十二月 04

 久保田麻琴と日本の土着音楽文化

祭祀音楽と伝統芸能に魅せられた音楽家を大石始がインタビュー

By Hajime Oishi

 

音楽家・プロデューサーとして実に40年以上ものキャリアを誇る久保田麻琴。日本の音楽界広しと言えども、彼ほど広範囲の活動を続けてきた音楽人はなかなかいないだろう。伝説のサイケデリック・ロック・バンド、裸のラリーズのメンバーとしての活動から始まり、70年代には夕焼け楽団、80〜90年代にはサンセッツという日本の音楽史に残る2つのバンドを結成。デビュー作『まちぼうけ』(73年)や盟友・細野晴臣とのHarry&Mac名義による『Road To Louisiana』(99年)などシンガー・ソングライターとしても重要な作品を残したほか、THE BOOMやインドネシアのElvy Sukaesih(エルフィ・スカエシ)、Detty Kurnia(デティ・クルニア)など国籍を越えたプロデュース・ワークでも知られている(なかでもインドネシアのダンドゥット・ユニット、Campur DKIの「Kop Dangdut」はインドネシア本国で記録的な大ヒットを記録)。2000年代に入ってからはバリ島やイスタンブール、ハワイ、ベトナム、バンコク、モロッコをテーマに作品制作を行い、2004年からはブラジル北東部やモロッコ、エチオピアにまで足を伸ばすなど、その活動フィールドは全世界に及ぶ。

 

 

 

そんな久保田は2000年代中盤以降、日本列島の音楽文化や祭祀に深く意識を向けるようになっている。「音の錬金術師」とも呼ばれる国際的音楽人、久保田がなぜ日本の古層に意識を向けるようになったのだろうか?

 

「80年代からバリやタイに行ったり、旅行者としてはアジアの音楽に触れていた。細野(晴臣)さんにインドのボリウッドのカセットテープをお土産でもらったりしてね。アジアはそれぞれにおもしろいし、”日本にも何かあるんだろうな”という疼きは当時からあった。あとね、私は70年代から“ハイサイおじさん”という曲と縁があって、沖縄のリズムとメロディーはロックやエレクトロに乗ることが分かっていたし、有効であるとも分かっていて。」

 

「ハイサイおじさん」とは沖縄の喜納昌吉が70年代初頭に地元のレコード会社から発表した楽曲。久保田は夕焼け楽団の75年作『ハワイ・チャンプルー』でこの曲をカヴァーしているほか、喜納昌吉&チャンプルーズの80年作『BLOOD LINE』をプロデュースするなど、彼らの本土デビューを強力に後押しした。

 

「“ハイサイおじさん”という曲は本当に特別。チャンプルーズとは一緒にツアーもしたけど、本当に惚れ惚れしたし、海外でも言語を越えていい線いくと思った。ただ、私は非常に注意深いんで、沖縄民謡すべてに関心を持つということはなかった。もちろん素晴らしいとは思うんだけど、”民謡や古典は自分と違うところにあるもの”という感覚があったんだね。」

 

久保田が日本の古層に意識を向けるきっかけとなったのが、『BLOOD LINE』から26年後となる2006年、和歌山県と三重県に跨がって広がる熊野信仰の聖地を訪れたことだった。

 

「熊野で不思議なインスピレーションがあって、胸ぐらを掴まれるような感覚があったんです。ちょっと言語化できない感覚なんだけど……自分たちのルーツはどういうものだったのか、文章として残っていないものに触れてみたいという気持ちが沸き上がってきたんだね。東北も気になっていたけど、縁があったのが宮古島だった。」

 

 

 

沖縄本島と八重山列島の間に浮かぶ宮古列島。宮古島や多良間島など8つの有人島と無人島からなるこの列島には、沖縄本島では伝統が途絶えてしまった祭祀が現在も辛うじて続けられている。2013年に逝去した民俗学者、谷川健一は日本列島に伝わる言語や生活習慣、アニミズム的信仰の古い形態が南西諸島の島々に残されていることを自身の著作で指摘してきたが、その谷川が南西諸島のなかでも重要視していたのが宮古列島だった。久保田が宮古列島を実際に訪れたのは2007年のことである。

 

「多良間島では地元の民謡好きのお兄さんが八月踊りという地元の有名な芸能を紹介してくれたんですね。でも、私にはただの古典にしか思えなかった。それで、かつて音源を聴いて名前を知っていた浜川春子さんという方のことを思い出して、”浜川春子さんを紹介してほしい”とお願いしたんだ。多良間島の民謡名人はみんな“多良間ションカネ”という有名な歌を歌ってたんだけど、浜川春子さんは“多良間ションカネ”ではなく、”ユネーク”という歌を歌い出した。ユネークというのは、粟つき唄とかヒエつき唄みたいに穀物をつくときの唄。杭を打ちながら歌っていく労働歌の一種なんだけど、その歌詞が国づくりの歴史や英雄を讃えるものだったり、悲しい歴史だったりするんですね。多良間島は琉球王朝の優秀な政治犯が罪に問われたときに流される場所でもあったりして、特別な歴史があって、言葉も古語みたいな雰囲気があるんです。そういう歌を浜川春子さんは虫が鳴く縁側で5、6曲ぐらい歌ってくれた。歌いだした瞬間、子供のころに観た映画のシーンが脳裏をかすめてね。私は映画館の子供で、黒沢明や溝口健二の作品を観てたんだけど、そのころの記憶と一瞬シンクロした。古い風がヒューッと吹いた気がした。音楽ってそういうものなんだよね。単純なメロディーなんだけど、音の組み合わせのなかにスピリットが宿ることがある。」

 

ひょんなことから訪れた宮古列島で、久保田は数々の強烈な体験をする。名もなきおばあが歌う労働歌に心を震わせ、ひっそりと続けられていた神聖な祭祀に立ち会う。人々とのちょっとした会話から日本の古層の名残を感じ取った。

 

 

「宮古の古謡や神歌にはユニヴァーサルな感じがあった。汎アジア的というかね。でも、私が宮古の古謡に初めて触れたとき、すでに伝統が途切れつつあって。それで”これは何らかの形で記録に残さないと”という思いが自分のなかに沸き起こったんですね。ただ、おばあたちもなかなか歌ってくれない。歌ってくれるけど、録音機材を出すと歌ってくれないんだ。神歌を録音するのはタブーみたいなものなので、みんな怖がってるんです。でも、高良マツさんという先日亡くなった方が『お前がそこまで言うだったら私は残したいと思う。歌っても神様は怒りはしない』と決心してくれたんだね。」

 

そうして録音された神歌や古謡の一部は、『南嶋シリーズ』という久保田プロデュースのコンピ・シリーズで音源化。2009年にリリースされたBlue Asia名義の作品集『スケッチ・オブ・ミャーク』では宮古の音源をブルースやダブに溶け込ませたハイブリッドな南洋サウンドを作り上げた。

 

「私はロックンロールでありヒッピーですから、いくら歴史的価値があったとしても”格好いい”とか”気持ちいい”がないとビタ一文動かないですよ。格好よければ、昨日できたものでも何でもいい。でも、宮古の神歌には何か匂ったんだね。”これは格好いいはずだ”という。」

 

 

宮古との関わりにおいて最大の成果となったのが、久保田が原案・監修・出演・整音としてクレジットされたドキュメンタリー映画『スケッチ・オブ・ミャーク』(大西功一監督作品)だろう。ここにはありがちなアイランド・ムーヴィーとはまったく異なる光景が描き出されている。物々しく神秘的な祭祀。神に捧げられる女性たちの神々しい歌声。そうした祭祀を中心に据えていたかつての村の生活とその名残り。2000年代の日本の風景が写し取られているというのに、中世の日本列島の姿を幻視しているかのような感覚が沸き起こってくる。”沖縄”や”日本”という記号を越え、かつての人々の息吹きに直接触れているような錯覚さえ覚える。

 

度重なる撮影を経て2011年に完成した映画『スケッチ・オブ・ミャーク』は、第64回ロカルノ国際映画祭の批評家週間部門で上映されて絶賛されたほか、日本各地でも上映されて大きな話題を集めた。

 

「整音にも3週間ぐらいかかってるんですね。いろんな映画の音を研究したんだけど、子供のころに観ていた大映の作品が一番すごい音だった。60年代前半の大映の作品は音が素晴らしい。下の倍音がしっかりしてて、若尾文子や船越英二の声は耳にこびりついている。そういうものを参考にしながら、大西監督が宮古で録ってきたものを整音していくわけ。でも、録音班もいないし、ビデオの祖末なマイクで録っただけのものを整音していくので時間がかかるんですよ。でも、ここが勝負だと思ったから手を抜けなかった。神歌と関わるということは……密教と関わること、ヴードゥーと関わることと同じ。やらせてもらう以上は本気でやらないといけない。外したら死にますから、マジで。」

 

 

南西諸島の島々は一筋縄ではいかない歴史を辿ってきた地でもある。1429年から1879年まで存在した琉球王国は八重山や宮古列島を統治し、奴隷的とも言える厳しい人頭税を島の人々に課した。一方で17世紀にはその琉球王国も薩摩藩の支配下に入り、支配/被支配の関係が南西諸島に暗い影を落とした。人頭税がようやく廃止されたのは1903年(明治36年)。わずか100年前のことだったわけだが、この人頭税廃止運動の中心となっていたのが宮古の農民たちだった。

 

「宮古には”びっくりしたね”みたいな意味の”アララガマ”という言葉があるんだけど、3世紀の間、人頭税という制度のもとで奴隷のような生活を続けてきたなかで培ってきた感覚が確かに受け継がれてるんです。台風で毎年家が壊されても、宮古の人たちは”アララガマ”とだけ呟いて新しく家を作り直す。ジャマイカの人たちの”Cool Runnings”(落ち着いていけ)みたいなもので、確かに宮古にはジャマイカと近い感覚があるんです。ジャマイカにはマルーンという逃亡奴隷がいたけど、宮古にも”ヤマグ”という逃亡奴隷がいた。ヤマグたちは琉球王国の役人から逃げ、武器を持って屋敷に立てこもったというんですね。マルーンとジャマイカの音楽が切っても切れないように、宮古の古謡とヤマグは切っても切れない。そういう特別な場所なんです。」

 

 

 

映画『スケッチ・オブ・ミャーク』の完成後も久保田と宮古の縁は続いている。宮古島を拠点とする若きジャズ・ファンク・バンド、BLACK WAXとはアルバムをプロデュースしたり、ライヴ・パフォーマンスでライヴ・ミックスをする関係。今年発表されたニュー・アルバム『Vudu-Eee』も各界から話題を集めている。

 

「BLACK WAXには宮古人ならではのものがあるね。彼らもまたヤマグの末裔みたいなものですから、ミャーク(宮古)というコスモロジーが心のセンターにある。彼ら自身は祭祀も神歌も知らないかもしれないけど、おばあちゃんやひいおばあちゃんは白い装束を着て儀式をやっていた世代で、そういうものが無意識のうちに叩き込まれている。」

 

 

熊野〜宮古をきっかけに始まった久保田の”日本(再)発見”の旅は広範囲に及ぶ。八重山民謡の第一人者、大工哲弘の『Blue Yaima』(2013年)のプロデュースとライヴのバックアップ。和歌山県那智勝浦の漁村でひっそりとギターを爪弾いていた濱口祐自が還暦を前にして発表したメジャー・デビュー・アルバム『濱口祐自フロムカツウラ』(2014年)のプロデュース。滋賀県の盆踊り歌”江州音頭”のレア音源を掘り起こし、エディット/リミックスした『久保田麻琴レア・ミックス 江州音頭 桜川百合子』(2012年)。なかでも宮古と同様、ディープに付き合ってきたのが四国・徳島を故郷とする阿波おどりだ。

 

「阿波おどりが徳島や(東京の)高円寺でやってるということはもちろん知ってたけれど、観光以上の興味はなかった。でも、”行ってみよう”という気持ちになったんだね。そこで出会ってしまったのが東京天水連。もうね、力づくでねじ伏せられた感じ(笑)。音楽というよりも荒修行を観てるようだったよ。”この音の背後にはどんな決心とライフスタイルがあるんだろう?”と思ったし、音の響き・ヴァイブレーションだけで泣けたんだね。リズムですらなかったというか。」

 

 

阿波おどりに対し、テレビのニュース映像などで流れるような「夏の風物詩」的イメージしか持っていない方も多いことだろう。だが、阿波おどりの連(グループ)にはさまざまなタイプがいて、ブラジルのバトゥカーダのような強烈なビートを叩き出す連中もいれば、ニューオーリンズ・ファンクのようなねっとりとしたグルーヴを作り出す連中もいる。久保田が最初に出会ってしまった東京天水連は前者のタイプで、その激しいグルーヴは高円寺の他の連を圧倒する。久保田がプロデュース・録音・ミックスする『ぞめき』シリーズはさまざまなタイプの阿波おどりの連の演奏を収めたコンピ・シリーズ。先ごろシリーズ5作目となる最新作『ぞめき伍 個性派 徳島 高円寺 阿波おどり個性派』がリリースされたばかりで、シリーズを通じて阿波おどりの持つ奥深い魅力を伝えてきた。

 

「基本的にあの響きは生で触れないと分からないんですよね。ワールド・ミュージック〜民族音楽全般そうなんだけど、生の太鼓を音をレコーディングするのは結構難しい。録音にしてもミックスにしてもどこまで生で聴いたときの感覚に近づけるか。どこまで自分の情感が揺れるか。なかでも和太鼓は難しいんですよ。叩いてる人たちは”自分たちの音はこんなもんじゃない”と思うかもしれないけど、幸いにも評判がよくて。なおかつ『ぞめき』をきっかけに高円寺や徳島に行ってみようと人が増えてるみたいで、よかったかなと。」

 

 

日本を巡る久保田の旅は、2011年3月11日の東日本大震災を跨いで続けられている。久保田自身は「震災の前と後で自分自身は変わってないと思う。ただ、90年代の地下鉄サリン事件のときもそうだけど、不幸のたびに人間は成長しないといけない」とだけ話すが、人と土地を結びつけるものとしての歌とリズムの重要性が増しつつある3.11以降、久保田の仕事は極めて重要な意味を持っているように思えてならない。

 

「谷川(健一)先生は土地の名前にはそれぞれ意味といわれがあって、それを捨て去ってしまうのはマズイということを言ってる。人間が土地から切り離されてしまうのはマズイわけです。かつては人間と土地を繋ぐものとして祭祀があって、歌や踊りがあった。歌はスピリットが震えたときに生まれるもので、スピリットが降りたときに歌や言葉という形を借りて出てくる。音楽の役目はそういうところにもあるし、そこを見直す必要があるんだと思う。」

 

 “日本”という記号の表面を少しだけ削り落とすと、その奥には地球上のさまざまな文化や言語へとアクセスすることができるユニヴァーサルな世界が広がっている。音楽的好奇心と音楽家としてのクリエイティヴィティーを失うことなく、日本人のルーツを訪ねて各地を旅する久保田麻琴。”音の錬金術師”の長く不思議な旅は、40年を越えてなお続いていく。

 

 

Photos: Courtesy of Makoto Kubota / 長崎トヨ by Mali / ハーニーズ佐良浜 by 佐渡山アンコウ/ 徳島阿波おどり・高円寺阿波おどり by Keiko K. Oishi