二月 16

RIP:Jaki Liebezeit

2017年1月22日にこの世を去ったCanのドラマーの偉大な功績を讃える

By David Stubbs

 

クラウトロックを代表とするドイツのエクスペリメンタル・ミュージックシーンの偉人たちが遺してきた遺産は数多くあるが、その中のひとつにリズムへの取り組みがある。Neu!のKlaus Dingerは “Motorik” と呼ばれる独特のドライブ感を持つリズムパターンを考案し、これはBrian Enoに1970年代における最も重要なリズムパターンのひとつとして評価された。そして、1977年の『Trans-Europe Express』時代のKraftwerkは、高速でシフトするメカニカルな響きでありながら、ファンキーさを兼ね備えた音数の少ないリズムパターンを生み出し、シンセポップとヒップホップの土台を作り上げた。また、同時期にはGiorgio MoroderもDonna Summer「I Feel Love」のシーケンスパターンを生み出し、ディスコのテンプレートを築いた。

 

しかし、ロックのリズムパターンを最も控えめながら最も大きな形で再構築したのは、Canのドラマー、Jaki Liebezeitだった。2017年1月22日にこの世を去るまで、Liebezeitはドイツ・ケルンのスタジオに出入りしながら積極的に活動を続けていた。彼のそのスタジオには、Burnt Friedmanとのプロジェクトや、元CanのIrmin Schmidtを含む4人編成のCyclopeanなどとのパフォーマンスやレコーディングに使用された、台所用品のようにところ狭しと置かれた数々の民族打楽器と、シンバルなしのカスタムドラムセットが用意されていた。Liebezeitは常に非常に目立たない、話題性を最小限に抑えたスタイルで仕事を進めていたため、彼が生涯を通じてドラムソロを1度も演奏しなかったというのも納得できる話だ。しかし、その自制心が、20世紀のロックシーンに新世界を切り拓いた最重要人物のひとりという評価を本人にもたらすことになった。そして彼が切り拓いた新世界には、今もまだ未知の領域が残されている。

 

 

 

“Liebezeitを〈20世紀のロックシーンにおける最重要アーティストのひとり〉にしたのは、彼の自制心だった”

 

 

 

Jake Liebezeitは1937年にドイツ・ドレスデン近郊の小さな村で生まれると、世界大戦の暗雲が立ちこめる中、家族と共に国内を転々とし、最終的にニーダーザクセン州カッセルに落ち着いた。Liebezeitは、第二次世界大戦とナチズムがドイツ国内に残した傷跡に直接影響を受けた世代だったが、この部分について彼が自分の意見を公にすることは生涯を通じてほとんどなかった。しかし、Liebezeitが、Canのメンバー、Irmin SchmidtやHolger Czukay(そして、その他のクラウトロック世代のアーティストたち)と同様、戦後の騒乱と傷跡の中に、音楽を革新し、再構築することで自国の芸術精神と自尊心を取り戻す必要性を感じ取っていたのは明らかだ。ティーンエイジャーのLiebezeitは、リズムが平凡陳腐だという理由から、そして、それゆえにその手のドラマーが数多く存在していたことから、いわゆる “ロックンロール” を嫌っていた。しかし、カッセルが米軍の駐屯地だったことから、Liebezeitも米兵向けのコンサートのドラム演奏からキャリアをスタートさせることになり、その結果、当時の西ドイツのカルチャーに一方的に影響を与えていた米国のカルチャーに触れることになった。

 

その後、Liebezeitはジャズに方向転換し、ケルンでジャズバンドのリーダーを務めていたManfred Schoofと出会ったあとは、しばらくの間、Art Blakey的なジャズの演奏を楽しんだが、ジャズバンドのドラマーとしてバルセロナで活動していた頃に、北アフリカのラジオ局の放送を聴く機会に恵まれると、リズムへのオルタナティブなアプローチを知ることになった。そして、1961年、西欧諸国がワールドミュージックに夢中になるよりもかなり前のタイミングでインド音楽のLPを手に入れたLiebezeitは、より複雑でより静かなパーカッションサウンドの研究を始めた。

 

ドイツに帰国したLiebezeitは、Ornette Colemanが生み出した革新が国内のジャズシーンを席巻していることに気付いたが、その “フリージャズ” は、本人にとっては “自由” を意味するものではなく、むしろ、ジャズの発展が終着点に辿り着いた証拠だった。そして、Liebezeitにとって、その “自由” は逆に忌避すべき対象として扱われるようになっていった。

 

Liebezeitは西欧のアヴァンギャルドシーンのアプローチに異を唱え、リズムは小節単位ではなく、サイクル(循環)として捉える方が重要だと考えた。ミニマリズム・規律・流動性・反復・ある種の単調さ − これらはLiebezeitがSchloss NorvenichでCanのメンバーたちとジャムセッションを始めた頃の彼のモットーになった。Canの各メンバーは、自分たちが学んできた学術的でクラシックな音楽、つまり、圧倒的な支配力を持っていたアングロサクソン系アメリカンロックの音楽的制限を解放する方法を模索していった。音楽は再出発の時を迎えていた。

 

円筒形の "容器" 、つまり、受け容れる能力を持つ者とも言い換えることができるCan(缶)という言葉は、彼らに相応しいバンド名だった。彼らはこれ見よがしのテクニカルなソロを意味もなく披露する代わりに(メンバー全員が十分な技術を持ち合わせていたが)、ひとつの大きな有機的なエナジーとしてのサウンドが自由な流れを生み出す環境を提供した。Liebezeitのドラミングへの型破りなアプローチは、この環境の創出に非常に重要だった。彼は従来のロックドラマーのように、ただ後方に座っているだけの存在ではなかった。彼は、クラウトロックが掲げていた理念で言うところの “リーダー不在(No Führers)” なコレクティブの中で、他のメンバーと対等な存在であり、彼のパーカッションはギター、キーボード、ベース、ヴォーカルと混ざり合いながら浮遊していた。

 

 

 

“全体として何が必要なのかを敏感に察知し、その実現に全力を尽くすというLiebezeitの演奏哲学は、人生哲学としても素晴らしい”

 

 

 

LiebezeitはベースのHolger Czukayと組んで積極的に活動に取り組んだ。CzukayはStanley Clarkeとは全く異なるベーシストで、音数を詰め込むタイプではなかったが、ミニマリズムを徹底的に追求していたLiebezeitは、Czukayに音数を更に減らすように指示し、斧を片手にミスをしたCzukayを叱りつけたこともあった。しかし、そのような厳格な規律を強要していたLiebezeitだったが、その規律の中に “ドグマ” は存在していなかった。彼のプレイは真の自由であり、Canを完全に解き放った。Liebezeitが見せた、予想可能で、狭義で、ありふれていて、制限の多いブルーズロックの模倣に対する徹底的な拒否は、まるで彼のドラムキットがローターブレードへ変異したかのように思える『Monster Movie』の収録曲「Father Cannot Yell」のダルウィーシュ的な演奏や『Tago Mago』の収録曲「Paperhouse」の中盤などで聴ける、このバンド特有の “浮遊性” の創出に大きく寄与した。また、『Future Days』のタイトル曲で聴けるキックドラムを使わないサイクルパターンの演奏も、この楽曲の打ち出す無重力感 − 重力からの解放 − に貢献している。

 

自由度の高さ、フレッシュな表現手段、広大な空間、そしてポストロック的選択肢を手に入れている21世紀の音楽が、Liebezeitに感謝すべき点は数多くあり、彼はロックドラミングのレジェンドとして称賛され、より高く評価されるに相応しい人物だ。しかし、Liebezeitの自己犠牲の精神が、本人をそのような位置に押し上げない。彼はケルンで静かに仕事場に通い続けるだけだった。ケルンには彼の銅像が建てられるべきだと言いたくもなるが、Liebezeitという人物は、全体として何が必要なのかを敏感に察知し、自己中心的な個々のエナジーをひとつにまとめて、ロックのエゴを昇華させることだけに全てを注いでいた。この演奏哲学は、人生哲学としても素晴らしい。

 

編注:この記事は2013年にRBMAが出版した『For The Record』に収録されていた記事を再編したものです。