていた。

RBMA:番組が軌道に乗り出したと思ったのはいつですか?

BOBBITO:Stretchがさっき言ったように、Stretchはレコードをプレイするのが役目で、俺は最高の番組をプロデュースするのが役目だった。俺は電話を受け取ったり、手紙を読んだりした。その手紙のコーナーで俺たちはあっという間に知られるようになったんだ。最初はニューヨークでヒップホップを語る番組をやっていいのか分からなかったよ。何せ歴史あるニューヨークだから!

番組初期のリスナーはニューヨーク都市圏の囚人たちだった。2回目の放送する前に、もうライカー島から手紙が届くようになっていた。手紙には「毎週木曜の夜が楽しみだから、刑務所生活が少し楽になったぜ」みたいなことが書いてあったよ。ローウェイ刑務所の無期懲役の囚人からも手紙をもらった。それで、俺がそういう手紙を番組内で読み上げたから、囚人たちの家族や友人が彼らの生活を知ることができたんだ。彼らが俺たちの最初のファンになってくれたのさ。俺たちは木曜の深夜1時から5時までの放送だったから、全国的な評価を得るには理想的な時間帯じゃなかった。でも俺たちはそういう不利な状況をあえて好むようなチームだったんだ。とにかく、立ち上げの頃はそういう感じで動いていって、3カ月もしないうちに、Serch、Def Jef、Busta Rhymes、Jungle Brothers、Bonz Maloneなどが出演してくれるようになった。Large Professorなんて「Live At The Barbeque」のライムを俺たちのスタジオで書いたんだ。

STRETCH:実は「Live At The Barbeque」のライムを読み上げている時の映像が残っているんだ。YouTubeにはアップされていなから、探すのは諦めた方がいいね。絶対に見つからないから。

ニューヨーク都市圏の90年代のアーティストは全員俺たちの番組から育ったと言っても過言じゃないね

BOBBITO:そして3カ月経つと、俺たちがゲストを呼ぶ必要はなくなっていた。逆にアーティスト側から番組に出たいと言ってくるようになった。俺たちの局は出力が1万ワットだったから、デラウェア、ペンシルバニア、コネティカット、ニューヨーク、ニュージャージーの奴らにも届いていたんだ。

RBMA:君たちの番組が果たした役割について少し話してもらえるかな。アーティストをブレイクさせたことはもちろんだけど、コミュニティ全体に対して貢献した部分が大きかったよね。君たちの周囲からは沢山の人たちがA&Rになったり、90年代のニューヨークのヒップホップシーンの礎になったりした。

BOBBITO:ディープな質問だな。まだ契約を果たしていなかった頃にピックアップしたことでブレイクしたアーティストは何人かいる。彼らは90年代以降のシーンを変えた重要なアーティストたちだ。12インチを出したばかりのJay-Zや、どことも契約していなかった頃のNasがそうだ。

STRETCH:Nasは16歳、17歳の頃、深夜にひとりでクィーンズブリッジから短パン姿でやってきたんだ。ヒップホップの番組に短パン履いてくる奴なんていないよな?



BOBBITO:Biggie Smallsもそうだな。たまに「Unsigned Hype」というコラムをThe Source誌に連載していたMatty Cが面白そうな新人を俺たちに教えてくれていたんだが、その中のひとりが奴だった。Biggie SmallsをFort Greene/Bed-Stuy以外で聴けたのは俺たちの番組が初めてだった。あとはWu-Tang、それにBig Dog The Punisherだった頃のBig PunやFat Joe。Matty Cが紹介してくれたPoetical ProfitsはのちにMobb deepになった。Big LはEight Is Enoughを連れてきた。このメンバーにはのちにCam’ronとして活動するKilla Camがいた。Murda MaseやSimply II Positive MC’sもそうだ。奴らはあとでOrganized Konfusionとして活躍するが、その後解散したね。ちなみにOrganized KonfusionにはPharoahe Monchがいた。あとはアーティストのキャリアの復活の手助けになったこともあった。Craig GやKook Keithがそうだ。それから独自のコミュニティで活動していたCompany FlowとJaggaknotsもいたな。今挙げた全員は95年以降のシーンに大きな影響を与えた。俺たちはラッキーだったんだ。当時の俺たちは奴らがその後活躍をするなんて知りもしなかったからさ。ブレイクした後に、世間が俺たちの番組に気付いて、「次は誰が出演するんだ?」と期待するようになっていった。彼らのようなアーティストが成長してくれたことで、俺たちの番組も注目されるようになったんだ。

STRETCH:ニューヨーク都市圏の90年代のアーティストは全員俺たちの番組から育ったと言っても過言じゃないね。俺が嬉しかったのは、80年代のレジェンドたちも番組に出たがってくれたことだ。俺たちの番組を通らずに売れていったのはLL Cool Jだけじゃないかな。

BOBBITO:Rakimも来なかったな。ちなみにCanibusとLLがビーフ状態だった時、Wyclef JeanはLLが俺たちの番組に出なかったことを批判していたね。

STRETCH:G Rapが来た時は最高の番組になったよ。最初にGが来た時…

BOBBITO:俺たちはビビってた。



STRETCH:彼の作品が高い評価を得ていたということもあったが、彼のキャラクターが怖かったんだ。相手を威圧するようなキャラクターだからさ。彼は1時半位に来て、4時半位までずっとスタジオにいた。それから自宅に帰って番組に電話をかけてきた。でも、そこで俺たちはお互いを電話越しにいじり合ったんだ。俺は「大丈夫か? G Rapをいじって問題ないのか? これはクレイジーだぞ!」と思っていたよ。

BOBBITO:彼の母親について5分位からかったよな。

STRETCH:でも彼は気に入ってくれた。彼に対してああいう話し方をしたのは俺たちしかいなかったから、彼にとっては新鮮だったみたいだ。

BOBBITO:Old Dirty Bastardが電話をくれた時も本当に驚いたね。当時はまだA Son Uniqueとして活動していて、どことも契約していない無名のアーティストだった。スタテンアイランドから電話してきて、フリースタイルを披露してくれた。俺たちは大喜びだったよ。

RBMA:でもフリースタイルを披露しようと電話をかけてくる人たちの多くは君たちに苦労させられたよね。

STRETCH:でもみんなそれを求めていたんだ。全員ドMだったのさ。

BOBBITO:電話をくれた相手に対して、まず俺たちは「OK。クールだな。じゃあ」って返す感じだった。そうすると奴らは黙り込んで、「それだけ? 俺をいじったりしないのかよ!」って言ってくる。それから俺たちがいじりはじめるんだ。みんないじられたがっていたのさ。凄く奇妙だったよ。



RBMA:その中でレギュラーだった人はいるかな? 名前を憶えている?

BOBBITO:全員の名前を憶えていたよ。Paula Apantiという女性がいたな。俺たちは「ポーラ・ア・パンティー」って呼んでいた。あとはクィーンズのウッドサイドにいたAnnaだね。俺たちはリスナーから信頼されていた。今さっき人を撃ったって奴が電話をかけてきて、「どうしたらいい?」って相談された時もあった。「こっちは自殺相談の番号じゃないし、そんなの知らねーよ! 大体人を撃ったことなんてないし!」って感じだったね。あとはDeviousって奴がいて…

STRETCH:Deviousは5年間毎週電話をかけてきて、動物の鳴き声を真似したんだ。大抵がロバの真似だった。

BOBBITO:で、奴はある日俺の自宅の電話番号を手に入れたんだ。だから俺は番号を変えなければならなくなった。当時は嫌なことも沢山あったよ。殺しの脅迫電話をかけてくる奴もいた。朝の5時過ぎに俺たちが終わって出てくるのを待っているアーティストがいた時もあった。

RBMA:それでどうしたの?

STRETCH:レコードボックスで砲丸投げをして遊んだ。

BOBBITO:朝5時のアドレナリン放出は凄いものがあったな。

RBMA:何でそうなるの?

STRETCH:基本的にスタジオ内で遊ぶことが許されていなかったからさ。俺たちにはスタッフがいなかった。俺はひたすらDJをして、Bobがスタジオの出入りの管理や、電話の対応、あとは誰かが悪さをしていないかチェックしなければならなかった。当時はマリファナや銃をみんな持ち込んでいたから、そういうチェックが必要だったんだ。マリファナ、銃… まるでヒップホップのレコードのタイトルみたいだろ?



RBMA:2人の中で最高だと思える瞬間、最高の思い出は何だろう?

STRETCH:Prince PaulとPharoahe Monchが来て、マリファナを吸っている時に停電したのは印象深かったな。超常現象というか、トゥーマッチだ!って思った。あとLarge Professorがセフレを連れてきた時に、KRS-Oneがそこにいたのも笑えたな。

Nasが来た時もよく憶えている。その時俺はちょうどBobby HutchersonとLonnie Liston Smithのネタを使ったビートを作ったところだった。まだミックスも終わっていない段階で、ただそのビートをDATから流したんだ。当時のNasはまだ駆け出しだったが、当時から既にあの才能が開花していた。「Live At The Barbeque」でデビューしたばかりだったが、神のような風格があったね。だが、当時俺はBig BeatのA&Rをやっていて、彼とビジネスの話をするのは難しかった。当時A&Rは誰にも信用されていなかったんだ。Tribe Called Questが「レコード会社の奴らは怪しい」とラップしていた時期だったのに、俺はA&Rだったのさ。だから俺はNasに信用してもらえるように努力していた。だから、Nasが3回目にスタジオに来てくれた時に、「今作ったこのトラックをプレイしてみよう。気に入ると思うぞ」と思った。彼には俺の曲だと伝えず、「どう思うか教えてくれよ」と頼んだ。するとNasはビートに合わせて「Represent」をラップしてくれたんだ。自分のビートに乗せてくれたというのは、いちファンとして本当に嬉しかったね。



RBMA:番組後期は何が起きたのでしょう? 番組を終えた理由は?

STRETCH:俺が終えようと決める前、実は交代でやろうという話になっていたんだ。その頃の俺はマシンガンのサウンドなどを使って、当時のシーンの流れをからかうようになっていた。ヒップホップの変遷-つまり、細分化されてしまったことに対するリアクションだったんだ。俺たちが番組を始めた当時は、どの曲がドープでどの曲がダメかを2人で判断できた。でも時代が変わり、Bobの好みが変わっていき、俺の好みもこういう風に変わっていった。要するにお互いに番組を他の方向に進めたいって思う時が来たんだよ。そしてその状況に気付いた時、俺たちは徹底したプロ意識を持って番組を続けるよりも、友人のままでいようと決めたんだ。

RBMA:君たちが言っていたように、この番組は「愛あるがゆえに」だったわけだね。そこに情熱がなければ、もう続ける必要はないってことなんだろうね。

STRETCH:愛っていうか、憑りつかれていたんだな(笑)。

BOBBITO:あと朝の5時までっていうのは… 髪の生え際的にキツかった。