四月 25

1999 ― Mr. Oizo「Flat Beat」

1999年を振り返るミニシリーズの第2弾は、ヘッドバンギングする黄色のパペットと共に世界的なヒットとなった「馬鹿げたループ」の誕生秘話とその影響力の大きさを生みの親の言葉と共に振り返る。

By Chal Ravens

 

1999年最大のダンスミュージックヒットのひとつがテレビコマーシャルのサウンドトラックだったという事実は、当時が家族全員が毎晩ひとつのテレビで同じ番組を観ていたシンプルな時代だったことを良く表している。

 

Mr. Oizo「Flat Beat」は、「Mambo No. 5」や「Blue (Da Ba Dee)」との僅差の戦いを制して1999年で最もキャッチーなトラックとなった。

 

しかし、このトラックはただの「レアなヒット」を超える存在となった。ひとつの世代全体に大きな影響を与えることになったこのトラックは、2000年代に台頭したあの “適当な” エレクトロハウスシーンのテンプレートになった。

 

当時、欧米の保護者とクラスメート全員がこのトラックを知っており、Levi’sのテレビコマーシャルにフィーチャーされて1999年を代表するアバターのひとつとなった黄色のパペット “Flat Eric” のグッズは、クラスの誰かが必ず持っていた。キッズを喜ばせるアホらしさとクラブシーンに浸透するだけのパワーを兼ね備えていた「Flat Beat」は最先端と時代錯誤が混在しているようなトラックに感じられた。当時24歳だったベッドルームプロデューサー兼映画監督Quentin Dupieuxが安価な機材で制作した「馬鹿げたループ」としては悪くない結果だった。

 

「Flat Beat」はDupieuxのダンスミュージック初期作品のひとつで、パリ郊外の実家で2時間ほどで制作したトラックだ。Wu-Tang ClanやBeastie Boysのようなダウンテンポなビートに影響を受けてトラック制作をスタートさせていたDupieuxは次のように振り返っている。

 

「僕はテクノファンじゃなかった。また、テクノロジーも良く分かっていなかったし、どうやってトラックが作られているのかも知らなかった。ただ適当に作っていたんだ。これが “Flat Beat” の今も続く魅力なんだと思う。 “誰かがダンスミュージックを作ろうとしている感じ” が面白いんだよ」

 

 

 

“あのパペットは古かったし、色褪せていたし、フリーマーケット独特の臭いもした。でも、気に入っていたんだ。いつも遊んでいたよ。グローブというか、赤ん坊を洗うスポンジだったけどね”

Mr. Oizo

 

 

 

実家に戻っていたDupieuxは、新しいプロジェクトに合うサウンドトラックのテストを続けていたところだった。Levi’sのテレビコマーシャル3本を監督するというビッグオファーを受けていたのだ。

 

全ては広告会社BBHが彼の初期シングル「M-Seq」のミュージックビデオを偶然観たのがきっかけだった。このビデオはハンサムな男性ドライバーと奇妙な黄色のパペットが田舎を車で走るロードムービー的内容で、BBHがこの奇妙なコンビこそLevi’sのニューライン「Sta-Prest」の顔になるべきだとLevi’sを説得したことで、Dupieuxにテレビコマーシャル3本という “人生を変えるギグ” の話が舞い込んだのだった。

 

Dupieuxは単純なループでしかなかった「Flat Beat」の初期バージョンをボイスレコーダーに突っ込むと、ロサンゼルスへ飛んで3日間の撮影に臨んだ。その撮影から生み出されたテレビコマーシャル3本には「M-Seq」のキャストが再現されていたが、今回はシャギーヘアの青年ドライバー(Dupieuxの友人Philippe Petit)とパペットの相棒が間抜けなパトロール警官から逃げ切るというストーリーが用意されていた。

 

 

Mr. Oizo "M Seq" 

 

 

 

撮影現場のDupieuxは「Flat Beat」をボイスレコーダーから大音量で流し、Flat Ericを操演してビートに合わせてヘッドバンギングさせながらこのニュートラックの反応を確認していた。本人は次のように振り返る。「全員ビックリしていたよ。 “凄いな! このトラックを使おうじゃないか!” ってね。元々このトラックを使う予定はなかったんだ」

 

テレビコマーシャルは1999年1月にオンエアされると同時にヒットとなり、「Flat Beat」は独立した存在となった。

 

「Levi’sが自社ロゴを最後に出さないバージョンを用意してMTVでコマーシャルを流し始めたんだ。あれは賢いやり方だったね」とDupieuxは振り返っている。そして、それからしばらくすると「Flat Beat」のブートレグが出回るようになった。Dupieuxが続ける。

 

「たった2時間で作ったビートとベースしか入っていない馬鹿げたループだったけど、みんながテレビから直接レコーディングした酷いクオリティのサウンドのバージョンをクラブでプレイするようになったんだ。クレイジーな話だよね」

 

当然、次のステップは「Flat Beat」のオフィシャルリリースだった。

 

そこでDupieuxはまた実家に戻り、また数時間をかけてトラックの尺を伸ばし、ミックスをやり直した。Dupieuxは、制作に使用した機材の大半 ― AKAI S1000、DAWソフトCakewalkのデモバージョンがインストールされていた安価なPC、廉価版ミキサー ― については特に何の思い入れもないとしているが、非常に原始的とも言えた制作プロセスに使用され、今も本人のサウンドシグネチャーのひとつとして評価され続けているマジカルな機材がひとつあった。Korg MS-20だ。

 

DupieuxのKorg MS-20は、のちにJackson and his Computer Band名義でWarpと契約することになる友人Jackson Fourgeaudから買い取ったものだった。Dupieuxは次のように振り返る。

 

「当時、Jacksonはまだ16歳だったけど、すでにクールなハードコアテクノを制作していたんだ。でも、飽きてしまって他の音楽を作りたいと思ったから、僕にKorg MS-20を売ってくれたのさ。もう使わないからってね。Korg MS-20のキーボードで演奏した瞬間、僕にとって音楽は趣味以上の存在だということに気が付いたんだ。長年夢見ていたサウンドが出せたのさ」

 

最後の仕上げはRoland TR-606のキックだった。「業界最弱のキックだよね」と言ってニヤリと笑うDupieuxは「クラブでプレイすると、 “Flat Beat” のキックとニュースクールなトラックのキックの差がクレイジーなくらい大きいのが分かる。でも、このキックもこのトラックの魅力の一部なんだよ。ホームメイド感があるのさ。ミックスダウンも一度も納得できなかったしね!」と続ける。

 

こうして、長尺で(多少)洗練されたバージョンの「Flat Beat」を用意したDupieuxは、パリ市内のあらゆるメジャーレーベルにオフィシャルリリースの話を持ちかけたのだが、全レーベルに断られた。誰もが「Flat Beat」はコマーシャルだが “音楽ではない” と考えたのだ。

 

しかし、Dupieuxの父親には、息子に力を貸せるかもしれない友人がいた。

 

 

撮影現場でのMr. Oizo & Flat Eric(1998年) ©Philippe Petit

 

 

  

Dupieuxは数年前からLaurent Garnierと既知の間柄だった。Laurent Garnierの自宅の隣でDupieuxの父親がカーディーラーを経営しており、Garnierがそこで車を買ったのがきっかけで知り合ったのだ。

 

「Laurentと父親は隣同士で、毎日コーヒーを一緒に飲んでいたんだ。その縁で彼の家にお邪魔することができたのさ。いくつか音楽を紹介してもらったし、そのあと一緒にRex Clubにも行った。DJブースに入れてもらって、音楽を聴きながら彼が何をしているのかを見学させてもらうようになったんだ」

 

「彼がプレイしていたトラックはひとつも知らなかったよ。でも、僕が彼にデモを渡すようになると、彼はとんでもないことを始めたんだ。僕のデモを安物のCDプレイヤーに入れて、ターンテーブルと並べてプレイしてくれたのさ。“ワオ!” って思ったね。最高にエキサイティングだった。あの体験がきっかけでダンスミュージックに夢中になったんだ」

 

最終的に、「Flat Beat」はLaurentのレーベルF Communicationsから1999年3月22日(Flat Ericのパスポートを参考にすれば、彼の誕生日から2日後の誕生日プレゼントということになる)にリリースされた。「ドカーンって感じだった。あっという間にビッグヒットになったよ。約300万枚売れた」とDupieuxは振り返っている。

 

「Flat Beat」はUKでナンバーワンを獲得したあと、ドイツ、ノルウェー、ベルギー、オーストリア、イタリアでもナンバーワンを獲得した。Dupieuxが続ける。

 

「HMVに行った時のことを覚えているよ。当時はプロモーションでUKをしょっちゅう訪れていたんだ。店内で多くの人が “Flat Beat” テープ、CD、ヴァイナルを買っていた。3バージョン全て買っている人もいたよ。スペシャルなトラックなんだということが理解できたね」

 

 

 

“Flat Ericはじっと眺めているんだ。たまに口の動きに合わせてサウンドが鳴る時もあるけれど基本的には何も話さない。犬に少し似ているんだ。賢く観察して反応するのさ”

Mr. Oizo

 

 

 

「Flat Beat」のビッグヒットの主要因は、もちろんDupieuxの “物静かな黄色い相棒” だった。DupieuxはFlat Ericのオリジナル(頭部だけで胴体はなかった)をあるフリーマーケットでたった数フランで手に入れていた。「古かったし、色褪せていたし、フリーマーケット独特の臭いもした。でも、気に入っていたんだ。いつも遊んでいたよ。グローブというか、赤ん坊を洗うスポンジだったけどね」

 

「M-Seq」の撮影で、Dupieuxは友人にこのクリーチャー ― 当時はStéphaneと呼ばれていた ― に胴体を継ぎ足してもらっていた。しかし、Levi’sからオファーが届いたあと、オリジナルの著作権所有者を探そうとしたが見つけることができなかった。そこで、Dupieuxと撮影チームは、Jim Henson’s Creature ShopのSFXスペシャリストに助けを借りてこの黄色の相棒に少しアレンジを加えることにした。

 

『セサミストリート』で知られるJim Hensonが立ち上げたこのマペット制作・操演会社へのリクエストはシンプル ― 黄色でふわふわしていてオリジナルに似すぎていないもの ― だったが、最初の試作段階で重要な情報が伝え漏れていたに違いなかった。

 

「僕たちの担当をしていた女性は “人間と同じサイズ” だと勘違いしていたんだ。だから、最初の試作品を確認するための打ち合わせに彼女は10歳の子供くらい大きなパペットを持ってきたんだ! あれは滅茶苦茶怖かったね(笑)。だから最初からやり直すことになった。そのあと徐々に今のFlat Ericになっていったのさ」

 

 


Vintage Eric ©Quentin Dupieux

 

 

 

Flat Ericの魅力は、「Flat Beat」と同じでシンプルで子供じみているがどこか抜け目ないところにある。

 

Flat Ericは警察官を出し抜く無法者になったかと思えば、次の瞬間には無垢なパペットを装いながらグリーンのソーダをすする。DupieuxはFlat Ericについて「Flat Ericは話さないのも魅力のひとつなんだ。じっと眺めている。たまに口の動きに合わせてサウンドが鳴る時もあるけれど基本的には何も話さない。犬に少し似ているんだ。賢く観察して、反応するのさ」と説明を加えている。自分の感情をKorg MS-20の変化でしか表現できないという設定が、Flat Ericの魅力を大いに引き出すことになった。「おならみたいで、プラスティックみたいなあのアナログシンセサウンドと黄色のパペットのコンビネーションはパーフェクトだった」

 

Dupieuxのパペットを有名にしたのはLevi’sだったが、Levi’sは自分たちの投資を回収したがる態度は見せなかった。むしろ、DupieuxはFlat Eric肖像権をLevi’sおよび制作会社Partizanと共有することになり、Flat Ericのグッズが売れ始めた段階で彼に嬉しいボーナスをもたらすことになった。

 

しかし、Dupieuxは飽きていた。ミュージックビデオチャンネルがミュージックビデオの制作を懇願したため、DupieuxはFlat Ericとベルサイユ宮殿近くの美しいアパルトマンへ向かって最後の撮影に臨み、Flat Ericにデスクワークと葉巻に似せたフランクルフトソーセージを与えた。Dupieuxは当時について「画面からは伝わらないけれど、撮影方法と編集方法から僕が退屈しきっていることが分かる。愉快なミュージックビデオだし、みんなが気に入ってくれたけど、僕は観るたびに退屈している自分を確認するだけだ」

 

 

Mr. Oizo "Flat Beat" Official Music Video

 

 

 

この撮影が終わるとFlat Ericは倉庫へ入れられ、Dupieuxは、同年後半に「Flat Beat」のラジオエディットがボーナストラックとして収録されているアナログビートに偏った、本人が説明するところの “クレイジーなほどサウンドを詰め込んだアルバム”『Analog Worms Attack』をF Communicationsからリリースした。「Flat Beat」狂騒曲が終わったあと、Dupieuxは短期間で獲得した名声に困惑を覚えるようになっていた。本人は次のように告白している。

 

「インスピレーションが得られなくなってしまったんだ。成功が大きすぎたんだよ。ある意味、相応しくなかったんだと思う。悲しいわけではなかったし、混乱していたわけでもなかったし、落ち込んでいたわけでもなかった。でも、2年、3年、いや、4年ほどインスピレーションを得るのに苦しんだね」

 

2000年代中頃、Dupieuxはその落胆から抜け出した。Justice SegbastiAn、DJ Mehdiなどを抱えることで知られるパリのレーベル、Ed Banger Recordsと出会ったのだ。彼らが打ち出していたヒップホップ、ハウス、エレクトロの新世代的マッシュアップが本人のスタイルにピタリと合っていた。グリッチサウンドが凶暴に襲いかかる2008年リリースのMr. Oizoのシングル「Positif」はKorg MS-20のベースラインとつんのめるようなドラムで構成されており、「Flat Beat」からそこまで遠くないサウンドだったが、今回はグローバルな人気を獲得していた当時のトレンドに上手くはまっていた。

 

また、カートゥーン的なDupieuxのサウンドはUS EDMの萌芽にも大きな影響を与えることになり、SkrillexもMr. Oizoのスタイルを真似た(最終的に2016年の「End of the World」で2人はコラボレーションした)。また、「Flat Beat」はあらゆるタイプのDJに今も愛されており、2ManyDJsがDespacio Soundsystemからプレイする時もあれば、EDMのスーパースターHarwellがビッグルームカバーバージョンをプレイする時もある。

 

2019年に新たな「Flat Beat」ヒットが生まれることは考えにくい。テレビコマーシャルの力は当時より大幅に弱まっており、インストゥルメンタルトラックがチャート上位に入ることもまずない。おそらく “クラブヒット” はその価値を多少失ってしまったのだろう。

 

しかし、Flat Ericは健在だ。Dupieuxは2010年のミュージックビデオ「Where’s The Money George?」(共演:Pharrell Williams)と、2015年の笑えるショートフィルム「Being Flat」でFlat Ericを復活させている。また、2019年には、Dupieuxは「Rythme Plat」と巧妙なタイトルが付けられた大ヒットクラシックへのオマージュEPとFlat Ericグッズのプレミアムバージョンをリリースして「Flat Beat」20周年を祝った。

 

1999年のDupieuxは自分が作った「馬鹿げたループ」が大ヒットすることを予想していなかった。ましてや、そのサウンドがフランスの次世代ダンスミュージックの基盤になることなど一切思いつかなかった。しかし、Dupieuxの中で「Flat Beat」は他のあらゆる自分の作品と何も変わらない。

 

「 “Flat Beat” はパーフェクトだった。全てが予想外だったからさ。ハッピーアクシデントのようなものさ」

 

 

20周年を祝う特製ケーキ ©Johannes Ammler

 

 

 

Header Image:©Nayan Graf Quartier

 

26 Apr. 2019