十一月 18

THE SOUND OF PEACE MUSIC STUDIO

スタジオ・オーナー/エンジニア中村宗一郎、プロデューサー石原洋、ミュージシャン坂本慎太郎による3者対談

By Yusuke Kawamura

 

東京の西、新宿の中心部から約15キロ、電車にして約40分ほどの場所に位置する調布のピース・ミュージック・スタジオはそんな郊外の住宅地に位置する――そのスタジオの主は、レコーディング・エンジニア、中村宗一郎。

 

彼の名やそのスタジオの名前がクレジットされている作品たち――BORIS、ゆらゆら帝国、坂本慎太郎、にせんねんもんだい、OGRE YOU ASSHOLEなどなど――は、高いオリジナリティと音楽性を持って、その評価は、国内はもとより海外でも高い評価を受けている。例えば、坂本慎太郎のソロ作は海外メディアでも大きな賞賛を浴び、はてはMayer Hawthorneのラヴ・コールで相互のカヴァー・スプリット・シングルをリリースしたことも記憶に新しい。

 

これらの作品群を鑑みれば、「ピース・ミュージック・スタジオ」ないしは「中村宗一郎」というクレジットに、ポップ・ミュージック史を彩ってきた名スタジオと名エンジニアが持つ、ある種のサウンド作りの魅惑のストーリーと同様の秘密を妄想せずにはいられないだろう。

 

 

東京近郊のいかにも平均的な郊外の住宅地の、その妄想が拍子抜けするほど、なんの変哲もないマンションの地下1Fにある。中へ入るとすぐに、右にレコーディング・ブース、左にコントロール・ルームへと続く防音ドアが現れる。ここがピース・ミュージック・スタジオだ。お世辞にも広いとは言えない。ブースはアップライト・ピアノと多数のマイク・スタンド、そしていくつかギター/ベース・アンプ等が置かれ、取材当日はなかったのだがドラムセットが入り、もし3ピースのバンドでも入ればもはや足の踏み場がなくなることは間違いない。コントロール・ルームにしても、アナログ・ミキサーとその前に座りオペレートする中村を除けば、4~5人が入れば一杯である。もちろん、ロビーもない。あとは彼の“有名な”ファズのコレクションを含む、機材用の小さなガレージ・ルームがあるだけだ。

 

手がけた作品群、特に設立初期にあたる1990年代は、クラウト・ロック~アンダーグラウンドのリイシューなどをリリースするレーベル、キャプテン・トリップの作品が多くならぶこと、またはゆらゆら帝国やOGRE YOU ASSHOLEなど、中村とタッグを組み、名作をいくつも生み出しているプロデューサーの石原洋(ex White Heaven / The Stars)がいることなど、スタジオを取り巻くピープル・ツリーとしては、灰野敬二周辺など、いわゆる『ジャップ・ロック・サンプラー』の延長にあるような、日本のアンダーグラウンド・サイケのシーンにひとつルーツがあると言えるだろう。しかし、もはや現在となっては、その部分だけでは語り得ない多様なサウンドを作り出している。

 

ここでは、ピース・ミュージック・スタジオの秘密に迫るべく、かの地に潜入し、オーナーでエンジニアの中村宗一郎を中心に、前述の石原洋、そしてそのふたりのタッグによる長年のプロデュースによって名作を生み出し続けたゆらゆら帝国、そしてそれを経てソロにおいてもこのスタジオで作品制作を行っている坂本慎太郎を招き、その歴史、そしてサウンド作りに関して話を訊いた。

 


 

まずは、中村さんが職業としてレコーディング・エンジニアをはじめたのはいつでしょうか?

 

中村:1980年代後半から1990年代初頭ぐらいまでの間に、メジャー・アーティストのアルバムの、打ち込みとかサンプラーのオペレーターとか、そういった機材のマニピュレーターをやっていて、そこからですね。

 

このスタジオ設立以前は、クラシック系の仕事なんかもされていたそうで。

 

中村:たまにコジマ録音(1974年設立のインディーズの先駆けとも言える独立系の会社、クラシックを中心にレコーディング、自主レーベルの運営も行う)を手伝ってたんですよ。コジマ録音のレーベルからは普通のクラシック以外に、フリージャズとか現代音楽も多くリリースしていて。例えば坂本龍一、阿部薫、高柳昌行、小杉武久なんかも。でも、自分が関わっていた頃には、そうした前衛的なものやジャズのアーティストはコジマ録音にはもうほぼいなくて。そこでの仕事としては、サントリーホール(日本のクラシック音楽における代表的なホール)とか、草月会館とかでオーケストラや古楽器、現代音楽のレコーディングなんかを手伝っていました。時期的には1991年に高柳さんが亡くなる前後ですかね。コジマ録音を手伝いながら、1991年にピース・ミュージックの前身となるスタジオの運営をはじめました。

 

設立時は、ピース・ミュージック・スタジオではなく、インター・ミュージック・スタジオ(Inter Music Studio)という名前で数年運営していたようですね。ちなみに、それ以前、例えばコジマ録音の前に、レコーディング・エンジニアとして技術的な学校に通ったりとかはされてたんですか?

 

中村:そういった経験はないですね。コジマさんのところでやっていたレコーディング作業といっても、2本のマイクの位置を決めて、ただDATに録るといったものが多かったし。あ、難しかったですけどね(笑)。

 

 

Soichiro Nakamura

 
そうなんです、スタジオを立ち上げるとなると、それなりにさまざまな機材の専門的な知識も必要になってくると思うのですが。

 

中村:いまだにわからないことだらけで。わからないことがあれば、調べる、それで、実際にレコーディングでやってみるというのを繰り返してきただけですね。だから普通のレコーディング・エンジニアができることはちゃんとできないかもしれない。自分がエンジニアになる以前の、自分が演奏している側のときは、レコーディング・エンジニアとは「医者」と同じ様な、どこか敷居が高い部分があって。とにかく、エンジニアに「(自分の音のレコーディングを)お願いする」みたいな部分が嫌だったんですよ。でも、出てきた音があまり良くなくて……それならば自分でやった方が良いんじゃないかと思ってはじめた部分もあって。

 

スタジオを設立する前の話で、その後に関係のありそうな話をもうひとつ訊きたいんですが。discogsによれば、スタジオを設立される以前の1989年、石原洋さんがやっていたサイケデリック・ロック・バンド、White Heaven(元メンバーの栗原ミチオはBORISのサポート・ギタリストとして知られる)の『Out』のカセット版に中村さんのクレジットがあるようなんですが。

 

石原:憶えてないんだよね……。彼が最初に関わったのは、たぶん『Out』(LP)の前の、1987年あたり。その頃のライヴ盤でベースを弾いているから。でも、『Out』が出た頃はWhite Heavenから一端抜けてて、セカンド(『Strange Bedfellow』: 93年リリース)が出たときにまた戻ってきたんで。

 

石原さんとの出会いというのは、なにがきっかけだったんですか?

 

中村:石原さんは仲が良かった同級生のお兄ちゃんとして知り合って。当時、石原さんは大学生で、僕が高校生だったから、1979年くらいかな、そのときは自分もバンドをやっていて。

 

 

そこから30年以上の付き合いってことですね。では本題のピース・ミュージック・スタジオ設立についてききたいんですが、設立のきっかけや、設立当初はどんな感じだったんですか?

 

中村:とある知り合いから「ここに、こういう物件があるんで、スタジオ作ってみてはいかがですか?」というような話があって、その流れですね。設立当初は、いろいろな仕事をやりましたね。その間に、レコーディング機材なんかもそれなりに揃い、そうこうしているうちにWhite Heaven周辺のバンドなんかのレコーディングをはじめました。そこから徐々に知り合い以外のバンドの仕事も増えはじめて。それこそ、松谷さん(松谷健:クラウト・ロックなど古今東西、世界中のさまざまアンダーグラウンド・サイケデリック・ロックをリリース/再発して、海外からも高い評価を受けるレーベル、キャプテン・トリップ主宰。マーブル・シープなど自身のバンド活動も行っている)が、知り合いのバンドやアーティストを連れてきたりとか。

 

松谷さんの名前が出てきましたが、彼も含めて、明大前のモダーン・ミュージック(東京のアンダーグラウンド・ロック~前衛音楽の拠点的レコード・ショップ。灰野敬二をはじめ、White HeavenなどもリリースしていたレーベルP.S.F.も運営)の周辺人脈というのは、ピース・ミュージック・スタジオの歴史に深く関わっていたんでしょうか? 

 

中村:関係があったというよりも、単純にWhite HeavenをリリースしているレーベルがP.S.F.だったり、石原さんが店員だったりっていうことぐらいでしかないかな。でも、そういう意味では人脈として他のレコーディング・エンジニアには無いつながりがあったかなと。あとは、松谷さんのバンドの手伝いとか、そこもふくめてですね。

 

またエンジニアリングの話に戻りますが、見たところ、メインのミキサーはアナログで、このスタジオの規模感のコンパクトさも含めて、中村さんのエンジニアのスタイルとして、いまスタジオにあるものをとことん使い尽くして、完全に血肉にすることでその独自のサウンドを作る出すというスタイルなのかなと。

 

中村:いや、単純に新しい機材が買えないというだけですよ。中古で必死にかき集めてきた機材でスタジオを形にしていくというところからはじまり、その後も他のところでいらなくなったものをもらったり。スタジオ設立当初からいまでもあって、20年以上使っている機材もありますからね。メインの卓、AmekのBigという44チャンネルのモデルなんですけど、この卓なんて、4代目になるんですけど、使い始めて10年ぐらいになるかな。でもこの卓はもう部品がなくて、壊れたら修理できないんですよ。

 

ミキシングはいまでも、このミキサーをメインに、ほぼアナログですか?

 

中村:アナログだけというのも、そうもいかなくなってきていて。Pro Toolsで修正したいというバンドもいたり。でも、そうやってひたすら修正できるというのは、逆に時間がかかりますよね。

 

中村さん個人としては、ポスト・プロダクション的な修正の多いレコーディングと、ある種の“ぶれ”や“ゆれ”といったアクシデントもあるアナログ的なレコーティングだとどちらがおもしろいと思いますか?

 

中村:う~ん、あまりにも整理されているものよりも、音としてはやっぱり後者の方が魅力があると思うんですよね。でも、自分の性格から言うと、(Pro Toolsで修正していくような)チマチマした細かい作業をするのは好きなんですよね(笑)。

 

それぞれの録りの部分はハードディスクですよね?

 

中村:いま、アナログのテープが手に入りにくいですからね。16チャンネルのアナログ・テープのレコーダーもこのスタジオにはあります。でも、それを使ったのは、ゆらゆらの『空洞です』(2007年)が最後ですね。それ以来ほぼ使ってないんで、もう片付けてしまわないと。

 

楽器やヴォーカルのレコーディングというところで、このスタジオのブースだと恐らくスペースの問題で、マイキングによる変化はそこまで望めるものではないと思うんですが、そうした制約のなかでの音作りに関して、中村さんのなかでなにか方法論があったりするんでしょうか?

 

中村:アーティストの側が、「バキッ」と良い音をしっかり出してくれたら、こちらは良い音で録る。あとは、コントロール・ルームとブースで聴こえ方が違ったら、その部分で「ちょっと固めに録ろう」とか、マイクを変えてみたりとか音色を工夫するぐらいの時間がはじめにあれば良いというぐらいで。

 

余談ですが、なんでもヴィンテージ・ファズのコレクションがすごいとか。

 

中村:収集癖ですね。ファズに関して言えば、もう「買った」ということが重要で。もうね、手元に究極無くても良い。僕のものっていうことがはっきりしていれば無くても良い(笑)。音を出してないのもあるぐらい。手元に来たら、開けてみたり……嗅いでみたら、すっと仕舞う。

 


さて、1990年代の中ごろの話へ。この時期、その後、解散まで続けられる、ゆらゆら帝国の、このスタジオでのレコーディングがはじまります。ゆらゆら帝国は前述の松谷さんのキャプテン・トリップからリリースしていました。そうした人脈からこのスタジオにたどり着いたというのは容易に想像つくんですが、ここでのレコーディングは『Are You Ra?』(1996年)からですよね。そこからずっとレーベルが変わっても解散(2010年)まで、このスタジオで録り続けましたよね?

 

坂本:『Are You Ra?』をレコーディングしたとき、その音がこちらの思っていた感じに録れたんですよ。その後、MIDI(1984年設立のレコード・レーベル。初期は坂本龍一や矢野顕子、大貫妙子などをリリース、1990年代もゆらゆら帝国をはじめ、ローザ・ルクセンブルクやサニーデイサービスなどをリリース。正式名称はMIDI RECORD CLUB。ゆらゆらは1998年の『3✕3✕3』からリリース)から出すことになって。でも当時、メジャーでリリースすると、作品もメジャーっぽい音質になるというイメージがあって。それを避けたくて、キャプテン・トリップで出した『Are You Ra?』と同じ環境で録りたいなと思って。そこからずっと中村さんのところですね。

 

石原さんもプロデュースで関わりはじめたのは、『Are You Ra?』からですよね。

 

石原:その前から対バンなんかもしてて知り合いではあったんですけどね。『Are You Ra?』の頃は、練習してきたものを録るというだけでしたね。サウンド的にもガレージ的な曲だったので、単純にドラム、ベース、ギターをかっこいい音で出すということだったよね。

 

中村:予算的な問題で、2日~3日で録りましたしね。

 

 

MIDI時代に関しても、ゆらゆら帝国はガレージ・サイケ的なサウンドが最初期からひとつ中心にありつつも、2003年リリースの『ゆらゆら帝国のめまい』で見せたソフト・ロック的なサウンドとか、その変遷のなかで、サウンド的にかなりの変化をしているバンドだと思います。レコーディング・エンジニアの側から見て2000年あたりを境に、そうした変化などは感じとれましたか?

 

中村:変化があるとしたら、メンバー自身というよりも石原さんとバンドのメンバーの関わり方ですよね。石原さんが提案したものを、メンバーがおもしろがりはじめたという。

 

石原:単純にMIDIになって、制作日数が増えたのでスタジオワークに時間を割くことができるようになったんですよ。実験を兼ねてスタジオで考えたおもしろいことをピックアップすることができた。まず最初に坂本くんが曲を持ってきて、彼らなりのイメージをこちらに伝えてもらう。それを聞いた上で「こういうのはどうだろう?」とかアレンジをこちらが入れてみたり、あとは特殊な音色やコーラスなんかを提案してみたり。元のバンドが思い描いていたイメージに近づけたり、その逆に最初のイメージから遠ざかっていくことがあるんだけど、それがバンド的におもしろかったからOKだったり。

 

中村:僕の関わり方は、バンドと石原さんのやり取りの間で「こういう感じでやりたい」という要望に対して、「この楽器はどうですか?」「こうやって録ったらどうですか?」というテクニカルな面での提案でしたね。

 

石原:でも、ある機材を使ったことによって、初めて立ち現れるサウンドがあるんですよ。そうすると、その音によって一気に現場が盛り上がる。結果「これでいきましょう」というのはあったりする。だから、その部分で機材のチョイスの重要性はありますよね。

 

ゆらゆら帝国に関して言えば、2005年にはソニー移籍後に『Sweet Spot』をリリース。さらには2007年の『空洞です』で劇的に音楽性を変化させますが、『空洞です』のガレージ・ロックな趣向性を排し、脱力気味なハンマービートが支配するおだやかなサイケデリック・ロック・サウンドはバンド側、それとも石原さん、どちらから出てきたんでしょうか?

 

石原:『空洞です』で見せた変化に関して言えば、どちらかと言うとバンドよりも、坂本くんの個人的な感覚が極端な形で出たものだと思う。

 

中村:『空洞です』は、半分以上のレコーディング作業は3人(坂本、中村、石原)でしたよね。

 

坂本:あの作品のレコーディングに入る前あたりから、「次はこういう感じで考えている」とか、石原さんと話をしている時間が長くなったのかもしれませんね。もうひとつの変化は、『空洞です』までは、すでにライヴでやっていた曲をレコーディングすることが多かったんだけど、対して、あのアルバムの楽曲は、レコーディングが先で、ライヴで披露されるのはその後というプロセスに変わったところがあって。

 

ちなみになんですが、当時のゆらゆら帝国にとって、石原さん、中村さんが第4、第5のメンバー的なニュアンスだったのかなと。イメージを具現化する知識やスキルを持っている人ととして。

 

坂本:まぁ、そういう部分ではそうですね。

 

さらにサウンド的に飛躍する、2008年のリミックス盤『Remix 2005-2008』は、まさにこの3人で作られたのかなと。

 

坂本:あのリミックス盤に関して言えば、ほとんど石原さんですね。

 

中村:あれは石原さんのソロだよね。

 

石原:そこまで言っちゃダメでしょ(笑)。

 

坂本:でも、自分が曲を作ってますけど、オリジナル・アルバムを使って、さらにもう1枚作品を作るというところまでは普通いかないですよね。

 

You Ishihara

 

中村さんにお聞きしたいんですが、初期のゆらゆら帝国のサウンドもガレージ・ロックの文脈でやはりいまだに人気があるじゃないですか?そうなると若いガレージ・ロックのバンドで「初期の頃のゆらゆら帝国みたいな音にしてください」と中村さんに頼みにくるアーティストってやはりいますか?

 

中村:いまだにいますよ。1990年代のゆら帝が好きという人はとくに多くいる様な気がします。逆に後期はいないかな。というか後期のゆら帝はお願いされても再現はできませんよ(笑)。

 

石原:後期のゆら帝は、スタジオでのレコーディング時の演奏そのものにはプレイヤーとしてのカタルシスがほとんどなくて。でも、若い人たちの多くは、演奏しててかっこいい、まずは自分たちがグッとくるものをやりたいと思うだろうからね。後期のゆら帝みたいなものは演奏してても、つまらないと思う(笑)。あの“ほわほわ”している演奏は、やろうとしてできるわけではないし。

 

中村:「初期のゆら帝のように」とお願いされても、エンジニアとしては「そういった音を出したら、そういう風に録るけど」としか言えないですよね。

 

他のバンド、例えばBORISも2000年代以降、ピース・ミュージックでは多くの作品のレコーディングを手がけられていますが。

 

中村:彼らはまずは言いくるめるところからですね(笑)。「アンプは小さい音で、大きく録るようにした方がパンチがあるよ」とか。そういったことをひとつひとつ説得していって2年か、3年後に「あのときに言ってたのコレだったんですね」とバンドも理解してくれると。

 

 

石原さんは、BORISの『Smile』(2008年)の日本盤のみの、プロデュースをやられていますね。

 

石原:あれは悪名高い作品ですね。外国人が日本盤を買って聴くと「BORISじゃない、違うCDが入ってた」と言うくらい(笑)。あれは彼らが海外盤と日本盤で違う仕様で出したいということで日本盤用にミックスして。早い話があれはリミックスですよね。まだ、いわゆるオリジナルの海外盤ができあがってないものを、先にこちらがミックスしたという。

 

でもゆらゆらのリミックス盤といい、仕事としては特殊ですよね。

 

石原:普通、リミックスと言えばプロデューサーとかじゃなくて、外部のアーティスト、リミキサーに頼みますよね。作った人がもう一回別の方法で作り直すっていうのはなかなかないですよね。

 

中村:石原さんはそれをやりたいんですよ。

 

石原さんと中村さんのリミックス作業とはどんな進行なんですか?

 

石原:家に機材があるわけではないので、このスタジオに来て、中村くんと「コレできるでしょ?」「いや、できないですよ」とかアイディアをやりとりをして。機材的な知識はほとんどないんで、なにができてなにができないかっていうのはよくわからないから。でも、中村くんは不可能を可能にする男だから。

 

中村:でも、石原さんに「遠くで鳴っているようにしろ」とか言われると、大抵は「リヴァーブかけるとか、音を小さくする」と考えるのが普通でしょ?石原さんの場合は「そのやり方は違う」って言うんですよ。「記憶の遠さだ」って(笑)。

 

 

ダハハ。禅問答ですね。あとは、にせんねんもんだい(2006年の『Rokuon』、2008年『Destination Tokyo』などを中村が手がけている)みたいなバンドは?

 

中村:彼女たちはストイックですね。理想というか自分たちが考えているものがしっかりとしているし、3人の結束力も高いので「ちょっとこうしてみない?」というのもなかなか通用しない。提案したものもやってみるんだけど、「やっぱりこういう方が好きです」ということになるというのが多いような気がしますね。この前、石原さんとやったリミックスの場合は、オリジナルと違って、結構自由にできたんですけど(坂本慎太郎のZeloneから2013年リリースの「Nisennenmondai Ep」)。

 

先日、アルバム『ペーパークラフト』をリリースしたばかりのOGRE YOU ASSHOLEなんかはどうですか? こちらは石原さんとのプロデュースと中村さんのエンジニアのタッグでの制作が、ここ5~6年続いていて何枚も作品をリリースしています。彼らは明確にヴィジョンがあるタイプですか?それともヒントを与えるとどんどん変化していくタイプですか?

 

石原:彼らはこちら側の提案も含めて成長して来たタイプかな。手法、精神性ともに。

 

 

そして、ここ2~3年、特に海外からするとピース・ミュージック・スタジオのサウンドを象徴する音と言えば坂本さんのソロだと思うんですが。ちなみに、坂本さんの、自分の音は、中村さん以外のエンジニアには触らせたくないみたいな感じなんですか?

 

坂本:そんなことはないんですけど(笑)。

 

中村:そこは「ハイ」って言ってよ(笑)。

 

坂本:中村さんに任せておけば安心というのはあるんですけど。でも、他のスタジオとかエンジニアでやって、自分の作品がものすごいひどい音にされて、みんなの笑い者になるって経験はないので。そんな経験もミュージシャンとしてはダイナミズムが生まれて一度やった方が良いのかなと。ディスコグラフィーにも幅が出て、そういう作品が突然、20年経ったら再評価されるとかあるかなと。

 

ダハハハ(笑)。では、中村さんに聴きたいのですが、ソロになった坂本慎太郎の、レコーディングに関して変化した部分ってどこですか?ソロになってからは、石原さんのプロデュースを離れたという部分、そしてファースト『幻とのつきあい方』(2011年)では、菅沼雄太さんのドラムやパーカッション以外、ほぼひとりですべてを演奏をしているという、ゆらゆら時代とは大きな違いがありますが。

 

中村:楽器の違いはまずあると思うんですけど、でも坂本くん自体はあまり変わらない気がするんですよね。

 

 

セカンドの『ナマで踊ろう』(2014年)は、サウンド全体のバランス感覚とか、ミキシング、それ自体が音色のような感覚があります。例えば、あのドラムのアタックのあまりない感じとか。

 

中村:いや、むしろあれは楽器の部分だよね。

 

坂本:全体的に、音を決めて録って、そのままバランス取っただけですね。ミキシングでイコライジングとかもほとんどしてなくて。

 

中村:それをアナログ・ミックスで仕上げました。大げさにいえば、録ったものがそのまま出ている。

 

坂本:サウンドということで言えば、ドラムの菅沼くんの力が大きいと思う。彼は音量を上げず、小さい音で一定に叩けたりするんですよ。コンプかかったようなドラムを自然に叩ける人というか。後からドラムにコンプをかけるとかそういうことはしなかった。昔のレコードに収録されているドラムの感じ、そのままというか。

 

 

海外の評では「失われたブレイクビーツ・アルバム」なんて書かれてましたが、本当にそのままってことなんですね。お三方が考える”ピース・ミュージック・サウンド”というものがあれば教えてください?

 

坂本:うーん、やっぱり中村さんのサウンドの好みというのはあるんじゃないですかね。ここで録ったバンドの音を聴くと、ドラムの音で“ピース・ミュージックっぽい音”というのはあると思う

 

石原:ここで録ったものは、彼の好みの音が出るんじゃないかな。でも、「この人に録らせるとこの音になる」みたいな記号性のあるエンジニアとかスタジオはあると思うけど。ピース・ミュージックの音はわりともっと柔軟だよね。

 

中村:やっぱりミックスするときは「この曲だったら自分はこういう感じで聴きたいかな」というところになりますしね。それを具体的な音として、アーティスト側に提示して、それが「OK」の場合はそのまま終わるし。職業的なエンジニアの人だったら、もっと細かく「バスドラどうしますか?」みたいな部分でアーティストと微調整しながらやるんでしょうけど。でも、予算の問題もありますから時間がないんですよ、ちゃっちゃっとやらないといけないし。だから、普通のスタジオの感覚でうちでもやられると困るから、はじめて一緒にやるアーティストとは事前に打ち合わせをちゃんとやってます。それで「ああ、うちではちょっと無理かも」というときは断ることもありますよ。よくアーティスト側に言うのは「ヴォーカルだけ別に録音する、スタジオ・ライヴを録りに来たと思ってね」ということ。もちろん、予算と時間をかけて細かくミックスしたり、おもしろいこともできますよというのはあるけど。

 

 

そういえば、最後にピース・ミュージックの名前の由来を聞いておこうかと。

 

中村:「みんなで一番ひどい名前を考えてこよう」っていうところで出てきたのがコレなんですよ。特に他に同じ屋号はなかったみたいだったからコレになって。どちらかと言うとヒッピーみたいなもの好きじゃないんで、恥ずかしいときもありましたよ。

 

Photos: Yosuke Torii