九月 17

にせんねんもんだい × ラシャド・ベッカー

ニュー・アルバム『#N/A』にかかった“マスタリング”という魔法

クラウト・ロック、ハンマー・ビート、ノー・ウェーブ、ミニマル……にせんねんもんだいの音楽からは様々なキー・ワードが浮かんでくるが、次第にそのどれにも当てはまらないことに気付かされる。高田正子(Gt)、在川百合(Ba)、姫野さやか(Dr)から成るこの3人組が、またもやユニークなアルバムを発表した。その名も『#N/A』。ダブの巨匠エイドリアン・シャーウッドによるプロデュースのもとRed Bull Studios Tokyoにてレコーディングされ、DUBPLATES & MASTERINGの敏腕エンジニア=ラシャド・ベッカーがマスタリングを施した一枚だ。

 

マスタリングとは、ミキシング・エンジニアの作った2ミックス(ステレオ・ミックス)にさらなるエフェクトを施し、より魅力的に聴こえるようブラッシュアップする作業。CDプレスの直前の工程であり、リスナーに届くサウンドを最終決定する重要なプロセスだ。今回は来日したベッカーをキャッチすることができたので、高田と姫野を招き、『#N/A』のマスタリングについて鼎談していただいた。

 

エイドリアンの2ミックスはポップな印象だった

 

まずはアルバムの大本であるレコーディングについて聞かせてください。

 

高田 
私たちは普段、曲を完成させてからレコーディングに入るんですが、今回は1曲を除いて全てインプロビゼーションだったんです。つまり、その場で即興的に演奏したものを録ったわけですね。

 

レコーディングに使用したRed Bull Studios Tokyoの音響はいかがでしたか?

 

姫野
すごく自然な鳴りで、こもり過ぎず広がり過ぎず、ちょうどいい感じです。スタジオによっては音が吸われすぎたり、逆に響きがありすぎて何をやってもかっこ良く聴こえることがあるので……。

 

リバーブがかかったように聴こえるわけですね。

 

姫野 
そう。だからレコーディング中は気持ちいいんですが、録ったものを聴くと思ったほど良くなかったりします。一方、吸音が強いスタジオでは演奏に対してシビアになるものの、たたいているときに物足りなさを感じたりする。その点Red Bull Studios Tokyoでは、メンバーの音や曲をいい感じでとらえることができたので、リラックスしつつ前向きに演奏できました。

 

高田 
私も姫野さんと同じような印象で、響きが程良くてやりやすかったです。立ち位置がコントロール・ルームから丸見えだったので、ちょっと恥ずかしかったけど(笑)。

 

ミキシングはエイドリアンさんが手掛けたと聞いています。彼が作業を終えた段階では、どのようなサウンドだったのでしょう?

 

高田 
まずは定位の作り方が素晴らしいなと。各楽器がステレオ・フィールドのどこで鳴っているのかよく分かったし、エフェクトのかけ方に関しても完璧だと思いました。あとは世界がすごく広がったような感じで。これまでの自分たちの音源にはある種のアンダーグラウンド感があったんですが、エイドリアンの音作りにはポップな印象を受けました。また、それでいて私たちの音楽にもあっていることがすごいとおもいました。

 

姫野 
全体のバランスも良かったです。特定の音が主張しすぎることもなく。

 

その2ミックスがベッカーさんのもとに送られたわけですね。

 

ベッカー
そう、インターネットを介してね。正子の言う通り、2ミックスは定位感に特徴があった。とりわけドラムに関しては、予測不可能なポジションから音が飛んでくるような感じだったね。僕は、にせんねんもんだいの音楽を以前からよく知っていたんだ。アーティスト側から2ミックスをもらうと、これは助けが必要だなと感じることもあるんだけど、彼女らの音には“ああ、やっぱりあのコたちらしいサウンドを作ってきたな”と思った。刺激的でありながら謙虚な音とでも言うのかな。最近のアーティストはソフトウェアで曲を作るだろ? だから制作中に幾らでも巻き戻せるし、気になる部分があれば何度だってやり直せる。でもにせんねんもんだいは“演奏”している。その瞬間、瞬間に出てきたものをうまく生かして音楽を作っていると思うんだ。そこが一番評価すべきポイントだね。

 

“謙虚な音”という部分について、詳しく聞かせてください。

 

ベッカー
ソフトで音楽を作ると、EDMのように音が強くなりすぎるきらいがある。それに対して彼女らのアルバムには気取ったところが無いというか、一つ一つの音が正直なものに聴こえるんだ。あと、インプロビゼーションを録ったとは思えないほど、考え抜かれた音楽という気もする。

 

高田
すごくうれしいコメントです。今までやってきたことが自分たちの中に蓄積されていて、それをインプロでも引き出せるようになったのかもしれません。もちろんあなたにそう言ってもらえるのは、エイドリアンのミックスあってのことだと思いますが。

 

ベッカー
もちろんエイドリアンは優れたプロデューサーだけど、大本になっているのは君たちの音だから、音楽に対する誠実さがしっかりと伝わってきたよ。

 

リミッターを使わずサチュレーションをポイントに音作りした

 

 

2ミックスを聴いたとき、どのようにマスタリングしようと思いましたか?

 

ベッカー
何も考えていなかったな。感じるままに音作りした。例えば“ベースが腰高だな”と感じたら、重心を低く聴かせてみたりとかね。ただし機械的なサウンドにはしたくなかったので、コントロールしすぎないよう注意した。ちなみに僕は、誰がその曲を作り、誰がミックスしたかというクレジット的な部分を気にしないんだ。聴こえてくる音を受け入れて、それに対する反応を元にマスタリングする。

 

高田 
作業にはどんな機材を使ったんですか? とても興味があります。

 

ベッカー
ブランド名や製品名は伏せることにしている。広告塔になりたくないからね(笑)。でもソフトは使っていない。ユーザー・インターフェースが好きじゃないし、パラメーターの数値にとらわれたくないんだ。だからエフェクトについてはすべてハードウェアだね。ただしリミッターは使いたくなかった。

 

高田
え! マスタリングと言えばリミッターが必須のイメージですが、なぜ使いたくなかったんですか?

 

ベッカー 
リミッターは、ある一定の音量に達したサウンドを抑え込むだろ? だから音のパッションが失われがちだし、限界が生じてしまう。そこで今回はサチュレーションを使ってみたんだ。

 

高田
サチュレーション?

 

ベッカー
ああ。軽い“歪み”のことだね。僕のマスタリング・デスクには大きなトランスフォーマーがあって、それに2ミックスを通すとサチュレーションが付くんだ。今回はリミッターを使わないマスター/使ったマスターの2種類を提出したんだが、前者にはサチュレーションの効果がよく現れている。そして、そちらが選ばれたのでとてもうれしかったよ。

 

高田
音圧の控えめな方がノー・リミッターのマスターだったわけですね。音圧の高いマスターは比較的2ミックスに近い音に感じましたが、私たちの選んだノー・リミッターの方はエイドリアンの2ミックスとは全く別の音になっていたように感じました。

 

ベッカー
実のところ、両者にはリミッターの有無しか違いはないんだけどね。

 

姫野
それであれだけ変わるんですね!

 

ベッカー
そうだね。リミッターをかけると2ミックスのアタック(=音の立ち上がりの部分)が損なわれてしまうんだ。アタックというのは音の一番大事な部分で、そのサウンドのキャラクターを決定づけると言っても過言ではない。サチュレーションを使うと、このアタックを強調することができるんだ。それは倍音成分が増えるからで、結果、サウンドがちょっと面白くなる。

 

マスタリング後は少しダークな雰囲気になった

 

ノー・リミッターのマスターのどのような部分が良いと思いましたか?

 

高田
全体の雰囲気がちょっとダークになったところですね。2ミックスのポップさに、私たちの好きな妖しい感じが加わったんです。そして、その音像がどんなスピーカーで聴いても良く再現されるのがすごいなと。スタジオ・モニターでも小口径のスピーカーでも、はたまたイアフォンでもサウンドのイメージが崩れないというか、本質的な部分や良いところがちゃんと聴こえてくる感じです。

 

姫野
エイドリアンの2ミックスよりも、ハイハットなどが強く出ている印象ですね。それでいて空気感があり、立体的に聴こえてくるんです。その立体感が妖しさを醸し出していて、かっこいいなと。

 

ベッカー
確かに色々な部分が2ミックスから変わっている。こんなに良い仕上がりになったんだから、CDだけでなくヴァイナルでもリリースすればいいんじゃない?

 

姫野 
ヴァイナル、ぜひ作りたいですね。

 

ベッカー 
僕は、ヴァイナルというものが独特のシチュエーションを作り出すと感じている。つまり、人がどのように音楽と向き合うかを変えると思うんだ。デジタル・データはどこにでも持ち運べるし、色々なシチュエーションで聴ける。それはそれで良いと思うんだけど、ヴァイナルの場合は“聴く”というシチュエーションをリスナーが主体的に作り出し、その特別な環境で楽しむだろ。しかもアルバム全体を聴くことになるので、そこに込められた全てを体験できる。にせんねんもんだいのアルバムも、そういったシチュエーションで聴かれたらいいと思うんだ。