五月 14

Sun Ra ArkestraのMarshall Allenが語るSun Raとの出会い

20世紀を代表する真の天才アーティストのひとりSun Raと生活と演奏を共にした経験を持つMarshall Allenが彼から何を学び、何を引き継いだのかについて語った。

 

予言者、神秘主義者、詩人、天使、ピアニスト、そして優秀なジャズアレンジャーだったSun Raは今から20年以上前にこの地球から旅立ってしまったが、彼のスピリットと音楽的な影響力は今でもこの星に残っている。90歳のアルトサックス奏者Marshall Allenが率いる25人編成のSun Ra Arkestraは今でも世界中を旅しており、Sun Raの残した神話を後世に伝えている。バーバーショップ・ハーモニー、ビッグバンド・スウィング、フリースタイルのエレクトロニック・ミュージック、ニューヨーク・ノイズ、ブラックパンサー党、ウォルト・ディズニーのカバー、スペースチャント、ユニークなリズムなど多岐に渡るSun Raの音楽性に私たちはまだ追いつけていない。RBMA Radioからの抜粋となる今回のインタビューで、Marshall AllenがSun Raとの出会いや歴史を振り返った。

 

 

Sun Ra at the Montreux Jazz Festival, 1976 Andrew Putler / Redferns


私がSun Raに出会ったのは1957年のHeaven Rehearsal Ballroomでした。友人からSun Raは常に才能ある人物を探していると聞いていたので、「彼は私と同じシカゴのサウスサイドに住んでいるのか。ならば仕事の後に彼のところへ寄ってみよう」と思ったのです。それでサックスを持って向かいました。彼は丁度リハーサルをしていて、私はそこで音楽や古代エジプト、宇宙、そして聖書など、あらゆることについて音楽と会話を通じて教えてもらいました。

 

その後、私たちは食事をしにレストランへ向かいました。そこでも彼は自分の哲学やこの世界の生命に関する真実などについて話し続けていましたが、「よし、隣へ行ってバンドのサウンドを聴こうじゃないか」と言いました。夜中の12時頃でしたね。 そしてバンドの演奏が終わると、またレストランへ戻り、そこで彼に明日また来るように言われました。こうして私は毎日彼の元へ出掛け、彼から聖書、古代エジプト、宇宙についての新しい話を聞くことになりましたが、「いつ私は演奏するのだろう」と内心思っていました。


「フルートはそこまで上手く吹けませんよ」と言っても、「いいから吹くんだ」と言われました。


ある日、彼から、「John Gilmoreの家へ来い。そこでお前の実力を見るよ」と言われました。Gilmoreはテナーサックス奏者でした。私が自分のサックスを持ってそこへ向かい、練習をしていると、Sun Raに「お前フルートは吹けるか?」と訊かれました。私が、「いいえ、クラリネットなら出来ますが」と返すと、彼は、「クラリネットはいらない。Johnがクラリネットを吹くからな。俺はフルートが欲しい」と言いました。私が、「フルートは持っていないんです」と返すと、「とにかくフルート奏者が欲しい。フルートを手に入れてくれ」と言うので、当日務めていた職場からお金を受け取り、フルートを買いました。ですが、演奏方法が分からないので、レッスンを受けたいと伝えました。

 

こうして私はシカゴ交響楽団に所属していた人から小さなスタジオでレッスンを受けるようになりました。フルートを買ってしまったおかげで金銭に余裕がなかった私に、フルートの先生は、「君が子供たちにジャズを教えてくれるなら、ただで教えてあげよう」と言ってくれました。それで私は子供たちにジャズサックスを教え、夜の10時頃からフルートのレッスンを受けていました。Sun Raから、「フルートが吹けるようになったか? 俺のところで吹いてみろ」と言われたので、「そこまで上手く吹けませんよ」と返すと、「いいから吹くんだ」と言われました。

 

彼が私のために初めて書いてくれた曲が「Spontaneous Simplicity」です。フルートの練習を続けていた私はかなり早く習得できたので、この曲が書かれる頃には彼のバンドに加わっていましたが、他のメンバーのような自分専用の椅子は用意されていませんでした。スペースがなかったのです。ですので、ピアノとベースの横に立ち、「Spontaneous Simplicity」をプレイしました。やがて数人のミュージシャンがニューヨークへ移住したので、私にもようやく椅子が与えられました。これがSun Raとの出会いです。

 

 

Sun Raは朝からリハーサルを始め、午後まで続けました。そして昼食を取ると再びリハーサルし、夕食後もリハーサルをしました。毎日、1日中リハーサルをしていましたね。夜通しリハーサルする時もありましたが、とにかく毎日リハーサルをしていました。どこか他の場所へ行く用事があったとしても、彼から毎日なにかしらの指示があったので離れることはできませんでした。彼はまるで手紙を書くように作曲をしていました。毎日新しい音楽が用意されていたので、私たちはそれを練習しなければなりませんでした。彼の音楽を見て感じることができましたから、素晴らしいプレゼントのようなものでしたが、まったく理解できない時もありました。

 

演奏はできましたが、彼の望むような形での演奏ができない時がありました。彼は普通とは違うものを求めていたのです。彼からは自分が成長するような演奏を求められていたので、洗脳されるような感覚でした。Sun Raは音楽と共に哲学についても話をしていました。この頃はシカゴ市内の様々な団体にパンフレットの配布もしていました。宗教的な団体が特に多かったですね。公園へ出向けば、そういう団体が集まって市民権や宗教、社会問題などについて話し合っていました。誰もが何かしらの団体に所属していました。Sun Raもそこで宇宙について話していました。


「お前が知っている音楽は聴きたくない。俺が聴きたいのは、お前が知らない音楽だ。お前の意識、スピリット、考えを聴かせてくれ」と言われました。


Sun Raは独特の価値観を持った人物でした。Arkestraはショーバンドですので、色彩や照明も私たちの一部です。様々な色は私たちの音楽の一部であり、瞬く照明は地球を表現しています。上手く説明できないですね。これは今となっては夢のようなものです。表現したいと思っていたのですが、彼に言われたことをすべて理解して表現することは私にはできませんでした。Sun Raの作曲は私の知っているそれとは完全に逆でした。私は普通の音楽教育しか受けていなかったので、Sun Raに、「どう演奏すれば良いですか?」と訊ねたのですが、彼には、「お前が知っている音楽は聴きたくない。俺が聴きたいのは、お前が知らない音楽だ。お前の意識、スピリット、考えを聴かせてくれ」と言われました。私が、「僕は何も分かっていません」と言うと、「俺が聴きたいのはそれだよ」と言われました。

 

Arkestraがニューヨークへ拠点を移したのは予想外の出来事でした。私たちはバンドの演奏でモントリオールに1ヶ月ほどいた時があったのですが、その帰りにニューヨークを覗いてみようという話になったのです。そしてその時にベーシストの車がタクシーと衝突して壊れてしまいました。帰りの足がなくなってしまったということで、そのタクシー会社に弁償を求めようという話になり、弁償金で新車を手に入れるまでニューヨークに留まらなければならなくなったのです。

 

その弁償金が入ってくるまで滞在する場所は確保できたのですが、お金には困っていました。結局弁償金が手に入るまで1年がかかりました。その頃までには、私たちは家賃を払うためにコーヒーショップやありとあらゆる場所で演奏をするようになっていました。

 

こうしてニューヨークで演奏をしているうちに、他のミュージシャンたちと知り合うようになり、新たなバンドも結成しました。私とJohn Gilmoreに加え、ベースにRonnie Boykins、ピアノにSun Ra、ドラムにBilly Mitchell、トランペットにWalter Strickland、そしてシンガーという構成です。結局、この中の数人がシカゴへ戻ったので、バンドには私とGilmore、Boykins、Sun Raだけが残りました。ですが、他のバンドメンバーはシカゴに戻る前に、コーヒーショップのような小さな場所が中心でしたが、私たちのギグを取り付けておいてくれました。そして最後には当時有名だったSlugsで毎週月曜日にレギュラーとして出演できるようになりました。自分たちで道を切り開くほかなかったのです。これに伴ってバンドメンバーを増やし始めた私たちは、今でもメンバーを追加し続けています。


フィラデルフィアの方が良い環境でした。一緒に住んでいたので、24時間リハーサルができましたから。


ですが、ニューヨークの家は非常に小さかったので、引っ越さなければなりませんでした。Sun Raが「フィラデルフィアに行くぞ。アメリカ最初の首都だ」と言いましたが、実は、偶然私の父がフィラデルフィアに家を持っていました。以前から父はこの家を私に譲るという話をしてくれていたのですが、当時の私は3階建ての大きな家はいらないと思っていました。ですが、こうして引っ越さなければならなくなったので、仲間をその家へ連れて行くことにしたのです。フィラデルフィアの方が静かでしたし、良い環境でした。その家を直して全員が一緒に生活していたので、その家で24時間リハーサルができましたから。

 

当然ですが、私たちはエジプトにも行きました。Arkestraとしては3度訪れていると思います。最初は大所帯のバンドとダンサーたちと一緒に向かいました。スフィンクスやピラミッドの上でダンスをし、ピラミッドを眺めながらメナハウスで演奏しましたよ。2度目の訪問ではピラミッドの内部に入りました。砂漠の上で3、4時間ラクダに揺られましたね。そして3度目の訪問では、ラクダに乗って真夜中の砂漠に繰り出しました。その砂漠の真ん中にテントがあり、そこで演奏しました。女性がペルシャ絨毯の上でダンスをしていて、本当に美しい光景でしたよ。