十月 17

KILLASAN × HARD WAX

知られざる、サウンドシステムと友情の物語

by Yuko Asanuma

 

 *これは2009年に『Wax Poetics Japan No. 7』に掲載された記事を編集したものです。

 

Wax Treatment — ベルリンを代表する老舗レコード・ショップ、Hard Waxが主催している不定期イベントは、少し特殊である。ダブステップとダンスホールを中心に、最先端の音楽がプレイされるが、主役はセレクタでもディージェイでもなく、サウンドシステムだ。事実、フロアのお客さんは誰もDJブースを見ることなく、反対側にあるサウンドシステムの方を向いて、思い思いに音を楽しむ。

 

 

まるで一つの分厚い壁のように積み上げられたシステムの、黒い低域スピーカーひとつひとつの前面には、白い文字で「KILLASAN」と記されている。私が2007年に初めてベルリンを訪れた際に、Hard Wax店内の背面の壁沿いにこれが置かれているのを見たとき、思い出したのは大阪のサウンドシステム、Killasan Movementのことだった。もう20年近く前に、Jugglin Cityという彼らの運営するクラブに一度だけ行ったことがあり、その際に初めて聴いた、というより”体感”した本格的なジャマイカン・サウンドシステムの音は、忘れられない衝撃だった。当時彼らが出していた『Jugglin City Collection Vol.1 Sweet Yardy Jams』というCDを買い、何度も繰り返し聴いてはその夜のことを思い出していた。

 

だからすぐに、「同じ名前だな」と気づいたのだが、きっとジャマイカにはKillasanと名前のつくサウンドシステムがたくさんあって、そのうちの一つか何かだろうと思い、それ以上のことは想像しなかった。2009年の夏、再び店舗に足を運んでみると、サウンドシステムが無くなっていた。数ヶ月前から始まった定期イベントで使用するようになったからだという。そのときに初めて店のスタッフに聞いた。「日本にもKillasan Movementというサウンドシステムがあるのですが、何か関係あるのでしょうか?」と。すると驚くべき答えが返ってきた。

 

「そう、あれは日本のKillasan Movementのシステムだよ。大阪にあったJugglin Link Cityというクラブで使用されていたもの。だからたくさんの変圧器を通して鳴らしているんだ。」

 

 定期的にWax Treatmentを開催していたクラブHorst Hrzbrgが一昨年惜しくも閉店してしまったため、現在は不定期に、主に夏期のオープンエアー・イベントでしかKillasanは使われなくなってしまったが、ベルリンの音楽好きにKillasanの名はよく知られている。このシステムがどのようにしてベルリンに辿り着いたのか。Hard Waxのオーナーであり、Basic Channel, Maurizio、Rhythm & SoundなどのプロデューサーでもあるMark Ernestus氏がその経緯を語ってくれた。Killasanとは、96年にベルリンで出会ったという。

 

 

Killasan Movementは、日本で初めて本格的ジャマイカン・サウンドシステムを導入したクラブSt. Anne'sを86年にオープンさせ、Jugglin Osaka City、Jugglin Link Cityと伝説的クラブを設立し日本のレゲエ・ブームを先導したクルー。代表を務めるのはK-Bossこと紀平氏。それ以前はレゲエ・バンドのプロデュースなども行っていたというK-Bossが、本場ジャマイカではどのような環境でレゲエがプレイされているのかを視察するため、初めて現地に視察に行ったのが85年だったそうだ。「闇夜に、巨大なシステムが待ち構えていた(笑)。凄く音がクリーンで立体的、爆音かつ抜けが良く、普通に会話ができる。低域はずっしりと腰まで伝ってくる。とにかくびっくりしましたね。」そして、当時一番人気のあったサウンド、Stone Loveとの交流を通してシステムについて学び、試行錯誤を重ねながら自らのシステムを作り上げていった。「作っては再生、の繰り返しですね。それは今も続いています。ジャマイカのサウンドシステムも同じ。常にその時代の音に合わせて、進化している。」

 

レゲエのクルーが、なぜベルリンに行ったのだろうか。「レゲエ、ダンスホール・ミュージックが商業ベース化して行く事に不安感を持つと同時に、新しい発見がなくなっていく一方で、ベルリンやデトロイトのテクノやエレクトロにどんどん傾倒していったんです。」レゲエと並行してヒップホップ、ハウス、テクノもずっと聴いていたというK-Boss、その中でBasic Channel、M-Seriesなどにも触れたという。「とてもミニマル、ディープな音で繊細かつ凄くファットな、ファンクに近いような音。根本的な部分でレゲエと共通するものを感じましたね。それで興味を持った。でも当時はあまり情報がなく、調べてみるとベルリンにHard Waxというテクノ・レコード専門店があること、そしてLove Paradeというイベントがあることが日本にも伝わってきて、"サウンドシステム"という言葉を耳にした。40チームほどのサウンドシステムが出る屋外イベントだと聞いて、単純に"どのようなイベントなのか"という興味で見に行くことにしたんです。」

 

実際に行ってみると、イメージしていたものとは全く違っていた。「大きな公園のような場所に集まって、いわゆる"サウンド・クラッシュ"のようなものをやるのかと思っていたんですが、どちらかというとカーニヴァルのような形式でした。システムの音や音楽的な部分では、それほど感心するものではなかったですが、なにしろイベントの規模として100万人以上が集まっていたわけで・・・それはもう本当に大変な状態でした。どこもまっすぐ歩けないほど街中が人で埋め尽くされていて、ホテルに戻ると靴が真っ黒けになっていましたね。」

 

そして彼らはベルリン滞在中に、Hard Waxを訪れる。「テクノの店だと思っていたのに、中に入るとレゲエのレコードがたくさんあった。そのことに私はとても驚きました。"自分は日本でレゲエのサウンドシステムのオーナーで、M-Seriesを集めているので買いたい"と店員さんに伝えたところ、奥からMarkが出て来た。」レコード・ショップにとってもLove Parade開催期間はとても忙しいため、店に出ていたというMarkもこう語っている。「彼らがダンスホール・レゲエがとても好きだと聞いて、興味を持ちました。それでその日の夜だったか次の日に、ベルリンのレゲエ・クラブYaamに一緒に行ったんです。それから連絡を取り合うようになりました。」こうして、K-BossとMarkの交流が始まった。

 

現在はテクノの店としてよく知られているHard Waxだが、89年にオープンした当初はダブとレゲエを中心としたブラック・ミュージックの専門店だった。それまでドイツではインポートのレコード店でもレゲエはほとんど売られていなかったという。無類のレゲエ・コレクターであるMarkがそんなレゲエに魅せられたのは、たまたま手に入れたLee Perryのカセット・テープを聴いてからだそうだ。「ただ白黒コピーで"Lee Perry"と書かれていただけ。誰かが作ったミックステープのようなもので、曲名も分かりませんでした。その頃は色々な音楽を聴いてみてましたが、そのテープだけは何度聴いても飽きることがなく、ずっと持っていた。それらの曲をレコードで手に入れたのはだいぶ経ってからです。」

 

 

自分が聴きたい音楽のレコードがなかなか手に入らなかったことが、後に自らレコード屋を始める動機となったようだ。ソウル、ファンク、ヒップホップ、それに当時注目を集め始めていたハウスも扱っていた。「まだテクノのことは誰も知らなかった。それは店を始めて少し後になってからです。当時はレーベルのディストリビューターなどもありませんでしたから、レコードのラベルに書いてある電話番号に直接電話してシカゴやデトロイトと取り引きするしかありませんでした。」このような経緯からHard Waxはベルリンでも重要なテクノ震源地となっていくが、Markはジャマイカ音楽への愛情もずっと持ち続けていた。「テクノが巨大なブームになると、みんながそれ一辺倒で、他の音楽を許容しなくなってしまった。私にはそれがとても嫌でした。私自身は常にダブ、レゲエを聴きながら、並行して優れたエレクトロニック・ミュージックも聴いていました。どちらかを選ぼうと思ったことはありません。競合するものではなかったからです。K-Bossと初めて話をしたときに意気投合したのは、彼も全く同じことをレゲエの世界で感じていたからだと思います。」

 

「ジャマイカのヴァイブスがあまりにも強烈すぎてレゲエの音しか受け付けない、という人がたくさんいます」とK-Bossも指摘する。「私の場合は世界中に散らばったジャマイカのDNA、黒くしなやかで繊細な音の系譜に惹かれてきた(Larry Heard、LTJ Bukemなど)。もともとデトロイトの音楽はジャマイカのレゲエに多大な影響を与えたという背景もありますし」と、ここから話はさらにデトロイトへと広がっていく。「デトロイトにはMarkと知り合って以降、97~8年くらいから行くようになりました。その頃はデトロイトとベルリンに年に1~2回行っていましたね。Markを通してUR(アンダーグラウンド・レジスタンス)のMad MikeやCarl Craigの紹介を受け、Innerzone Orchestraの初来日ツアーや、URツアー、デトロイトのアーティストも多数招聘しました。レゲエのクラブでの公演ということで、ほとんど誰も(状況を)理解していなかったですね(笑)。」

 

 

98年には、KillasanがBasic ChannelのサブレーベルであるChain Reactionのツアーとして、所属アーティストであるScionの2人(DJ Pete & Vainqueuer)とレーベルの創設者であるMark ErnestusとMoritz von Oswaldの初来日を実現させている。「当然テクノ・ファンのお客さんが来るわけですけど、『なぜレゲエのクラブでやってるんだ?』という反応でしたね。MarkとMoritzといえば本当に神がかった、カルト的な存在だっただけに『ここに来ているはずがない』と言い出す人もいて(笑)。彼らはシークレット・ゲストだったので名前もクレジットされていない上に誰も顔を見たことがない。しかも2人がダンスホールのレコード(「Ninja Mi Ninja」等)ばかりかけていたので『絶対偽物だ!金返せ!』とキャッシャーでモメる人がいて大変だったんですよ、今では笑い話ですけどね。」

 

Markにとっても、システムとの対面は衝撃的だったようだ。「写真は見せてもらっていましたが、初めて大阪でKillasanのシステムの音を聴いたときは・・・びっくりしましたね。信じられませんでした。ジャマイカ以外の場所であんな音を聴いたことがなかった。もちろん当時ドイツにも、独自のシステム機材を持った"サウンドシステム"クルーはいませんでした。」Killasanのシステムそのものは、ジャマイカで設計され、フロリダで製造されている。「どういう素材を使ってどこで作っているか、というのも各サウンドの"企業秘密"となっているので、私たちも複数のサウンドから情報収集をして、いくつかの老舗サウンドが発注しているというマイアミの会社に発注したんです。」

 

それが今度はまた海を越えてベルリンに届けられるきっかけとなったのは、Killasanが運営していた、伝説の巨大レゲエ・クラブ、Jugglin Link Cityの閉店だった。「ベルリンにあるのは、保有しているシステム全体の1/4なんです。ですから一部なんですが、それを使ってベルリンでもKillasan Movementの活動を展開したい、という旨をMarkに相談し引き受けてもらったんです。それが確か2001年です。最初は活動拠点を決めるため、ちょうど移転が決まっていたTresorとも協議をしてはいたのですが、なかなか特殊なものですし、良い場所が見つからなかったのでしばらくはHard Waxの店内に設置されていました。」

 

 

Markとしてもこのシステムが良い状態で使用できる場所をずっと探していたところ、2009年にHorst Krzbrgという新しいクラブを作るので、何か新しいことを一緒にやらないかと誘われ、念願だったKillasanのシステムを使用したマンスリー・イベント、Wax Treatmentを開始することが出来た。しかしK-Boss自身は体調を崩し、それをベルリンで体験するに至っていない。「現在システムの管理は全てMarkに任せています。ただ、機材を送ったときからもう長い時間が経過していますから、私もどういう状態でサウンドが維持されているのか気にはなっていますね。ですから、なるべく早い機会に行きたいと思っています。いつかジャマイカとベルリン、デトロイト、日本を音楽で結ぶようなイベントが実施できればと思っています。ベルリンでジャマイカとデトロイトのアーティストが共演するような!」それがKillasanのシステムから聴こえてきたら、どんなに素晴らしいだろう。

 

最後にK-Bossに素朴な質問をぶつけてみた。「ジャマイカ、ベルリン、デトロイト、その中でも特にカリスマと呼ばれている人たちと、打ち解け、信頼関係を築けた理由は何だと思いますか?」と。「"ラスタ、マルーンの血"。バックボーンとして長年レゲエ・ミュージックを探究してきたことではないでしょうか。反逆精神をもって音楽活動をしている、そういうたくましさが音に表れているところなど。生き方、考え方など哲学的、本質的な部分で共感できるところがあったんだと思います。」

 

Photos: Courtesy of K-Boss (Killasan Movement) and DJ Pete (Scion)