十二月 03

インタビュー:Mike Huckaby

DJ・プロデューサー・教育者と様々な方面からデトロイトを支えるレジェンドが様々なトピックについて語る

By Mike Huckaby

 

“モーターシティ” デトロイトのヒーローのひとり、Mike Huckabyはブース内での比類無き選曲眼とテクニックはもちろん、DJ・プロデューサー・指導者・トレンドセッター・サウンドデザイナーなど多岐に渡る活動で高い評価を得てきた。また、Huckabyはトラックメイカーとしても才能を発揮しており、ここ10年に渡って、TresorやRick WadeのHarmonie Park、自身のDeep TransportationやS Y N T Hなどから練りに練られたハウスやテクノをリリースしている。手がけたリミックスの数に至っては更に多く、Pole、Model 500、DeepChord、Vladislav Delayなど数々のアーティストの作品を手がけている。

 

とは言え、Huckabyがデトロイトのエレクトロニック・ミュージックにおいて成し遂げてきた功績は、これまでリリースしてきたトラックや重ね続けてきたDJプレイよりも大きい。彼はMagda、Claude Young、Daniel Bellなどがかつて働いていた伝説のレコードショップRecord Timeの中心人物として長年手腕を振るってきた一方、近年はその音楽の知識と教育への情熱をYouthVille Detroitでの活動に注いでおり、若い世代に音楽制作のいろはを教えている。デトロイトはこれまでに数多くの伝説的なアーティストを輩出してきたが、Huckabyのように音楽への情熱と変わらない情熱で地元シーンの成長に取り組んでいるアーティストは数少ない。

 

今回はRBMA Radioのインタビューの抜粋を紹介する。

 

Tresorと “デトロイト - ベルリン” コネクション

俺が初めてTresorでプレイしたのは1997年のLove Paradeだ。Tresorが今の住所に移転する前の話で、俺にとっては初めてのベルリンだった。俺はあの頃シュトゥットガルトのM1で定期的にプレイしていて、ここの連中がベルリンのLove Paradeでパーティを開催するという話だった。その流れで最初はベルリンのKISS FMでプレイしたんだが、Tresorでもプレイすることになったのさ。ベルリンの通りの幅広さには驚いたよ。あの晩の写真が何枚か残っているんだが、それを見ると、今もプレイしているレコードをあの時もプレイしていたのが分かるんだ。奇妙な話さ。

 

当時のベルリンはハウスが丁度芽を出し始めた頃だった。どこへ行ってもテクノばかりだったし、ドイツ国内もハードテクノ一色だったから、ドイツのプロモーターにとってはまだこれからのハウスに手を出すのはリスキーだった。ハウスパーティで赤字を出したプロモーターも沢山いたね。だが、彼らはハウスをプッシュして、オーディエンスを導こうと努力していた。

 

 

 

"デトロイトとベルリンの関係はコンセプチュアルなものだと考えられがちだが、実際は人と人とのリアルな関係だった"

 

 

 

そのあと、Tresorは今の場所に移転したんだが、最初は音楽性の違いで苦労していたよ。移転当時はミニマルハウスとミニマルテクノが盛り上がっていて、Tresorサウンドは時代に取り残されていたからさ。だが、彼らは自分たちのサウンドをプッシュし続けた。自分の立場を守ろうとしたんだ。ベルリンでミニマルテクノが流行っていても、彼らは何も変えなかった。貫いたからこそ彼らは生き残ったのさ。

 

Tresorで初めてプレイした時に、Dimitri(Hegemann:Tresorの創始者)に会ったんだが、俺はTresorのことをRecord Time経由で昔から知っていた。カタログの1番を取り寄せたからね。だから俺たちとTresorの繋がりは強かったのさ。Alan OldhamやBlake Baxterなど、全員がTresorでプレイしたよ。

 

世間ではデトロイトとベルリンの関係は深いと言われていて、その関係はコンセプチュアルなものだと思われているが、実際は人と人とのリアルな関係だった。世間が考えているようなものとは違う。デトロイトとベルリンの関係は、Mike BanksとHard Waxの連中との友情、彼とHard Wax、Tresor、Basic Channelとの関係が生んだんだ。これが “デトロイト - ベルリン” コネクションさ。繋がりは非常に強いね。

 

楽曲とトラック

デトロイトがシカゴやニューヨークとどういう関係にあるのかをちゃんと理解するまでには多少時間がかかったね。ニューヨークの音楽には “楽曲” 感があって、デトロイトとシカゴの音楽には “トラック” 感がある。ニューヨークはディスコから大きな影響を受けているのさ。ディスコの楽曲は腕利きのミュージシャンたちが参加しているし、パーカッションやホーンが中盤になってようやく聴こえてくるような展開の作品も多い。だからニューヨークでは1曲をしっかりとプレイするスタイルのDJが多いんだ。そういう展開まで聴かせようとしているのさ。

 

ディスコの例として挙げられるのが、Mainlineの「Black Ivory」だ。この楽曲は中盤のブレイク直前になってようやくヴォーカルとストリングスが盛り上がる。Rippleの「The Beat Goes On & On」、Dinosaur L「Go Bang」、Loleatta Hollowayの「Hit and Run」も良い例だ。これらの楽曲は、ニューヨークのDJなら丸々1曲か、特定のパートまでプレイするだろう。彼らはその楽曲の肝となる部分とオーディエンスを結びつけようとするんだ。

 

 

 

"「反復」は「退屈」と結びつけられるものではない"

 

 

 

ホーンパートやヴォーカルのブレイクまで待つか、パーカッションが盛り上がるタイミングまで待つと、オーディエンスに対して特定の効果を生み出せる。そのようなパートの前に次の曲をプレイしてしまえば、その楽曲のベストパートを聴くチャンスを潰すことになる。ニューヨークのDJはそういう形で自分たちのスタイルを築き上げてきた。

 

一方、デトロイトは “トラック” 感だ。俺たちの音楽は「楽曲」がベースになっていない。ドラムマシンやシーケンサー、シンセから生み出される「トラック」なんだ。ループがベースになっていて、シカゴとデトロイトを含むミッドウェストの連中はこれが得意なんだ。

 

Record Time

 

デトロイトのレコードショップで働けば、最高のレコードが手に入る。どんなサウンドが世に出ているのかをチェックして、それをベースに制作やサンプリングをするようになる。音楽制作する人にとって、非常にフレッシュでエキサイティングな環境なんだ。

 

俺はショップマネージャーを務めていて発注も担当していたから、どんなサウンドが売れて、どんなサウンドが売れないかを理解していた。これが俺の音楽制作にも活かされていったんだ。発注担当だったから、売れながらものめり込めるようなサウンドを選ばなければいけないし、そこに良い意味での責任やプレッシャーがあった。

 

ショップで働いていると、売れているレコードだけじゃなくて、その人にとって意味のあるレコードを与えたいと思うのさ。だからレコードショップで働くのはメリットがあったね。Buy-Rite Musicのようなショップでの仕事でさえもメリットがあった。

 

多くの人は知らないと思うが、デトロイトのBuy-Rite Musicはデトロイトの老舗のレコードショップだった。デトロイトのエレクトロニック・ミュージックが始まるもっと前から存在していた。あらゆるDJが立ち寄って、あらゆるレーベルが卸していたショップだったんだ。全員があのショップから大きな恩恵を受けた。あそこからすべてが始まったんだ。あそこからDJが生まれていったのさ。

 

Ron Murphy

 

デトロイトのマスタリングについて話すのはちょっと奇妙な気持ちだな。というのは、デトロイトの奴らはマスタリングを一切しなかったからさ。みんなファイナルミックスをプレスするだけだった。デトロイトでは、「マスタリング」という言葉は、「カッティング」も意味していたから、一般的な「マスタリング」という言葉が何を指しているのかを理解するには何年もかかったよ。Roy Murphyがマスタリングを担当していたが、彼は実際のマスタリング作業なしで、いきなりカッティングをする時もあった。だから混同する時が多かったんだ。「マスタリングってこの作業なのか? このために彼を雇ったのか?」って頭が混乱する時もあった。実際、マスタリングしないでカッティングしただけだって彼から伝えられる時は多かったね。

 

デトロイトではカッティングとマスタリングが同義語だったのさ。当時はみんなが「マスタリングは誰がやったんだ?」「Ron Murphyさ」って会話をしていたね。確かにRon Murphyはカッティングをしたし、カッティングはマスタリング作業の一部だが、彼はマスタリング作業についてはほとんどやらなかった。本当に混乱したよ。

 

俺は自分のレコードのサウンドについてはそこまで悪くないと思っていたが、ショップに取り寄せたり、自分がプレイしたりしているレコードほどは良くないと思っていた。その頃、AdventがRon Murphyに仕事をオファーしたレコードを聴くと、とにかく音量が大きいことに気が付いた。「Ron Murphyは出し惜しみをしてるのか? このサウンドを得るには彼に対して政治的な動きをしないといけないのか?」と思ったし、腹立たしくさえ感じたが、俺はAdventが事前にマスタリングした音源をMurphyに送っていたことを理解していなかった。AdventはMurphyにカッティングだけを頼んだのさ。結局、デトロイトでマスタリングという言葉はちゃんと定義されなかった。曖昧なままだったね。

俺の「My Life with the Wave」EPは、Murphyがカッティングしたラスト5枚のうちの1枚だと思う。あの経験は大きかったね。あの作品はありとあらゆる部分で間違っていた。あの作品がきっかけになって俺はちゃんと音楽制作ができるようになったのさ。当時の俺はヨーロッパのレーベルの作品に取り組んでいて、そのレーベルからはカッティングに回す前にマスタリングをしたいと言っていた。俺は「こいつら何を言ってるんだ?」って思ったよ。こんな会話はデトロイトじゃしない。結果から言うと、俺が「マスタリング」したと思ったマスタートラックは、"カッティングされただけ" だった。間違いだらけだったのさ。

 

そのあと、特定の周波数帯域に問題があったから、レーベルからリカットしてくれと頼まれたんだが、その2回目のカッティング中に、Murphyが盤を床に落としたんだ。最悪だったね。「このレコードは呪われてる」とさえ思ったよ。だが、彼とはゆっくり話をしたし、彼も積極的にマスタリングにまつわる様々なストーリーを話してくれた。どうやって良いサウンドにするのかを教えてくれた。俺は彼に育ててもらったんだ。

 

Jean-Philippe Rameau

Jean-Philippe Rameauの書いた『Traité de l’harmonie(和声論)』を紹介しておこう。彼は初めて数学的なアプローチで音楽理論を説いた作曲家だった。俺はこの本を読んだ頃にReaktor(訳注:Native Instrumentsのソフトウェア音源。モジュールを組み合わせるプログラミングでサウンドを生み出す)に出会った。凄く興味が沸いたね。音楽が数学の方程式として表現できるのは面白いと思ったからさ。実はウェイン州立大学の学生に頼んでこの本を解説してもらったこともあるんだ。工学部の学生にいくつかの章を分かりやすく説明してもらったのさ。

 

俺は探究心が強いし、この本について十分な知識を得たが、結局自分には役に立たないという結論に至った。Rameauの時代は時間の流れが緩やかだったはずだし、そういう意味でこのような時間をかける考え方は適切だったのも知れないが、俺には合わなかった。変な話に聞こえるかも知れないが、普段の自分なら興味を持たないものだからこそ、俺は興味を持ったんだと思う。だから調べてみたのさ。調べたことでReaktorと出会えたが、実践的な部分じゃなくてひとつの考え方として興味を持ったって話さ。俺はいつもこんな感じなんだ。自分の視点を動かし続けて、探究心を満たし続けているんだ。

 

Patrice ScottとDJブースにいた時もそうだった。俺はPatriceがLegoweltのアルバム(『The Paranormal Soul』)を持っているのに気付いたんだが、そのバックスリーブには『The Fourth Book of Occult Philosophy』という本が写っていた。俺はこのアルバムを前から知っていて、その時に「この本は何についての本なんだ? なんでアルバムにわざわざ載せているんだ?」と思ったことを、Patriceがきっかけでまた思い出したんだ。それでこの本が何なのかちゃんと調べることにしたのさ。

 

俺は自分がたいして好きじゃないものも学ぼうとする。嫌いな音楽も聴くし、嫌いなプロデューサーの作品も聴くし、彼らのことについて書かれた記事も読む。そこから学べる部分があるんだ。今もドラムンベースの制作手法について学んでいる。彼らの制作方法は非常に興味深いね。トランスの制作手法について学ぶ可能性もある。Ferry Corstenのトラックで気になる部分があれば、それをディープハウスに転用して、その手法がどう活かせるかを試行錯誤するだろう。

 

Sun Ra

俺が関わったSun Raのプロジェクト(「The Mike Huckaby Reel-To-Reel Edits」シリーズ)は、エレクトロニック・ミュージック/ディープハウスとしてではなく、ジャズとして面白く聴こえるようなフレーズを強調すること以外は何も手を加えないエディットをしようとした。元を正せば、俺の楽曲じゃないし、俺はArkestraのメンバーでもないし、俺の演奏力もArkestraのメンバーには遠く及ばないからね。だから俺はSun Raの音楽の持つ魅力を薄めないように注意する必要があった。オリジナル絶対主義者は、エディットはオリジナルの魅力を削り取ると言うが、俺のエディットについてはそうじゃないと断言できる。俺のエディットの大半は、いわゆる “エディット” よりも “修復” に近かったからね。オリジナルテープの中にはかなり痛んでいるものがあったんだ。「Space is the Place」のアカペラ部分に至ってはかなり痛んでいたよ。言わせてもらえれば、捨てられていた可能性がある音源を俺が救出したのさ。

 

自分が人気を得たり、話題になったりするチャンスだと考えないようにすることが重要だ。俺はSun Raの大ファンが世の中に沢山いることを知っていたし、彼の音楽を台無しにするようなことがあれば、批判に晒されることになる。俺がエディットした楽曲は、本人のナイトクラブ向きの演奏を好むエレクトロニック・ミュージックのファンたちが楽しめるようにしただけさ。ホーンがうるさすぎるようなセクションを抑えたり、非常に印象的で感情を呼び起こすようなセクションのリピートやエクステンドをしたり、更に良く聴こえるようにしたりして、リスナーが楽曲とより良い関係を築けるようにした。中にはオリジナルと20秒ほどしか変わらないエディットもある。

 

自分がどの帽子をどのタイミングで身に付けるのか、要するにTPOを理解しておく必要がある。俺はDJであり、プロデューサーであり、サウンドデザイナーであり、教育者でもある。それが俺だ。だから、どの自分をどのタイミングで前に出すのかを理解しておくことが重要なんだ。そうしておかないと、他人が俺のTPOを勝手に決めてしまうことになる。そして他人が決めたTPOは、俺にとって適切ではない可能性があるんだ。

 

S Y N T H

Rod Modell(DeepChord)に俺がレーベルを始めることを伝えたあと、奴とFuddruckers(訳注:米国のハンバーガーチェーン)で会うことになった。Robには「感想を教えてくれよ」と言われてトラックを渡された。それで食事を終えて車に乗り、その音源を聴いてみた。その瞬間、俺はバックミラー越しにRobを探したんだが、奴はもういなかった。家に帰って奴にメールを送るのが待ちきれなかったよ。こうして彼のトラックのリリースを決めると、その2曲とも俺がリミックスを担当した。「Electromagnetic Dowsing」のリミックスがリリースされた瞬間からS Y N T Hは一気に勢いづいたんだ。

 

2015年のこの時代でも、特定のサウンドに拘ったレーベルを立ち上げることは可能だ。だが、そうする場合は、周りに流されずに自分がしようとしていることにとことん納得しておく必要がある。時代がどう判断するかなんて予想できないからさ。デトロイトのエレクトロニック・ミュージックが好まれるのは、そこに苦難が見いだせるからだと思う。この音楽にはありとあらゆる苦難が詰まっている。レコードリリースまでの苦難、資金集めの苦難、音楽に没頭しすぎてガールフレンドに振られる苦難、すべてが後手に回ってしまった苦難があれば、タイヤがパンクしたり、駐禁でタイヤロックをはめられたりする不運もあるだろう。アパートから追い出されたり、ルームメイトが出て行ってレーベルのための貯金を持ち出す必要に追われたりする時もある。多くのレーベルは一生懸命稼いだ金で生まれているのさ。

 

今回話したストーリーは、俺が一匹狼だという事実がベースになっている。グループに所属したいと思った時もあったし、デトロイトで人気のグループに憧れてもいた。だが、結局俺はどこにも属さなかった。自分の中で不運だとか問題だとか思っていることが、あとあと幸運を呼ぶって場合がある。昔の俺はデトロイト市内の特定のグループに入りたいと熱望していたわけだが、今振り返ってみるとそういうグループに参加しなかったのは俺の人生の中で最良の出来事だったように思えるんだ。