二月 24

フィリーソウルの重要人物James Poyserインタビュー

The Roots、D’Angelo、Common、Erykah Badu、Kanye Westなど錚々たるアーティストたちと優れた作品を発表してきたフィリーソウルを代表するプロデューサー/キーボードプレイヤーJames Poyserが自身のキャリアを振り返った。

イギリス・シェフィールドでジャマイカ人の両親の元に生まれ、ウェスト・フィラデルフィアで育ったJames PoyserはGamble & Huffに師事したあと、プロデューサー、作曲家、キーボードプレイヤーとして多数のソウル、ヒップホップ、ゴスペルの作品に参加してきた。The Rootsファミリーの一員であるPoyserはフィリーのオルタナティブ・ラップ/ソウルシーンでキャリアを積み、Jill Scott、King Britt、Roy Hargrove、そしてWill Smithに至るまで様々なアーティストとコラボレーションを行ってきた。またLauryn Hillの『The Miseducation of Lauryn Hill』に関わり、BilalとD’Angeloのアルバムでキーボードを弾き、Commonにサイケデリックな方向性(そして、その後のソウルへの回帰)についてのアドバイスも行うなど、その活動は多岐に渡っている。

更には、Erykah Badu作品にエグゼクティブ・プロデューサーとして関わっている他、The Rootsと共に米人気テレビ番組『Late Night With Jimmy Fallon』のハウスバンドとしてレギュラー出演も果たすなど申し分のないキャリアを誇っている。しかし、Poyserはこのような立派なキャリアを積んできたにも関わらず、まだまだ積極的に活動をしていくつもりのようだ。今回は、先日行われたRBMAのインタビューからキャリアのハイライトを語った部分を抜粋した。


自身のルーツ

私はイングランド・シェフィールドで生まれた。そこで9年間過ごした後、フィリーへ移った。両親はジャマイカ人なので、若い頃は西インド諸島のカルチャーの影響を受けて育った。このカルチャーは私のカルチャーの一部であり、すべてでもある。食事、音楽に対する接し方、人生に対する接し方などに影響を与えている。今でもたまに自分のことをイギリス人だと思う時があるし、ウェスト・フィリーの人間だと思う時もあるが、基本的にはジャマイカ人だと思っている。

教会での音楽活動
私の音楽活動は教会でドラムを叩くことから始まった。誰かから正式なレッスンを受けたわけではないが、教会にドラムセットがあったので叩いていた。母親の話では、小さい頃は母親の編み針を使ってキッチンの鍋などを叩いていたらしい。教会で育つと、音楽が信仰において大きな意味を持ってくるし、音楽に囲まれて育つことになる。教会に行けば必ず誰かが歌っていた。そして家に帰っても常に音楽がかかっていた。こういった環境が、私の音楽的才能を伸ばしたと言えるだろう。そうやって幼い頃はドラムを独学で学んでいった。



フィリーサウンド

ミュージシャンとして駆け出しだった頃は、Philly International Recordsに自分の部屋を持っていた。Whitney Houstonに『The Greatest Love of All』を提供したLinda Creedが使っていた古い部屋だったが、Gamble & Huffにいつでも話に行けたのでクールだった。ある日彼らと一緒に当時のヒット曲のビデオを見ていると、Gambleが「この子はかわいいけど、The Jones Girlsほどじゃないな」と言いだし、Huffが「全然ウチの感じじゃないな」と続けると、2人は笑いだした。彼らは私にとって師匠のような存在だ。今でも会とその場が愛で溢れる。私も彼らのような成功を収めてみたいと思っている。

私はフィリーの教会で演奏しながら成長していった。最初は私の教会だけだったが、徐々に他の教会で演奏するようになっていき、それがクラブやバーでジャズミュージシャンとの演奏へと広がっていった。ミュージシャンが集まって、ジャムをして楽しむというカルチャーがフィリーにはあり、たとえばSilk CityというクラブではKing BrittがDJをしている横で、ミュージシャンが集まってライブをしていた。シンガー、MC、詩人-とにかく誰もが集まってジャムをしていた。Silk Cityの他にはWilhelmina’sやThe Roots的なスタイルのThe Black Lilyというスポットもあった。

『Baduizm』
The Rootsファミリーとして活動をしている時に、Rich Nicholsが「Erykahの作品を手伝ってみないか?」と誘ってきたので、快諾した。Erykahとの関係はそれから始まった。彼女とアフロ-Questloveを私はこう呼んでいる-と一緒に何曲か書いた。3人とも好きなようにやったが、全員がお互いのやり方を尊重していたので、ひとつの方向性に無理矢理持っていくような感じにはならなかった。素晴らしいサウンドだったらそれでOKだった。今でも私たちは良き友人だ。今もお互いのアルバムに参加し続けている。

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Soulquarians
Soulquariansは私、Ahmir(Questlove)、D’Angelo、Dillaが全員みずがめ座(Aquarian)だったということで軽い冗談のような形で始まった。Electric Ladyに集まって全員で話している時に、「じゃあ俺たちはSoulquariansだ!」ということになり、更にはソウルミュージックを手掛けたアーティストは全員Soulquariansだという話に広がった。当時の私は「みんながそう言うならそれで構わない」というスタンスだったよ。Ahmirは思想家、D’Angeloは発明家、Dillaは天才、私はジャマイカ人-Soulquariansは特殊能力を持ったスーパーヒーローチームのような存在だった。その中で私は「みんな、待ってくれよ!」と言うだけだった(笑)。

謙虚な姿勢

"Soulquariansは、「Ahmirは思想家、D’Angeloは発明家、Dillaは天才、私はジャマイカ人」というスーパーヒーローチームだった。
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自分が謙虚だとは言いたくない。何故ならそう言うと逆に謙虚じゃないように聞こえるからだ(笑)。ただ、様々な人たちと上手くやれる才能を授かったと思っている。大抵の人たちと上手くコミュニケーションが取れる。基本的には真面目に取り組むタイプだが、軽く考えることもできる。この仕事では嫌になるほどシリアスな状況が生まれてしまうことがあるので、すべてをシリアスに捉えなくても良いと思っている。だからシリアス過ぎるなと思った時はなるべく明るいムードを作ろうとする。だからErykahと長年上手くやれているのかも知れない。彼女とは言い合うこともあるが、今でもベストフレンドだ。The Rootsも同じ関係だよ。

私がこれまでのキャリアで学んだのは、一緒に仕事をする人たちに彼らがやりたいようにやれるスペースを与えることが大事だということだ。自分なりのやり方があっても、それが常に正しいとは限らない。何百万通りのやり方がある。私のやり方があるとしたら、他の人には他のやり方がある。「その人のやり方を見せてもらおう」と思えばそれでいい。そこから一緒に方法を探っていく。



『Be』

Commonのアルバム『Be』の制作中にKanyeと一緒にスタジオで曲を作っていて、Kanyeから「何かリードを弾いてくれ」と言われた。ここだけの話、私はその時の自分のプレイが全く気に入らなかったのだが、彼は「問題ない」と言ってOKを出した。これは先ほど話した「他のやり方」に通じる話だ。私は満足できなかったが、Kanyeはこれで上手く行くと本能で感じていた。神様(Yeezus)はお見通しだったという話だ(笑)。

Commonのサイケ時代
Electric Circus』の頃のCommonは正直言って、酷かった。彼はウールのパンツとハットを着ていた。彼の頭の中はそういうサイケなイメージで凝り固まっていて、そういう方向に進みたがっていた。何せニットパンツだ。サイケデリックな世界にどっぷりで、サイケロックやアナログシンセの作品ばかりを聴いていた。レコーディングはElectric Ladyで行っていたが、実はPaisley Park Studioに出向いてアイディアを一緒に練ったこともあった。

音楽スタイルの理解

"B.B.Kingの真似ができる人は沢山いるだろう。だが、本人はたったひとつの音で、そこに激しい情熱を込められる。
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父親は西インド諸島系教会の牧師だった。私は全米の教会を回って演奏し、ゴスペルを聴いて育った。ただし、私の育った教会はゴスペルに限定されていた訳ではなかった。それ以外でも何でも演奏した。すべてだったよ。私がプレイヤーとして成長した理由のひとつは、それぞれのスタイルを正確に演奏しようと学んだことにある。レゲエだったらレゲエを、ゴスペルだったらゴスペルを、ジャズだったらジャズを、サイケだったラサイケを、「どうやって表現するんだ」と考えながら、正確に弾こうとした。

「こんなの簡単に弾ける」と言う人は沢山いる。だが、正確に捉えようという気持ちがなければ上手く演奏できない。B.B.Kingの真似ができる人は沢山いるだろう。だが、本人はたったひとつの音だけで、そこに激しい情熱を込められる。だからこそ、彼の音楽は私たちの心に訴えてくる。どういう音楽なのかを正確に理解しながら、演奏や聴き方を学ばなければならない。