二月 14

Lucy:Stroboscopic Artefactsガイド

新進イタリア人テクノプロデューサーが自身のレーベルStroboscopic Artefactsと そのサウンドについて解説する。

By Lucy

LucyことLuca Mortellaroは世界を股にかけて活躍するテクノプロデューサーだが、ライター・プロデューサー・サウンドデザイナーなどその活動は多岐に渡る。イタリア生まれイタリア育ちのLucyは2005年に音楽を道へ進むべくパリへ移住すると、世界各地のアーティスト/レーベルにデモを送付し始めた。尚、このアーティストのひとりにはJames Holdenがおり、彼は後にLucyの才能を絶賛することになる。

その後Lucyは自身の音楽性がアンビエントやダークなインダストリアルテクノへシフトしていくと同時にパリからベルリンへ移住。ここでStroboscopic Artefactsを設立し、2011年にはファーストアルバム『Wordplay for Working Bees』をリリース。この頃になるとそのユニークでディープなサウンドがシーンで話題となり、世界各地のビッグクラブ・ビッグフェスティバルに出演するようになっていった。Stroboscopic Artefactsは「クラブトラック」に冒険的なエクスペリメンタルサウンドを組み合わせるという方向性を示し続けているレーベルだが、今回のインタビューでは本人に代表的な作品を解説してもらった。





Lucy - Milgram Experiment

『Milgram Experiment』、つまり「ミルグラム実験」は、人間に内在する悪や凶暴性を探る実験だけれど、それは僕が心理学と地政学の本を読み始めた15歳頃からずっと考えている永遠のテーマのようなものだね。「ミルグラム実験」はいかに日常に悪が潜んでいるかということを証明する実験だと思うけれど、僕にとってはもっと複雑な問題だね。

このトラックはアメリカで行われたこの実験に刺激を受けて制作した。僕がこの実験についての本を読み終えた時に感じた、閉所恐怖症のような感情を音楽として表現しようとしたものなんだ。僕は刺激や影響を受けた素材(サンプル)をトラックに持ち込んで、判別できないようになるまで加工して使うことが多いけれど、今回は素材をそのまま残すことにした。

トラックを通じて繰り返される象徴的なフレーズのひとつに“I was losing my identity”というのがあるけれど、権威側から特定の行動(悪い行動)を取るように命令され、それに従った場合、唯一の言い訳は「何が起きていたのか知らなかった」というものになる。命令に従うしかない状況下で「自分を見失っていた(I was losing my identity)」というわけだ。

こういう状況は自分の身の回りに常に存在している。単純にそれが表面化していないだけ、または自分に与えられている許容範囲が大きいだけなんだと思う。これは極端な検閲だけの問題ではないよ。ちょっとした文化的な違いにも潜んでいる。このトラックではこういう考えを感情的、音楽的に示そうとしたんだ。

Lucy - Follow the Leader

曲のタイトルは非常に重要だと僕は考えている。Stroboscopicと契約するアーティストの多くは「何でもいいよ。適当に決めてよ」と言うけれど、僕はそういう決め方をしない。何故なら、言葉は非常に強力だし、聴く前に目に入る、いわば導入部のようなものだからね。リスナーに対して彼らがこれから楽しむ景色を見せると同時に、その景色の範囲も示しているんだ。

このトラックの重要な要素のひとつに、エレクトロニック・ミュージック、特にダンスミュージックにおける儀式的な側面がある。これは僕にとって非常に大切なんだ。音楽は常にスピリチュアルな部分と関わってきたと個人的には思っている。近代音楽-近代クラシックも含めての近代音楽-は、スピリチュアル・ミュージックとしてスタートした。その部分は今でも変わっていないと思う。僕たちは儀式を今でも大切にしているんだ。

人は音楽に没頭すると、穴に入ると言うか、唯我論的な個人体験を得る。でもそれは周囲の人間たちがそういう経験をさせてくれているとも言える。逆を言えば、ダンスフロアに自分ひとりだったら、決して同じような体験は得られないと思う。

儀式的な音楽というイメージが随分昔の存在に感じても、儀式的でスピリチュアルなアプローチは今でも存在している。パフォーマーを祈祷師と言い換えることもできるだろうね。何故なら没頭してパフォーマンスしている時は、その場にいる集合体が生みだす強大なエネルギーを上下左右と好きなようにコントロールしているからだ。クラウドがパフォーマー側をリーダーに据え、エナジーのコントロールに関する権利と任務を与える。少なくともマジックが生まれるパーティーはこういう状況にあると思う。唯我主義、個人、そして集合体はこのような儀式的な状況では強く結びついてひとつになっている。だから社会生活では儀式が重要なんだ。なぜなら、儀式とは個人と集合体が触れ合える場所で、そのふたつがひとつになる場所だからだ。



 

Zeitgeber - These Rhythms

ZeitgeberはSpeedy Jと僕とのプロジェクトで、実は偶然スタートしたんだ。最初からやろうとしていたものではなかった。Speedy Jがロッテルダムの彼のスタジオでセッションしようと僕を招いてくれたことが発端なんだけど、初日が終わった時に僕たちはこれがただのジャムセッションではなく、もっとスケールが大きい、しっかりとしたトラックが生まれるような感触を得た。そのあとは、基本的に何でもありのアプローチで臨んで、ひたすらジャムを続けた。

『These Rhythms』は自由なアプローチでスタジオに入ると何が生まれるかを示した良い例だと思う。何も境界線も制約もない場合は、ダンスさせる必要もなく、楽しませる必要もない。フィードバックを得る必要もないし、リリースの必要すらない。僕たちは何も考えないでトラックを作って、その後で「このトラックをどうしようか?」と考え始めたよ。




Dadub - Transfer

Dedubのアルバムはかなりの時間がかかった。このアルバムについては、レーベルを設立した年から色々考えていたと思う。Dadubがトラックを送ってくれた時にこのアルバムの形が見えたんだけど、そこから何回も変更があった…。でもそれは別に悪いことじゃないと思うことにした。変更のたびにサウンドが豊かになっていったからね。どんどんレイヤーが足されていく感じだった。

“Transfer” は最後に仕上がったトラックのひとつで、Dadubのスタジオの上にスタジオを持っているKing Cannibalが参加している。ちなみにDadubのスタジオの上に僕のスタジオがある。3人のスタジオが同じ建物の1階から3階まで続いているんだよ。仕上がった作品はワイルドでパワフルだった。エナジーがみなぎっているね。様々な視点から楽しむことができる作品だ。そういう意味では稀有な作品だと思う。

Xhin - Teeth

僕のファーストアルバムが最終段階に入っている時にXhinがこのトラックが入ったアルバム『Sword』を作った。当時はすべてが密接に絡み合っていたんだ。初期Stroboscopicは全員がファミリーみたいなものだったし、Xhinはレーベル初期にリリースしたアーティストのひとりだから、僕たちの関係は人間としても、アーティストとしても凄く強かったんだ。アルバムはDadubのアルバムとはアプローチが完全に違うね。要するに僕はそこまで関わっていない。Xhinはどちらかと言うと、「自分のやり方でやる。終わったら聴いてくれ」というタイプだから、アルバムをどうするかという話はほとんどしなかった。当時のその感覚がこのアルバムでは得られると思う。凄く力強い作品で、彼との対話のような作品だ。





Lakker - Valentina Lane

「Valentine Lane」はビートを抜いても、浮遊感だけで素晴らしいトラックとして成り立つだろう。感情を人に呼び起こすようなトラックで、ロマンティックでさえある。このハーモニーにはポップなセンスさえ感じるね。そしてビート。力強いけれど、完全に狂っていて、テンポもずれていく。でもそういうダンスミュージックというルールの中で遊んでいる感じが気に入っている。僕が踊りたくなるような、そして家でも聴いていたいようなトラックだね。

僕はアーティストが-ユングの言葉を借りて言えば-音楽における「元型」で遊んでいる感じが好きだ。明確に定義できるものではないけれど、たとえば自分が生み出したアンサンブルに対し、昔から知っている作品のように感じるような部分だ。僕にとって面白いアーティストというのは、その「元型」を取り出して、そこを変えられる人だね。

Kangding Ray - Oise

この作品はレーベルがアーティストから学ぶ、そしてその逆もしかりという一例だね。『Monad XI』をリリースする前、Kangding Rayはダンスミュージックとは完全に違う音楽を作っていた。でも彼はこの作品で自分自身へのチャレンジをしようとしたんだと思う。なぜなら、『Monad XI』は変則的ではあるけれど、僕から見ればクラブトラックに対してかなりしっかりと取り組んだ作品だからね。特に「Oise」はKangding Rayのサウンドでありつつも、レーベルの色に合っている。すべてがレーベルらしく、すべてがアーティストらしい-これがレーベルにとって魔法が起きたと思える瞬間なんだ。


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Chevel - Fulcron

これは『Monad』シリーズの最初の作品で、まだコンセプトもしっかりと決まっている時ではなかった。Chevelは若いアーティストで、多分当時20歳だったと思う。彼の音楽はすごくワイルドで、妥協していないストレートな作品だった。それを聴いた僕は「これをリリースしたい。でもヴァイナルリリースをしているメインの作品とは少し違う。どうしよう?」と思ったんだ。

そこで僕は4曲を選んだ。2曲は分かりやすいストレートなトラックで、1曲はブロークンビート、そしてもう1曲はドローン的でエクスペリメンタルなトラックだった。これらは当時の僕がテクノに感じていた3つの側面-言い換えれば僕の中で生まれつつあった3つの側面だね。アーティストが自分の作品に内在するダイナミクスに気付いていない場合があるけれど、それは良いことだと思う。そういう無意識が逆に作品を強くする。そしてそういう作品をリリースするのがレーベルとしての僕の役割なんだ。「このワイルドで強烈な作品をより多くの人たちに届けよう」ということだね。

Rrose - The Stare

これはテクノの心理音響的なパワーを最も素晴らしい形で示した作品のひとつだと思う。僕はDJセットのピークタイム、あとは個人またはグループでの瞑想時に使っている。Rroseはミュージシャンとしてのキャリアのハイライトを迎えていると思う。この作品のフィードバックは凄まじいものがあった。初めてこのトラックを聴いた時は僕自身も凄い衝撃を受けたけれど、このトラックを発表した時の反応は凄かったよ。エレクトロニック・ミュージックに対するエクストリームなアプローチだと思う。このアプローチは90年代のPlastikmanを想起させるね。


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Plaster - Seber / James Ruskin - Cast Down

Stellateシリーズはスペシャルだ。Stroboscopicには常にレフトフィールドなテクノに対するスペースが残されているんだ。このシリーズは完成した絵画ではなく、沢山の絵の具が置かれているパレットにフォーカスしているけれど、この2曲はこのシリーズの2つの両端を示している。Plasterの「Saber」はディテールが細かく、はっきりとしている。一方James Ruskinの「Cast Down」はベーシックでシンプルだ。このシリーズにおいて 高度なテクニックは関係ない。曲のムードだけを重視している。インド音楽のラーガのようなものというか、音楽そのものよりもその色彩を重視しているんだ。この2曲はその幅を示す意味で選んだ。