六月 01

ロングインタビュー:Jeff Mills

エレクトロニック・ミュージックに革命を起こしてきたアーティストが音楽制作を始めた頃やリサーチの重要性、オーケストラとの作業プロセスなどについて語る

By Aaron Gonsher 

 

デトロイトテクノの歴史を改めて遡ると、Jeff Millsの巨大な姿が現れてくる(良い意味で)が、その両手はデトロイトから遠く離れた場所まで伸びている。The Wizard名義でデトロイトのラジオ局WJLBのDJとして名声を得たあと、MillsはTony Sprockと組んだFinal Cutでインダストリアル的なサウンドを打ち出し、続いてParliamentのベーシストだった “Mad” Mike Banksと共にUnderground Resistanceを立ち上げた。Robert Hoodもかつて参加していたこの徹底的にインディペンデントだった伝説の集団は、インタビューを完全にシャットアウトし、スキーマスクと漆黒の戦闘服に身を包みながらパフォーマンスを繰り広げることで、世界中にセンセーションを巻き起こしたが、Millsはまだやり足りていなかった。そこでMillsは独り立ちをするためにレコードレーベルAxisを立ち上げてソロアーティストとしての活動を開始し、SFにインスピレーションを受けた異星人的でユニークなテクノを生み出していった。また、Millsは同時期にデトロイトを離れ、しばらくの間ニューヨークとベルリンを拠点に据えたあと、最終的にシカゴへ移った。

 

Millsはその期間を通じて常にテクノを前進させ続け、シンフォニーオーケストラとのコラボレーション、映画音楽の作曲、そしてルーブル美術館のアーティスト・イン・レジデンス(編注:artist in residence。アーティストを都市に招聘して芸術活動を行わせる活動)などを展開しながら、この音楽をクラブやフェスティバルでプレイされる音楽以上の存在に押し上げていった。そして今、30年以上のキャリアを誇る彼はテクノシーンで最大のリスペクトを集めるアーティストのひとりとして位置しており、ファンは彼の積極的な創作活動やRoland TR-909をパーフェクトに操作するあの細かな指使いに今も感嘆している。Red Bull Radioの番組『Fireside Chat』出演時のインタビューからの抜粋となる今回の記事の中で、Millesはテクノから少し距離を取りながら、ラジオ用の音楽制作をしていたキャリア初期、クラシック音楽に見出したSF感、最新アルバム『Planets』(Gustav Holstの1916年の同名作品『惑星』にインスピレーションを受けたもの)、DJの可能性などについて話している。

 

初めて感動を覚えたオーケストラ作品、またはクラシック音楽を教えてください。

 

私が初めて手にした本格的なフルオーケストラの作品は、おそらく1970年代後半に購入したJohn Williamsによる映画『スター・ウォーズ』のサウンドトラックだろう。あれが初めて手にしたクラシック音楽だった。繰り返し聴いて収録されている全てのパートやテーマを記憶しては、映画館に戻ってまた映画を鑑賞するという行為を繰り返していた。あれが最初の出会いだった。

 

映画を観てからサウンドトラックを購入したんですよね?

 

映画を先に観た。初めて観たあと、すぐに外に出てアルバムを購入して音楽を記憶したんだ。当時はSF映画を観に行くと、場内の観客全員が大盛り上がりだった。映画を観ながらテーマソングを一緒に歌う企画さえあった。『スター・ウォーズ』シリーズの第1作は、映画『ロッキー・ホラー・ショー』のような盛り上がりを見せていたんだ。そして、この映画にどっぷりとのめり込んでいた私たちは、John Williamsがどんな人物なのかということを学んでいった。そして徐々に彼の過去の作品も知るようになり、彼がTV番組やCMの音楽も手がけていることも知った。それで一気に彼に対して親近感を持つようになった。私はSFからクラシック音楽に興味を持つようになったんだ。

 

 

John Williams "Star Wars Main Theme" 

 

 

SFというフィルターを取り去って、映画やTV番組という枠外に存在しているクラシック音楽、たとえばロマン派やバロックに興味を持つようになるきっかけのようなものはあったのでしょうか?

 

SFに対する興味は幼い頃から今までずっと強く保たれている。「強い」と言ったのは、私はあらゆるコミックコンベンション、SFテレビ番組、映画、ランチボックスからポスターまでをカバーしていたからだ。その中で、私は自分が聴いているSF音楽とはクラシック音楽なのだということを見出していた。そして、Gustav Holstの『惑星』に出会った。この作品はSFではなかったが、ある意味科学的、宇宙科学的だった。私は歳を重ねるに連れこのような音楽により強く惹かれるようになっていった。私は10代前半を通じて楽器を演奏していたので、13歳から15歳頃の私はクラシックよりもジャズに興味を持っていた。それで、同じ興味を持っている友人たちと一緒に遊んでいた私は、毎週レコードストアやコミックブックストア、映画館などに遊びに行っていた。当時は全てが同じ扱いだった。そしてGustav Holstをきっかけにして、Béla BartókやLigetiなど、映画『2001年宇宙の旅』に繋がる音楽家たちの存在も知っていった。

 

 

György Ligeti "Atmosphéres"

 

 

HolstやBartókなどの存在をあなたに教えてくれたメンター的存在がいたのでしょうか? それとも自分で探し出したのでしょうか?

 

これはデトロイトの話だ。この都市に住む人たちは誰もが音楽に興味を持っている。私は大家族の中で育った。私には4人の姉妹と10歳上の兄がいるので、兄は常に私が10年後にやるようなことをやっていた。だから、幼い頃の私はいつも兄のあとを追いかけていた。たとえば、彼が電子機器に興味を持てば、私も興味を持つようになったし、彼がまた別のことに興味を持てば、それに興味を持つようになった。また、生活の中に常に音楽があった。家の中だけではなく、隣家にも音楽があった、また、近所の子供たちにも兄や姉がいたので、常に色々な音楽を交換していたんだ。友人全員がそうだったし、学校の同級生も同じだった。だから、音楽を必死に探し回るようなことはなかった。なぜなら、私たちは常に音楽に囲まれていたからだ。

 

当時は多種多様な音楽を聴くのが普通で、今の多くの人たちがやっているような層別化的な聴き方はしていませんでした。

 

当時はひとつの音楽に拘らないことが至って普通だった。その理由のひとつはラジオにあった。当時のラジオはバラエティに富んでいた。なぜなら、デトロイトは昔も、そして今も新しい音楽を実験する場所だからだ。ソウルやR&Bはもちろん、ロックもまずはデトロイトで試される。そしてある程度のリーチを得ることができれば、国内の他の姉妹局でオンエアされるようになる。だから、私たちもロック、インダストリアル、ニューウェーブ、ソウル、アフロキューバンなど、あらゆる音楽を聴いていた。当時はごく一般人でも音楽について豊富な知識を持っているのが普通だった。それゆえに、デトロイトのリスナーを満足させるのは難しい。彼らの音楽的知識はかなりディープだからだ。私たちはこれを当たり前のことだと思っていた。なぜなら、当時の私たちがデトロイトの外に出ることは滅多になかったので、他の都市に住む人たちも同じなのだろうと思い込んでいたからだ。

 

私たちが興味を持てない音楽はなかった。よって、ブラックコミュニティの中で予想外の人気を獲得する音楽もあった。たとえば、B-52’sとブラックコミュニティの間に繋がりを見出すのは難しいと思うが、実際は非常に強く繋がっていた。DevoやHall & Oates、Steely Danなど、様々な音楽と繋がっていた。

 

音楽制作を始めた頃は、色々な音楽からの影響を自分の音楽に落とし込もうとしていたのでしょうか? それとも特定の音楽に絞って制作しようとしたのでしょうか?

 

私は他の人たちとは少し違う形で音楽制作を始めた。なぜなら、私はそうしなければならなかったからだ。当時の私はラジオDJだったので、誰も持っていない音楽を手に入れる必要があった。それで自分で音楽制作を始めることにした。若い頃から楽器を演奏していたが、作曲を試みたことはなかった。しかし、いきなり作曲をする必要に迫られた。つまり、私にはゴスペルのルーツやインダストリアルダンスのルーツをゆっくりと辿る時間はなかったんだ。とにかく音楽を用意する必要があった。自分の音楽を用意して、あたかもメジャーレーベルからリリースされている音楽のようにリスナーに届ける必要があった。私は短時間でパーフェクトな音楽を手に入れられるようになるためにハードワークを重ねた。私はこうやって音楽制作を学んでいった。

 

当時、自分の頭の中のアイディアが再現されていると感じた他人の楽曲はありましたか? 他人の楽曲を聴いて自分の頭の中に思い描いている通りの音楽だと感じた瞬間はあったのでしょうか?

 

当時の私はヒップホップDJだったので… Whodiniの楽曲を聴いてそう感じたのを憶えている。当時の私の音楽制作は、正確に言えばトラックのリミックスだった。当時は “リミックス” という言葉は存在していなかった。話を戻すが、私がそう感じたのは、おそらく初期ヒップホップだったと思う。当時の私のラジオ番組は多種多様な音楽がかかるエクレクティックな内容だったので、私も色々な音楽を制作としていた。Klein & M.B.O.がリミックスをした初めての曲だったと思う。私は808を使って彼らのドラムパターンを打ち込み、自分なりのエクテンデッドミックスを作ろうとしたんだ。それを見たラジオ局は、私が何をしようとしているのかを理解して、毎回リミックスをやってくれないかと頼んできた。局側はメジャーレーベルにリミックスを用意することを約束して新曲を手に入れては、私のところへ持ってきた。それで私がリミックスを用意した。そして局とレーベルがそれを気に入れば、他の番組の中でもオンエアしてくれたんだ。

 

 

Whodini "Freaks Come Out At Night"

 

 

あなたが手がけたそのようなリミックスの中で今でも残っている作品はいくつあるのでしょう?

 

私には分からない。具体的な数字を答えるのは難しい。ラジオDJ時代は2つのラジオ局と仕事をした。最初のラジオ局で2年、次のラジオ局で約8年働いた。また、そのうち2年は、毎週リミックスを最低3曲は手がける生活を続けていたので、良く憶えていない。自分のオリジナルトラックを作り始めるまでにかなりのリミックスを担当したはずだ。当時は急速に音楽が進化していたし、技術も進歩していたので、リミックス制作をしばらく続けたあとで、「リミックスはもう十分だ。誰も持っていない自分だけの音楽を作ってみよう」と思った。

 

誰も持っていないフレッシュでオリジナルな音楽を初めて制作したのはいつですか?

 

実はラジオDJを始める前の話だ。私はラジオDJになる前から機材をいじっていた。この位の(両手でサイズを示す)小さなドラムマシンを持っていたのだが、その頃は機材のサウンドを変更してくれる友人もいた。だから、2倍のサウンドを手に入れていたんだ。私は1980年から既にドラムマシンをクラブで使用していて、できる限り自分のミックスに取り入れていた。いくつかのドラムパターンを用意しておいて、それをミックスに組み合わせていたんだ。当時の私が使っていた機材にはMIDIが備わっていなかったので、機材同士で同期させることはできなかった。だからスタンドアロンとして使用していたんだ。その頃のトラックはパーカッションにベースラインを多少加えただけのものだった。

 

当時もまだドラマーとして活動していたのでしょうか? それとも既にドラマーとしての活動は終えていたのでしょうか?

 

パーカッション奏者として大学の奨学金を得られないことが分かった時にドラムは諦めた。私は高校時代を通じてドラムを演奏していたんだが、学校のコンサートバンド、ステージバンド、マーチングバンドの全てで第一奏者を任されていたので、私が奨学金を得るだろうという噂が流れていた。しかし、奨学金は第三奏者に渡されることになった。それを知った私は「よし、もういい。ドラムからしばらく離れよう」と思い、DJ活動に力を入れていった。

 

第三奏者が奨学金を?

 

ああ、彼が奨学金を受け取った。彼の名前は忘れてしまったが、最終的に非常に有名なジャズドラマーになった。今もツアーに出ている。

 

あなたは自分の方が上手いと思っていたんですね。

 

ああ。私は高校生としてはかなり先を行っていた。様々なバンドや活動に参加していた。しかし、奨学金をもらえる理由にはならなかった。「あの大学に入学して、パーカッションを演奏するんだ」と考えていたので本当に残念だった。もしそうなっていたら、おそらくはジャズドラマーになっていただろう。

 

今とはかなり違う人生ですね。

 

ああ。大学に進学していたら、様々なバンドに参加していただろうし、ゆくゆくは自分のバンドを持って、レコーディング生活を送っていただろう。

 

 

 

“ドラムをどう扱えば良いのか、ただ叩くのではなく、演奏を通じていかに自分を表現するのかについては、かなり前に学んでいた”

 

 

 

ドラマーとしてドラムキットに座って表現する際と808や909を使って表現する際のリズムへのアプローチはどう違っていたのでしょうか? ドラム演奏から機材を使った演奏へのシフトは、人を躍らせるリズム、音楽的クリエイティビティの源としてのリズムに対するあなたの考えに影響を与えましたか? 

 

ドラマーとしての経験はスピーディーなプログラミングの助けになった。ドラマーとしての私は非常に複雑なルーディメントなどを演奏することができたので、それをプログラミングにも活かすことができた。ドラムをどう扱えば良いのか、ただ叩くのではなく、演奏を通じていかに自分を表現するかについては、かなり前に学んでいた。よって、プログラミングを始めた段階で、既にパーカッションをどう使えば良いのか、何をどこで使うのがベストなのかという知識はかなり豊富に備えていた。ドラムで楽曲の基盤を生み出す方法、レイヤーを生み出す方法、リズムを中心にして前面に押し出す方法などを知っていたし、テンポ、抑揚、テクスチャなども理解していた。それが楽曲制作に活かされていった。

 

ひとつ例を挙げると、私はリズムマシンをプログラミングする際に「ドラムキット」という概念を使っていなかった。いつも「タムをスネアと違うサウンドにするにはどうしたら良いのだろう? ライドをハイハットと違うサウンドにするにはどうしたら良いのだろう? ひとつのサウンドにどれだけのバリエーションを与えられるのだろう?」と考えていた。私にはそこまで多くの音楽的要素は必要ない。なぜなら、ドラムだけで十分表現できるからだ。 

 

1980年代初期にラジオDJになった時の私はそういう人物だった。だから、他人の音楽を聴けば、それがどうやって作られたのかが簡単に理解できた。それが私にとって大きなアドバンテージになった。楽曲をすぐに理解して思い通りに変化させることができたので、すぐに仕事に慣れていくことができた。

 

リズムの複雑さと奥深さに対する理解は、オーケストラとのパフォーマンスやパーカッション的要素を作品の中にそこまで盛り込まない場合が多い交響曲を扱う仕事にどのように活かされているのでしょうか?

 

オーケストラと仕事をする際は、DJのキャリアで得てきたアイディアとドラマーとしての経験から得たアイディアを利用している。また、ドラマー時代の私は楽譜も読めた。今はもうすっかり忘れてしまったが、昔は読めたという部分も助けになっている。サウンドを生み出すためにただボタンを押せば良いとは限らない。ドラムなら叩いたあと手を引き上げる必要がある。また管楽器なら、息を吹き込んだあと、息を吸う必要がなる。楽器演奏はノブを回したり、デジタルファイルを再生したりするほど正確ではなく、アクションを起こした瞬間にサウンドが生まれる。

 

ミュージシャンがどうやって楽器を演奏しているのか、彼らの限界がどこにあるのか、オーケストラの各パートに何人用意されているのかなどについて理解していることが、作曲の役に立つ。たとえば、ベースラインがメロディック過ぎるなら、アレンジャーにベースラインを別のパートに移すように伝える必要がある。コントラバスは全員が同じ演奏をしているわけではない。それぞれが異なるフレーズを演奏することがある。これはバイオリンでも同じだ。彼らは全員が同じフレーズを演奏しているわけではない。複雑な楽曲を演奏する際には複数のパート(第一、第二など)に分けられている場合が多い。

 

また、おそらくこのような知識や理解よりもっと大切なのが、オーケストラ全体のサウンドに耳を傾けることだろう。私はDJなので音楽の “総和” を聴くことに慣れている。もし私がコンサートマスターを担当する第一バイオリンとしてステージの最前列(首席)に座り、私の後ろと横に他の弦楽器奏者が座り、更には指揮者を挟んだ向こう側にも弦楽器奏者がいる場合、私は音楽の総和を聴いていない。自分に最も近い奏者の演奏と自分の演奏を聴いている。クラシック音楽の奏者は音楽全体を聴くことに慣れていない。しかし、私はDJなので、完成したステレオ信号を聴いている。私がオーケストラと共演する際は、オーケストラとオーディエンスの両方に耳を傾けている。これも助けになっている。なぜなら、オーディエンスの立場に立つことができるし、全体のバランスに気を配れるからだ。また、サウンドエンジニアに何が必要なのかを伝えることもできる。このように、オーケストラと仕事をする際は他の仕事から得てきたものを持ち込んでいる。

 

コラボレーションをする際に、どうやって自分がやろうとしていることや自分の過去の仕事を相手に理解してもらいますか? たとえば、先程の例で言えば、第一バイオリンを担当するようなバイオリニストはあなたの作品をあまり良く知らないと思うのですが。

 

自分のアイディアを伝える時はちょっとしたことを積み重ねていくことが助けになる。私が最初に必ずやるのは、リハーサルの初期段階からオーケストラ側とコミュニケーションを取ることだ。彼らと会話をして、自分が何をしようとしているのか、なぜそうしたいのかを伝えていく。たとえば、「私がオリジナルのトラックを担当した。トラックの大半はソリッドで反復性の強いダンスミュージックだが、オーケストラをその上に重ねて表現したいと思っている。私が自分の機材のサウンドを使ってオリジナルトラックの基礎になっている部分を演奏するので、オーケストラには残りのサウンドを重ねてもらいたい。一緒に演奏することで、オリジナルに近づけていきたいと考えている」などと説明する。リハーサルのたびに同じ説明を繰り返し、彼らに私の役割を理解してもらう。私はソリストであり、オーケストラの一部でもあるということだ。

 

このような説明がひと通り終わったあとで、今度はパフォーマンスのコンセプトについて説明する。『Planets』を例に取れば、オーケストラに対して「今回はオーディエンスを太陽から冥王星まで導いていく旅になる。惑星はもちろん、惑星間に存在する宇宙も取り上げる。太陽系の全てをオーディエンスに紹介していく」と説明する。このような説明をすれば、オーケストラは「自分たちが演奏する楽曲は、他の多くの人たちが一生見ることがない存在に大きな意味を与える」ということを理解する。よって、彼らがどう演奏するのか、彼らがどう表現するのかは非常に重要だ。オーディエンスにとっては太陽系の映像を初めて見るような、太陽系をテーマにした楽曲を初めて聴くような体験になるので、ひとつひとつの音が重要になる。

 

 

 

“DJというアートフォームでやれることは尽きたと考えるのは間違いだろう”

 

 

 

各惑星に対するあなたの考えをどのように音楽に置き換えていったのかについて例を挙げて説明してもらえますか? 色や複雑さ、雰囲気などをどうやって音楽として表現していったのでしょう?

 

私が一番良く知っている惑星は土星だ。なぜなら、かつてX-102で土星を扱ったからだ。土星については1992年から研究している。X-102は土星に関する情報をアップデートしようというプロジェクトだったので、私はこの惑星について十分な知識を持っている。土星は太陽系で2番目に大きな惑星で、土星の環は直径23万kmもある。その形はレターサイズ(8.5 x 11)と同じだ。その紙の中心に土星を点として置いてみると、それが環の薄さと大きさということになる。つまり、土星は環を含めると非常に幅のある惑星だということだ。また、最近のX線調査によって土星の表面がガスに覆われているということが判明した。また、自転速度は太陽系最速なので、地表部分の風速も太陽系最速だ。

 

土星の環の中には奇妙な動きをする環や美しい環が存在する。非常に強烈な環も存在する。土星の環はバラエティに富んでいる。環から環までの空間の構成物はそれぞれ異なる。また、消えてしまう環も存在する。どうしてそうなるのか私には分からない。逆方向に周回する衛星も存在する。その衛星も『Planets』の「Saturn」の中に取り入れている。NASAが最も積極的に研究している衛星がタイタンだ。なぜなら、この衛星は地球に近い大気を持っているからだ。よって、土星の衛星の中で非常に重要な衛星として扱われている。

 

「Saturn」をどういう楽曲にするのかアイディアを考えていた際に、この惑星の自転がBPMを決めることになった。土星の直径と土星の環の直径は非常に大きいので、「Saturn」の大半は環の一番端から土星の中心への移動を描いている。その移動が楽曲の大半を占めている。楽曲の前半の大部分は非常にメロディックで、チキチキとハットが鳴っている。数多くの環を経由しながら土星へ向かっている様子、あの土星の模様とも言える環をまたいでいく様子をイメージしているからだ。

 

トリップワイヤー(編注:罠をしかける際に使うワイヤー)のようですね。

 

その通りだ。ワイヤーをまたいでいくような感じだ。この楽曲にはそういうフィーリングがある。ライブパフォーマンスとアルバムで唯一5.1チャンネルとして表現される作品だ。パフォーマンスでは、劇場の四隅に奏者を配置して、オーディエンスを取り巻くように演奏し、演奏スピードを上げていくことで、オーディエンスが土星の環の中にいるような感覚を与えるというアイディアだった。そして、そのあとタイタンをテーマにしているパートへ移り、そこからまた土星に戻ってきて楽曲が終わる。これが「Saturn」だ。

 

また「Earth」に関しては、最も新しい惑星なので、まるで子供が作ったような非常にシンプルなリズムで作曲した。複雑で長大な作品ではなく、シンプルで遊び心のある作品にした。なぜなら、地球はまだ私たちが使える資源に溢れているからだ。一方、「Mars」は非常にミステリアスだ。Holstは火星を「戦争の惑星」と表現したが、私もそう捉えているので奇妙な雰囲気になっている。序盤は非常にエクスペリメンタルで、後半は更に奇妙な方向へ進んでいく。

 

 

 

“ひとつのトラックを数時間連続でプレイしても良いだろう。ひと晩ずっと同じトラックでも良い。トラックがオーディエンスに合わせるのではなく、オーディエンスがトラックに合わせることになる”

 

 

 

あなたのお話からは、『Planets』のような作品には多大なリサーチと努力が注がれていることが理解できます。これはDJではもう得られない満足感を得られるクリエイティブな欲求なのでしょうか? それともリサーチとDJは完全な別世界で、それぞれで異なった何かを成し遂げようとしているのでしょうか?

 

DJというアートフォームでやれることは尽きたと考えるのは間違いだろう。それはミステイクだ。私は、自分がこれまでやってきたこと、見つけてきたこと、そして調べてきたことは、DJセットの中に簡単に組み込めると思っている。あとはそれを実現する具体的な方法を見つけられるかどうかだ。組み込むことは可能だ。

 

重ねて言うが、人に音楽を提供する方法は出尽くした、自分たちが身を置いている環境がベストなのだと考えるのは間違いだと思っている。それはミステイクだ。間違いなくそうではないケースもある。世間が私たちDJの仕事は人のために音楽をプレイすることで、それ以外は何もしていないと勝手に考えているようになっているだけの話だ。

 

この考えが、DJの選曲や構成、つまりプログラムはある意味制限されているというアイディアに繋がっていく。しかし、私はその真逆で考えている。私は『Planets』をDJセットとしても簡単に表現できる。評価され、理解もされるだろう。ひと晩を9パートに分けて、『Planets』を聴いた時に得られるものと同じ感覚を得られるような変化を生み出すことができる。音楽をプログラムにはまだまだやれることが沢山あり、プログラムを超越した何かが生まれる可能性さえある。なぜなら、人々はDJがやっていることに自分たちも加わろうとしてクラブのような場所に足を運んでいるからだ。

 

オーケストラの演奏会場とは違うということですね?

 

その通りだ。クラブを訪れる人たちに与えられている自由度は非常に高い。よって、表現方法を見つけることができれば何だって表現することが可能で、しかも面白い形で表現できる。私は他のDJが怠けている、または興味が欠けていると言いたいのではない。単純にそれが可能だと言っているだけだ。テクノロジー、ヴェニュー、手助けしてくれるプロモーター、新しい何かを求めているオーディエンス… もっと様々な音楽の提供の仕方があるべきだ。しかし、我々は一番簡単な選択肢を選んでしまう時が多い。自分の音楽をプレイして、タバコを吸い、酒を飲んで、挨拶してクラブから立ち去る。それだけで終わる場合が多い。これは悲しいことだ。

 

DJというアートフォームの中でまだ試されていない可能性としては何が考えられますか?

 

たとえば、音楽をどうプログラムして提供するかだ。ひとつのトラックを数時間連続でプレイしても良いだろう。ひと晩ずっと同じトラックでも良い。トラックがオーディエンスに合わせるのではなく、オーディエンスがトラックに合わせるというスタイルだ。好きなだけ踊ったあとはそこから去り、踊りたくなったら戻ってくる。そこには同じパワーが維持される。これは十分に可能だ。これを実際にやるだけのガッツを持った人にはまだ出会えていないが、決して不可能ではない。その体験は時間経過と共に、ゆっくりとディープなものに変化していくだろう。これは比較的簡単なアイディアだ。もうひとつは、オーディエンスの上のスペースを使うというアイディアだ。

 

オーディエンスの上というのは?

 

ヴェニューの上方のスペースだ。オーディエンスが自分たちの頭上で起きていることを眺めても良いだろう。我々はあのスペースを活用することを考えていない。通常はスピーカーや照明が置かれているだけだが、スペースやサウンドシステム周辺はもっと活用できるはずだ。この部分に関して私たちは普段あまり考えていない。私は、空間の変化がいかに音楽やクラブエクスペリエンスに対する考え方を変えるかについてのアイディアを数多く用意している。この部分はまだ未知の領域だ。今の私たちは1970年代や1980年代と同じことを繰り返しているだけだ。DJやサウンドシステムの位置は昔とほとんど変わらない。そして私も決められた場所に何時間も立つことになる。今のクラブはそれだけだ。

 

 

 

“私のプロジェクトは80%がリサーチで、20%が音楽とコンセプトの解釈だ。基本的に音楽制作にはあまり時間を取られない。リサーチを終えれば、何をすれば良いのかについて明確に理解できているからだ”

 

 

 

オーケストラとの共演時にそのような「現状で満足」という考えに出くわすことがありますか? クラシック音楽の世界は伝統や形式を重んじると言われています。

 

クラシックの世界は非常に形式的なので、そのような考えに出くわす時はもちろんある。彼らは2〜3歳頃から楽器を学び続けているので、誰かがやってきて全く違うアプローチを見せてもあまり受け入れてもらえない時がある。しかし、彼らはプロフェッショナルで、私もプロフェッショナルだという事実が、私が何をしようとしているのかを彼らに説明する際に助けになる。しかし、一般的に音楽はどこかの段階で停滞しがちだ。方程式のようなものを見つけた時や、オーディエンスを楽しませる方法を見出してしまった時は特にそうなりがちだ。

 

上手くいっているものを変えるべきではないと考えるのは非常に簡単だ。また、その考えに逆らっても、多くの人たちが面白く思えない結果になってしまう場合も確かに存在する。新しいアイディアをオーケストラに持ち込もうとする時も、私のチームによって共演するオーケストラが選定されていった。また、私のブッキングエージェントも、映画のサウンドトラックやポップミュージックなど、ユニークなプロジェクトを手掛けた実績があるオーケストラをリストアップしている。基本的に私が一緒に仕事をするのはこのようなオーケストラだが、状況は変わりつつある。BachやStravinskyのような作曲家の作品だけを演奏してきたようなオーケストラと共演する機会も増えてきている。

 

無声映画への興味はどこから生まれたのでしょうか? 自分のクリエイティビティが発揮できる白いキャンバスのように思えたからでしょうか?

 

その通りだ。無声映画から音楽だけを取り除く方が簡単だということに気が付いた。なぜなら、無声映画にはセリフがなく、音楽、つまりオーケストラだけしか存在しないからだ。既存の音楽を簡単に取り除き、自分の音楽を当てはめることができた。2000年の『Metropolis』が初めてだったが、このプロジェクト以降も何回か手がけている。パリのCinémathéque Française(編注:シネマテーク・フランセーズ。フランス政府が出資する文化施設で映画の保存・修復などを行っている)から複数のプロジェクトを依頼された。彼らが権利を所有している作品の音楽を新たに用意してくれないかと頼まれたんだ。Cecil B. DeMilleの作品『チート』やFlitz Langの作品『月世界の女』を含む数作の音楽を頼まれた。

 

 

Jeff Mills "Chaos And Fanatics"

 

 

そのような無声映画のためにあなたが用意している音楽は、当時の映像との繋がりがなくならないような雰囲気を生み出すことを目的としているのでしょうか? それとも、近代的な音楽的コンテキストを用いることでFlitz Langのような当時の監督たちが作り上げた世界観を更に押し広げようとしているのでしょうか?

 

ストーリーやシーン、キャラクターによって異なってくる。どのプロジェクトでも、映像だけではなく監督や脚本家のことも調べる。そのストーリーを生み出した背景も調べていく。当時はどんな世界だったのかを把握していく。世界情勢も調べる。そのようなありとあらゆる部分をリサーチして、その映像が存在した理由を理解しようとする。リサーチを進めていく中で、映画の中のどの部分が一番重要なのか、たとえば1929年に公開された作品なら、当時は何が重要とされていたのか、その頃の世界では何が起きていたのか、などを掴んでいく。ちなみに、1929年はファシズムが台頭していた時代、第一次世界大戦からの復興期に当たる時代だった。

 

当時はフラッパー(編注:1920年代の欧米に登場した自由を好む新しい女性たち)の時代でもあった。音楽、そして女性を含めた全員がワイルドな時代だった。また、シュールレアリスムが流行していて、ピカソをはじめとするアーティストがアートシーンで活躍していた。このような時代背景が映画や撮影方法に影響を与えている。これを理解したあとで、映画の各シーンに合う音楽を用意していく。理解しておけば、画面上で実際に起きていることとは少し関係ない音楽が必要な場合、たとえば、壁に止まっているハエや他のキャラクターから浮いている別のキャラクターなどに焦点を当てる音楽が必要な場合も、どんなコード展開が必要なのかが理解できる。映画本編だけではなく、その映画を取り巻く事項についてもリサーチしておくことが音楽を用意する際に助けになる。

 

 

 

“DJ中は常に「どうすればこのトラックをもっと面白くできるだろう?」と考えている”

 

 

 

そのような包括的なリサーチをしておく方が、音楽やクリエイティブなプロジェクトの作業が簡単に進むのでしょうか?

 

私がこれまでリリースしてきたどのアルバムも、リサーチや読書が制作プロセスの70%を占めている。80%かもしれない。80%がリサーチで、20%が音楽とコンセプトの解釈と言って良いだろう。大抵の場合、私はこの比率でアルバムやプロジェクトを進めている。基本的に音楽制作にはあまり時間を取られない。なぜなら、リサーチを終えれば、何をすれば良いのかについて明確に理解できているからだ。よって、スタジオに入れば数日以内にアルバムが完成する。私は常にリサーチをしている。

 

そのような注意力とリサーチ力はDJにも − 最近のテクノ、若手プロデューサーに関する知識などにおいても − 活かされているのでしょうか? それともそれはまた別の話なのでしょうか?

 

DJにも活かされている。なぜなら、私は常にDJをより面白くできるものはないかという点を注意深く考えているからだ。DJ中は常に「どうすればこのトラックをもっと面白くできるだろう?」と考えているし、それが「ドラムマシンを加えてこのトラックから離れ、むしろこのトラックの存在を忘れてしまってリアルタイムで自分の音楽を作ってみたらどうだろう?」というアイディアに繋がっていく。そして、オーディエンスが区別できないレベルまで機材とトラックの差をなくそうともする。また、「もうひとつ機材を持ち込んだら、何が可能になるのだろうか?」とも考えている。だから、DJにも活かされていると言える。ふたつは繋がっている。

 

2016年はAxisの25周年でしたが、自分のキャリアをどのように振り返ったのでしょうか? 音楽制作を始めた頃やラジオDJとしての活動を始めた頃、この25年間であなたがやってきたことをやれるチャンスに恵まれる自分を想像していましたか? また、「やってみたい」、「やる必要がある」と感じているようなものはまだ残っているのでしょうか?

 

私はあまり過去を振り返らないタイプで、今自分がやっていることを過去と比較することはない。比較はビッグミステイクだ。なぜなら、当時のコンテキストは今とは大きく異なっており、完全に別の時代だった。人も違えば、環境も違っていた。

 

私は「突破口さえ得られればあとは問題ない」というメンタリティを持ち続けてきた。つまり、何かの表面に穴を開けた時にそこに大きな問題がないのであれば、そのシステムの中に入り込めると考えている。表面に穴を開けただけで終わり、次へ向かうわけではない。その穴から内部に侵入し、できる限りのダメージを与えてから次へ向かう。これが私のやり方だ。

 

 

 

“エレクトロニック・ミュージックが別の存在に進化していく中で、クラシック音楽もよりオープンになってきている。新しいジャンルが生まれてくるだろう”

 

 

 

ひとつ例を挙げよう。ラジオDJの仕事を得た時、私はただミックスをするだけでも良かった。しかし、実際の私はそうではなかった。ラジオ局に特定の機材を購入するように持ちかけ、局内のサウンドライブラリへのアクセスも求めた。その部屋に入る鍵をくれと頼んだんだ。彼らには30年分の音楽を集めた巨大なコレクションがあったが、ただ管理しているだけだった。更に言えば、自分がラジオ局の代理としてメジャーレーベルと接触し、彼らから直接音楽を受け取れるようにもした。当時の私はまだ20歳か21歳そこそこだったが、「ラジオ局として成功を収めたいなら、ライバル番組との競争で私に勝ってもらいたいなら、私の出した条件を認めてくれ」と持ちかけた。

 

彼らは最初乗り気ではなかったが、最終的に「彼がやろうとしていることは局にとって良いことだ」と判断して、全て許可してくれた。そこで私は次に「音楽を買うための予算がもっと必要だ」と持ちかけた。彼らは予算を増やしてくれた。私は音楽購入用の予算として週に350ドル(編注:1983年当時のレート換算で約8万円)ももらっていた。最終的にはそれが結果に繋がった。私はライバル番組との競争に勝利し、聴取率も跳ね上がった。私はこの頃に多くを学ぶことができた。テープのエディットを学び、それを自分の音楽制作に活かすことができた。ラジオ局の番組編成についても多くを学び、ラジオ局のビジネスについても学ぶことができた。私は常にラジオ局にいて、業界のことを学ぼうと努力していた。ヒット曲を生み出すには何が必要なのか、世間とどうやってコミュニケーションを取ったら良いのかなど、あらゆる知識を22歳になるまでに得ていた。

 

私が今やっていることは、若かった頃の活動と、1980年代から2000年代にかけての活動を通じて学んできたことの蓄積だ。クラシック音楽のサウンドトラック、エレクトロニック・ミュージックのサウンドトラック、『Planets』などの作曲は、おそらくもっと大きなプロジェクトを手がけるチャンスを私にもたらしてくれるだろう。エレクトロニック・ミュージックが別の存在に進化していく中で、クラシック音楽もよりオープンになってきている。新しいジャンルが生まれてくるだろう。ほぼ確実にそうなるはずだ。そして誰かがそれに固有名詞を与えるはずだが、私はそれを迎える頃にはその音楽を他の何かに変えられるだけの知識を得ていて、その音楽の最先端に立っているだろう。そしておそらくは、他の多くの人がその音楽を理解する頃には新しい別の何かに目を向けているだろう。

 

基本的に私はこのようなやり方で物事を進めてきた。私がオフィスにいる時は、手元にあるものを使ってそこから新しい物を生み出すにはどうしたら良いのかについて常に思考している。

 

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