七月 11

Rap 1.0: インターネット黎明期のヒップホップ

ストレージが大きいにも関わらず、インターネットの記憶力は驚くほど悪い。 インターネットはありとあらゆる過去のイテレーションの記録を貪り食い、それを時代遅れのものにしながら急速に変化していく。ユーザーはAOLやAltaVista、IRCなどのチャットがかつて存在したこと、そして「You’ve Got Mail」というあのフレーズを憶えているかも知れないが、当時これらを使って作られていたコンテンツ、消費されていたコンテンツへの再訪は簡単ではない。よって、インターネットユーザー、そして彼らが居を構える極小のコミュニティ群は先人たちが通った道を永遠に辿り続けることになる。

「ヒップホップインターネット」(このような大まかなコンセプトをひとつの塊にまとめられるかは疑問だが)も例外ではない。ヒップホップシーンは90年代に起きたデジタル化の波に対し遅れを取っていた(超科学的天才ラッパーと一部から評価されていたCanibusが自分のウェブサイトのURLをCD-ROMに載せることについてラップしたのも1997年になってからだ)。とは言え、当時勢いのあったラップシーンにおけるビジネスと意見交換は90年代初頭から、所謂今のウェブサイトになる前のインターネット上に表出し始めていた。


この当時の活動の詳細なアーカイブは、今でもオンライン上に残されている旧時代のインターネットのひとつ、Usenet上に存在する。Usenetは、簡単に言えばニュースグループ機能のことで、1980年代初期から利用されていたウェブ以前のテキストベースのディスカッションサービスだ。ニュースグループは現在におけるメールと掲示板の中間のような存在で、公開された会話の記録が自分の直接コンピューターに配信されるというシステムだった。幸運なことにGoogleは1981年までのUsenetの全会話履歴をアーカイブ化して保管しており、その奥深くに90年代初期のラップシーンで起きていた会話を包括する2つの存在、alt.rapとその後継者でより高い評価を得ているrec.music.hip-hopが眠っている。

「地元の連中の多くは、ショットガンが積まれたピックアップトラックを乗り回す家庭に育っていたし、許容されているカルチャーの中でのラップの地位は決して高くなかったから」−Steve Juon

Googleのアーカイブ上に残されているalt.rapの初投稿の日付は1991年3月20日となっており、その内容はTechnotronicのヒップハウスヒット、「Pump Up the Jam」の歌詞で、続く2番目の投稿は「史上最悪のトラック。以上」と記されている。これ以降、alt.rap上の投稿は情報的な意味合いがより強くなっていき、トラックレビュー、トップ10チャート、アルバムリリーススケジュール、ライブレビュー、真偽の確認(大半がVanilla Iceについて)、そして人種差別的投稿など、現在の音楽系インターネットでも中核となっているコンテンツが大半を占めるようになった。

こう見ていくと平凡な内容に思えるかも知れないが、ラップカルチャーとインターネットテクノロジーは今ほどグローバルな存在ではなかったという点に留意してもらいたい。 今は当然とされ、個人のかなり深い部分まで浸透しているといえるこのふたつの新しいライフスタイルにアクセスするためには、非常に特殊な環境が必要とされたのだ。


当時、 アクセスの欠落は大抵の場合、単純に地理的条件によるものだった。1992年、アイオワ州の田舎に住んでいた高校生で、DJ Flashというハンドルネームを持っていたSteve Juonは、姉のメールアカウントを使ってレコードレビューやリリックを投稿するためには、36kmほど離れた地元の大学へ車で行かなければならなかった。そしてJuonはこの大学で、まずUsenetとメールアドレスリストベースの ニュースレターHardC.O.R.E、次にFTPリリックアーカイブ、そして最後にrap-reviews.comとOHHLA.com(Original Hip Hop Lyrics Archiveの略)を構築し、ラップミュージックの小さな情報帝国を築き上げることになった。尚、 巨大なデータベースOHHLA.comは、その後10年以上に渡りラップのリリックを調べる際のインターネット上のメインリソースとして君臨した。

Junoが当時を振り返る。「俺はただラップを語れる仲間を探していたんだ。地元の連中の多くは、ショットガンが積まれたピックアップトラックを乗り回す家庭に育っていたし、許容されているカルチャーの中でのラップの地位は決して高くなかったから」

Juonは当時まだ10代だったが、その後は同種のフォーラム、rec.music.hip-hopの創出に大きく関わっていき、rec.music.hip-hopはより多くの人たちに読まれるようになった(より象徴的な存在になった)。この頃生まれた2つのニュースレターは、読者層が分岐するに従ってそれぞれ内容も変わっていき、rec.music.hip-hopはよりディープなアンダーグラウンドシーンを、alt.rapはメインストリームをそれぞれ追うようになった。

「最初の大きな社会的なムーブメントは、rec.music.hip-hop上にシーンの動向をすべて載せようというものだった」同じくニュースグループの常連だったEd Wongは振り返る。「Alt.rapはただの利益団体で、ラップが音楽として扱われていないような感じさえあった」


アイオワにヒップホップカルチャーを「輸入」するリーダー的存在として活動していたJuonに対し、Wongは「輸出」側のひとりとして活動していた。1993年、NYU(ニューヨーク大学)の1年生だったWongは、レコードショップが近所にあるというアドバンテージを活かし、Gang StarrA Tribe Called Questなどの膨大なディスコグラフィーを集め、またWKCRでStretch ArmstrongとBobbitoが毎週ホストしていた伝説の番組など、ニューヨークでオンエアされていた優良なラジオ番組のダイジェストを録音していた。

「モデム環境では10秒の音楽をダウンロードするのに5分位かかった」−Ed Wong

Wongはインターネットを始めてからすぐにUsenetから離れ、自身のウェブサイト、Mercer’s Sandbox(MercerはWongのハンドルネーム)の作成に注力した。alt.rap上に残っている本人による同サイトの告知文には、「ニューヨークに来たい、または勉強したいと思っている人は、ここをチェックすればマンハッタンのヒップホップが理解できますよ」と書かれている。

サイトを立ち上げるにはやや労力がかかった。当時NYU側はまだ生徒に対し個人用のウェブスペースを提供していなかったため、彼と友人たちはComputer Advocacy NYUというニセの学生団体を作り、Wongの持つレコードコレクションやオーディオサンプルを掲載した。オーディオサンプルは10秒から15秒程度の短いものだったが、「モデム環境では10秒の音楽をダウンロードするのに5分位かかった」とWongは当時の状況を振り返っている。


そしてこのサイトの人気が高まってくると、サイト上にリストアップしているレコードを買いたいという要望が海外の読者から届くようになった。そこで彼はニューヨーク市内のレコードショップに足繁く通い、メジャーレーベルのアーティストたちのレアなプロモ盤を購入し、それにかなりの利益を上乗せした形で海外へ売りさばくようになった。

「俺は当時学生で、時給5ドルでStaples(米国の文房具チェーン)で働いていた。でも、1枚5ドル位で買ったレコードに対して、日本人は『20ドル出すよ』なんて言ってくれたのさ」

「Beat Streetのバイヤーが誰だったのかは知らないけど、俺のためだけに仕入れてくれているんじゃないかと思える時があった」−Ed Wong

時間と共にニューヨークのレコードショップのオーナーたちもこの市場の存在に気付き、自分たちでこれらのレコードの価格をつり上げていったが、その頃、また別のラップレコードが世界的な人気を獲得し始めていた。後にEminemMos DefMF Doomなどを生み出すRawkusFondle ‘Emといった、主にアナログ中心のインディーレーベルがブームとなっていたのだ。

Wongは直感的にこの新しい市場に乗りだしたが、レコードの堀り方や買い方自体は基本的には変わらなかった。Wongは店頭価格に1、2ドル上乗せして、当時まだ新しかったマンハッタンのFat Beatsで大量購入したり、または「ブルックリンのBeat Streetから13〜18Kgのレコードを引きずって帰った」(本人談)りしていた。Beat Streetではウェストコースト系の包括的なセレクションが売られていたと言う。

「Beat Streetのバイヤーが誰だったのかは知らないけど、俺のためだけに仕入れてくれているんじゃないかと思える時があった。当時は誰もSwollen Membersの12インチなんて買わなかった。でも俺は20枚程まとめ買いをしたんだ」



当然のことながら、このビジネスモデルは続かなかった。Wongが振り返る。「始めてから半年後位にFat BeatsのJoe Abajianが 電話をしてきて、『お前のショップは良いと思うし、お前のやり方も悪くない。だが、俺たちの商品だ。Mike Zootの12インチを買い占められると困る。俺たちの客の分がないからな!』と言われた」しかし、幸運なことにFat Beatsにはディストリビューション部門も存在したため、この部署の手助けにより、Wongのビジネスは一般的な小売店より近いスタイルに変わることになった。またWongは、あまり知名度の高くないレーベルに対して当時のサーチエンジンの主力だったYahoo上でのプロモーションの手段として自身のウェブサービスをバーターで提供するという、独自の商法も行っていた。

「彼らはネット上の露出がなかった。たとえばRawkusもrawkus.comというドメインを持っていながら、何もコンテンツがなかった。だから俺がオンライン上の情報をすべて管理する代わりに、彼らの売り上げをSandboxへ入れてもらった」

時として知的な無所属系インディーヒップホップがインターネットで上手く生き残れたのは、多分これが理由だ。Sandboxと同様のオンラインショップは、数多くの内向的、または革新的なラップミュージックに対し、 グローバルで熱狂的な販路を提供したのだ。このようなサービスがなければ、彼らの作品はすぐにエサ箱に放り込まれてしまっていただろう。

「インターネットは新しいもの、次に来るもののためにある」Juonが説明する。「普通は20単語のところに100単語を突っ込んで一気にラップするような特殊なラッパーたちのレコードが売れた。インターネットはそういう音楽を好んだ。なぜならみんな新しいものを求めていたからだ」この後、Sandboxは名前をSandbox Automaticに改め、この世間のニーズを上手く利用していった。Sandbox Automaticはインディーラップを売り出したい少数派にとって最も力のある存在のひとつとなり、その影響力は2000年代に入っても続くことになった。


こうして時間をかけながらインターネットにおけるラップシーンは、カジュアルなオンライン上の会話を基盤としながら、有機的に構築されていった。ヒップホップはラップとオンラインコミュニティ以外の人たちにとっては、商品化することが難しい難解なテーマだったのだ。Juonは、Russell Simmonsの360 Hip Hopなど、90年代後期のドットコムバブルの時期に生まれ、そして瞬時に消えたラップサイトの思い出を笑う。「サイトを覗いたら笑っちゃったよ。このサイトには何もない!ってね」だが、ファンたちの善意による情報交換を通じてインターネット上に築かれた知の集合体と言えるこのユートピアは、この次に起きたウェブ革命—ウェブ2.0−とこの革命から生まれた企業群が、シンプルだったヒップホップインターネットを飲み込んだのだ。SandboxとOHHLAは2013年現在も生き残っているが、大量のテキスト、デフォルトフォント、そして青文字アンダーラインのリンク表示という原始的なレイアウトは、1998年からワープしてきたかのような印象を与える。

また、Sandboxの扱いはCDだけになっている。ヒップホップのアナログレコード市場が2000年代中盤に衰退したことを受け、Wongはアナログレコードの販売を中止したのだ。しかし、最近はSandboxの名前を使い、新たにアナログレコードの販売を再開しており、巨大な音楽関連データベースサイトでSandboxの延長上的な存在、Discogsに参加中だ。 Discogsは複数のディーラーが参加可能で、そのコンテンツとデータがグローバルな集合知によって構築されているという点がSandboxとは異なる。またWongはCDをAmazon.com経由でも販売しており、本人はこのような大規模なサイトを使った販売への移行について熱っぽく語る。

「Rap Geniusは俺がやってきたことで大儲けしたのさ」−Steve Juon

「今はフリーマーケットのような状態だ。小規模な店舗はこういう大型のサイト内にテントを張り、価格を上手く設定し、一番早く商品を扱い、在庫をきちんと確保しようと努力している。広告費用はかからない。彼らが全部やってくれる」

一方、Juonのユーザー主導型インターネットへの移行はそこまでスムースではなかった。OHHLAは今でも運営されているが、少なくともGoogleのトップサーチからは消えており、より近代的でSEOのランキングが上位のリリックデータベースrapgenius.comによって隅に追いやられている。rapgenius.comはラップのリリックが1行ずつ投稿でき、投稿したユーザー/協力者にはポイントが与えられるというシステムが採用されている。このサイトモデルを擁するRap Geniusは、最近エンジェル投資家から1500万ドルの投資を受け、大きな話題となったが、Rap Geniusの初期アーカイブ作品の多くはOHHLAに投稿されていたリリックとタイポなどを含むすべてが酷似しており、OHHLAから丸々コピーしたのではないかという憶測が生まれた。しかし、Juon本人はこの現実を甘んじて受け入れており、ほんのわずかに不満そうな声で、「奴らは俺がやってきたことで大儲けしたのさ」と答えるだけだ。

alt.rapとrec.music.hip-hopは今でも(何とか)生き残っているが、読者の大半は21世紀に変わる頃までには既にブログやウェブベースの掲示板へ活動場所を移しており、現在このふたつのサイトはポルノサイトの宣伝や売れないラッパーによる自分のデモへのリンク、出遅れているブロガーのブログの宣伝など、スパムの墓場と化している。これがインターネットが死んだ時の姿なのだ。

※この記事は2013年にニューヨークで開催された Red Bull Music Academyで期間中毎日配布されたフリーペーパー『The Daily Note』に掲載された記事を転載したものです。

ヘッダーイメージ:C.Godhand