七月 14

Roller-Skating in Detroit

デトロイトのカルチャーを支えるローラースケートの魅力

By Peter Holslin

 

「みんなにはGadgetって呼ばれてるよ」 − デトロイト屈指のローラースケーターのDemarco Beardenはこう切り出す。

 

現在34歳のBeardenはメトロエリアで左官屋として働いている。しかし、Royal SkatelandやNorthland Roller Rinkなどのローカルスポットでは様々な衣装を身にまとうトップレベルのローラースケーターとして知られている。履き古したRiedellのローラースケートに赤と白のクリスマスライトを装着して滑る夜があれば、細かなアルミホイルを散りばめたウィールで滑る夜もある。Gadget(小道具)というニックネームは言い得て妙だ。また、そのニックネームは素晴らしいジャンプ、スピン、ボールルームダンス、ハンドスタンドなどを繰り出す彼のライディングスタイルにもパーフェクトにフィットしている。

 

「ローラースケートをする時は別世界に飛び込むのさ。誰の目も気にしちゃいない。“ゾーン” に入っているんだ」

 

ローラースケートは全米の黒人コミュニティで長年に渡り愛されてきた娯楽であり、デトロイトではGadgetのようなローラースケーターたちがその火を灯し続けている。近年のデトロイトは経済の破綻や産業の衰退と同義になっているが、この街のローラーリンクの磨かれたウッドフロアから生まれるストーリーはそこには結びつかない。クラシックなR&BやファンクをプレイするDJ陣と煌びやかな照明に囲まれながらトリックを磨き、下の世代に知識を伝え、伝統を前進させようとしているスケーターたちにはコミュニティのパワーが感じられる。

 

 

 

ベテランのローラースケートインストラクターで、かつてはデトロイト市内でローラーリンクのマネージャーを務めていた経験を持つEldon Brownは「デトロイトには3つの生きる目的がある。ひとつは音楽、ひとつはダンス、ひとつはローラースケートさ」と説明する。

 

近年のローラースケートはかつてほどメインストリームな存在ではなく、全米のローラーリンクの多くも利用者数の減少から閉鎖に追い込まれているが、シカゴ、アトランタ、ロサンゼルスなどは何十年も前からローラースケートというこのサブカルチャーの中心地として知られている。現在ローラースケートを題材にしたドキュメンタリー映像『United Skates』の制作を進めているTina BrownとDyana Winklerは、そのルーツは1950年代から1960年代にかけての公民権時代にまで遡るとしている。制度の壁がなくなった人種差別廃止直後、ローラーリンクのオーナーたちは人種の違いを維持するために、「Rhythm Nights」や「Soul Nights」など遠回しな言い方でアフリカ系米国人専用の夜を設定した。黒人たちは別の夜に顔を出せば、白人から嫌がらせや攻撃を受けることになったが、このような夜に顔を出せば、自分たちの好きな形でローラースケートを楽しむことができた。

 

Brownと共にドキュメンタリー制作のために数多くのローラースケーターや歴史家たちにインタビューを行ったWinklerは「差別が逆にこの美しいカルチャーの創出に繋がったのは面白いですよね。白人と一緒にローラースケートをしていたら、彼らは違う音楽に合わせて滑っていたでしょう。ですが、自分たちのためだけにスペースが開放されていたことで、自分たちの音楽やスタイル、ルールを作り上げることができたんです」と説明する。

 

 

ローラーリンクはディスコやヒップホップなど大きなミュージックムーブメントを生み出すきっかけとなってきたが、その中でローラースケーターたちはエリアごとに独自のテクニックや音楽、ルールを生み出してきた。シカゴではJames Brownにインスピレーションを受けた流麗なスタイルを誇る "Batman" のようなスケーターに人気が集まっており、ボルチモアでは足をスピーディに細かく動かすテクニックをベースにしたスケートクルーが育っている。そして、デトロイトのローラースケーターは、2〜3人で組んでスピンやキックを披露する “Pepsi Cola” に代表されるしなやかなルーティンを得意としている。また、デトロイトではJunior Walker & The All Starsの「Shotgun」などのクラシックチューンをBGMにした “オープンハウス” というセクションが毎晩設けられており、この時間になると、ベテランローラースケーターたちがローラーリンクのコーナーに集まり、そこから対角線上のコーナーに横滑りをしながら、その長さやスピード、スタイルなどを披露しあっている。

 

Eldon Brownはデトロイトのスタイルについて「地元の仲間、ギャング… どの大都市にも存在する様々な日常から影響を受けながら俺たちはこのスタイルを築いていったのさ」と説明し、クラシックなムーブの多くはフィギュアスケートから生まれたものだが、この街でより広く知られている裕福な白人的な “アーティスティック” スケートとは違うと付け加える。「テレビやなんかでローラースケートやフィギュアスケートを見ても、俺たちにはそのレッスンを受ける金はなかった。だから俺たちは自分たちでスタイルを作っていったのさ」

 

2016年5月26日から29日の4日間、米国最大級のローラースケートイベントのひとつ、Soul Skate 2016がデトロイトで開催された。デトロイトハウス/テクノの重鎮、Moodymannが音頭を取るこのローラースケートパーティは全米と海外から3,000人以上のローラースケーターを集めた。また、同時期にMovementも開催されていたことから、大人向けのアフターアワーセッションも数多く用意され、メインイベントも5月28日土曜日の夜11時から明け方まで開催された。

 

 

2010年のRed Bull Music Academyに招かれたMoodymannは、レクチャーの中で大人になってからまたローラーリンクに通うようになったと振り返っており、その理由を「そこにいる女性たちが最高だったから」と答えている。

 

熱狂的なローラースケーターたちがその8つのウィールに惹かれる理由は長く深い。サウスヴィル郊外に住む36歳のTrenaye Neequayeはほんの小さな頃からローラースケートを楽しんでおり、母親もローラースケーターだった彼女が初めてローラースケートを履いたのはたった2歳の時だった。その後、Neequayeは感謝祭や戦没者追悼記念日のパレードでローラースケートをするようになり、更にはデトロイトのローカルテレビ番組『Soul on Wheels』にも出演し、他の子供たちと一緒に当時のデトロイトのトップスケーター “Rockin” Richard Houstonが振り付けしたルーティンを披露したこともあった。

 

そして、今や一児の母親である彼女は、同じように娘を生後11ヶ月でローラースケートデビューさせている。

 

「わたしにとって、ローラースケートは心の平穏を得られるものなのよ。上手くいかなかった1日のあとや、スッキリしたいときはウッドフロアを滑る自分のウィールの音を聞くと落ち着くの。ローラースケートは自分の家族を除いて初めて “愛してる” って感じられる対象だった」

 

Neequaveと同じく、GadgetことBeardenもローラースケート一家に育った。母親は彼を妊娠中でもNorthland Roller Rinkで滑っていた。そして、その家族と共にローラーリンクが近いウェストサイドへ引っ越したあと、BeardenはGadgetとしての活動を始めた。

 

当時のBeardenは友人たちと共に毎日ローラーリンクへ通い、既存のトリックを学びながら、新しいトリックを考案するようになっていった。こうして時と共にレパートリーを増やしていった彼は、やがて全米各地のローラースケートパーティに出向くようになり、様々なスタイルを学びながら、デトロイトのボールルームスタイルと組み合わせていった。Gadgetにはローラースケートのためにロンドンまで出向いた経験もある。

 

「退屈したくないんだよ。退屈したらトライしなくなるからね」

 

 

絶好調の時のGadgetはヒプノティックだ。彼はまるでダンサーのようにクルクルと美しく回り続け、喜劇俳優チャップリンのように躓いたり振り返ったりとコミカルな動きも見せる。そして、片方のローラースケートを脱ぎ、脱いだローラースケートを片手で押さえ、60kgの体重を支えながら開脚逆立ちのような姿勢さえも取る。また、Gadgetと彼のパートナー、Marcus “Fresh” GavinはGadgetがローラースケートの上に寝そべったFreshの上に乗ってウッドフロアを滑るという「ヒューマンスケートボード」なるテクニックも誇っている。

 

現在、Gadgetはまだプロのローラースケーターとしては活動していないが、夏は屋外で積極的にローラースケートをして、知名度を上げたいとしており、知名度が上がれば映画やCMなどへの出演など、様々なチャンスが増えていくだろうと期待している。

 

「ダウンタウンはもちろん、どこでだってローラースケートをするよ。可能な限り沢山滑りたいね。誰が見てるか分からないからさ」