二月 05

Rei Harakamiの時代

日本のエレクトロニック・ミュージックの可能性 を切り開き、40歳の若さで惜しまれつつ逝去したレイ・ハラカミ の音楽と その時代を振り返る。

By 原 雅明

 

レイ・ハラカミが音楽を担当したプラネタリウム作品『暗やみの色』が、その初上映からちょうど10年目となる昨年末(2015年12月)に日本科学未来館で再上映された。12月5日には特別イヴェント「in memory of rei harakami」も開催され、上映の他に、同じ10年前に同所でレイ・ハラカミがおこなったライヴの音源をプラネタリウム内の立体音響システムで聴くという試みもおこなわれた。盛況の内に終了したこのイヴェントの企画に当事者として関わり、特別なシチュエーションで音源にも接して感じたのは、今なお多くの人々を惹き付け続けているレイ・ハラカミの音楽の軌跡を辿ってみるべき時期なのだということだった。2011年7月27日に40歳の若さで死去したレイ・ハラカミの音楽は、何処から表れ、そして何処へ向かおうとしていたのだろうか。「何処」という在処をいま問うのは、その音楽が新たな若いリスナーに、そして改めて海外のリスナーにも届ける上で必要な問いでもあると思うからだ。

 

日本科学未来館 MEGASTAR-Ⅱ cosmos | Photo:Wataru Umehara/2015

 

レイ・ハラカミがデビュー・アルバム『unrest』をリリースした1998年は、世界的に見ても、ベッドルームから生まれたエレクトロニック・ミュージックに、新たな波が起きていた時期にあたる。クラブのフロアで踊るために特化した音楽であったそれらにも変化が見られた。12インチをベースに流通してトラック単位のツールとしての機能性を重視した世界において、チルアウトを目的としたサウンドはそれまでも求められてはきたのだが、チルアウト・ルームやラウンジ・フロアからも離れて、よりリスニングを意識したものや、アルバム単位で聴かせようとするものが登場し始めていた。アンビエントやダブといった、テクノやハウスの周辺にあった音楽とも、より密に結びつきながら、インテリジェント・テクノやダウンテンポ、あるいはエレクトロニカなど、名称は変遷すれども、シンプルでミニマルな音楽に、新たな音楽性を加え、リスニングとしての可能性を提示しようとする音楽がこの時期に一気に表面化していった。

 

 

とりわけ日本においては、90年代半ばまでに生まれたテクノのインディペンデント・レーベルを中心として、そうしたサウンドが登場した。SyzygyやTransonic、そして『unrest』をリリースしたSublimeといったレーベルは、日本的な微細で淡い感覚を、アシッド・ハウスやデトロイト・テクノの影響下にあったエレクトロニック・ミュージックの世界にもたらした。Basic Channelが生み出したドイツのミニマル・ダブが抽象性の高い残響音をビートの刻みと同等の快楽的なサウンドとして浸透させたのだとすれば、日本産のエレクトロニック・ミュージックはミニマルな中にも彩りを加えるようにして、楽曲性の高さを示してみせたのだ。初期のケン・イシイとその別名義であるFLR(Flare)、あるいはRising Highからいきなりアルバム『Sinsekai』でデビューしたタンツムジークのサウンドはその代表的なものと言えるが、実際にケン・イシイやタンツムジークからの影響をレイ・ハラカミは表明していた。

 

確かに、『unrest』には、それ以後の作品よりも、テクノ的と形容していい要素をディテイルで聴くことができる。特に、“rho”、“code”、“unrest”といった楽曲のベースとなるリズムを形作っているのは、テクノの疾走感のある反復性であり、シンセサイザー(実際にはRolandの音源モジュールSC-88Proから出された音だが)の浮遊感もまさにテクノのそれだと言える。しかし、一方では、のちのレイ・ハラカミのサウンドの特徴となる、深いディレイやリヴァーブ処理、左右へのパンニング、滑らかなピッチベンドなどが作り出していく空間性はすでに『unrest』の中でも際立っていた。

 

 

2ndアルバムの『opa*q』がリリースされたのは翌1999年だった。サウンドとしては、ラストの“schw schw”という長尺の曲を除いてはテクノ的な側面が消え、より多彩な音色とリズム・パターンを持ち、エフェクト処理も大胆さを増して、音響空間を形成していった。この時期、日本のエレクトロニック・ミュージックの新たな流れは海外にも積極的に紹介されていた。HarthouseやSublimeからリリースをしていたヨコタススムは、自身のレーベルSkintoneを作り、狭義のテクノを外れるエレクトロニック・ミュージックを発表して、海外でもそのサウンドが話題になり始めた。また、90年代前半にDJ TakemuraとしてMo'Waxからデビューを飾り、Spiritual Vibesとしてアシッド・ジャズ~クラブ・ジャズと呼ばれるサウンドを作っていた竹村延和も、自身のレーベルChildiscをスタートさせ、フリーフォームなエレクトロニック・ミュージックへと大きくシフトして、それに続くような新たなアーティストを紹介することにも務め、自身はThrill Jockeyとも契約をしてこちらもワールドワイドに紹介されるようになった。

 

こうした流れと、『unrest』と『opa*q』の登場は決して無縁ではなかったことをまずは指摘しておきたい。実際に、竹村延和とは交流もあり、リミックスもおこなってはいたが、そうした具体的な関係性だけではなく、そして、竹村延和やヨコタススムだけではなく、多くのエレクトロニック・ミュージックのクリエーターがこの時期、定型のフォームから脱するようなことをおこない、作品をリリースし、ライヴをおこなうようなことが、特に日本では頻繁におこなわれてもいた。エレクトロニック・ミュージックの世界では、スタイルだけではなくて、その制作環境もこの時期に大きな変化が起こった。ハードウェアからソフトウェアへの移行である。むしろ、ソフトウェアへの移行が、エレクトロニック・ミュージックを変えたと言うべきかもしれないが、レイ・ハラカミに限ってはそれは当てはまらなかった。彼はデビュー以来一貫して、SC-88Proを使い続け、彼にしか出せないサウンドを作り出したからだ。

 

 

そして、2001年に3rdアルバム『red curb』がリリースされた。ちょうど同じ年に、砂原良徳のソロ・アルバム『LOVEBEAT』もリリースされたが、この2枚は、日本のエレクトロニック・ミュージックが新たなフェイズに入ったことを象徴する作品となった。砂原良徳は、日本のエレクトロニック・ミュージックの世界でYMO以降最も成功した電気グルーヴの一員として90年代に活動を続けてきたが、その活動と並行して、ソロとして電気グルーヴとは違うサンプリング主体のモンド~ラウンジ・ミュージックと呼ばれるサウンドを主に作っていた。しかし、『LOVEBEAT』ではそれらの手法、サウンドを脱して、より独自のエレクトロニック・ミュージックへと向かった。『red curb』と『LOVEBEAT』はもちろんそれぞれに違うサウンドを作り上げているのではあるが、テクノやラウンジ・ミュージック等の括りから離れて、自身のスタイルを前に進めるという意味では共通したところを感じさせた。それは、ミニマルでモノトーンのエレクトロニック・ミュージックに淡い色彩を加えていった90年代のやり方を、さらに前に進めることにもなった。

 

『red curb』では、SC-88Proの音源モジュールとエフェクトのみが使われ、サンプリングレートも低く、レンジも狭い音を用いながらも、驚くほど多彩な音響空間を作り出してみせた。『red curb』は限定された機材を使い倒すことで最良の結果をもたらすという、音楽の世界でたまに起こりえる素晴らしいマジックがあった。音使いだけではない。リズムの組み立ても、このアルバムからは格段にその複雑さを増した。ポリリズムといっていい複数の拍が共存するリズム・パターンは、これまでの作品でも見て取れて、それがテクノ的なジャストなタイミングと時折混ざりながら、浮遊感と疾走感のあるグルーヴを形成してきた。『red curb』では、ポリリズミックなリズムが徹底されて、テンポを変えないままにリズムの緩急を付けていく、いわゆるメトリック・モジュレーションのような手法も聴くことができる。それは、以前の作品で時折伺えたドラムンベースの複雑で細かな刻みの次へとリズム体系が移行したことを示してもいた。また、『red curb』には、定型のビートを消した“Again”と“Put Off”という楽曲も含まれていた。終盤に登場する、合わせて15分近くに及ぶこれらの曲は、饒舌なリズム体系の一方で、レイ・ハラカミのサウンドが向かっていた、もう一つの方向性を示唆するものである。というのも、レイ・ハラカミがその晩年におこなったいくつかのライヴでは、これらの曲を発展させたようなビートレスの音楽を聴かせたからである。

 

 

4thアルバム『lust』は2005年にリリースされた。それまでは比較的に短い期間にコンスタントにリリースを重ねてきたが、『red curb』から『lust』までは4年の歳月がかかった。その背景には、矢野顕子やUAをはじめ、ジャンルを超えたさまざまなアーティストとの制作活動が活発におこなわれていたこともあったと思われるが、『lust』はそれだけの時間がかかったことを納得させるだけの、レイ・ハラカミが残したオリジナル・アルバムとしては最も完成度の高い作品となった。デジタルMTRのVS-2000CDを導入してパラで分けた制作がなされたが、音源は相変わらずSC-88Proのみが使われた。ハイファイとは言いがたい音源モジュールを使って、独自のサウンドを完成させた。拡がりと深みを持った音像、一つ一つの粒立ちが伝わるきめ細やかな音色、より緩急の自由度を増したリズム、それらが作り出す有機的な音のコンビネーションは、エレクトロニック・ミュージックというよりも、もはや歌に近い世界であった。細野晴臣の“終わりの季節”のカヴァーではレイ・ハラカミ本人が初めてヴォーカルを取ってみせたが(そして初めて歌が彼の音楽に登場したのだが)、それは驚くほどに違和感がなく、ずっと歌い続けられていたかのようにそこに存在していた。

 

2000年代に入って、エレクトロニカと呼ばれたサウンドの中に、ヴォーカルをフィーチャーさせた音楽が目立ってきた。その背景には、いわゆる歌モノのオケとして、新しいサウンドが求められていたという事情もあったし、インストゥルメンタルのエレクトロニック・ミュージックがダンス・フロアではないところで、よりポピュラリティを獲得していくためのマーケットからの要請という事情もあった。『lust』のレイ・ハラカミの方向性はそうしたトレンドとまったく無関係ではなかっただろうが、しかし似て非なる結果をもたらした。その音楽は、歌を取り入れたり、歌のバックで機能するのではなく、インストゥルメンタルでありながらまるで歌そのものであるような柔軟で有機的なサウンドを作り出していたからだ。例えば、くるりのヒット曲“ばらの花”のリミックス(2002年のマキシ・シングル『ワールズ・エンド・スーパーノヴァ』に収録)は、『lust』の伏線ともなる制作で、単にリミックスというよりも、レイ・ハラカミのサウンドが歌と親和性の高いことを証明してみせたものだが、そうしたプロセスも経て、これまで為されてきたレイ・ハラカミならではのアプローチ(独特のエフェクト処理からポリリズミックなリズムの組み立てまで)が、歌へと結実していこうとしていた。その最初の試みが『lust』であったと思うのだが、このアルバムが示してみせたのは歌だけではない。“come here go there”という曲では、まるで弦楽器を丁寧に重ねたかのようなアレンジを聴くことができる。ストリングス・アレンジという観点、生楽器での置換という観点からも、レイ・ハラカミの音楽を改めて振り返ってみることは充分に可能だろう。

 

 

『lust』以降、結局オリジナル・アルバムは一枚もリリースされなかったが、プラネタリウム作品のための音楽として作られた『暗やみの色』や、映画のサウンドトラックである『天然コケッコー Original Sound track by rei harakami』などのプロジェクト作品で、『lust』からの展開を聴くことができる。これらは、映像作品(物語)ありきのサウンドトラックなので、歌的な要素それ自体は希薄なのだが、それだけにより抽象性が高いサウンドとしての非常に興味深い展開を聴くことができる。それは、『red curb』の終盤に登場したビートレスの世界を、さらに発展させたものであり、歌を通過した果ての展開でもあった。特に『暗やみの色』はアンビエント・ミュージックと言っていい世界だが、目新しいことや実験的なことをしようとしたのではなく、音響空間の構築とビートの組み立ての自由度を突き詰めていった結果として至った音楽であり、過去の作品との繋がりからもたらされた音楽だった。そのことは、レイ・ハラカミを聴いてきたリスナーには明白なことであり、この自由度の高い音楽がより拡がりを持てる可能性を示してもいた。

 

もしレイ・ハラカミが活動を続けていたらどんなアプローチをしただろうか。そう思うことはこの数年来の音楽の推移を見ていてもある。だが、一方で、残された音楽から何かを掴み取っている新たな才能は確実に存在してもいると思う。その可能性を広く開いているのもレイ・ハラカミの音楽なのである。