十一月 17

Le Pulp:ダンスと政治

RBMA PARIS 特集 PART 8:パリのLGBTコミュニティの社会認知に大きく貢献した伝説のクラブの歴史

By Didier Lestrade

 

パリのグラン・ブルヴァール駅周辺には、この街のクラビングの中心地に求められる条件がすべて揃っている。このエリアはパリ市内中心部に位置し、メトロ(地下鉄)でのアクセスも簡単だ。しかも、すぐにでも大型クラブに転用できそうなコンサートホールや映画館が数多く存在している(実際、40年前にはLe Palaceが、そして30年前にはRex Clubがこうした劇場を転用して誕生している)。この商業地一帯のオスマニアン様式の建物(訳注:19世紀中期頃からのパリの都市改造計画に伴って建てられた建築物。代表的な建造物としてはパリ・オペラ座が有名)は、昼夜を問わず画一化された味気ない佇まいだが、このグラン・ブルヴァール周辺のムードを一変させただけでなく、パリのクラブカルチャーさえも変えてしまったある一軒のクラブがあった。

 

のちにパリの音楽とアートに新潮流を生み出すレズビアンのグループによって1997年に立ち上げられたそのLe Pulpは、現在でも多くの人々がその名を話題にするパリ市内屈指の伝説的クラブだ。有り体に言ってしまえばなんの変哲もない、暗く、そして天井の低い空間にラフなサウンドシステムが備わっているだけのヴェニューだが、20世紀末からの激動の10年間に渡り、Le Pulpは他のどのクラブよりもシームレスな変化を遂げてきたが、その最大の功績は、従来の社会規範にとらわれないこの女性たちの集団の登場でフランスにおけるレズビアンの社会認知を変えたという点になるだろう。これまでLe Pulpを舞台に繰り広げられてきた、この女性たちによる泥臭くも素晴らしい格闘の歴史に刻まれた数々のエピソードは繰り返し語られてきた。

 

Le Pulpの登場以前まで、フランスのクラブシーンのゲイとレズビアンの断絶は非常に大きいものだった。ラテン語圏や英語圏の国々に行けば、ゲイとレズビアンのコミュニティは明確に分断されているのが分かるはずだ(その他の国々における彼・彼女たちのコミュニティのスピリットには遥かに大きな連帯感がある)。そして、ここフランスでも、ゲイとレズビアンの間には明白な壁があったのだが、その壁を打ち壊し、双方に等しく門戸を開いたクラブがLe Pulpだった。ここでは、ゲイやレズビアンのみならず、どんなセクシャリティでも受け容れられた。このクラブがフランスのLGBTコミュニティにおいてもたらしたインパクトの大きさは、今なお注目に値するものだと言える。

 

啓示

 

1998年ごろの『Têtu』(フランスのゲイ雑誌)の表紙いっぱいに写ったLe Pulpの女性クルーたちの写真を、私は今でもはっきりと憶えている。かくいう私も、その撮影場面に立ち会っていたからだ。Lで始まる言葉(レズビアンの世界を示す隠語。使い古された言い方だが、事実としてそう書いておく)の世界の8年先を行っていたこの若くセクシーな女性グループはクールかつ知的で、それでいてファニーだった。彼女たちを見ているだけでも驚嘆そのものだった。当時私は40代に近づこうという年齢だったが、若き日の私自身が夢中になった80年代ロンドンや90年代初頭のニューヨークのチェリーグローヴにおけるオルタナティブなレズビアンのヴァイブと同種のものをようやくここパリでも見つけることができたという感慨があった。Le Pulpはついにインターナショナルなレズビアンカルチャーとパリを結びつけることに成功したのだ。それまでずっと空欄だった部分がようやく埋められたようなものだった。

 

フランスのように分断化された社会では、レズビアンのように常にマイノリティの立場に置かれているコミュニティの基本概念は、社会全体との対立が強いられる。そんな中、Le Pulpを率いるレズビアンたちは、あらゆる民族やセクシャル・グループを混ぜ合わせることで従来のクラブ業界における不文律を打ち破った。Le Pulpは、それまでパリ市内のどこのクラブでも居場所がなかった、あらとあらゆるはみだし者たちを一手に受け容れたのだ。店内は到底小綺麗とは言えず、天井も低いので見栄えはお世辞にも良くなかったが、それはむしろ現代的なパンクスピリットを体現していたとも言えるだろう。その独特のラフな雰囲気は、ここでパーティを開催するオーガナイザーやDJたちにある種の文化的なステイタスを与えた。

 

フェミニストのためのクラブ

 

Luis-Marcel GarciaがResident Advisorに寄稿した『An Alternate History of Sexuality in Club Culture』という記事で、Jennifer CardiniがLe Pulpのポリシーを賞賛してこんな言葉を残している。「女の子たちがみんなで集まってレズビアンとしてセクシーに楽しめる場所を作りたかったの。同時に、男の子も行きたいと思える場所にしたかった。彼らがちゃんとわきまえた行動をすればだけど」

 

そう、「わきまえた行動」が重要だ。男性が女性だけのクラブに入るのは、黒人クラブに入るのと等しい。つまり、彼らはマイノリティの側になり、男性として自らの行動を自律的に判断しながらこの空間への接し方の最適なバランスを計らなければならない。無作法な振る舞いは絶対に禁物だ。このような場合、男性は「征服する側」ではなく、「征服される側」へと立場が逆転する。マイノリティであることがどういうことなのかという観念を完全に理解するために、こうした行動レッスンは多くの人々が経験すべきものだろう。

 

 

Le Pulpはそうしたレッスンを10年にも渡り繰り広げていった。このクラブはレジデントDJのChloéやSex Toyと共に、パリのクラブシーンにおいてそれまで見過ごされ続けてきたフェミニズムの必要性を広め続けてきた。そして、その揺るぎないポリシーはFany Corral、Jennifer Cardini、Axelle Le Dauphin、La Chochaといった屈強なパーソナリティを持った女性たちの一団が推し進めており、彼女たちとは揉め事を起こさないのが身のためだった。

 

Le Pulpは労働者階級に属するレズビアンたちのために存在しながらも、このようなクラブに懐疑的なジェットセッター(この表現に悪意はない)さえも惹きつけ、楽しませ、ドラッグを摂取させ、しばしばそのダークなムードに耽らせたクラブだった(よって、2002年にSex Toyが死去した際は、Le Pulpはもとよりパリのレズビアンコミュニティ全体に悲劇的なムードが覆い被さった)。このクラブは、モダンでアート的感性に富んだ、すこぶる酒癖の悪いフェミニストたちの避難所のような機能を果たしており、それゆえにこのクラブを取り巻くすべてのものは政治的な素地を帯びていた。

 

ヘテロセクシャルとの架け橋

 

このクラブを伝説的な存在に押し上げたのは、このクラブが推し進めた男性客との先進的な融合方針にある。フランスのウェブマガジン『Tsugi』 においてMimi Cassaro(現在はRosa Bonheurと名乗る)がLe Pulpの黎明期に関する記事を投稿した際、彼女はScratch Massive(トラックメイカー/DJ)、Fabrice Desprez(DJ)、そしてGuido Minisky(トラックメイカー/DJ)の3人の男性たちこそLe Pulp初期の立役者であるとした。また、Sex ToyとIvan Smaggheという斬新な組み合わせは、Le Pulp独特の音楽性を方向付ける重要な基軸となった。

 

レズビアンとヘテロが一緒になり、これほどオルタナティブでダークな、メインストリームに媚びないサウンドを作り上げたことはかつてなかった。1997年はグラン・ブルヴァールからもほど近いヴェルサイユを発火点にしてフレンチ・タッチ旋風が巻き起こり、フランス産のダンスミュージックが各国のポピュラー音楽シーンを席巻したが、Le Pulpはそんなブームはどこ吹く風といった風情で自らのポリシーを崩さず、LGBTコミュニティにとって明らかに快適とは思えない音楽(フレンチ・タッチ・ブームはその軽薄さが彼女たちには好まれなかった)を取り入れようとしなかった。Le Pulpでは、タフなストリートの匂いを感じさせる、より冷たく、よりグルーヴィなテクノが好まれ、やがてベルリンで爆発するアンダーグラウンドシーンとも呼応していった。

 

クラブの音楽性がラディカルなナンセンスと多種多様なライブを織り交ぜたものへ変化していっても、Sex ToyとSmaggheのアイディアが融合して築かれたこの血気盛んで一筋縄ではいかない根本的なスピリットが変わることはなく、それはLe Pulpが閉店した後も残り続けた。パリで発行されているファンジン『Barbieturix』はLe Pulpが閉店となった今でも折に触れてLe Pulpについての記事を組み、その建物や落書きに覆われた壁の写真を掲載している。

 

AIDS時代の終わりの始まり

 

フランスのゲイ/レズビアンカルチャーにおいて「Le Pulp」の名は特別な意味を持ち続けている。このクラブが残した影響は、今でもパリ市内の彼ら・彼女たちの会話の端々から感じ取れる。だが、Le Pulpがオープンした1997年当時がHIVのトリプル・セラピー(訳注:HAART療法、カクテル療法としても知られる。複数の抗HIV-1薬を各人の症状・体質に合わせて組み合わせて投与し、ウイルスの増殖を抑えAIDSの発症を防ぐ治療法)が確立された時期と重なっていることを認識している人は少ないはずだ。この治療法は、HIV治療における希望の光となり、今ではAIDS拡大の恐怖をすっかり記憶の彼方へと押し流してしまった。まさにあの当時は、ゲイ/レズビアンにとって生きる希望が再生した時代だったのだ。AIDSの恐怖に晒されていたそれまでの暗い時代、レズビアンたちは寛大な精神で互いに肩を寄せ合い、AIDSに対する意識向上を訴えるムーブメントや抗議活動に積極的に参加していた。

 

私自身は、Le Pulpへは数回足を運んだだけだった。当時私はAct Up(訳注:「AIDS Coalition To Unleash Power/開放のためのエイズ連合」の略。1987年にニューヨークで発足したAIDSアクティビスト団体で、AIDS患者への不当な扱いや差別の撲滅をその活動の目的とした)の活動にほとんどの時間を捧げており、その治療法に関連した仕事を多くこなしていたからだ。しかし、Le Pulpの存在は私たちの頭上にずっしりと覆い被さっていたAIDSという暗雲から束の間ながら解放してくれていたように思う。私自身、当時はその暗雲に囚われていたのでそれが手に取るように分かる。2000年代初頭の自分の写真を改めて見ると、私はまるで死人のような顔をしていた。

 

2000年、私は数人の友人たちと共に自分たちの手でK.A.B.P.というクラブを立ち上げた。K.A.B.P.はあらゆる点でLe Pulpの延長線上にあるクラブと言っても良い。私たちは、Le Pulpと同じく、あらゆるセクシャリティを包括的に受け容れることをポリシーとした。なぜなら、自分たちがハッピーだと感じるような空間を作るためには、男性と女性の両方の存在が必要だと理解していたからだ。

 

 

スクワットをしながら輪になってファランドール(訳注:フランスのプロヴァンス地方やスペインのカタルーニャ地方に伝わる民俗舞踊。Georges Bizet作曲による舞曲が広く知られる)を踊るかのように、Le Pulpはパリのアヴァンギャルド・ノクターナルの最前列に立っていた。当時のLe Pulpの様子を窺い知れるYouTubeの映像はごく限られているが(YouTubeにアップされている映像ではMiss KittinやIvan SmaggheがLe PulpでDJする様子や、FanyがThe Clashの曲をかける場面、またJennifer Cardiniの姿も確認できる)、必見と言えるのはこの1998年Gay Prideで思いのままに自分を表現しながら踊る彼女たちの姿だ。

 

筆者紹介:Didier Lestradeはジャーナリスト兼作家として執筆活動をする傍ら、AIDSへの偏見や差別を撲滅する運動への参加やAct Upの設立などにも積極的に参加している。