四月 28

『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』制作秘話 Pt. 2

リリースから25年以上が過ぎた今も高い人気を誇るJanet Jacksonの歴史的アルバムについてプロデューサーが当時を振り返った。(Pt. 1はこちら

By Chris Williams

 

1980年代後半、Janet Jacksonはプラチナアルバムに輝いた『Control』(1986年)のリリースによって、不調に終わった過去2枚のアルバム、『Janet Jackson』(1982年)と『Dream Street』(1984年)から見事な復活を果たし、ポップミュージックにおけるトップアーティストとしての地位を確実なものにした。『Control』の成功でグローバルなブレイクへの足掛かりを得た彼女は、そのチャンスを逃すことなく次のアルバムで新たなステージへ進むことに成功したが、そのアルバムこそが、1989年9月19日にA&Mからリリースされて世界的なヒットを記録した『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』だった。このアルバムからは実に7曲がシングルカットされ、「Miss You Much」、「Rhythm Nation」、「Escapade」、「Alright」、「Black Cat」、「Love Will Never Do (Without You)」の6曲がBillboardでナンバーワンを記録。残る「Come Back to Me」も2位を記録した。

 

この『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』のプロデュースを務めたのが、前作『Control』のプロデュースも担当したJames “Jimmy Jam” Harri IIIとTerry Lewisのコンビで、彼らはJanetのキャリアをネクストレヴェルへ押し上げる後ろ盾となった。類い希なる才能と精緻なテクニックでアルバムを見事にまとめあげた2人の手腕とJanet本人の真摯な努力により、『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』はJanetの1980年代のキャリアを通じて最も売れたアルバムになった。今回はJimmy Jamにこの大ヒットアルバムの制作秘話を語ってもらった。

 

 

 

『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』は社会問題に正面から取り組んでいますが、音楽もそのテーマに見事に沿っています。楽曲の制作プロセスを教えてください。

 

このアルバムは現代と密接な関係がある。奇妙な話だが、このアルバムを聴きこむほどその関係は強くなっていくので、非常に面白いね。だが、僕たちの制作プロセスが一番分かりやすい楽曲は『Control』の「Nasty」だ。この楽曲はラウドでアグレッシブなインダストリアル風のサウンドだが、このようなサウンドは通常はヒップホップかロックに使われるもので、女性向きではなかった。ましてや柔らかな声を持つ女性アーティストにはお門違いとも言えるサウンドだった。

 

だが、さっきも言ったようにアティテュードがカギだった。Janetは非常に強いアティテュードを持っていたので、「Nasty」のような曲が生み出せたんだ。彼女のリズム感は完ぺきだったので、歌声をファンキーな楽器として機能させることができた。優秀なラッパーがリズムの一部になるのと同じだ。Janetにもその才能があった。僕たちは彼女となら音楽的にも音像的にも好きなだけアグレッシブに攻められると思った。だからストリートのサウンドやサウンドエフェクトを使い、それを切り貼りして、ドラムループを組んでいった。ガラスの割れる音、ゴミ箱の蓋、足を踏み鳴らす音などを使って、音像を作り出していったんだ。

 

 

 

"このアルバムは怒りや激しさが感じられるような、荒涼とした土地に風が吹きすさぶような作品にする必要があった。僕たちはJanetがそのサウンドを扱えることが分かっていた"

 

 

 

僕たちはThe Time時代にPrinceから言われていたことに立ち返った。Princeからは「視覚的なアルバムを作らなければならない」と常に言われていた。その頃のPrinceはミュージックビデオを嫌っていた。ミュージックビデオは視覚的なイメージを勝手に与えてしまう、だが、そうではなく音楽自体が視覚的なイメージを与えるべきだと彼は考えていた。僕たちはその言葉をずっと憶えていた。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』ではその言葉を特に強く意識した。このアルバムは怒りや激しさが感じられるような、荒涼とした土地に風が吹きすさぶような作品にする必要があった。僕たちはJanetがそのサウンドを扱えることが分かっていたので、その方向へ進めていった。

 

 

だが、制作は楽しくもあった。「Come Back to Me」のような彼女のキャリアを通じて最も美しい楽曲のひとつも生み出せたからね。生のストリングスを入れたのは彼女のアイディアだった。僕は非常にシンプルな楽曲をイメージしていて、ストリングスを入れることは考えていなかったが、彼女が「ストリングスを入れてみたらどうかしら?」と言ってきた。僕は「イメージできないな」と返したが、「美しい楽曲になると思うの」と推してきたんだ。当時、ミネアポリスにLee Blaskeという友人がいた。彼は僕たちの他の作品でもストリングスを担当してくれていた人物で、彼にこの曲を聴かせると、「OK。ストリングスのアレンジか。どうして欲しいんだい?」と言ってきたので、「僕たちには分からないんだ。Janetが入れたいと言っているんだよ」と頼んだんだ。それでLeeが仕上げてくれた。聴けば分かるが、この曲はストリングスのフェードアウトで終わっている。Leeのアレンジが素晴らしかったので、そこを上手く聴かせたかったんだ。

 

Janetはこのアルバムを歴史に残る作品にしたいと思っていたのでしょうか?

 

彼女は以前からこういうアルバムを作りたいと思っていた。このアルバムは1971年のMarvin Gayeの『What’s Going On』と比較されることが多いね。僕たちは何か力強い作品を作りたいと思っていたが、リスナーに上手く届けるにはダンスしかないと思っていた。何故ならそこがJanetの得意とする部分だったし、本人もそれを理解していたからだ。リスナーにメッセージを届けるという意味で、歌詞はもちろん重要だったが、同時にリスナーに対してそれが押し付けがましくならないように何かで装飾する必要があった。僕たちはそうすれば音楽とメッセージの両方が届けられると感じていた。それがダンスだった。上手くやれたと思う。

 

 

 

"美しいフルカラーのJanetの姿をアートワークに使った『Escapade』というタイトルのアルバムだったら、同じインパクトは残せなかった"

 

 

 

アルバムに関しては、内容はもちろん、それをどう聴かせるかというプレゼンテーションも非常に重要だった。アルバムの流れを考えれば、「Rhythm Nation」を1曲目に持ってくるのが最適に思えた。何故ならこの楽曲はアルバムのテーマだったからね。そこから、「State Of The World」と「The Knowledge」までは完ぺきな流れを作り出せた。そして、4週間連続でナンバーワンに輝いた「Miss You Much」へと続く。今振り返ると、前半の3曲をモノクロのイメージと映像を使って打ち出すのは、JanetにもA&Mにも勇気が必要だったと思う。だが、すべてが上手くいった。

 

リスクを負わずにこのアルバムをリリースするという話になっていたら、Janetが写ったカラフルな写真をジャケットにして、タイトルを「Escapade」に変えて、1曲目に「Miss You Much」を持ってきて、「Love Will Never Do (Without You)」、「Escapade」と続けて前半を明るく仕上げ、「Livin’ in a World (They Didn’t Make)」、「The Knowledge」、「Rhythm Nation」を後半に持ってきたかもしれない。こうすると収録する楽曲は同じだが、アルバムのイメージは変わる。だが、同じインパクトを残せたとは思えない。 

 

 

ショートフィルムについて少し振り返ってもらえますか?

 

このアルバムの制作には半年かかったが、制作中に楽曲を聴かせていたのは、John McClain(A&M のエグゼクティブ・プロデューサー)だけだった。当時、A&MにはRich Frankelというアートディレクターがいた。彼はこのアルバムのアートワークを担当した才能豊かな人物だったが、アルバム制作が終わっていない段階で、彼からアートワークが仕上がったという連絡が来たので、是非見せて欲しいと伝えた。僕たちはアルバム制作が終わりに近づくに従い、コンセプトが明確に見えてきていて、このアルバムはモノクロのイメージだと感じていた。だからFrankelがどういうアートワークを手がけたのか確認したかったんだ。

 

それで、Frankelがミネアポリスへやってくることになった。今も彼がスタジオに入ってきた時のことを憶えている。僕がドアを開けて、「元気かい?」、「ああ、君は?」と言葉を交わした。彼は寒くて凍えていたが、その手には封筒があった。それで「その封筒がアートワークかい?」と訊ねると、「そうだ」と言うので、僕は封筒を受け取り、そのままドアを閉めた。Richはスタジオに一歩も入らず、1曲も聴かなかった。だが、アートワークを渡すためだけにミネアポリスへ飛んできた彼のその作品は僕たちのイメージ通りで完ぺきだった。アルバムは殆ど仕上がっていて、ミキシングの段階だったが、A&Mの人間は誰もこのアルバムを聴いていなかった。アートワークとフォトセッションのために、“Rhythm Nation 1814” という言葉がコンセプトだということだけは伝えていたが、それだけだったんだ。それなのRichは完ぺきなアートワークを用意したんだ。

 

 

 

 

Janetは「Miss You Much」、「The Knowledge」、「Rhythm Nation」の3曲で、アルバムのストーリーをコンセプチュアルに伝えたいと思っていた。それで、Janetがショートフィルムの制作費用として100万ドルを捻出してもらいたいとA&Mに頼むと、A&Mからには「まだ楽曲も聴いていないのに100万ドルを出せだって?」と言われたんだ。それで、Janetが僕に「A&Mが音楽を聴きたがっているわ。どうしたら良いかしら?」と相談の連絡をしてきた。僕が「誰に聴かせるんだい?」と訊ねると、「Gil Friesenよ」と言ってきたんだが、僕はJanetが最新のレンジローバーを買ってマリブに住んでいることを思い出した。

 

Gil Friesenは当時のA&Mの社長だった。そこで僕は「分かった。こうすればいい。アルバムから君がクールだと思う曲を3曲ピックアップして、彼のオフィスに行く代わりに、君の新しいレンジローバーに彼を乘せて、Pacific Coast Highwayを走ろう。海岸沿いを走りながらその3曲を聴かせるんだ。Janet Jacksonと一緒に新車のレンジローバーに乗って新曲を聴きながら海を横目にマリブを走るという貴重な体験をしても100万ドルを出さないのであれば、僕たちが何をしたって100万ドルは出す気はないってことさ」とアドバイスしたんだ。それで3、4時間経つと、Janetから「予算を確保できたわ」と連絡が来た。

 

アルバムのサウンドをひとつにまとめるのにあなたとTerryはどのような機材を使ったのでしょうか?

 

さっきも話した(Pt. 1を参照)が、SP-1200を使った。サウンドが特徴的だったからね。『Control』はドラムサウンドが成功の秘訣だったから、このアルバムも「Miss You Much」がファーストシングルになるだろうと思っていた。この楽曲はビートから始まるからね。また、その裏で鳴っているシンセにはEnsoniq Mirageを使ったんだが、このシンセが『Control』から『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』に引き継がれた唯一のサウンドだったというのも理由だ。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』は新しいサウンドを目指したアルバムだったが、『Control』と繋がるサウンドも入っているというわけさ。「Nasty」のイントロを聴けば、ドラムの裏に同じサウンドが入っているのが分かる。「Miss You Much」で使われているのと同じサウンドがね。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』と『Control』をサブリミナルに繋げつつも、過去をすがらないようにするためには、こうやって機材を使うのが良いアイディアだと思ったんだ。『Control』から継続して使用した機材はEnsoniq Mirageだけだ。ちなみに、「Escapade」と「Love Will Never Do (Without You)」でもこのシンセを使っているよ。

 


 

このアルバムではサンプリングを多用した。今はすべてデジタルレコーディングで、長尺のサンプルも扱えるが、当時のAMS dmx-15のサンプリング機能では6秒が限界で、しかも自分でボタンを押してトリガーするか、ドラムマシン経由でトリガーさせなければならなかった。古いテクニックだよ。自分でコントロールルームに座って、サンプリングのオンオフをやらなければならなかったが、結果的に上手くいった。他の方法もあったが、僕はサンプリングの達人ではなかった。どうやったらAMSにサウンドを送り込めるかについては理解していたがね。

 

 

 

"キーボードはシーケンスを一切組まなかった"

 

 

 

当時はSequential Circuitsのドラムマシンもあった。ゴミ箱の蓋のような金属的なサウンドを生み出すのに向いていた。デフォルトでそういうサウンドが入っていた訳ではなかったが、多少変化させればそういうサウンドが生み出せたのから、このアルバムでは多用した。全部自分の手で叩いたよ。当時は打ち込みを行わなかった。アナログテープに全部手打ちでレコーディングしていった。ドラムマシンでシーケンスを組む時もあったが、それでもパートの切り替えは手動だった。キーボードに関してはシーケンスを一切組まなかった。

 

この制作方法のおかげで、リミックスは迷惑をかけたよ。「スタートタイムは?」と訊かれても「分からない」としか答えようがなかったからね。僕たちはテープを走らせて演奏するだけだった。だから、必要な情報をリミキサーに与えるために、色々工夫しなければならなかった。このアルバムからは優れたリミックスが沢山生まれたね。Shep Pettiboneを始め、Frankie Knucklesも素晴らしい仕事をしてくれた。「Come Back to Me」と「Livin’ in a World (They Didn’t Make)」のストリングスの使い方はクールだったね。当時はOberheim 8(OB-8)がスタジオに置かれていて、僕たちはそのストリングスをよく使っていたんだ。

 

『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』のミキシングは新しいFlyte Tymeで行った。ミキシングデスクはHarrison Series 10だった。このデスクを導入したのは僕たちが初めてだった。新スタジオは、ミキシングルーム以外はまだ散らかったままだったが、ミキシングルームは完ぺきだった。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』はそこを使った初めての作品だった。当時の最先端のテクノロジーを導入したよ。

 

 Terry Lewis & Jimmy Jam

 

『Control』で成功を収めた後も、Janetは “Michael Jacksonの妹” 、 “『Control』が売れただけの一発屋” というイメージを持たれていました。『Rhythm Nation 1814』制作時におけるJanetの才能、そして仕事への取り組み方について教えてもらえますか?

 

彼女は僕たちが一緒に仕事をした他のアーティストたちよりも沢山の仕事をこなしていたよ。バッキングヴォーカルも全部自分でこなした。彼女はヴォーカルをすべて自分でこなすことで、100%自分の作品にしようとしていたんだ。このアルバムの彼女のヴォーカルハーモニーが堪能できる楽曲は「Love Will Never Do (Without You)」だろう。曲の後半に色々なフレーズがオーバーラップして、複雑なハーモニーになっている。

 

 

 

"Janetは一度ブースに入るとレコーディングを終えるまで出てこなかった。3〜4時間、もしくはそれより長くブースに籠もる時もあった"

 

 

 

この曲では最大32トラックをヴォーカルで使用している。ハーモニーは4和音で、構成音ごとに彼女に4トラック分歌ってもらったので、これで16トラックになる。そして別のパートで同じ作業を繰り返すので、更に16トラックが加わる。つまり、リードヴォーカル以外で32トラックを使用していたんだ。彼女が喉をウォームアップできるように最初にバッキングヴォーカルをレコーディングするようにスケジュールを組んでいたので、リードヴォーカルのレコーディングは楽だった。この長い作業をこなすのには規律と努力が必要だが、彼女ほどの規律と努力を備えていたのは、New EditionのRalph Tresvantだけだね。

 

 

Janetは一度ブースに入るとレコーディングを終えるまで出てこなかった。3〜4時間、もしくはそれより長くブースに籠もる時もあった。僕たちは申し訳ない気持ちになったが、彼女は自ら望んでそうしていた。そうやってすべてのヴォーカルをレコーディングしていった。ハーモニーパートのレコーディングでは、作業手順の関係で音符が重なってしまい、酷いサウンドになる時があった。そういう時は彼女に対し「次のステップに進むまでこの2つのサウンドが気持ち悪く聴こえるかもしれないが、後で調整するから僕たちを信じて欲しい」と伝えると、彼女は「あなたたちのことを信用しているわ」と言ってくれたよ。最終的には最高にクレイジーで美しいハーモニーが生み出せた。Janetは制作に100%コミットして長時間労働をこなしてくれた。

 

 

 

"制作のラスト2カ月はJanetが変化していくのが分かった。雪の中をランニングして、スタジオでもエアロバイクに乗っていた"

 

 

Janetはスタジオから離れると、「Janet Jackson」というビジネスをこなしていた。彼女は『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』のリリース後にツアーに出ることを知っていたので、自分でツアー日程を組みながら、アートワークやアルバムクレジットの管理もしていた。レコーディングの他にも色々な締切りが迫っていたが、彼女は “戦士” だった。オフには好きな物を食べてパワーチャージをしていたが、フォトセッションやミュージックビデオの撮影が迫ると、すべてを諦めて自分を律していた。

 

Janetは専属トレーナーのTony Martinezと毎日ワークアウトをしていた。炭水化物の量も制限されていた。そういう時期は、好きなように食事をしている時に比べるとやや性格が悪くなったので、「ああ、今はダイエット中なんだな」とすぐに理解できたよ(笑)。だが、仕事はしっかりとこなしていた。制作のラスト2カ月は彼女が変化していく様子が分かった。彼女は体重を落とすために大変な努力を重ねていた。ズルをするようなことはなかった。雪の中をランニングして、スタジオの中でもエアロバイクに乗っていた。彼女の仕事への熱心な姿勢は、スタジオ作業だけではなく、「Janet Jackson」というビジネスのあらゆる部分で確認できた。

 

 

 

このアルバムがリリースされて25年以上が経過しますが、今もポップカルチャーに多大な影響を与え続けています。この点についてどう感じていますか? またこのアルバムがその後のポップ/R&Bの制作方法をどう変えたと思いますか?

 

このアルバムはユニークな作品になった。今でもその魅力は色あせていない。このアルバムへの高評価は、音楽というものが世間でどう楽しまれているのかを示していると思う。数字的にも成功した。僕とTerryは数字についてはあまり興味が無い。というのは、数字だけでアルバムは語れないからね。このアルバムは数多のナンバーワンヒットやトップ5の作品を生み出し、合計3年間もチャートに入ったので、数字としては確かに立派だ。だが、『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』が高く評価されているのは、細かい努力があったからだ。収録されたパートだけではなく、収録されなかったパートも含めてこのアルバムは成立している。

 

このアルバムのエンジニアを務めたSteve Hodgeは当時絶好調だった。『Control』も手がけた彼は、The Human Leagueのアルバム以降、僕たちの専属エンジニアとして働いてくれていたし、すべてが上手くいっていた。A&Mも好調で、Charlie Minorが素晴らしいプロモーションをしてくれた。また、さっき話に出たRich FrankelやHerb Alpertも素晴らしかった。個人的には天才だと思っているJohn McClainもこのアルバムにおいて非常に重要な存在だった。正しいスタッフが集まり、タイミングも正しかった。こういう幸運にはキャリアを通じて何回か恵まれてきた。『Janet Jackson’s Rhythm Nation 1814』は神の力が添えられた作品のひとつだ。起こる可能性があったミスがひとつも起きなかった。このアルバムの制作スタッフの一員として携われたことを光栄に思うよ。