十月 14

電子音楽の地平を切り拓いたカナダの女性作家たち

RBMA Montreal特集:電子音楽黎明期に活躍したカナダ人女性作家たちを紹介する

By Robyn Fadden

 

電子音楽のパイオニアとして認識されている女性アーティストたちのこれまでの系譜は、人類が耳にしたことがない新たなサウンドとシークエンスの世界の探究を目指して、女性たちが50年代後半から70年代にかけての電子音楽黎明期から力強い作品を残してきたことを明確に示している。しかし、その中にカナダの電子音楽を切り拓いた女性の名前はほとんど見られない。表面的にはカナダの電子音楽黎明期は男性中心だったように見える。しかし、その歴史をもう少し深く探っていけば、テープマシンやコンピュータ、自作楽器などに囲まれながらその世界に足を踏み入れていたカナダ人女性たちの姿が浮かび上がってくる。

 

電子音楽の黎明期に女性がさほど多く存在していなかった事実には、電子音楽が勃興した当時の時代背景が深く関わっていた ― 西洋音楽と学術的な研究施設内で生まれた20世紀の電子音響学は男性研究者や天才的な才能を持つ者によって占められていた。また、さらに言えば、電子音楽を生み出すには、ピアノのような生楽器ではなく、電子音響学の研究室か商業スタジオ、もしくは必要なサウンドを制作・録音するために必要な機材群を購入する何かしらの手立てが必要だった。黎明期の電子音楽は敷居が高かったのだ。しかし、そのような状況下でも、サウンドを鳴らすことでその敷居を乗り越えようとした女性たちが何人も存在した。

 

 

 

表面的にはカナダの電子音楽の黎明期は男性中心だったように見える。しかし、その歴史をもう少し深く探っていけば、テープマシンやコンピュータ、自作楽器などに囲まれながらその世界に足を踏み入れていたカナダ人女性たちの姿が浮かび上がってくる

 

 

 

Suzanne Ciani、Daphne Oram、Delia Derbyshire、Wendy Carlos、Pauline Oliveros、Ruth White、Laurie Spiegel、Clara Rockmore、Bebe Barron それにÉliane Radigueたちは、ヨーロッパや米国のアカデミックな研究施設や音楽シーンで活躍している重要なアーティストであり、我々もその名を知っているが、カナダの電子音楽史はヨーロッパや米国のシーンの影に隠れがちでもある。そこで今回は、その黎明期にトロント大学やマギル大学の電子音楽スタジオのメンバーとして、またはモントリオールのアヴァンギャルドな電子音響シーンのメンバーとしてカナダの電子音楽の実験を主導した女性たちを含む、他のカナダ人女性作家たちに光を当てていくことにする。

 

電子楽器やテープマシンを用いたクラシカルな作曲から、電気的に制御されたフィールドレコーディングに至るまで、以下の10組のカナダ人女性作家たちによる作品には様々な探求や表現が見られる。それらは主流派に与さなかったアートやテクノロジーの集合体であり、電子楽器またはその他の方法を用いた音楽、そしてその制作における新しい思考へのインスピレーションとなった。

 

 

Norma Beecroft

 

 

一流の作曲家としての評価と、CBCラジオにおけるプロダクションの実績により、Norma Beecroftは60年代初頭にトロント大学の電子音楽スタジオ(UTEMS=University of Toronto Electronic Music Studio)の研究グループのメンバーになった。1964年の段階ですでにレコード会社Columbiaが所有する電子音楽スタジオで『From Dreams of Brass』を作曲していた彼女は、Hugh Le Caine、Gustav Ciamaga、Barry Truaxたちと共同作業をしながら、エレクトロニック、アコースティック、合唱的要素をブレンドして自身の作曲に取り入れ始めた。 Beecroftは、Hammond製キーボードやヴォイス、フルートなどをテープレコーダーやAmpex 352 1/4”をはじめとした再生装置と組み合わせ、そこにフィルターやリバーブ、リングモジュレーション、サイン波やノイズ、テープの切り貼りによるループなどを加えることで自分が望む音響効果を生み出していた。

 

Beecroftの作品はカナダ国立バレエ団をはじめ、様々なアーティストやアンサンブルの演奏によって世に知られるところとなり、彼女の活躍の舞台はTVやラジオ局での音楽制作へと広がっていった。またRobert Aitkenと共にNew Music Concertをシリーズ展開し、研究の一環として世界をリードする電子音楽作曲家へのインタビューも行った。エレクトロニクスを合唱団やオーケストラと調和させたライブパフォーマンスを専門としていた彼女は、1967年のモントリオール万博では人形劇のためのスコアや、バレエ『Hedda』のためにオーケストラとテープマシンを用いた作品を提供した他、初期のデジタルMIDIシンセとミキサーを駆使した作品『Evocations: Images of Canada』も手がけた。また、1976年には自身のスタジオを設立し、Stratford Festivalで上演されたShakespeare作品のためのエレクトロニック作品や、ラジオドキュメンタリー作品『The Computer in Music』を制作した。最近も電子書籍『Conversations with Post World War II Pioneers of Electronic Music』の執筆や、音楽史に関する講演活動を行っている。

 

 

Ann Southam

 

 

伝統とテクノロジーの両方を巧みに使い分けるAnn Southamは、電子機器からある種の温かみを引き出すことと電子音楽を新たな空間へと導くことを主眼に置きながら、精緻なテクニックを使った作曲を行った。ピアノとオーケストラの正式な教育を受けていた彼女は、1960年以降はトロント大学でGustav Ciamagaと共に電子音楽を学びながら、電子的な作曲技法にのめり込んでいった。

 

すぐに電子音楽の可能性に魅了された彼女は、自宅アパートメントの室内にスタジオを設けた。棚にはシンセサイザーやテープマシン、ミキサー、今では貴重なマトリクス・グリッドでパッチングするSynthi-AKSやEMS製シンセを含む、彼女が言うところの「最低限」の機材群が並べられていた。1968年になる頃には、彼女はダンスカンパニーNew Dance Group of Canada(Toronto Dance Theatre)の専属作曲家として、ダンサーや空間とサウンドの相関性に触発された表現力豊かなエレクトロニック作品を手がけるようになった。そして、それ以降も数々の映画作品のスコアやAiko Suzukiをはじめとした革新的な振付家との共同制作を行っていった彼女は、1977年には才気あふれる天才作曲家Diana McIntoshと共にウィニペグのコンサート組織Music Inter Aliaを設立した。

 

このような新しい音楽の世界に傾倒していたSouthamの作風は、すぐにロマンチシズムを内包したエレクトロニクスからPhilip GlassやTerry Riley、Steve Reichなどに代表される米国のミニマリスト的なものへと移行していった。調性・叙情性・伝統を美しく変化させるプロセスを強調したその作風は、ソロピアノとテープマシンを駆使した『Glass Houses』連作(1981年)や、ピアノ作品を中心に集めた『Rivers』などに見事に反映されている。1980年、Southamはカナダ人女性作曲家の団体Association of Canadian Women Composersの初代会長に就任。そして、その後もダンスやヴィジュアルアートとの更なるコラボレーションを通じて、完全にアコースティックな作品と、当時は革新的だった、反復の中の微妙な変化を女性の視点から捉えた楽曲群を生み出していった。

 

 

Micheline Coulombe Saint-Marcoux

 

 

 

ケベックの作曲家Micheline Coulombe Saint-Marcouxの作品群は、サウンドと土地との関係性が深く根ざしている。歌に溢れた幼少期を過ごした彼女は、伝統的なクラシック音楽を学ぶため1965年にConservatoire de musique de Montréal(モントリオール音楽院)へ進学したが、のちに『Arksalalartôq』(1970年発表)や自然の風景を音で表現した『Moustières』(1971年発表)などでその歌声への探求を行っている。彼女が同音楽院で卒業制作最優秀作品賞を獲得した『Modulaire』はオーケストラと最初期の電子楽器オンド・マルトノを組み合わせた作品であり、この作品は彼女に女性作曲家として史上初となるAcadémie de musique de Québec Prix d’Europeの受賞ももたらした。

 

Iannis XenakisやPierre Schaeffer、そしてパリのGroupe de Recherches Musicales(編注:フランス音楽研究グループ、略称GRM。Pierre SchaefferやLuc Ferrariらが創設に関わり、Jean Michele Jarreなども参加した)との共同研究により、彼女は電子音楽のテクニカルな手法と、イメージとサウンドの関係性への詩的なアプローチをより深く探るようになった。1960年代末までにコンサート組織Groupe international de musique électroacoustique de Paris(パリ電子音響国際研究グループ)の共同設立した彼女は、その後モントリオールへ戻り、Otto Joachim、Gilles Tremblayと共に電子音響スタジオを母校モントリオール音楽院に設立した。

 

電子音響の一般認知を高めようとしていた彼女は、Ensemble Polycousmieを結成し、パーカッションと電子音響をダンスと組み合わせながら、ヴィジュアルアーティストやダンスカンパニー、劇場とのコラボレーションを展開した。彼女は生楽器のためのオーケストラ作品の中にも電子音響的手法を積極的に盛り込み、空間性やサウンドの変化に取り組んでいった。1970年にOrchestre symphonique de Montréal(モントリオール交響楽団)のために作曲した『Hétéromorphie』は、オーケストラが4つのセクションに分けられ、サウンドがオーケストラの頭上をまるで風や波のように動いていく。また、シンセやテープ、オンド・マルトノ、人間の肉声などを用いた小編成向けの作品群、そして後期にはケベックの詩を取り入れた風土性が力強く感じられる作品群も残している。

 

 

Hildegard Westerkamp

 

 

“サウンドウォーク”(編注:日常生活の歩行時などに周囲の環境音に意識を傾けること)という概念を一般に広めた先駆者的存在として知られる作曲家Hildegard Westerkampは、環境におけるサウンドのコンテクストと、サウンドスケープの中の作曲者やリスナーの “位置” にフォーカスした電子音響作品に没頭しており、1970年代初頭には、サイモン・フレーザー大学で行われたWorld Soundscape ProjectでBarry Truax、R. Murray Schafer、Jean Pichéと共同研究を行った。World Soundscape Projectは、騒音公害と音響生態学を多角的・音楽的に研究するプロジェクトで、90年代にWorld Forum for Acoustic Ecology(音響生態学国際フォーラム)へと発展した(現在、彼女はこのフォーラムの編集委員会に籍を置き、『Soundscape - The Journal of Acoustic Ecology』の刊行に携わっている)。

 

Westerkampの作品群は、自然の中で録音された環境音が用いられており、それとスタジオでの編集作業が絶妙なバランスを取っている。バンクーバーで制作された『Walk Through the City』(1981年)、バンクーバー国際交通博覧会のために制作された『Harbour Symphony』(1986年)、ライブパフォーマンスを組み込んだ『Cool Drool』(1983年)や『India Sound Journal』(1993年)など、彼女の作品群は常にそのサウンドが録音されたロケーションが重要視されていた。彼女はクローズマイキングやロケーション・天候に適した機材などを用いたり、特定のサウンドと音楽性をありのままに捉えるための空間内での移動方法を学んだりしながら、作曲だけでなく、探究心溢れるディープリスニングにも適用できるフィールドレコーディングテクニックを編み出した。

 

そして、スタジオでそのような録音物を独自のアナログテクニックで加工したあとは、バンクーバーのCo-operative Radio(彼女が1978年に初めて “サウンドウォーク” の原型となる作品を初めて放送したラジオ局)をはじめとしたラジオ局で放送したり、専用のパフォーマンススペースで演奏したり、サウンド・インスタレーションの一部に組み込んだりしていた。Westerkampは現在も作曲活動を続けており、世界各地で作曲ワークショップを開催している。

 

 

Marcelle Deschênes

 

 

 

ケベックにおける電子音響とマルチメディアパフォーマンスのアイコンであり、国内外で数々の賞を受賞しているMarcelle Deschênesは、一貫して権威主義を回避してきた。キャリア最初期から規律とコミュニティ意識を重んじて制作活動を展開してきた彼女の作品群には、音楽/テクノロジー/ラジオ/映画/映像/パフォーマンス/ヴィジュアルアート、そして可能性を感じられるコラボレーションへの強いこだわりが窺える。1960年代半ばにモントリオール大学の大学院でJean Papineau-Couture、Serge Garantと共に作曲を学んだ彼女は、François BayleやパリのGroupe de Recherches Musicales(GRM)の作曲家たちと共同研究をするようになり、その後もPierre Schaefferが客員教授を務めていたパリ音楽院とパリ大学での研究を続けていくと、そこでエスノミュージコロジー(音楽民俗学)の世界へ深く傾倒することになった。

 

1971年にカナダへ帰国したDeschênesは、ラヴァル大学の電子音楽スタジオで聴覚研究に従事する傍ら、集団作曲における実験も行った。複数のメディアを組み合わせるテクニックとサウンドの知覚に関する彼女の研究と、彼女が共同設立者となったACREQやCanadian Electroacoustic Communityなどにおける電子音響およびマルチメディア研究組織には、著名アーティストや音楽家以外の人たちが多数関与した。

 

その後も音楽の探求を続けていったDeschênesは、電子音響スタジオBruit Blancを共同設立したあと、NFB(カナダ国立映画制作庁)の映画作品『Le Port de Montréal』のためのサウンドトラックや、『deUSirae』、『Big Bang』など数々のソロ・集合作品を手がけた。また、マルチメディア作品の一環として発表された『OPÉRAaaaAH!』が、Paul Saint-Jeanが世界各地で展開したマルチメディア・ショーに使用された他、1983年にはパリのポンピドゥー・センターでカナダ代表として作品を上演した。尚、1980年から90年代後半にかけてはモントリオール大学で教鞭を執り、電子音響の作曲と聴覚における知識と広範なスキルを生徒たちに授けた。

 

 

Ginette Bellavance

 

聴覚に対する飽くなき探求心を持つ作曲家で、電子音響学の修士号を持つGinette Bellavanceは、自身の実験的な作品群をきっかけにCBCラジオ/テレビに出演するようになると、クラシックと現代音楽をより幅広い層へ紹介しながらそこでの人気を獲得していった。

 

1960年代後半から1970年代初頭にかけてモントリオール大学でSerge Garantと共に作曲と音楽を学んでいた彼女は、在学中に実験音楽集団YULを主宰し、その作曲を担当した。演劇のための劇伴を含む当時の作品のいくつかは、無調のアコースティック楽器を想定したものだったが、そこにはのちの彼女の電子音響作品に繋がる音響的作曲技法の側面がすでに姿を現しており、『Match en coordonnées』(1971年)では、パーカッション奏者2名、エレキギター奏者2名、テープマシンを組み合わせている。1970年代から1980年代にかけて、彼女はモントリオール、ケベック、フランスでCBCラジオ/テレビ専属の作曲家/研究者/プロデューサーとして活躍し、1980年にはテレビカメラの前に立ち、Walter Boudreauの『Coffre I』の初演で歌声も披露している。

 

このような国営機関とのコネクションは彼女に多彩なプロジェクトへの参加をもたらすことになり、NFB(カナダ国立映画制作庁)のショートフィルムや1981年制作の長編作品『Not a Love Story』の音楽も担当したが、その他の作品では音響的要素にフォーカスしており、1982年に発表された人形劇『Comment Wang-fo fut sauvé』には、フルート、フレンチホルン、オンド・マルトノ、チェロ、ピアノ、パーカッション、テープマシンを駆使した作曲を提供した。

 

 

Gayle Young

 

Gayle Youngのイノベーティブな電子音響サウンドスケープ、自作楽器、音響彫刻、そしてより伝統的な生楽器のための作品群は、彼女を70年代から現代のカナダにおいて最も突出した作曲家のひとりに押し上げている。ヨーク大学で現代音楽の学士号を修めた直後、彼女は自作のパーカッション楽器を用いた微分音音楽による最初のコンサートを行った。Columbineと名付けられていたこの楽器は、61本の金属管を使用しており、1オクターブが23ピッチの音階に分けられていた。そしてこのコンサートのあと、彼女はReinhard Reitzensteinの彫刻インスタレーションのために3作品を提供した。

 

その独創性で注目を集めた彼女は、1979年にはトロント大学で行われたBill BuxtonのStructured Sound Synthesis Project(コンピュータ上の作曲システムのグラフィックインターフェイスの研究を目的としたプロジェクト)のコンサートの作曲監修を依頼された。とはいえ、当時のコンピュータはまだ一般的ではなかったため(サイズも大きく彼女の自宅スタジオには導入できなかった)、Youngはその後もテープループのレイヤーや自作楽器でのライブパフォーマンス(『In Motion』など)を通じて電子音響路線を辿り、1980年にはAmaranthと名付けられた24弦の微分音パーカッション楽器を開発した。新たな音楽とサウンドアートの芸術的・社会的な意義の表現を目指していた彼女は、1970年代後半からは『Musicworks』誌への寄稿を始め、1988年に同誌のエディターになると、後には発行者となった。また、彼女は発明家・電子音楽作曲家のHugh Le Caineの評伝『The Sackbut Blues』の執筆を手がけた他、World Forum for Acoustic EcologyとCanadian Association for Acoustic Ecologyの創立時の理事も担当した。

 

 

Kristi Allik

 

 

 

Kristi Allikは、トロント大学、プリンストン大学とコロンビア大学が共同で設立した電子音楽スタジオ、そして70年代後半の南カリフォルニア大学の博士課程で、Gustav Ciamaga、Milton Babbitt、その他の電子音楽のパイオニアや伝統的なオーケストラや室内楽に精通した作曲家たちに師事しながら、同時に作曲活動を行っていき、1980年代初頭までには、『Introspection』のような純然な電子音響作品、一般的な楽器、エレクトロニクス、電子音響テープ手法を融合させた『Meditation』のような作品、『Loom Sword River』のような室内楽オペラなどを生み出した。また、ヴィジュアルアーティストのRobert Mulderとの共同作業では、1984年に発表された『Electronic Zen Garden』に代表される、電子音響テープ、ライブエフェクト、インタラクティブ・オーディオヴィジュアル、MIDIエレクトロニクスの実験を取り入れたマルチメディア作品群を生み出した。

 

使用する楽器を問わず、非常に豊かな表現力で普通では考えられないようなサウンドを生み出せたAllikは、カナダ国内外の諸団体のために数々の伝統的なピアノ曲、室内楽、電子音楽作品、そしてその間に位置するその他の音楽を提供した。テクノロジーの進歩と共に、彼女が手がけるマルチメディア作品群はデジタル&インタラクティブな方向へと進んでいくことになったが、後期の作品ではサウンドスケープや環境音なども取り入れている。1988年には音楽用アプリケーションのためのコンピュータ研究室をクイーンズ大学に設立し、後に同研究室の主任を務めた。

 

 

 

電子音楽の黎明期に女性がさほど多く存在していなかった事実には、電子音楽が勃興した当時の時代背景が深く関わっている ― 西洋音楽と学術的な研究施設内で生まれた20世紀の電子音響学は男性研究者や天才的な才能を持つ者によって占められていた

 

 

 

Michelle Boudreau

 

独学でピアノを学んだMichelle Boudreauは、ピアノコンクールでの受賞をきっかけに1970年代はじめにモントリオール大学へ進学し、そこで音楽と作曲を学んだ。以降、彼女はソロピアノ曲からオーケストラ作品、ミュージカルに至るまで50以上もの作品を生み出したが、時としてマギル大学の電子音楽スタジオにおける磁気テープやその他のメディアを使用した電子音響的な作曲も行った。また、1981年にはNomosphaseと名付けられた自作楽器を製作し、これにテープやヴォーカル、照明効果などを組み合わせた作品群を生み出している。

 

1986年、BoudreauはMusiques Itinérantes MI Ltéeを設立し、その芸術監督に就任。この年の彼女は電子音響とアコースティックの両方で数多くの作品を生み出しながら、その境界線を押し拡げていった。自身の作品群がSociété de musique contemporaine du Québec(ケベック現代音楽ソサエティ)、ARRAYMUSIC、バンクーバー交響楽団など多くの芸術団体によってカナダ国内外で定期的に上演される中、Boudreauは、2011年にモントリオール美術館で上演されたメゾソプラノ、ライブ・エレクトロニック・トリートメント、映像のための作品『L’Etoile libre』などを通じて、エレクトロニック・サウンドの限界と、ヴィジュアルアートやパフォーマンスとの関係性を探求し続けている。

 

 

Ensemble d’ondes de Montréal

 

 

カナダ人女性たちは最初期の電子楽器オンド・マルトノ(Ondes Martenot)の歴史においても存在感を放っている。1928年にフランス人Maurice Martenotによって発明されたオンド・マルトノは、2つの高周波を鍵盤もしくは指輪型のリボン・コントローラーを用いてピッチを変えることで、人間の声のようなビブラートを有する音色を生み出す。フランスとの繋がりが深いケベックにはこの電子楽器が早くから伝わっており、1976年にはモントリオール音楽院に数人のオンド・マルトノ奏者が集い、l’Ensemble d’ondes de Montréal(モントリオール・オンド・アンサンブル)が結成された。

 

そのオリジナルメンバーには、発起人のJean Laurendeauと、Lucie Filteau、Johanne Goyette、Marie Bernard、Suzanne Binet-Audetという4人の女性が含まれていた。コンサートでは、Walter BoudreauやMicheline Coulombe Saint-Marcouxといったカナダ人作曲家によるオンド・マルトノのための作品群と、オンド・マルトノ用に再編されたクラシック楽曲群が演奏された。また、1975年にケベックの人気ロックバンドBeau DommageとHarmoniumがオンド・マルトノを導入したアルバムをリリースしているが、そのレコーディングにはl’Ensemble d’ondes de Montréalのメンバーで、オンド・マルトノのソリストとして受賞経験を持ち、この楽器の作曲家でもあったMarie Bernardが招かれている。

 

FilteauとGoyetteを除く創立時のメンバー2名は今もl’Ensemble d’ondes de Montréalで演奏活動を続けているが、近年はオープンなグループとして考えられており、メンバーは流動的に入れ替わっている。また、近年制作されたドキュメンタリー映画『Wavemakers』への出演や、Alejandro González Iñárritu監督のオスカー受賞映画『The Revenant』でのOlivier Messaien『Fêtes des belles eaux(Feast of the Beautiful Waters/美しき水の祝宴)』の演奏など、l’Ensemble d’ondes de Montréalはこの楽器独特の浮世離れした音色を映画の世界にも持ち込んでいる。