七月 14

ボストンのハウスの聖地:The Loft

Armand Van Helden、DJ Bruno、Francis Englehardtなどが80年代を代表するボストンのクラブを振り返った。

By John Barera

 

ハウスミュージック初期のシカゴ、ニューヨーク、デトロイトの伝説のクラブについては多くが語られてきたが、同時期にボストンに存在したクラブ、The Loftについてはあまり語られていない。ボストン・サウスエンドの目立たぬ脇道に存在したメンバー制のこのクラブでは、数多くのDJたちがスキルを磨き、ユニークなコミュニティも生まれた。1980年代半ばにオープンしてから1995年にクローズするまで、The LoftはMusic BoxやParadise Garage、Warehouseとほとんど変わらないスタイルで営業され、当時盛り上がりを見せつつあった “ハウス” と呼ばれる新しいアンダーグラウンド・ダンスミュージックを中心に様々な人種が集まる場所として機能した。ゲイ、レイバー、ハウスファン、アフリカ系、ヒスパニック系、アジア系、ギャング、サラリーマン、スケーター、ブレイクダンサーなどを一カ所に集めたというThe Loftの功績は、ボストンが米国で人種差別が最も厳しい街のひとつであるという事実を考えるとより一層輝きを放つ。

 

今回の記事はThe Loftのレジデントを務めていたArmand Van Helden、DJ Bruno、Francis Englehardtの3人のDJを始めとするこのクラブに関わっていた様々な人たちのインタビューを編集したものだ。3人のレジデントDJはThe Loftクローズ後も音楽シーンで長年活躍を続けており、Van Heldenはクラシックと呼ばれる作品と度重なるワールドツアーでレジェンドとしての地位を築き、DJ Brunoはボストンのディープハウスシーンを25年以上に渡り支え続け、Englehardtはかの有名なレコードショップDope Jamsを共同経営している。今回は3人に加え、ミュージシャン/ダンサー/詩人のLiza Zayas、ボストンのハウスシーンのベテランBob Dieselと、ディープハウスデュオThe Shadow KingsのNick Balodimasにも話を聞いた。

 

Armand Van Helden:俺はケンブリッジのClub Mで初めてハウスに出会った。Club Mはボストン初のハウスのクラブだったと言っても良いだろうね。基本的には黒人の学生が多く集まるクラブだった。MIT(マサチューセッツ工科大学)の近所で、Jide MaxというDJがプレイしていた。

 

Bob Diesel:Jide Maxはボストンのハウスミュージックのゴッドファーザーのような存在だった。彼はフロアをどう盛り上げるかを知っていた。音楽をプレイする以外の部分も含めてね。「彼らのために」ではなくて、「彼らと一緒に」パーティをしていた。彼は客を「パトロン」ではなく「参加者」にしていた。

 

Armand Van Helden:Club Mでハウスに出会った俺はハウスにのめり込んだ。18歳の俺にとってハウスは最高にスポリチュアルでソウルフルな音楽だった。Club MでLil Louisの「French Kiss」がプレイされて、中盤のピッチが落ちる部分が来ると、フロアの全員がしゃがみこんでね。蛇のようにクネクネと踊っていた。凄い光景だったよ。素晴らしい時代だったし、Club Mはドラッグもアルコールもないクラブで、客の遊び方がスマートだったね。みんなひどく汗をかくから、着替えをバッグに詰めて持ってきていた。

 

Bob Diesel:The Loftは元彼女から教えてもらった。1987年にボストンへ移住したタイミングで初めて遊びに行った。元彼女に数軒のハウス箱を教えてもらったよ。当時は「ハウス」という確たるスタイルはなかった。ニューヨークでは最初クラブ、ビバップ、アンダーグラウンド、ニュースタイルなどと呼ばれていて、それが時間と共にひとまとめに「ハウス」と呼ばれるようになった。俺がボストンに行った時は、アンダーグラウンドと呼ばれていた。

 

 

 

ボストンでずっと午前2時のクローズ時にDJを担当していた俺は、その状況に飽き飽きしていた

– Armand Van Helden

 

 

 

Armand Van Helden:The Loftは1980年代中頃、1984年か1985年にオープンした。当時のクラブオーナーには政治力も必要だった。警官を取り込みながら権力側と上手く立ち回らなければならなかったのさ。でもここのオーナーはそういうアクションを取っていなかった。だからある晩、Lisa Lisa & The Cult Jamが出演していると、警察が令状なしで入ってきた。いきなり入ってきて、ガサ入れを始めると、その場にいた人たちを片っ端から逮捕していた。警察はこういう大きなイベントの日を狙って来ては、クラブを潰しにかかったんだ。そのあと、友人からThe Loftが再開して、ハウスパーティを開催していると聞いた。彼はプロモーターのひとりだったから、俺に「やってみないか?」と頼んできた。それでオーナーとミーティングをすると、彼からは朝6時まで店を開ける予定だと言われた。「マジか?」って思ったね。それまでずっと午前2時のクローズ時にDJをしていた俺は、その状況に飽き飽きしていた。凄く興奮したよ。

 

DJ Bruno:The Loftで初めてプレイしたのは、オーナーのJoeから電話があって、「Jideからお前の噂は聞いている」と言われたあとさ。その頃、Jideはニューヨークへ引っ越す予定だった。The Loftはその彼にレジデントの話を振ったんだが、彼はニューヨークへ行くからという理由で断って、代わりとして俺を薦めてくれた。だから俺がプレイすることになったんだ。強く印象に残っているのは、オーナーに「お前はフロアを見ながらプレイしている。そこが気に入った。お前はフロアから感じ取っているな」と言ってもらえたことだね。俺にとってそれは当然のことだったし、あえて言葉にして言うことでもなかったからさ。オーナーは俺のプレイに満足してくれたが、その後数ヶ月何も連絡がなかった。

 

 

Armand Van Helden:The Loftからオファーをもらった俺は数週間でフライヤーを自作した。当時はMicrosoftのペイントなどの酷いソフトで作っていたけれど、それで問題なかった。ランズドーン・ストリートへ出向いて、午前2時にクラブから出てくる客に渡しまくったよ。俺は色々な役割をひとりで担っていた。12時から6時のパーティで、俺はDJとプロモーター、そしてドアマンもやっていた。最初の1週間の集客は過去最高だった。以前は75人から100人だったが、俺が始めて200人になったのさ。その翌週に400人になったから、もうひとりDJを加えようって話になった。それで3週目か4週目にDJ Brunoを加えたんだ。

 

DJ Bruno:結局、次に連絡をもらった時が、俺たちでレジデントを務めるって話だったのさ。

 

Armand Van Helden:2人体制になって、俺はプロモーターとしての仕事をする余裕が増えたし、クラブ全体を管理できるようになった。午前1時半に一回外へ出てフライヤーを配って、その後クラブへ戻って、DJ Brunoと2人で1時間ずつのプレイを6時まで続けた。1ヶ月で外に列が出来る程の人気を獲得した。

 

Francis Englehardt:The Loftは基本的にゲイクラブだったし、彼らがクラブの人気を支えていた。ゲイコミュニティの発展を促す場所だった。でも、店側はストレートな客も取り込めるってことに気が付いたんだと思う。

 

Nick Balodimas:クラブに行く時はある程度のオシャレをしなきゃいけないが、The Loftに行くと、リュックを背負った人たちがいた。彼らは仕事を終えてそのままクラブへ来ると、トイレで着替えてブレイクダンスを始めたのさ。みんな大量の汗をかいていたね。ダンサーは自分のスポットを探して確保する必要があった。自分のスポットで自分の踊りをしていたんだ。

 

 

 

The Loftにはあらゆるタイプの客がいたって言われていたが、それは本当の話さ

- Francis Englehardt

 

 

 

Francis Englehardt:当時は18歳がクラブの年齢制限だったから、14歳だった俺は忍び込まなければならなかった。俺の母親はダンスが大好きだったし、継父も音楽とハウスが大好きだった。2人にThe LoftとDJ Brunoを教えてもらった。The Loftにはあらゆるタイプの客がいたって言われていたけれど、それは本当の話さ。俺が行き始めた1992年頃の地下のハウスフロアは9割が黒人とヒスパニックだった。金曜の夜のハウスフロアはDJブースの前にランウェイが置かれていて、ドラァグクイーンがダンスしていた。フロアの客はミックスだったよ。イプスウィッチ郊外から遊びに行っていた俺にとっては本当に衝撃的だった。

 

Armand Van Helden:当時、ボストンとニューヨークにはディープなアンダーグラウンドなハウスをプレイするクラブがあったが、そういうクラブにはレイバーたちのフロアはなかった。でも俺はレイブもディープハウスも好きだったから、ふたつを組み合わせようと思ったんだ。当時のレイブにはリアルなバイブスがあった。本当さ。レイブは大きなサイズで開催するものだってことは知っているが、俺はあそこのフロアだけでコンパクトなレイブを表現できた。あれはリアルなレイブだったよ。Tom Melloがレイブに最適なDJを知っていたから、彼と組んで、そのフロアに「Rise, at the Loft」というタイトルを名付けた。そのあとで、Tomからフライヤーのデザイナーを紹介してもらった。本当に才能あるデザイナーで、彼ら2人がグラフィックを担当していた。ロゴも作ってくれたし、新鮮なデザインのフライヤーを次から次へと作ってくれた。The Loftで開催されていたことを知らない人もいたね。彼らはレイブパーティ「Rise」として知っていたんだ。

 

Nick Balodimas:俺はDance Music Plusでレコードを買っていたから、DJ Brunoは俺を知っていた。それでBrunoから、「The Loftでこういうパーティをやっているんだ」と教えてもらって、パスをもらった。The Loftは一見が入れるクラブじゃなくて、メンバー制だった。だが、本格的なメンバーになるには、色々な手順を踏まなければならなかったんだ。日を追うごとにメンバーになるのが更に難しくなっていったから、パスをもらえた俺はラッキーだった。The Loftは常にパンパンだったよ。

 

 

Armand Van Helden:メンバーカードは自分の他にゲストをひとり連れていけた。メンバーカードを持っている客は一緒に来た仲間に、「今回は一緒に入れるが、あとでArmandと話してくれ。毎週お前を連れてくる訳にはいかないからさ」と説明していた。だから俺がプレイを終えてDJブースを出ると大勢の客が待っていて、彼らから「メンバーになりたいんだけど」と頼まれたよ(笑)。あれは酷い状況だったね。特に強面の男に頼まれた時は最悪だったね。俺は「どうかな」と曖昧な返事をするしかなかった。多分「殺してやる!」って思われたんじゃないかな。俺はそういう客を頭から足先まで見て、服装をチェックした。偉そうな態度だってことは分かっているけれど、俺はフロアのムードを壊したくなかったから、彼らの持っている資質を見極めていたんだ。190cmの長身で、今にも食ってかかってきそうな男に、このクラブには適していないということ、その態度がパーティの雰囲気を壊すんだということを伝えなければならなかった。俺は、「いいか、来週もう一度友だちと一緒に来てくれよ。その時にあんたがもっとハウス好きだってことが伝わる服装をしていて、ピースな雰囲気だったら、メンバーシップについて考えてもいい。数回ここに通ってもらって、それでも態度が良かったらメンバーカードを渡すよ」と伝えた。信じられないのはこのやり方が上手くいっていたってことさ。本当に驚いたね。俺は別に偉ぶりたい訳じゃなかった。ただ全員にハッピーになってもらいたいと思っていただけさ。でもとにかくこのやり方が上手くいった(笑)。客は俺の要望に応えようとして変わっていったんだ。俺はメンバーカードをそのご褒美のような形で渡していた。彼らは本当に喜んでね。「ありがとう。あの時正直に説明してくれたあんたをリスペクトしているよ」と言われた。彼らのプライベートに干渉しているようなものだったけれど、彼らは変わってくれたし、音楽に対して理解を示すようになっていった。The Loftにハッピーなバイブスを持ちこんでくれたのさ。

 

Nick Balodimas:ドアマンが怪訝そうな顔で客を見ている時があったが、それは客が何か悪いことをしそうに見えたからじゃなくて、初めて見る顔だったからさ。The Loftはエントランスを抜けるとボロボロの階段がある。この階段は細くて、登り降りを同時に行えなかったが、フロアへ行くにはこの階段しかなかった。俺は大丈夫だったが、ドアで追い返される人たちもいたね。彼らは変な奴にパーティを壊されたくなかったんだ。信用された人しか入れなかった。非常にデリケートなルールがあったんだ。The Loftはゲイクラブだったが、Armandがすべてを変えた。黒人、白人、アジア人、スケーター、パンクス、ゲイ、ストレートが入り混じるようになった。

 

DJ Bruno:素晴らしい時代だったと思う。俺たちは若かったし、音楽も新しかった。エナジーに溢れていて、様々なタイプの人たちが集まっていた。その全員がただひたすら楽しい時間を過ごしていたんだ。

 

Nick Balodimas:初めて行った時は凄く混んでいたから、誰かにぶつかれば喧嘩になると思っていた。だけど、「お前大丈夫か?」と言われたから驚いたね。ブースの目の前に行くと、ドラァグクイーンがランウェイを歩いていたのも憶えているし、BrunoがFrankie Knucklesのトラックをプレイして、客が涙を流していたのも良く憶えている。フロアは両手を挙げて泣き叫んでいた。俺も本当に感動して泣いたよ。17歳か18歳の時さ。当時の俺は自分が何者なのか分かっていなかったけれど、ここに来ている客は自分を思いきり表現していた。普通のクラブでは他人にじろじろと見られるけれど、そういうことは一切なかった。みんな自由に叫んでいて、壁は水滴で濡れていた。このクラブ自体が生き物のようだと言っている人もいたが、本当にそうだった。小さいクラブだったし、中は本当に暑かった。The Loftはコンクリート打ちっ放しの壁で、木製のフロアだったから、床が抜けるんじゃないかと思った時もあったよ。

 

 

 

客が疲れることはなかったね。何時間もダンスしていたよ

- Armand Van Helden

 

 

 

Armand Van Helden:ボストンではThe Loftの前にもパーティをやっていたから、どんな客が来るかは分かっていたし、彼らが何を聴きたいかも把握していたが、The Loftでスタートさせて2ヶ月も経つと、12時半の段階で1ブロックをぐるりと取り囲むような列が出来るまでの人気になった。DJブースは本当にフロアと近くて、フロアから数センチ上の位置にあるだけだった。目の前に客がいたんだ。The Loftの客は元気だった。音楽ファンだったし、誰もが音楽に反応して叫んだり歌ったりしていて、フロアのエナジーが自分の目の前に迫ってくる感じだった。プレイしていると鳥肌が立ったよ。レコードをプレイすればすぐに叫び声が返ってきた。持っているドリンクを落としそうになる位のパワーだったね。客とのギブアンドテイクが成立していた。これがひと晩続いた。客が疲れることはなかったね。何時間もダンスしていたよ。

 

Liza Zayas:プロムデートでThe Loftに初めて行ったの。その後、毎週電車で通うようになって、オープンと同時に入っていたわ。自分の天国を見つけたと思っていたのよ。平日をさっさと終わらせて、金曜日から土曜日にかけてThe Loftで過ごしたいって思っていたわ。パーティを終えて外へ出ると、太陽を体に感じることができた。汗だくでボロボロだったけれど、幸せだったわ。

 

Armand Van Helden:レイバーは郊外の白人が多かったから、地下の黒人とヒスパニック系を怖がっていたんだ。だから彼らはすぐにレイブフロアへ向かっていたよ。だが、面白かったのは、女子トイレがレイブフロアの奥にしかなかったってことさ。俺はレイブフロアの入り口に立って、プラットフォームシューズと毛皮、アクセサリーを身に付けたボストンの都市部の女の子たちが、グロースティックを振り回すレイバーたちと出くわす様子をよく眺めていたよ。彼女たちは呆然としていたね。あれは笑えたよ。別に敵対するみたいなことはなかったけれど、あそこではそういう「出会い」が不可避だった。それがThe Loftの魅力だったと思う。偶然の産物ではあるけれどね。俺がThe Loftを去る前の数ヶ月は、4時半頃にレイブフロアに行くとハウスフロアの客が踊っていて、逆にハウスフロアはレイブフロアの客が踊っていた。5時頃になるとどちらのフロアも完全にミックスされていたから最高にクールだったよ。美しい光景だったね。

 

 

DJ Bruno:2年ほど経つと、Armandはニューヨークへ移った。そのあとはゲストを迎える時もあったけれど、基本的にその後は俺ひとりだった。Deep DishのSharamや、King Brittがゲストで来る時があったし、他にも数人いたけれど、それ位だった。でも、Francis Englehardtはプレイする回数が多かったな。俺が彼を気に入っていたんだ。音楽に対して情熱的だったからね。

 

Francis Englehardt:俺は独学でDJを学んだ。地元のイプスウィッチには誰もDJを教えてくれる人がいなかったからね。最初はBrunoが日曜日の晩にやっていたラジオ番組に出してもらった。彼は新人にチャンスを与えていて、今もそれを続けている。その日の俺は本当に緊張していたよ。10代だった俺が、いきなりDJ Brunoの番組でプレイすることになった訳だからね。最初の3曲のミックスは最悪だったよ。でも、どの順番でレコードをプレイするか事前に決めて、何回も自宅で練習していたから、気持ちが落ち着いたあとは問題なかった。彼はThe Loftで一緒にプレイするDJが欲しいと思っていて、それでボストン市内で探していたんだ。当時の俺はThe LoftでDJする日が来るなんて思ってもいなかった。初めてプレイした時、俺はまだ18歳だった。Brunoはいつも金曜日当日になって電話をかけてきたんだ。これは金曜日の儀式みたいなものだった。俺と姉がThe Loftに出掛ける準備をしているとBrunoが21時に電話をかけてきて、「今晩レコードを持ってきてくれ」と頼んでくるのさ。

 

 

DJ Bruno:Francisは音楽に対して情熱的だった。だからある晩「プレイしたいか?」と言ってみた。本人は「え?」と驚いているから、「DJをする気はあるか?」と伝えたんだ。その晩が彼にとってのThe Loftでの初プレイになった。他のパーティでの彼のプレイは何回か聴いていたし、Boston BeatやDance Music Plusでレコードを買っている姿も見ていたから、彼がいかに音楽に対して情熱的かは知っていた。だから奴にチャンスを与えようと思ったんだ。

 

Francis Englehardt:Brunoに「ちょっとプレイしてみろよ」と言われた時、俺は冗談だと思ったね。パーティが始まる直前に俺の「すべて」だったクラブでプレイしろって言われたんだからさ。俺はレコードを用意しながら凄く緊張していたよ。それでブースに入ると、Brunoに「モニターはどこだい?」って訊ねた。

 

Nick Balodimas:モニタースピーカーがないThe Loftで安定したプレイを披露していたDJ Brunoは本当に素晴らしかったと思う。スピーカーはブースの両端だったから、プレイは難しかった。レコードの内容をしっかりと理解している必要があった。だから呼ばれたゲストが酷いプレイをした時もあったよ。でもBrunoのプレイは見事だった。DJプレイはストーリーが肝だけれど、彼はそれが出来ていた。彼はレコードでストーリーを生み出せていた。だから客は涙を流したんだ。彼は客の心を掴む方法を知っていた。Brunoは1日で同じレコードを数回プレイする時もあったけれど、2回目の方が素晴らしく聴こえたね。他のクラブでは聴けないレコードもプレイしていた。

 

 

Francis Englehardt:The Loftで思い出深いレコードのひとつは、Jazzyの「Lonely(Underground Goodie Mix)」だった。聴いた時は宇宙船が頭の中に着陸したような感覚になって、とにかく体が動いたよ。粗いシンセが激しく鳴っていた。

 

 

Liza Zayas:The Loftで印象深かったレコードのひとつはJoi Cardwellの「Trouble」ね。Brunoはテープでそれをプレイしていたわ。みんなお互いをいたわり合いましょうっていうメッセージだったの。

 

Francis Englehardt:パーティの終わりにオーナーと話をした時のことを良く憶えているよ。当時の金曜日は800人から900人が集まっていた。どうしてそれが可能だったのかは全く分からないね。というのも、各フロアのキャパは良くても200人程度だったからさ。1階にはオフィスがあって、俺はそこからフロアを眺めていた。梁が上下に揺れていたよ。The Loftの最後のパーティは俺がオープニングで、DJ BrunoとLouie Vegaというラインアップだった。パーティは凄まじい内容になった。The Loftの最後の晩ということで、みんなエモーショナルになっていたよ。

 

Liza Zayas:The Loftがクローズしたあとは、他のクラブに行く気にはなれなかったわ。ボストン市内はもちろん、他の都市にもあそこまでひと晩徹底してハウスをプレイしてくれるクラブはなかった。「どこで7時間踊ればいいの? どこで音楽を学べるの?」って思ったわ。私がハウスに出会ったのは13歳の時で、17歳からThe Loftに通い始めたの。初めて行った時から私はあの「教会」の信奉者だった。もっと前から知っていれば良かったって思うわね。

 

DJ Bruno:The Loftがクローズした頃、俺はレコードショップBiscuithead Recordsをオープンした。そこでも色々イベントをやったけれど、The Loftに通っていた客の多くはあのバイブスを恋しく思っていた。だから1996年に初めてThe Loftのリユニオンを開催した。それ以来、コモンウェルス・アヴェニューのM80というクラブで毎年開催している。ここは俺がDJとしてのキャリアをスタートさせたクラブで、リユニオンの1年目は俺やローカルDJたちが30分から1時間のセットをプレイした。Francisもプレイしたし、Kevin JamesやPaul Nickersonもプレイしたね。素晴らしいパーティだったから、「毎年やろう」って話になった。

 

 

Liza Zayas:The Loftのリユニオンにはよく通っていたわ。ほぼ毎年参加したと思う。The Loftのリユニオンは、今は子供がいる人やボストンを離れた人、もうクラブ通いをしていない人たちも集まるレアなパーティなのよ。青春時代を懐かしむようなものではないけれど、ダンスと音楽、自由を愛する自分を再確認できるパーティよ。

 

Francis Englehardt:俺は自分がDJしない時でもThe Loftには通っていた。列に並んでね。誰かにゲストリストを頼んだり、フリーで入れてもらったりすることはなかった。ドアマンには「なんで、そんなことをしているんだ?」って言われたよ。

 

DJ Bruno:The Loftは多くの人にとって素晴らしい経験になった。それは俺も同じだ。俺はタイミング良くその場にいることができた。本当に感謝している。

 

Francis Englehardt:初恋のようなものさ。一生忘れることはないね。