十月 10

Bonus Beats:ラップ12インチシングルと失われたアートフォーム

Jazzy Jay、Carlos Berrios、Monica Lynchなどがヒップホップが最もエクスペリメンタルだった時代を振り返る

By Jeff “Chairman” Mao

 

Marley Marl、Teddy Riley、Kurtis Mantronik、Jazzy Jay、Rick Rubin、The Bomb Squad、Larry Smith、Hitman Howie Tee、Arthur Baker… 1980年代で最も多作だったヒップホッププロデューサーたちを思い浮かべてみると、この10年が近代音楽史で最もイノベーティブだった時代のひとつだと言われている理由が明確に理解できる。そしてこれらの錚々たるビートメイカーたちが作り上げた作品の多くと同じくらい重要と言えるのが、1980年代ニューヨーク・ヒップホップ(クラシック / カルト / その他を含む)の正典の中に書き記されているこのような作品群へリスナーを導く “知られざるエントリーポイント” の存在だ。

 

このエントリーポイントはヴァイナルからデジタルへの移行の中で取り残されてしまった作品群、当時の最優先メディア / 永遠の理想メディア “12インチシングル” のおかげでサンプリング、ドラムプログラミング、テープエディットやその他のスタジオテクニックの技術革新が積極的に支持されていたという時代背景が生んだ作品群を指す。消費者のためではなくDJのためのトラック - インストゥルメンタル / ダブバージョン “Bonus Beats” のことだ。

 

 

 

“「ダブ」ってのは「生のリディム」のことさ。「ダブ」は生の音楽。何も薄められていない”

King Jammy

 

 

 

“こりゃ酷いって思ってるかもしれないが、この先はもっと酷くなるぜ” 

LL Cool J “I Need A Beat”(12インチシングル・Aサイド ランアウトグルーヴ)

 

 

 

ヒップホップとジャマイカの音楽的な繋がりはクリエイティブな側面よりも血筋的な側面の方が強い。ヒップホップはブロンクス発祥だが、このジャンルの生みの親、世界初のヒップホップDJ、オリジナルストーリーの主役として知られるClive Campbell aka DJ Kool Hercはジャマイカ・キングストンで生まれ育った。ヒップホップの基礎である “DJ & MC” のテンプレートとこのジャンルに染みついているバトルの美学は、ジャマイカのサウンドシステムとサウンドクラッシュカルチャーの延長線上に位置していると考えられており、DJ Kool Hercと他のパイオニアDJたちが採用した同じブレイクの2枚使いはジャマイカ産レコードのストリップダウンされたサウンドを活用しようとした結果だという意見もある。

 

しかし、ヒップホップのトラックメイクと正規リリースされたヒップホップレコードにおけるダブ(ジャマイカ産音楽史上最大のスタジオテクニック)の影響を辿っていく作業は、このサウンド革命の本質的な重要性は聴こえないところに備わっているという事実に相応しく、おそらくそこまで簡単ではない。

 

King Tubby、Errol Thompson、Scientist、King Jammyをはじめとするジャマイカ人スタジオエンジニアたちが発明したミキシングテクニック “ダブ” の革新性と素晴らしさはレコーディングコンソールをリアルタイムで演奏するものとして扱ったところにある。どのジャンルのベストダブレコーディングもリアルタイムで直感的かつ優美にストリップダウンされて作られており、各インストゥルメンタルパートがそれぞれの “スイート・サイエンス”(※1)を忠実に守りながら拳を交わしては距離を取っていく。

 

ラップの12インチシングルに初収録されたダブミックスを探す作業は正確な答えに辿り着かないが、全員が「Rapper’s Delight」(1979年)がリリースされたディスコ時代後期のBサイド・カラオケバージョンが最初だったと考えている。

 

「ディスコラップ時代は、 “Instrumental” や “Bonus Beats”、“Dub Mix” の代わりに生バンドのバッキングトラックが収録されていて、 “Make Your Own Rap” みたいなタイトルが付けられていたんだ」とDiscogs登場以前にインディーラップリリースを高精度でカタログ化した書籍『The Rap Records』を執筆したFreddy Freshが振り返る。「とはいえ、突き詰めて言えば、それらはどれも “Instrumental” バージョンだった。そのあと、1982年から1983年にかけてフリースタイル系レコードで “Dub Mix” が多用されるようになった。Emergencyからリリースされていたレコード、Shannon “Let the Music Play” のようなトラックはパーカッションや他のサウンド、エフェクトを加えて、かなりジャジーなミキシングをしたバージョンを収録していた」

 

 

 

 

「一方、“Instrumental” は単純にヴォーカルを抜いただけでオリジナルとミックスは同じだ。で、ヒップホップはこの流れをそのまま引き継いだんだ。なぜなら、ニューヨークのスタジオでフリースタイル系やダンスミュージック系のレコードを手がけていたプロデューサーたちはヒップホップのレコードも手がけていたからさ」

 

1980年代初頭のダンスミュージック制作のテクノロジーの進化により、プロデューサーとエンジニアたちは新しいオモチャが生み出す多種多様なサウンドを試しながら、冒険心に満ちた作品を作り出すようになっていった。

 

「機材が個人所有されるようになり、ドラムマシンやキーボードが置かれたベッドルームが登場するようになった時代だった」と振り返るのはTommy Boy Records元社長Monica Lynchだ。Tommy Boy RecordsはAfrika Bambaataa & the Soul Sonic Forceの金字塔「Planet Rock」の12インチシングル(1982年)でTR-808を使用した最初期の “Bonus Beats” のひとつをリリースしたレーベルだった。

 

「当時は “Bonus Beats” と “Dub Mix” でプロデューサーの卵たちにデビューのチャンスを与えていたの。ビートの上にアカペラを被せれば、DJの名刺代わりになるミックスが完成するってわけ」

 

当時のスタイル、ジャンル、個性のぶつかり合いのユニークさの代表と言えるのが最初期 / 最高のヒップホップ “Dub Mix” のひとつ、Fantasy Three「It’s Your Rock」(1983年)のBサイド “a sure shot edit” だ。のちにエレクトロ / ハウス / ラテンのフリースタイルレーベルとして知られるようになるCutting Recordsがディストリビューションを担当し、ハーレム出身のハーモニーラップトリオを伝説のアンダーグラウンドドラマー / バンドリーダーPumpkinが率いるバックが支えたこのシングルのBサイドは、WKTU DJダンスミックスバトルのチャンピオンを獲得した経験を持つCutting Recordsの共同設立者Aldo Marinが手がけた。

 

 

© Carlos Berrios

 

 

MarinによるFunk Flex前史的な爆発音の画期的なシンフォニーからスタートするこのトラックの細かいドラムブレイクやゴーストノートを加えたシンセ、クリップされたヴォーカルのリフレインは当時のヒップホップの生々しいエナジーを見事に表現しており、フューチャリスティックに響きながら、公園などで行われていたジャムのスピリットも思い起こさせる。

 

「すでにあったものを使ってエディットしただけさ」とMarinは振り返る。「ハーフインチ(1/2)テープをエディットしたのはあの時が初めてだったね。ミキシングは最高だったし、サウンドも素晴らしかった。冒頭に爆発音が入っているけど、あれはサウンドエフェクトとして用意してあったのを俺が繰り返し使用したんだ。そのあとでビートを入れた。Pumpkinのビートに自分のビートを加え、それからヴォーカルフレーズを配置していった。ヴォーカルは逆回転させたよ。とにかくやれることはすべてやった」

 

「俺たちのダブミックスの多くはフリースタイルだった。ヒップホップの “フリースタイル” じゃない。“何でもあり” という意味の “フリースタイル” さ。オープンリールに色々突っ込んだ。機材のあらゆるボタンを押してビートを作ったよ。オリジナルとは違うブレイクダウンを用意したり、スクラッチを入れたりした。当時の “Dub Mix” はそうやって作られていたんだ」

 

フリースタイルでの仕事が最も良く知られているプロデューサーCarlos Berriosもヒップホップからキャリアをスタートさせた。Omar SantanaとスタジオプロダクションチームHit Squadを結成し、T La Rock、Mantronik、Jazzy Jayなどのミックスやエディットを手がけていったBerriosにとって “Dub Mix” は気晴らしに近いものだった。

 

「“Dub Mix” がどんどん作られるようになった」とBerriosは振り返る。「プロデューサーと一緒にスタジオに入って尺が3分半の7インチ用ラジオミックスを用意したあと、クラブ用エクテンデッドバージョンを用意するんだ。バージョンを制作する時にダブセッションをするのさ。思いつく限りのことをやって、リバーブやディレイでサウンドを飛ばしまくった。いつも奇天烈なアレンジになったからクールだったね」

 

 

 

“当時はエクスペリメンタルだった。エクスペリメンタルだったから多くの作品が生まれたのさ”

Jazzy Jay

 

 

 

Rick Rubinと組んだT La Rockとの「It’s Yours」やBusy Bee「Suicide」を含む数々のクラシックを手がけたオリジナルスクールの代表格と言えるプロデューサーJazzy Jayは、愛情を込めて当時のダブセッションを “ブレインストームミックス” と呼んでいる。

 

「ミキシングボードに座っている奴の自由裁量だった。プロデューサーのアイディアが入る時もあったね。ヴォーカルにエフェクトを大量に加えた。すべてのリリックを使う必要がなかった。キーフレーズをいくつか入れておけばそれで良かった。リスナーが覚えやすいフックやキャッチを備えているフレーズさ。やっていたことは昔(DJやカットアップ)とほぼ同じだ。トラックの一部だけを使って同じことをしていたのさ」

 

典型的な “Dub Mix” ではオリジナルトラックの最もインパクトのあるフレーズやパートが外された。その好例と言えるのが、ギターがほぼすべて抜かれているRun D.M.C.「Rock Box (Vocal Dub)」だ。また、このようなミックスは限られたサウンドに変化をつけることでミュージシャンの遊び心も満たしていた。

 

LL Cool Jのデビューシングル「I Need Beat」(1984年)の “Zootie Mix” で聴ける歪んだスネアはその代表と言える。また、Whistleのスマッシュヒット「(Nothin’ Serious) Just Buggin’」(1986年)のHowie Teeが手がけた “Buggin Much Hard” バージョンはそのままでも十分に奇妙なテレビ番組のフレーズやキーボードスタブ、その他様々なサウンドをトラック名に相応しすぎるレベルでまとめており、T La Rock「Breaking Bells (Dub)」では、プロデューサーKurtis MantronikらしいダイナミックなトラックがOmar Santanaの連続マシンガンテープエディットによるソニック・ステロイド剤を楽しんでいる様子が楽しめる。

 

 

 

 

そしてEric B. & Rakim「Eric B. Is President (Dub)」(1986年)は、オリジナルがすでにヒップホップ史上最高のダビートラックのひとつに数えられるが、Marley MarlとMC Shanが手がけたミックスは “統制されたカオス” の頂点に到達している。Jazzy Jayは「当時はエクスペリメンタルだった。エクスペリメンタルだったから多くの作品が生まれたのさ」と語っている。

 

 

 

 

“Dub Mix” 制作プロセスにおけるミュージシャンの自主性は失敗を偶然の面白さに変えることがあった。切れ味鋭いアレンジ作業が強烈なマジックを生み出したのだ。Jayが続ける。「パンチインしていると間違ったポイントでエコーを入れてしまう時があった。でも、そういう小さいミスがトラックのベストパートになる時があったのさ。ミスをしたはずなのに聴き直してみると “こいつはスゲーぞ。何とかして活用する方法を見つけないと” って思うんだ。このタイミングでOmar SantanaやCarlos Berrios、Latin Rascalsのような連中が入ってくるのさ。彼らはそういう部分をエディットしてトラックの中に入れる方法を見つけ出していった」

 

「このパートを8小節、あのパートを4小節って感じで取り出しながらひとつのトラックにまとめていく」とBerriosが説明する。「この作業の中に自分たちのフレーバーを落とし込んでいくんだ。それでようやくクリエイティブなミックスが完成する。Jazzy Jayはエディットの大ファンだったから、どんどんやってくれって感じだった」

 

1987年から1988年にかけてJazzy Jayがプロデュースした、もしくは関わった12インチシングルに収録されているBerriosの “Bonus Beats” 3トラックの尺はそれぞれたった40秒強しかない。しかし、その尺の短さと矛盾するように中身は入り組んでいる。

 

Black, Rock and Ronのアンダーグラウンドヒット「That’s How I’m Living」(1987年)の “Bonus Beats” のBerriosは、Taana Gardnerのダウンテンポクラシック「Heartbeat」のピッチダウンしたキックドラムにブレイクビートの定番Cerrone「Rocket In the Pocket」のアクセントを加えてパーカッションの強烈な一斉射撃を繰り出している。

 

また、MC Betaの忘れられた名トラック「There’s Nothing Like New York」(1988年)でBerriosが手がけた “Bonus Beats” は、本人とOmar SantanaによるJazzy Jeff的トランスフォーマースクラッチによる16分テープスライステクニックが用いられており、Masters of Ceremony「Cracked Out (Remix)」(1987年)の “Bonus Beats” のBerriosは、テープストップエフェクトからスタートしたあと不協和音的エディットへシフトアップして、トリッキーなスウィングと “Crack Spot!” のアクセントを加えてオリジナルトラックの "メインテーマ" が人体に与える影響 - 見当識障害と不安 - を見事に、そして不安げたっぷりに表現している。

 

 

Carlos Berrios © Carlos Berrios

 

 

ダブの本質が「魅力的で雰囲気のある音楽環境を創出するアート」だとするなら、このようなインスピレーションに満ちた強烈なビートの連続 “Bonus Beats” もそれに付随する “Dub Mix” もダブということになる。“Bonus Beats” はそのユニークなショートスタイルでRakimのあらゆる4行詩と同じくらい明確に1980年代ニューヨーク・ヒップホップの雰囲気と緊張感、美学を想起させる。

 

しかし、このようなスタジオ実験が行われていた背景には、スタイル的な理由だけではなく非常に実用的な理由もあった。追加収録されるミックスがユニークであればあるほど影響力の大きいDJ - 当時の実力者や門番的存在 - にプレイされる確率が高まったのだ。

 

「クラブDJやミックスショーを抱えるラジオDJのためだった。手に入るものをすべて渡してプレイしてもらう回数を増やしてもらおうとしたのよ」とMonica Lynchが語る。「そういう意味では商業的な意図があったわけ」

 

「きっちり仕事をする必要があった」とBerriosは語る。「レコード会社は常に待っていた。だから仕事のオファーが届いたあと金曜夜にスタジオに入って月曜の朝までぶっ続けで作業を続けるなんてざらだった。スタジオで寝て、起きたら作業を再開させた。ノンストップだったよ。カットとスライスを繰り返していたからテープがそこら中に散らばっていたし、とにかくクレイジーだった。だが、月曜の朝6時ジャストに必ず仕事を終えていた。それから血走った目でFrankfort Wayne(マスタリングスタジオ)がオープンするのを待って、朝9時にテープをマスタリングセッションに持ち込んだ。このスケジュールに遅れるわけにはいかなかったのさ! あの頃の生活が俺たちに規律を植え付けたんだ」

 

「こういうミックスは重要だった」とJazzy Jayが同調する。JayはZulu Nation DJとしての長年の活動がクラブDJとラジオミックスショーDJの活動に繋がっていた。「こういうミックスがDJたちにトラックに変化を加えたり、自分らしいミックスをしたりする幅を与えることになった。DJがプレイに自分らしさを加えられるようになったんだ」

 

The Classical IIが1987年にリリースしたシングル「New Generation」のダブバージョンがその突出した例だ - オープニングのTeddy Rileyのキーボードリフを2枚がけしているDJを聴いたことがいない人はいないだろう。この「New Generation (Dub)」は当時のDJたちの間で非常に高い人気を誇り、ヴォーカルバージョンが完全に無意味な存在になるほどだった。アップタウンアンセムとなったこのダブバージョンはヒップホップ / R&B時代だった1992年にMary J. Blige「Reminisce (Bad Boy Remix)」のメインサンプルにも使用された。

 

オリジナルトラックの再アレンジの可能性を探り抜いたダブバージョン群 - 故Paul Cが倍速キックドラムを加えたSuper Lover Cee & Casanova Rud「Do the James (Dub Mix)」(1987年)や幾層にも重ねられたカコフォニーが特徴的なPublic Enemy「Son of Public Enemy (Flavor Whop Version)」など - は耳の肥えているDJとリスナーを惹きつけ続けたが、1980年代が終わりに近づくと、このようなミックスはラップ系12インチシングルから徐々に姿を消していくようになり、ヴァイナルシーンでは正統派のインストゥルメンタルバージョンが再び好まれるようになった。完全新録のBサイドが用意される時もあった。ダブバージョンが消えた正確な理由 - 好みの変化なのか、状況の変化なのか、飽和によるものなのか - については議論の余地がある。

 

 

Omar Santana & Carlos Berrios “Mantronix (Mega-Mix)”  © Carlos Berrios

 

 

「俺はアーティストたちが怠けるようになったからだと思う」とJazzy Jayは語る。「俺たちの世代はスタジオに入って実験を繰り返すことを楽しんでいた。コンセプチュアルなアイディアでオリジナルに取り組み、ミックスを完成させるまで2~3週間かけていた。こういうミックスが消えていったのは、アーティストたちがそういう実験をやりたいと思わなくなったからだと思うね」

 

「ヒップホップ業界が変わったのよ」とLynchが指摘する。「全体がトップダウンになっていった。ミュージックビデオがプロモーションの主流になっていった。『Yo! MTV Raps』が放送された瞬間、業界は大きく変わったわ」

 

さらに言えば、1990年代前半までにヒップホッププロデューサーたちがアーティストや音楽業界の中心人物として高い地位を得たことがヒップホップのクリエイティビティとプロモーションを永遠に変えていた。“Dub Mix” と “Bonus Beats” は正統派リミックスを重視する流れを生み出した。皮肉なのか、相応しい結果なのかは分からないが、そして聴く作品によっても変わってくるが、そのようなリミックス(ホーンを重用しているPete Rockの初期リミックス群は特に)は、リバーブとエコー重視するダブの制作アプローチを上手くリファインして取り入れていた。

 

「スタープロデューサーやスターDJが登場するようになった。名前で売れるようになったのよ」とLynchが続ける。「House of Pain “Jump Around (Pete Rock Remix)” はその好例ね。レコードを売るためにクラブやミックスショーに食い込まなくても良かったのよ」

 

「ダブバージョンがもう存在しないのは悲劇だと思うね」とBerriosは悲しむ。「あのダブのメンタリティというか、オリジナルとは完全に別のバージョンを作るというアイディアがもうこの世に存在しない理由が理解できない」

 

「だが、今はあの頃より状況が難しくなっている」とBerriosは続ける。「SSLやNeveなどのミキシングコンソールを使っていた頃は、キーボードのような他の機材を実際に演奏しながら制作を進めていたんだ。コンソールの10チャンネルを同時にミュートしたり、ソロボタンを押したり、他のボタンを押したりしながら、ディレイやリバーブをかけていくことができた。そうこうしているうちにテクニックが身についていったんだ。コンソールでの作業は即興だったし、非常にフィジカルだった。だが、コンピューターで同じことをやろうとすると100倍は難しい。なぜなら、マウスでは1クリックで1アクションしか起こせないからだ。また、ProToolsのようなソフトウェアを使っていると、ひとつのパラメーターの調整に何時間もかけてしまう時がある。昔みたいに即興で制作できないのさ」

 

今聴き直してみると、最近のヴォーカルやリリックのトレンドとはまったく関係なく、自分たちを生み出し、最終的には自分たちを抑え込むことになった業界のしがらみからも完全に切り離されている1980年代ヒップホップダブミックスの色褪せなさは実に素晴らしく感じられる。

 

これらのビートがMadlibとDillaが打ち出したインストゥルメンタル・ヒップホップビートの先駆けという意味でリスペクトできるというのがそう感じる理由のひとつだろう。見過ごされがちだが、Seville featuring Jazzy Jay and Shameek「Back for the Payback (Dub)」のような3連ハットが光るバージョンやMantronikのあらゆる作品のアレンジがトラップサウンドの原型と呼べるのも理由なのかもしれない。もしくは、このようなミックスは才能溢れるアーティストたちの非常にインタラクティブなスタジオ共同作業の結果で、そのクオリティが時代を超えているという単純な事実なのかもしれない。

 

「昔はもっとシンプルだったわ」とMonica Lynchは振り返る。「“Dub Mix” と “Bonus Beats” が収録されていれば誰かさんのネームバリューに頼ることなくレコードを売ることができた。ドープならそれで良かったのよ」

 

なぜか当時の方が純粋にクリエイティブで模索的だったように感じられる。それが本当だったのか、ミュートされているサウンドが聴こえるような錯覚のようなノスタルジックな感傷から来ているのかは分からない。

 

(※1):Sweet Scienceはボクシングを意味する。トップレベルのボクシングは非常に高いスキルが求められるため。

 

 

 

Header Image:© Carlos Berrios 

 

 

11. Oct. 2019