十一月 08

Stockhausen’s WDR Studio for Electronic Music

ケルンから離れることが決まったエレクトロニック・ミュージック史に残る偉大なスタジオの内部を米国人フォトグラファーが記録した

By Julian Brimmers & Peter Beste

 

一般的なケルン市民にとって、路面電車のButzweilerhof/Alter Flughafen(ブツヴァイラーホフ / オルター・フルークハーフェン)駅で降りる理由は2つしかない。スウェーデン製のDIY家具を買うためか、電車の中で寝過ごしたかだ。しかし、電子音楽に精通している人は、このオッセンドルフ地区の町外れを訪れれば、セリエル(セリー)音楽と電子作曲の黎明期へ向かうタイムカプセルが楽しめることを知っている。

 

味気ない工業地帯の一角にある体育複合施設の地下に、音楽界へのケルン最大の貢献の名残が隠されている。WDR Studio für Elektronische Musik(WDR Studio for Electronic Music:西ドイツ放送協会電子音楽スタジオ)だ。1951年にHerbert Eimertによって設立されたWDR Studioは、戦後期のあらゆる著名な前衛作曲家たちを受け入れ、Karlheinz Stockhausenがディレクターへ就任した1963年頃にその国際的名声は頂点に達した。Stockhausenはこのスタジオに置かれていたオシロスコープ、リングモジュレーター、テープマシンなどを使って『Gesang der Jünglinge』(少年の歌)を生み出し、György Ligeti、Luc Ferrari、Henri Pousseurなど、ドイツ国内外の冒険的な作曲家たちも当時ケルンのヴァルラフプラッツ放送会館内にあったこのスタジオを頻繁に訪れていた。WDR Studioはこれまでに2度移転している。1980年代に1度目の移転をし、その移転先の建物がスタジオ機材の大部分と共に売却されると、2001年に2度目の移転をして現在の地下室に落ち着いた。1970年代からこのスタジオに勤務し、現存する機材や直筆スコアの管理を担当しているサウンドエンジニアVolker Müllerの尽力により、今も設備の大半は完動状態に保たれており、Stockhausen専属エンジニアだったMüllerから当時の逸話を聞きながら、そのサウンドを体験できる。

 

この度、ある個人投資家がStockhausenの生家、Haus Mödrath - ケルンから約20km離れた19世紀の領主邸 - に開設した常設展示室にこれらの設備類が全て移転されることになった。移設後も設備類は時折使用される他、一部機能する歴史的遺物として一般公開もされる予定で、移設作業は2019年2月までに完了することが見込まれている。移転を前に、大きな影響力を誇ってきたこの空間に現在も息づくマジックを捉えるべく、フォトグラファーのPeter BesteがVolker Müllerと共にこのスタジオを訪ねた。

 

 

1970年代に製作されたカスタムメイド・コンソールの全景。セットアップはWDR Studio専用で、1960年代後半の典型的なデザインが施されている。アーティストが立ったまま作業できるようにスタジオ全体が高さ92cmを基準に設計されている。© Peter Beste

 

 

セントラル・パッチベイの手前に写っているのはカスタムメイドのLawo PTRコンソール。© Peter Beste

 

 

Telefunken製のMagnetophon 15Aオープンリール・テープレコーダー。録音を開始するには、録音ボタン(保護のため黄色のテープが貼られている)と再生ボタンを同時押しする必要があった。© Peter Beste

 

 

Karlheinz StockhausenとVolker Müller。© Peter Beste

 

 

Volker Müller © Peter Beste

 

 

MIDI機器がまとめられた一角。ライトはVolker Müllerの退職記念パーティで使われたもの。© Peter Beste

 

 

ハイパス / ローパス・フィルターを実演するVolker Müller。© Peter Beste

 

 

Stockhausenがスタジオに寄贈した『Kontakte』のリアライゼーション・スコア原本。左側にはStockhausen本人の直筆サインも見える。© Peter Beste

 

 

オリジナル完成から21年後に加えられた『Kontakte』のスコア変更についてStockhausenが書き込んだ注釈。© Peter Beste

 

 

手前に見える大きなEMS Synthi Vocoderと並んでコレクションの中核をなしているカスタムメイドのEMS Synthi 100。© Peter Beste

 

 

地下から移して使用可能な常設展示にするためにVolker Müllerが書き起こしたスタジオのコンセプトデザインの一部。この移転計画は幻に終わった。© Peter Beste

 

 

1950年代から1970年代にかけて制作管理に多用されたアナログストップウォッチを指差すMüller。手前にはStockhausenの有名な回転テーブルも写っている。© Peter Beste

 

 

回転テーブルはStockhausenが発案したもので、WDR Studioの特徴だった。その混乱を招くような音像は『Kontakte』をはじめとした作品群で多用されている。© Peter Beste

 

 

(上から)フィルター、アンプ、インパルス・ジェネレーター。© Peter Beste

 

 

Studer製とSony製のDATレコーダー群の上に鎮座するのは、Henri Pousseurが多用した1970年代前半のPhilips製 PM 516ファンクション・ジェネレーター。© Peter Beste

 

 

オッセンドルフへの移転前に書かれた初期設計図。当初、Stockhausenは12個のスピーカーを円形に配置しようとしていたことが分かる。

 

 

Telefunken製テープマシンを操作してリアルタイム・テープ・マニュピレーションを実演するVolker Müller。

 

 

 

『Kontakte』制作中に回転テーブルをセットするStockhausen。

 

 

Stockhausenの音楽を揶揄するイラスト(年代不明) − "また上の階のアホがStockhausenのレコードをかけているな"

 

 

ヴァルラフプラッツ放送会館内の旧Funkhaus Studioでオクターブ・フィルターを操作するStockhausen。© Peter Beste

 

 

2インチ・24トラックのTelefunken製アナログテープマシンの内部を見せるVolker Müller。© Peter Beste

 

 

『Kontakte』のリアライゼーション・スコアに使用されたパッチを説明するMüller。© Peter Beste

 

 

1990年代Lawo製コンソールのセントラル・パッチベイの実演。© Peter Beste

 

 

EMS Synthi Vocoder納入時に撮影された記念写真。© Peter Beste

 

 

1970年代にオリジナルセットアップで作業するStockhausenとDavid C. Johnson。© Peter Beste

 

 

モニタールームに並ぶLawo製ミキシングボードのリモート制御機器。© Peter Beste

 

Header image © Peter Beste