十一月 18

INTERVIEW: 町田康

INUのフロントマンから芥川賞作家へ 町田康のパンク・スピリット

By Yu Onoda

 

Patti SmithやTom Verlaine、Richard Hell、Nick Caveなど、パンク、ポスト・パンク・シーン出身で、詩人、小説家としての活動を行っている音楽家は数多いが、町田康のように小説家として大成したミュージシャンは数少ない。

 

1981年にパンク・バンド、INUのフロントマン、町田町蔵として、日本のロック史に残る名作アルバム『メシ喰うな!』のリリースによって、関西の音楽シーンから登場した当時19歳の彼は、その音楽性が高く評価されたものの、商業的な大成功を収めることなく、その後も幾多のバンドを作っては壊して現在まで活動を続け、オファーを受け、俳優として数本の映画に出演したこともある。しかし、その音楽活動、とりわけ歌詞のフィールドにおいて、強度の高い言葉遊びや突飛な表現の追求を通じて、その言語感覚を研ぎ澄ませてきた彼は、1992年に発表した最初の詩集を足がかりに、その4年後に処女小説『くっすん大黒』で小説家デビュー。2000年には短編小説『きれぎれ』で、日本で最も有名な文学賞である芥川賞を受賞したほか、現在に至るまで、数々のオルタナティヴな作品を多数発表している。

 

そして、今年、彼が2004年に発表した初の時代小説『パンク侍、斬られて候』(“Punk Samurai Slash Down”)の英語版が発表された。江戸時代を舞台に、主人公である牢人が、サラリーマン社会の縮図のような藩と奇妙な新興宗教団体である「腹ふり党」の争いに巻き込まれるというストーリーが展開されるこの作品は、国境や時間軸が平然と取り払われ、John LennonやBob Marleyの話題が飛び交ったかと思えば、言葉を喋る猿や念力の使い手が登場したりと、読者をカオス空間に誘ってゆく。

 

そんな破壊的かつ荒唐無稽な世界を描き出す作風をして、人は彼のことをパンク小説家と呼ぶが、音楽の世界において形骸化したパンク・スピリットは日本の文学界において、いまだ生き続けているのだろうか?それとも、切れ味鋭い日本刀のような言葉によって一刀両断されてしまったのか。日本では10年前に発表された作品を前に、52歳となった小説家、音楽家の町田康が語る。

 

 

もともと、町田さんは音楽と文学、どちらの洗礼を先に受けて、育ったんですか?

 

ピアノを習っていたとか、音楽に囲まれた環境で育ったわけではなかったですし、自分で始めるまで音楽にはそこまで興味はありませんでしたから、やはり、文字の方が先にあったと思います。実際、子供の頃から童話とか偉人伝とか、そういった本を読むのは好きでしたし、当時はどの街にも個人経営の小さい書店は沢山ありましたから、そういうところで面白そうな本を選んで、小説に限らず、ノンフィクションや歴史的な子供向けの読み物とか、そういったものを偏りなく読んだりしていましたね。

 

INUの前身バンド、腐れおめこは高校生の時に結成されたんですよね?

 

周りにはロックを聴いている人が今ほどいなかった時代でしたから、ロックを聴くこと自体が他とは違う趣味というか、風変わりな、マニアックなものだったというか。だからこそ、ロックに惹かれたんだと思います。当時、音楽の情報を得る手段は限られていたんですけど、少ないなりにテレビやラジオでロックを紹介する番組が関西にはあって。(音楽誌『ROCK MAGAZINE』を創刊した音楽評論家)阿木譲さんがロックを紹介していたテレビ番組『POPS IN PICTURE』とか、そういう番組を観たり聞いたりしていました。

 

同級生と差別化を図るための趣味というには、パンク・ロックの登場は相当に衝撃的だったのではないかと想像するのですが。

 

そうですね。パンク・ロック以前は普通にLed ZeppelinやPink Floydなんかを聴いていたんですけど、パンク・ロックは自分でバンドを組む直接のきっかけになりました。それ以前、バンドを組むには、ある程度、技術や知識が必要とされていたんですけど、パンク・ロックの登場でその垣根が一気に下がったんですよ。しかも、つたないバンドでもリリースされたレコードが海を越えて、西新宿の輸入レコード屋に行けば、普通に手に入るようになりましからね。その変化はかなり大きかったですね。

 

 

そして、Chuck Berryをはじめとするロックンロールに影響を受けた腐れおめこは、2年後にINUに改名。そして、音楽性も変化していったと。

 

そうですね。当初、ロックンロール的なものをやってたんですけど、それがあまりに下手すぎて、めちゃくちゃな演奏になっていて。大学生だったり、ものすごいマニアックな音楽を聴いている人たちが、その演奏を面白がって、「これ、Captain Beefheartみたいだよね」って誤解して(笑)。「Captain Beefheartって何ですか?」って言ったら、アルバムをテープに録音してくれたりして、そういった偶然の出会いもあって、バンドの音楽性が変化していったんです。

 

1981年、19歳の時にリリースされたINUのデビュー・アルバム『メシ喰うな!』は、ジャーマン・ロックやPiL (Public Image Ltd)の影響が感じられるポスト・パンク的な作品ですよね。

 

パンクって、シンプルな音楽ですから、演奏してても、聴いてても、すぐ飽きてくるじゃないですか(笑)。当時はピュアにそればかりやっている人もいたんでしょうけど、周りにはちょっとおかしな人間が多かったんで、恐らく、僕らだけじゃなく、周りもみんな、「これをずっとやっててもな……」って思ったんじゃないですかね。

 

アルバム・リリース時のインタビューによると、当時、パンク以前のアンダーグラウンドなフォーク、三上寛さん、友部正人さんの音楽を聴いているという発言がありましたが、フォークのリリックから受けた影響はあったんでしょうか?

 

そうしたフォークを聴くようになったのはアルバム・リリース後なんですよ。当時の僕は自分の歌詞に価値があるとは思っていなかったんですけど、その一方で日本のフォークやロックにおける歌詞の多くが紋切り型というか、ロック的価値観とかフォーク的価値観の範囲の中だけで歌詞書いてる感じがして、つまらなく感じていたし、その範疇で描かれた歌詞は英語詞を翻訳したような、なまった文体が気持ち悪く感じられたので、歌詞を書く際にはなるべく自分の言葉で書こうとはしていたんです。そして、レコード・デビューした際に、当時のディレクターから「君の書く歌詞はなかなか面白いね。こういう音楽を参考で聞いてみたら」と言われて、そこで初めて、三上寛とか友部正人といったアンダーグラウンドのフォークを聴いて、すごく面白いと思ったんです。

 

 

その後、活動を続けるなかで、町田さんは英語詞を書いたり、そのフォーマットを模倣するのではなく、自分らしい言葉使い、日本語詞ならではの表現に目覚めていったと。

 

そうですね。外来の文化を取り入れる、そのやり方や距離感は、日本人にとっては根の深い問題だと思うんです。僕らも最初は外国のロックを聞いて、その真似から始まっていますし、日本の現代詩も、もともと、短歌や俳句、漢詩に取り組んでいた人たちが、明治維新以降、例えば、Baudelaire(ボードレール)だったり、そういった海外文学の流入に衝撃を受けて、自分の思考や感情を西洋的な文面に無理矢理合致させていったところもありますからね。それが全部悪かったかといったら、今の日本の科学技術や生産力、経済について考えると、そんなに悪いことじゃなかったと思うんですけど、その一方で「何か違うんじゃないか」っていう違和感はどんなジャンルでもあると思うんですよ。音楽もそうですよね。ロックを自然なものとして受け入れられる今の若い世代に対して、僕らはまだちょっと無理してやっているところがあった世代ですし、70年代の初頭に「日本語でロックを歌うべきか、英語でロックを歌うべきか」という日本語ロック論争があったように、突き詰めて考えると、文化的には分裂しているところがあるし、その分裂は自分の中にもあるんです。その矛盾を自分なりに引き受けながら、少しでも無理のない表現にしていきたいと思っているんですけど、無理して邦楽や短歌の勉強しなくとも、例えば、1000年前に書かれたものに理解出来る部分があったりしますし、落語にしても、現代に活きている部分はありますから、もし、そういう近代以前の要素が自分の中から出てきても、「これはロックだから合わない」と思わずに、どんどんミックスしていこうとはしていますね。

 

INU以降の町田さんは、80年代から処女小説『くっすん大黒』が刊行される97年まで、数々のバンドで活動しながら、音楽活動を続ける一方で、俳優として、映画『爆裂都市 BURST CITY』(1982年公開:石井聰亙監督)や『エンドレス・ワルツ』(1995年公開:若松孝二監督)に出演したり、詩集『供花』などを刊行されたりしていますよね?

 

そうですね。当時は、例えば、元気がないから、ちょっと元気が出る音楽が聞きたいとか、今のような形で音楽が消費されていませんでしたからね。そういう需要があれば、ミュージシャンとして色んな食い扶持があったんでしょうけど、あの頃はそういうものがなかったですから、思考や感情を曲として、あるいは歌詞、歌として表現したいという気持ちだけで、それ以外は特になにもなかったと思います。俳優も詩集も、自分から持ちかけたわけではなく、頼まれたからやっただけです(笑)。俳優の仕事にしたって、大監督の大作への出演オファーがあるわけじゃないし、簡単に言えば、仕事になってないわけですよ。それに詩集を出したからといっても、日本のほとんどの詩人は生活の糧が学校の先生だったり、他の仕事だったりするのが現状ですから、仕事というのもちょっと違う。そういう意味で、結果的に小説の執筆は、自分にとっての生業になりましたけど、小説は書くのにある程度時間かかるじゃないですか。中編小説は年にせいぜい2本か3本くらいしか書けませんから、なかなか仕事にはならないですよね。でも、自分でも全く予期していなかったんですけど、小説を書くこと自体が好きだったんですよ。色んな関係性や制約のなかで作り上げるバンドや映画制作に対して、小説は一人の作業ですし、時間的な制約もない。そして、頑張れば、やろうと思ったことが可能性としては100%出来ますから。

 

 

そして、その後、芥川賞を受賞した2000年の作品『きれぎれ』をはじめ、数々の作品を発表されていますが、2004年の『パンク侍、斬られて候』は町田さんにとって初の時代小説であり、今年4月にその英語版がイギリスから刊行されました。この作品はどのような着想から執筆されたものなんでしょうか?

 

一つには時代小説にしようということ。それからもう1つあったのは……というか、常に小説書いてる時、自分のど真ん中にあるのは、その時々の自分が一番考えていることだったりするんですけど、それは1つ1つのシーンやストーリーがどうこうということではなく、「これはどういうことなんだろう?」っていう抽象的なことだったりするんですね。そして、『パンク侍、斬られて候』を書いている時、その真ん中にあったのは、「嘘と本当のこと」。今の世の中、現実とフィクションはきれいに分けて考えられないじゃないですか。一応分けられてはいるんだけど、分かれていないというか、現実とフィクションが近づいたり、離れたりしていて、その間で生身の人間がいろんな意味で引き裂かれたり、混乱したり、揉めたりしている今の世の中の状況に対して、これはどういうことなんだろう、と。例えば、法律や道徳が一応の基準になっているんだけど、法律はそこまで厳密に運用されているわけではないし、ある人間が道徳的に振る舞っていても、別の人にとって、それは不道徳な振る舞いに見えることもある。そういう状況を前に、人間社会はそういうものだという話になったりすると思うんですけど、そのことがすっきり理解出来なくて、「世間」についての研究をしている大学教授、阿部謹也先生の講演を聞いたり、自分なりに突き詰めて考えたんですけど、そうすることで分かったこともあり、それでもなお分からない部分もあって、そうした思索が作品の着想です。それ以外の具体的なことは何も決めず、執筆に取りかかりました。

 

執筆にあたって、時代小説という枠組みを最初に設定したのはどういう理由なんですか?

 

僕、時代劇が好きで、テレビの時代劇ばかり4年くらいずっと見てた時期があるんですけど、時代劇は厳密な時代考証に基づいて作ったら絶対に現代のエンターテインメントとしては成立しないし、時代考証的な視点で捉えると、嘘と本当がぐちゃぐちゃに混ざっている。だから、自分の真ん中にある「嘘と本当のこと」を描くには、時代小説が向いているんじゃないかなって思ったんです。

 

もともと、町田さんは音楽の世界と小説の世界を混ぜることに対して自覚的ですよね。この作品に出てくる新興宗教の「腹ふり党」は、町田町蔵名義の1992年作アルバム『腹ふり』と同じ名前ですし、このアルバムに収録されている「浄土」という曲も、小説を彷彿とさせる「腹ふり」の描写が描かれています。

 

しかも、『パンク侍、斬られて候』を発表した翌年には「浄土」という短編集も出していますからね。そうやって一つの言葉を音楽と小説の間で行き来させることで、別の側面を持たせることが出来るのは、音楽と小説を両方やっているからなんですよ。この小説では、さらに今の若者がしゃべってるような現代の言葉と、時代劇で侍がしゃべってる様な言葉、あるいはもっと古い言葉とか、そういう壁を取っ払って一つにまとめていますし、その手法は今でもよく使います。

 

さらに江戸時代の話なのに、John LennonやBob Marleyが登場したり、国境や時間軸も平然と取り払われていて、読者はその混沌に巻き込まれていきます。

 

ちなみに腹ふり党の狂乱は、ロックフェス的な雰囲気をちょっと入れてあるんですけどね(笑)。

 


個人的にはレイヴを思い浮かべたり、腹ふりの動きからして、激しく腰を揺らすダンスホールレゲエの踊りをイメージしました。

 

そういうニュアンスをちょっと取り入れたりとか、色んなことをやって遊んでいるんですよ。時代小説というと、うんちく語り芸や「事実は実はこういうことでした」芸、あるいは現代が複雑、高度化してしんどいから、シンプルな江戸情緒に浸らせてあげる芸なんかがあったりしますけど(笑)、この小説ではそういうことを一切やってませんから。本を何十万部も売ろうと思ったら、そういった芸を披露する小説がいいと思うんですけど、僕はやろうとしても出来ないので、やっていないという。だから、僕の読者は若い人が多くて、年を取ると、だんだん疲れてきて、なかなかついてこない(笑)。でも、そんなこと言ってもしょうがないので、ガンガンいくんですけど、自分自身、だんだん疲れが出てきたなということもあります。ずっと時代に逆らって、その時代の主流には絶対いないようにしてたというか、入れてもらえないんでね(笑)

 

そのスタンスにこそパンク・ロックをルーツに持つ小説家のスピリットがあると。『パンク侍、斬られて候』で描かれている「嘘と本当のこと」しかり、町田さんの作品は、固定観念や先入観をあぶり出しては壊す作業を延々とやられていますよね。

 

そうですね。わーって盛り上がってると、「それは違うんじゃないか」と、本能的に、反射的に思ってしまうし、多数決の多数は絶対間違っていると思ってしまう。まぁ、少数派のあがきですよね。でも、若い頃、感覚的にやってきたことが、時代が変わって、冗談ごとではなくなってきたように思うんですね。高度経済成長期で、みんなの生活が良くなっていった日本も今は政治的、経済的に衰えてきているし、世界的に色々難しいじゃないですか。さらに自分も年を取って、衰えていっているし、そんななか、文化的な少数派でいることは難しくなってきている。だから、「パンクは、はよ死ね!」ってことなんですよ。長生きしたパンクほど、無残なものはありませんからね。

 

かつての日本には、テレビや五大新聞のような主要メディアが一方的に流す情報を盲目的に信じていた時代がありましたが、今はインターネットだったり、色んな情報にアクセス出来るようになったことで、どうも、その全てが真実ではなさそうだという認識に変わりつつある。ただし、インターネットの情報も真偽が定かではなかったり、陰謀論が含まれていたり、何が本当で、何が噓なのか、判別がますます難しくなってきていますよね。

 

まさにパンク侍的な世界ですよね(笑)。

 

そういう現代において小説というフィクションを成立させるのは非常に難しいものがあるようにも思うのですが、町田さんはフィクションの可能性についてどうお考えですか?

 

ちょっと前まで、みんな、善悪はかっちり別れるものだと信じてたじゃないですか。でも、そうでもないらしいということがだんだん分かってきて、時と場合によって、善悪が反転したり、善と悪の2つじゃなく、8つくらいに分かれているとか。そういう意味で、単純な判断基準のもとで描かれたものは面白くない。でも、混沌としているからこそ、人間の生活や感情、思考なんかを書く場合はより面白くなるんじゃないかなと。そして、そのために重要になってくるのが、言葉の力だと思うんですよ。コピーライターが書いた言葉、単に分かりやすいだけとか、明快なだけじゃない、本当の意味での言葉の力。そういう言葉そのものの力、文章そのものの力が必要になってくるんじゃないですか?

 

 

そのお話を受けると、愚問かもしれませんが、ミュージシャンとしての町田さんは、音楽の力、ロックの力について、どう思われますか?

 

はっきり、「これは善です」とか「これは悪です」と、社会が決められなくなってくると、ロックなんて成り立たないですよ。ロックって、善と悪がないと出来ない音楽ですから。今のロックなんて、ロックという演劇にすぎないですね。もし、そんな古い価値観にこだわっている人がいるとしたら、そういうふりをしているか、古い善悪の型にハマってしまって、それ以外の発想が出来なくなってしまっているかのどちらかでしょうね。自分で考えなくても、自動で良い答えが出てくるのなら、すごい楽ですよね。でも、今の若い人はカウンターもなにも気にしないで、単に心地よい音楽を作ってる人の方が多いんじゃないかと思うんですけどね。

 

1977年にパンク・バンド、INUを結成してから40年近い歳月を経て、果たして、町田康はパンク侍、パンク小説家と呼んでいいんでしょうか?

 

それこそ、80年代初頭に一回終わったニューウェイブをまた見直ししようという趣旨の「ニューウェイヴ・ルネッサンス」というイベントが原宿であって、当時、Rough Tradeの社長、Geoff TravisがINUのライブ見に来たんですよ。そこで彼は、「いまどき、パンクなんかやってるのはニューヨークと東京だけだ」って、吐き捨てるように言ったんです(笑)。でも、その言葉はそっくりそのままお返ししたいですね。僕は一番まともなこと……まぁ、自分でまともだと思っていることをやっているつもりなんですけど、枠のなかで芸を競うのが小説家であるという一般的な認識に抗っているという意味で、僕のことをパンク小説家と言うのであれば、そう言ってもらっても全く構わないです。ただ、自分では普通の小説家だと思ってますね。残念ながら、それをやるのが小説だと思っていますから。

 

 

Photos: Kiyoaki Sasahara