二月 24

Sade in 1992

1990年代を代表する名盤『Love Deluxe』のリリース時に行われた貴重なインタビューを紹介する

By Michael A. Gonzales

 

1992年の秋、ニューヨークのEpic Recordsプレスルームから私のところに電話がかかってきた。スーパースターシンガーSadeのバイオグラフィを書いて欲しいという話だった。

 

私は、ソウルボーイからB-Boyまで、1980年代に自分が出会ってきたありとあらゆる男性と同じく、1984年にリリースされてマルチプラチナムヒットとなった彼女のデビューアルバム『Diamond Life』を聴いて以来、彼女にぞっこんだった。

 

「もちろんOKです」と私は返事をした。頭の中には彼女の美しい表情と魅力的な歌声が漂っていた。彼女が長年活動を共にしてきたStuart Matthewman(ギター&サックス)、Andrew Hale(キーボード)、Paul S. Denman(ベース)と一緒に生み出した今回のアルバム『Love Deluxe』は、1988年にリリースされた『Stronger Than Pride』以来のアルバムで、世界待望の1枚だった。

 

電話の翌週、私は、Sadeが宿泊していたミッドタウンにあるホテルの6th Avenueを見下ろせるスイートへと案内された。その素晴らしい才能と同じくらい美しくて優しかった彼女は、ディーヴァの真逆に位置する "アンチ・ディーヴァ" だった。

 

 

 

 

ちょっと緊張してるわ。

 

 

(笑)あなたが? 僕なんて人生で一番緊張していますよ。とりあえず、ニューアルバム『Love Deluxe』の話から始めるのが良さそうですね。

 

もう聴いたの?

 

 

ええ。スタジオから数年離れていたわけですが、バンドとの久々の共同作業はいかがでしたか?

 

そうね、まず言っておきたいのは、活動を一度止めて、前のアルバムからすぐに次のアルバムへ進まなかったのは良かったってことね。アルバムを作る理由を違う視点から考えることができたから。でも、今回のアルバムもほぼいつも通りのアプローチで作ったわ。

 

 

そのアプローチとは?

 

アイディアを集めていくの。わたしはいつも頭の中でアイディアを集めているのよ。自分を酷く落胆させるアイディアが曲になる時もあるわ。

 

 

ノートブックや日記にメモをしているのでしょうか?

 

ええ。小さなノートを持ち歩いているの。でも、すぐなくしちゃう。というか、どこに置いたか思い出せなくなっちゃうの。何か思いついた時に、しばらくノートを見ていないことに気が付くって感じね。

 

 

いつから持ち歩いているのでしょう?

 

約6年前からよ。旅先にも持っていくんだけど、たまに見つけられなくなってしまう時があるの。誰にも分からないように書いているわ。プライベートな考えを他人に見られると恥ずかしいでしょ。ノートに書き留めたアイディアの中にはレコードにならないで終わるものもあるし、わたしの歌詞から生まれない曲もある。Stuart(Matthewman)やAndrew(Hale)がベースラインを思いついて、そこから作っていく曲もあるの。作曲方法は曲によって異なるわ。

 

 

アイディアが形になるまではどのくらいの時間がかかるのでしょうか?

 

『Love Deluxe』の制作は4ヶ月くらいだった。実際のスタジオ作業はね。収録曲の中には、わたしが昔からやりたかった曲も含まれている。その中のひとつが、「Like A Tattoo」よ。この曲では、ベトナム帰りの男性について歌っているけど、ベトナムがテーマではないの。戦争、そして人を殺すことがテーマよ。

 

昔、ニューヨークのバーである男性に出会ったの。14th Streetのアイリッシュバーだった。その男性がわたしに離してくれたことを翻案したのがこの曲よ。前から書きたかったテーマなんだけど、上手くいかなかった。子供の頃から曲は書いているんだけどね。

 

 

 

“メンバー全員の意見が一致しない時もあるけど、わたしはいつも自分の意見を通している”

 

 

 

音楽に関しては完全主義者なのでしょうか?

 

そうね…。レコードって形が決まっちゃうじゃない。ヴァイナルになったあとはもういじれないでしょ。そして、わたしが怒りをぶつける対象は、わたしだけ。そういう "自分に厳しい自分" が本当に嫌ね。その怒りを他人にぶつけられたらって思うわ。誰かのせいにできたら楽だろうなって思う。でも、わたしはそういうタイプじゃない。だから、どんなに時間がかかっても、納得するまで続けるわ。

 

あっという間にひとつの形にまとまっていく時もあるけど、それ以外は、自分が望んでいるものが得られるまで、自分たちが伝えたいことを曲が伝えるようになるまで、色々と作業を続けるの。

 

 

Stuart MatthewmanとAndrew Haleの名前が出ましたが、ベーシストのPaul Denmanとはどのような関係なのでしょうか?

 

彼はとても重要なバンドメンバーよ。ブルーズ、ソウル… わたしたちは同じ音楽が好きなの。でも、彼にはパンクやロックな感じもあるわ。

 

 

あなたもパンクの洗礼を受けたのでしょうか?

 

受けてないわ。もちろん、時代的には被っていたけど、のめり込まなかった。でも、パンクが音楽業界に対してやったことは素晴らしいと思う。 “ミュージックビジネス” のあるべき姿について、それまでとは違うアイディアを生み出したところは特に気に入っているわ。音楽業界を解放して、人々に様々なチャンスを生み出した。全てが変わったわ。でも、わたしは昔から、"ミセス・ソウル・ウーマン" だったの。

 

 

何を聴いていたんですか?

 

ソウルの偉人たちよ。Donny Hathaway、Marvin Gaye、Sly Stone…。Gil Scott-Heronのようなもっとヘヴィな音楽も聴いていたわ。(しばし考えて)あれ、Paulの話をしてたのよね。いつもこうなの。別の人の話を始めちゃうのよ。

 

作曲に関しては、Paulからアイディアが加えられることは余りないわね。AndrewとStuartの担当よ。メンバー全員の意見が一致しない時もあるけど、わたしはいつも自分の意見を通しているわ。バンドの中で唯一の女性っていうのは最高ね(笑)。

 

 

 

“わたしが別人だったら、Sadeを好きかどうかは分からない”

 

 

 

長年一緒に活動してきましたし、メンバー間の絆はかなり強いのではないでしょうか?

 

そうね。お互いにどこまで期待できるのかを理解しているし、お互いの扱い方も理解している。良い関係だと思うわ。何も話さずに上手く仕事を進められる時もある。そういう瞬間は最高ね。会話が少ない時に最高の曲が生まれる時があるの。ただ自然に生まれていくのよ。現実には思えない瞬間というか、魔法のような瞬間ね。

 

 

『Love Deluxe』の収録曲の中で気に入っている曲は?

 

ひとつだけ選ぶとしたら「Cherish the Day」になると思うけど、理由は分からないわ。ただ好きなの。非常にディープだと思うけど、同時にラブソングなのよ。面白い話なんだけど、収録曲の大半は好きか嫌いか判断できないの。客観的に見ることができないのよ。でも、「Cherish the Day」は、ラジオで聴いたら「まぁ、素敵。誰の曲?」なんて言うと思う。

 

他の曲に関しては分からない。どの曲も誇りに思っているけど、わたしたちができる限りのことをやっただけ。その瞬間にできるベストを尽くしただけなの。わたしが別人だったら、Sadeを好きかどうかは分からないわ。

 

 

 

 

ですが、あなたたちの音楽は多くの人の中で大きな意味を持っています。多くの人がそう伝えると思いますよ。多くの人がSadeのアルバムと恋に落ちています。

 

そうね。そこはかなり責任があるわね。それが理由でわたしを嫌っている人は多いと思う。「ああ、あのビッチ? 大嫌いよ」って(笑)。

 

 

あなたへの誤解の中で最大のものは何でしょう? 世間からは悲しみに打ちひしがれた姿で通りを歩いている黒尽くめの詩人のようなイメージを持たれているのでしょうか?

 

そう思われていると思うわ。でも、それはわたしたちの一面しか知らないからよ。わたしたちには色々な面がある。でも、歌っている時、表現している時にその全てを見せるわけじゃない。別に「この面は見せるけど、この面は見せないわ」なんて細かく選んでいるわけじゃないのよ。でも、結果的にそうなってしまうの。だから、他人が自分に対して持っているイメージが自分と完全に一致することはない。世間はわたしを象牙の塔の上で嘆き悲しんでいる女性として捉えていると思う。

 

わたしが他人の音楽を聴く時にいいなって思うのは、何かを感じさせてくれるところね。悲しくなったり、楽しくなったり、踊りたくなったり、大喜びしたり。音楽の中で表現されている悲しみは、ポジティブなものだと思う。なぜなら、リスナーの中の悲しみを引き抜いてくれるから。悲しみを取り出してくれるのよ。曲がリスナーを悲しませるんじゃないの。悲しみはすでにそこにあるのよ。曲はそれに気付かせるだけ。

 

 

 

"魔術的というか、魔女なのよ(笑)"

 

 

 

自分をロマンティストだと思いますか?

 

わたしは、ロマンスが一体何なのかちゃんと理解できていないと思う。わたしは未来に対して理想と希望を抱いているけど、同時にとても悲観的なの。昔からこうなのよ。最近はある程度歳を重ねたし、自分たちがこの先どうなるのか、どうやったらこの混沌から抜け出せるのかにについて色々考えているわ。

 

大局的な視点から話すと、世界経済については少し悲観している。今は全てがアンバランスだから。でも、個人レベル、人間については楽観主義ね。人間は善意に満ちていると信じているから。人を信用することについては、かなり勘が良い方だと思うわ。魔術的というか、魔女なのよ(笑)。でも、今のわたしは、昔よりもオープンじゃなくなっていると思う。自分を守らなければならなくなったから。

 

 

音楽に初めて興味を持ったのはいつですか? プロとしてやっていきたいと思ったのはいつですか?

 

わたしは子供の頃から沢山の音楽に囲まれていたわけじゃないの。音楽に関してはかなり貧しかった。母が特別音楽好きじゃなかったの。父は音楽が大好きで、音楽にいつも囲まれていたけど、私は父と一緒に育たなかった。13歳くらいになった時、パイレーツラジオ局を聴くようになって人生が一変した。メインストリームなラジオ局には興味が持てずにいたから。

 

今は免許を取得しているメインストリームのラジオ局が増えたけど、わたしが小さかった頃は、選択肢は多くなかった。10歳の頃に「Maggie May」が好きだったのを覚えているけど、それだけ。この局は大好きだったけど、メインストリームのラジオ局で気に入っていたのはそれくらいだった。別にRod Stewartのファンじゃなかったけど、あの曲はね…。

 

そのあと、13歳の頃にフォークやロック、ソウルなどがプレイされるパイレーツラジオ局を知ったのよ。素晴らしい音楽ばかりがプレイされていた。だから、音楽に興味を持つようになって、アルバムを買い集めるようになった。当時、女の子がレコードを買い集めるのは珍しかった。ボーイフレンドが持っているレコードを聴くのが普通だったのよ。

 

その頃、Radio Carolineという名前のパイレーツラジオ局があったの。初めて聴いた時に、Gil Scott-Heron「Revolution Will Not Be Televised」がプレイされて、「ワオ!」って思った。この日はTimmy Thomas「Why Can’t We Live Together」も初めて聴いたわ。

 

ジャズはもっとあとね。いや、少しあとかしら。Billie HolidayやMiles Davisは14歳か15歳の頃から聴き始めたの。Miles Davisは『Kind of Blue』と『Sketches of Spain』ね。ロック寄りになったMiles Davisは好きじゃなかった。興味が持てなかったわ。

 

 

 

 

なぜです? 純粋主義者なんですか?

 

いいえ、そうじゃないんだけど、わたしはジャズのリアルファンじゃないのよ。わたしが好きなジャズや理解できるジャズは一部だけなの。聴いた瞬間に理解できる音楽を自分の好きな音楽として取り入れていったけど、自分が理解できない音楽に飛び込む感じはなかった。

 

 

自分たちの音楽をジャズだと思いますか?

 

いいえ、そうは思わないわ。でも、影響は受けている。わたしたちは自分たちが好きな音楽、欲しいと思う音楽をやろうとしているだけ。「この曲はこういう雰囲気にしたい」みたいな話はしないわ。ただ、自然に影響が出てしまうのよ。

 

 

 

“男の子たちに囲まれて育ったけど、子供の頃から大人な考えを持っていた” 

 

 

 

子供の頃について教えてください。

 

男の子たちに囲まれて育ったけど、子供の頃から大人な考えを持っていた。わたしは村の中の公営団地で育ったんだけど、その村はまさに英国の村って感じだった。わたしの家族はとても良くしてもらったわ。わたしには兄がいて、いつもわたしを守ってくれていた。母はシングルマザーで、当時、シングルマザーはとても珍しかった。

 

もっと珍しかったのは、彼女がブラックの子供2人を連れていたってことよ。村は雪だまりのようにホワイト一色だったから。でも、わたしたちは受け容れてもらえたし、問題は何もなかった。わたしたちが他とは違うという理由で、疑念が生まれたり、衝突が起きたりすることはなかった。わたしたちが誰かに恐れられることもなかった。でも、都市部で育っていたら状況は違っていたかも知れないわね。

 

 

自分の家族が他とは違うことに当時から気付いていましたか?

 

気付いていなかったと思う。ナイジェリアから英国へ戻ってきた時、わたしたちには行く当てがなかった。だから、最初は祖父母の家に住んで、それから母が看護師の職を得たの。そのあと、家族3人だけの生活が始まると、友達ができるようになったんだけど、誰もわたしの肌の色について話をしなかった。本来、子供は人種差別者ではないと思う。社会や文化、親の影響よ。あとは歴史ね。

 

いきなり物陰から飛び出してきて、わたしに酷い言葉を投げかけた男の子がひとりいたけど、兄にそのことを伝えたら、翌日、その子に仕返しをしてくれた。

 

子供の頃は本も良く読んでいたわ。少なくとも15歳くらいまではね。内容を問わず、本を読んでいる間は、その世界がわたしの全てになった。読書という行為に夢中になっていたのよ。本は今も買っているけど、読む時間が全然ないの。

 

 

 

 

バンド活動について少し話してもらえますか?

 

移動が多いわね。最近はパフォーマンスするのが好きになっているの。でも、バンド活動は総じてヘヴィよ。準備ができている、いないを問わず、結果を出さないといけないから。

 

 

どのような準備をしているのでしょう?

 

わたしはいつも遅刻するから、現実をちゃんと考えて準備する時間がないの。サウンドチェックから全部遅れるの… 言い訳させてもらうとね。

 

 

初ライブのことは覚えていますか?

 

初ライブはわたしが初めて組んだバンドの時ね。わたしはバッキングヴォーカルで、小さなクラブで演奏したの。クラブって言っても、実際はDJができるパブって感じで、週に1日だけそこでライブが開催されていたのよ。ロンドン郊外にあって、ステージはビールケースで作られていた。わたしたちはそのステージのことをチップボード(合板)って呼んでいたわ。

 

その日のわたしはピンヒールを履いていたから、マイクに向かおうとすると、ヒールがステージを突き抜けてしまったの。それで脚を必死に動かしたんだけど、抜けなかった。だから、最初の3曲はヒールが刺さったまま身動きが取れなかった。でも、楽しかったわ。良い気晴らしになったから。

 

 

そのバンドの名前は?

 

覚えてないの。でも、同じ村に住んでいた男の子2人と一緒だった。当時英国で人気だったラバーズ・ロックバンド、Misty in Rootsのライブへ行った時に彼らと偶然出会って、彼らから、バンドを組んでいるんだけど、シンガーが抜けたから参加しないかと頼まれたの。「わたしはシンガーじゃないわ。ただパーティが好きなだけよ」って返したんだけど、2人から、とにかく一度試してみてよと説得されたのよ。あとで他の人が入るからって話だったんだけど、結局そうならなかった。

 

あの頃は、一番多くを学んだ時代だったわ。そして2人はとても優しかった。彼らがわたしを盲目的に信じてくれていなかったら、わたしは歌っていなかった。

 

 

 

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