四月 14

インタビュー:水晶の舟

世界的な人気を誇る日本のサイケデリックロックバンド水晶の舟。ヴォーカル&ギターの紅ぴらこの貴重なインタビューを紹介する。

By Phil Kaberry

 

名の知れたサイケデリックロックバンドのギタリストにGibson SGを使う理由を訊ねてみれば、Angus Young(AC/DC)やToni Iommi(Black Sabbath)よりも、High Rise、裸のラリーズ、不失者、水晶の舟など、日本のバンドの名前が挙がる可能性が高い。

 

これらの日本発のバンドやアーティストたちは、欧米のサウンドを崇拝しながら育ってきたが、近年、崇拝されているのは彼らの方で、海外のトップアーティストたちから国内の一般的な音楽ファンを凌ぐ多大な支持を受けている。洋楽のみを聴いて育ったと言っても良い彼らだが、そのアヴァンギャルドなサウンドは非常に力強くユニークで、世界各地に大きな影響を与えている。このような日本のアートロックシーンがなければ、Swans、Sunn O)))、Sonic Youthなどは認知されていなかっただろう。

 

サイケデリックミュージックは実験性によって決まる。この音楽は自意識の拡大による自己発見であり、外来の音楽を想像力の糧としている。日本のシーンがミュージシャンたちを魅了している理由はここにあるのだろう。

 

このシーンを日本国外へ紹介した重要な存在のひとつがP.S.F. Recordsで、水晶の舟がその才能にふさわしい評価を得るきっかけを作ったのもこのレーベルだった。水晶の舟は、このレーベルを運営する生悦住英夫によってコンピレーション『Tokyo Flashback 5』に楽曲が収録されると、これを足掛かりにHoly Mountain、8mm Records、Sloow Tapesなどを含む海外のレーベルから次々と作品を発表し、その地位を確立させた。夢の中に誘うような非常に美しいサウンドスケープを紡ぎ出す彼らの才能は、2015年にP.S.F Recordsからリリースされた『星に願いを − When You Wish Upon a Star − 』で新たな高みに辿り着いている。

 

今回の貴重なインタビューでは、ギターとヴォーカルを担当する紅ぴらこが、パートナーである影男との出会いや、灰野敬二とのセッション、そして自然が音楽に与える影響などについて語っている。

 

ギターを手にしたきっかけは? 最初のギターが何だったのか、またどこで買ったのかを憶えていますか?

 

ギターを初めて買ったのは13歳の時でした。当時はフォークブームで、自分たちで作曲し、それを歌うというスタイルに触発され、お茶の水でMartinのアコースティックギターを買いました。ネックが少し痛んでいたので、価格がかなり下げられていたんです。中学生でアコースティックギターを買えたのはラッキーでしたね。

 

エレキギターを初めて買ったのは、水晶の舟を始めた時です。チェリーバーストフィニッシュのLes Paulタイプを自宅から近かった西荻窪の古道具屋で買いました。「チェリー」という曲(2008年のアルバム『祈り/チビ』に収録)でこのギターについて歌っていたのですが、愛猫の白猫チィ ミルクが18歳でこの世を去ったあとは、この曲を即興演奏していく中で、次第にこのギターへの思いとチィ ミルクへの思いが同化していきました。

 

 

水晶の舟を始めた頃は、音楽活動だけに集中していましたか? それとも他の芸術活動も平行して行っていたのでしょうか? 音楽がベストな表現方法だと気付いたのはいつですか?

 

水晶の舟を始める前は、水彩画を描いたり、人形を作ったりしていました。わたしにとっては芸術活動というよりは、実験的なライフワークでした。夢に出てきたイメージのような抽象的な絵画や、人間の魂から放たれるエナジーのような絵画を描いていました。また、空想の動物の人形を大量に作って販売していました。影男に初めて出会ったのがこの頃です。当時の彼は画家で、長年に渡り油彩を描いていました。

 

影男とわたしは初めて出会ってから約2ヶ月間、仕事のあとに集まっては深夜から明け方まで大音量でノイズギターを弾いていました。その頃に、音楽がベストな表現方法だと気付いたんです。これまで体験したことがなかったノイズの嵐の中で、芸術表現の未知なる可能性を見出せました。

 

こうして絵筆をギターに持ち替え、水晶の舟が結成されました。影男とわたしが生み出すサウンドは、絵のようなものです。サウンドを色として捉え、色と想像を組み合わせながら、水晶の舟の世界を即興で作り上げていきます。そこにグルーヴを加えることで、バンドサウンドとしての強度を生み出していきます。わたしはここに生の喜びを感じています。

 

 

 

“人間は自然、友人、そして自分自身をも傷つける愚かな動物です”

 

 

 

自信を持ってライブができるようになるまでは時間がかかりましたか? それともすぐにステージに居心地の良さを感じるようになりましたか?

 

ライブに対して自信を持つ、持たないという概念はわたしにはありません。ありがたいことに、水晶の舟結成から3ヶ月後にロックイベントで演奏するチャンスに恵まれたんですが、そのステージの上では、リングに上がったプロレスラーのように自分たちの音楽に取り組みましたね。今でもライブは自分たちとの戦いだと思っています。

 

その後、ライブ演奏は必然になっていきました。深夜でも真冬でも、やりたいと思った時は、街中へ出掛けて駅の前で演奏していました。路上での演奏はとても刺激的でしたが、警察や通行人に邪魔をされて演奏を途中で止めなければならない時もありましたね。その点、ステージは集中して自分たちの世界観を提示しやすかったので、徐々にステージでの演奏にシフトしていきました。

 

 

水晶の舟の音楽からは自然が強く想起されますし、楽曲の多くは海や花、空や雨などに関するタイトルが付けられています。自然から大きな影響を受けているのでしょうか? 人間は自然と上手く調和していけると思いますか?

 

自然からは大きな影響を受けていますね。影男とわたしは自然を愛しているんです。人間は生活から自然を切り離すことはできません。影男とわたしが即興をすると、自然の風景がイメージとして浮かび上がってきます。歌うときは夢の中にいるような感覚です。シャーマンのような感覚というか、何かが降りてきて、言葉が自然にこぼれ落ちてくる感じです。

 

大地、空、風、雲、雨、海、山、太陽、月、星を近くに感じることで、言葉が即興で刹那的に生まれてきます。そして言葉が少しずつ楽曲に変化を与えていきます。

 

自然は偉大です。人間が自然と調和して生きていけるような世界は、わたしにとっての理想郷ですね。ですが、現世では、人間は自然を切り売りしています。自然は言葉を発することなく破壊されているように見えますが、自然の神はたくましく、人間の目には見えない大きな力を備えていると思います。自然破壊は何か別の形でダメージとして人間に返ってくると思います。

 

人間は自然、友人、そして自分自身をも傷つける愚かな動物です。人間の欲がなくならない限り、戦争はなくならないでしょう。平和は戦いと戦いの間の束の間の休息にすぎないのです。平和への祈りは非常に美しく神聖なものですが、残念なことに、この物質社会は戦争と祈りの繰り返しです。

 

 

水晶の舟の音楽は悲しみに溢れていて、痛みと苦しみを捉えているように聴こえます。この表現方法は非常に日本的だと思うのですが、このスタイルに辿り着いた経緯を教えてください。

 

たしかに、水晶の舟の楽曲、サウンド、言葉は悲しみや痛みといった切ない気持ちから生まれることが多いですね。わたしたちにとって、音楽は人生そのものです。つまり、自分たちが育った環境、そして自分たちの考えや感情が水晶の舟のサウンドに具現化されているんです。

 

影男とわたしに共通しているのは、自分たちの周りに良き理解者が少なかったということです。2人とも、幼い頃は仲の良い友人がいませんでした。幼い頃の影男は花と戯れていましたし、わたしの唯一の友人は猫でした。やがて、影男とわたしが出会うと、お互いに良き理解者になりました。そういう2人なので、人工物よりも、自然や動物から大きな影響を受けていますし、そこから多くの愛や慈しみを学びました。

 

至高の芸術に力強いメッセージや主張のようなものが内包されることがありますが、水晶の舟の音楽のスタイルにもそのような主張や政治的視点が含まれているのでしょうか? それともシンプルな芸術表現なのでしょうか?

 

音楽家は政治家ではなく芸術家だと思っています。社会を変えたければ、芸術家になるよりも政治家になった方が効果的でしょう。芸術家の仕事は、民衆を扇動して革命を起こすことではありません。社会の流れの中に生き、何かを感じ、その感覚や思いから作品を生み出すことにあります。その結果、人々と通じ合い、共感できるのではないでしょうか。

 

わたしたちは意図的、作為的、または露骨な表現をするつもりはありません。水晶の舟の音楽性は非常に個人的なものです。自然体な表現をしたいと思っています。人間は自然体である時が最も虚偽から遠く、魂の赤裸々な真実をさらけ出すからです。人間の偽りのない魂は、時代は国境に縛られません。これはとても大事なことだと思っています。

 

あなたたちはデュオ、4ピース、そしてBardo Pondのような他のバンドとのコラボレーションなどを行ってきましたが、どのフォーマットが一番面白いと感じていますか?

 

すべてが特別なので、甲乙をつけるのは難しいですね。デュオの演奏は時空間が自由なので、どのようなサウンドや詩が飛び出すか分からない楽しさがあり、ディープな精神世界が目の前に現れます。

 

4ピースの演奏は、宇宙遊泳しているような楽しさがありますし、Bardo PondやNuminous Eyeとのジャムセッションは、国籍や文化を超え、彼らの音楽と交わる喜びと楽しさ、そして自由が演奏に表れます。そのセッションはアルバムとして残せましたし、彼らとの出会いには心から感謝していますね。

 

 

 

“ツアーの面白さは、その土地と人のエナジーを受け取り、それが音となって立ち現れるところにあります”

 

 

 

灰野敬二との関係について詳しく聞きたいと思います。あなたたちは何度もジャムセッションを繰り返してきましたが、どのような経験だったのでしょうか? 最初は緊張しましたか? 彼とのセッションは音源化されているのでしょうか?

 

水晶の舟は偉大な音楽家たちと数多くのセッションをこなしてきました。音楽の世界観が近い音楽家やバンドと音を通じてコミュニケーションを取ることに興奮を憶えていましたね。

 

灰野さんとは何回か長時間のセッションをしましたが、すべてコンサート会場でのライブ演奏でした。どのライブも自由で対等でしたね。音の波のうねりの中でお互い言葉を発し合う感じは、まるで嵐の海の船上にいるようでした。灰野さんとのセッションで緊張することはなかったですね。非常に刺激的な体験だったと記憶していますが、音源化されたセッションはありません。経験自体に大きな意味がありました。音源化することは考えていませんでした。

 

灰野さんに限らず、偉大な先駆者たちと直接音を交えることは、わたしたちが音楽家として活動していく上でとても意義のあることでした。彼らの奏でる音は、彼らの音楽家としての生き様のすべてです。わたしたちはそれらを感じることで、数多くのものを得てきました。

 

 

裸のラリーズの元ベーシスト2名が、別々のタイミングで水晶の舟に参加していましたが、裸のラリーズからは個人的にどのような影響を受けていますか? また、裸のラリーズ、そして特に水谷孝に多くの人が魅了されていることについてどう考えていますか?

 

水晶の舟は1999年から活動を始めましたが、裸のラリーズは既に活動していなかったと記憶しています。残念なことに、わたしと影男は裸のラリーズのライブを観たことがなく、水谷氏にもお会いしたことがありません。また、当時は裸のラリーズの音源の入手は非常に困難でした。初めて裸のラリーズを聴いたのはおそらく2004年だったと思います。

 

裸のラリーズのベーシストdoronco氏に会ったのは2002年初夏でした。水晶の舟の音源を渡すと気に入ってくれたので、すぐに交流が始まりましたね。doronco氏のバンド、DASとライブで共演した時もありました。ある日、彼の家へ遊びに行った時に、裸のラリーズの音源が聴けるかどうか訊ねたのですが、「実は僕も1枚も持っていないんだ」と言われました。わたしは非常に驚きましたが、同時に面白いとも思いました。この事実が裸のラリーズの伝説を表しているように感じたんです。

 

水晶の舟はベーシストが不在だった時期があるのですが、その時にdoronco氏は快くベースを担当してくれたので、何回か一緒にライブに出ました。彼の弾くベースは伸びやかで自然体で、バンド全体の音を支える力強さもありました。水晶の舟は即興で詩が生まれることが多いのですが、彼の生き生きしたベースはわたしの想像力を掻き立てくれましたね。ワンコード、ワンリフで延々と演奏する時は特に大きな力になってくれました。まるで音の世界でピクニックしているように楽しかったですね。

 

高橋ヨーカイ氏とは2003年冬に対バンとして出会ったのですが、わたしたちの演奏を聴いた彼は「水晶の舟の音は僕の音に近い」と言っていました。それからしばらくして、今度はわたしたちが彼のライブを見たのですが、彼のベースと歌の感性は独特で、自分たちと重なる部分があると感じました。それでメンバーとして迎え入れたんです。個性的でウェットな彼のベースの感性は水晶の舟と共振しましたし、数多くのライブをこなしました。彼もまた裸のラリーズの音源を1枚も持っていませんでした。

 

裸のラリーズの音源がようやく聴けたのは、2004年に入ってからでした。知人が裸のラリーズの未発表音源を持ってきてくれたんです。衝撃的でしたね。まるで活火山のような、強烈なエナジーの噴出でした。自由奔放に様々な色の溶岩が流れ出すような混沌と混乱のサウンドで、そこに水谷氏の詩が浮かび上がってきました…。裸のラリーズを愛おしく感じましたね。

 

この音源を聴いた時に、doronco氏とヨーカイ氏が裸のラリーズのメンバーだったことを改めて実感したんです。

 

 

あなたたちは世界各国で演奏してきましたが、お気に入りの国はありますか? 海外で演奏したことで、日本に対する印象は変わりましたか?

 

訪れたすべての国や町から刺激を受けています。そこがどこであろうと興味を持ちますし、喜びを見出しています。すべての街、そしてそこで出会うすべての人たちが好きですし、刺激を受けていますね。わたしたちは到着すると、まず「何か」に挨拶します。その「何か」とは、空、海、山、川だったり、植物や動物、古い墓地や寺院だったりと様々ですが、その土地の精霊たちに受け入れられれば、良い演奏をさせてもらえると信じているんです。

 

たとえば、米国のサンフランシスコ、ジャカンバ、アルバカーキでは、強烈な太陽と乾いた風や大地の力強いエナジーを受け取ったことで、パワフルでワイルドな演奏になりました。また、日本のように海と川に恵まれた香港や、湖の多いミネアポリス、雨が良く降る英国など、水と関係の深い土地は心身が馴染みやすく、リラックスして演奏に臨めますね。

 

ツアーの面白さは、その土地と人のエナジーを受け取り、それが音となって立ち現れるところにあります。即興的なアプローチの音楽家にとって、非常に刺激的で意味のあることだと思います。

 

国外に出ると、自分たちが日本人だと実感します。良くも悪くも色々な差異があることに気が付きますね。自分の心も肉体もこの日本の土と水、空気から生まれましたし、先祖代々この地で生きては死んで、また生きてきました。わたしはこの国を愛おしく思います。外国から東京に戻り、空港に降り立つと、化粧水のように柔らかな湿度のある優しい風が迎えてくれます。自分が水を得た魚のようにゆらゆらと泳いでいるように感じますし、周りを歩く人たちもゆらゆらと魚のように泳いでいるように見えます。「ああ、日本だ、東京だなぁ」と思うんです。

 

こういう些細なことが嬉しいんです。東京で生活している時も、身近にある何気ない日本的なものにハッとしている自分に気付くのがとても楽しいですね。自分の国を新鮮な気持ちで見たり感じたりすることは、水晶の舟の音楽に非常に良い影響を及ぼしています。水晶の舟の音楽はこの感覚に根ざしているんです。

 

※この記事は2015年10月にBrown Noise Unitに掲載された英語版・日本語版記事を元に再編したものです。