九月 26

下村陽子インタビュー

『ストリートファイターII』の音楽が生まれるまでの、苦悩と情熱

By Nick Dwyer

 

『ストリートファイターII』の下村陽子のコミカルなサウンドは従来のカプコンのスタイルとは異なったが、各キャラクターの出身国を想像して作られたその楽曲群がこのゲームのサウンドトラックを有名にした。現在公開中のビデオゲームミュージックのドキュメンタリーシリーズ『ディギン・イン・ザ・カーツ』の特別編として、今回は下村陽子本人にビデオゲームミュージックの作曲における悩みや『ストリートファイターII』の制作秘話などについて語ってもらった。

 

 

 

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音楽を好きになるきっかけになった曲はありますか?

 

幼い頃はクラシックをよく聴いていました。ピアノが好きだったので、ピアノを学び始めました。中学校の頃は毎月オーケストラを聴きに行っていましたね。その頃からこの先ずっと音楽と関わっていきたいと思っていましたが、仕事にするかという点については特に拘っていませんでした。

 

在学中から卒業後にどうしたいのか具体的なアイディアを持っていたのでしょうか?

 

ピアノの先生になれば生徒さんを抱えることになるだろうし、それで生活できるようになるかなと思っていました。ですが、偶然大学でカプコンの求職情報を見つけ、これは面白いかもと思ったのです。応募してみようと思い、教授に相談すると、作曲科の学生向きの仕事だと言われたので諦めた方が良いかなと思ったのですが、結局諦めずに入社テストを受けて、今があるという感じです。

 

カプコンへの入社は難しかったのでしょうか? 何をしなければならなかったのでしょう?

 

カプコン入社を考えていましたが、作曲、特にゲームミュージックやデジタルミュージックに関しての知識はまったくありませんでした。本当に世間知らずでしたし、勢いとはったりだけで、仕事への情熱を伝えようとしていました。

 

1980年代初頭、ゲームミュージックは近藤浩治氏とすぎやまこういち氏によって革命が起こされました。ゲームミュージックをゲームミュージックとして考えず、純粋な音楽だと考え始めるきっかけはありましたか?

 

近藤浩治さんの『スーパーマリオブラザーズ』のサウンドトラックは衝撃的でした。それまでのゲームミュージックは音楽と効果音の中間のようなものでしたが、それはそれで意外に気に入っていました。また私はジングルに興味を持っていたので、そういう音楽が作れれば面白いなと思っていました。ですが、初めてこういう仕事がしたいと思ったのは、『スーパーマリオブラザーズ』のサウンドトラックを聴いた時でした。

 

 

ゲームミュージックにクラシックを取り入れたすぎやまこういち氏のゲームミュージックにおける貢献はどのように受け止めていますか?

 

すぎやまさんの中で一番大きな影響を受けたのは、『ドラゴンクエストIII』のサウンドトラックの収録曲「おおぞらをとぶ」だったと思います。勿論、『ドラゴンクエスト』、『ドラゴンクエストII』もプレイしましたし、音楽も素晴らしいと思っていましたが。恥ずかしい話ですが、『スーパーマリオブラザーズ』の音楽を聴いた時は、こういう音楽を作れれば良いなと思いはしたものの、私はクラシック出身だったので、彼のような作品が生み出せるような素養がありませんでした。

 

落ち込んで、泣きながら帰宅したこともありました。

ですが、すぎやまさんの音楽を聴いた時は、クラシック出身の私にもできるかも知れないと錯覚しました。カプコンにはクラシックな音楽を用いるゲームがなかったのですが、今でもすぎやまさんは尊敬しています。偉そうに聞こえるかも知れませんが、『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽がなければ、作曲の仕事はできていなかったと思います。ですので、彼の音楽が私の人生にチャンスを与えてくれたように感じています。

 

カプコン入社当時は作曲についての知識がなかったと言っていましたが、入社後に苦しんだ経験はありましたか?

 

カプコン入社当時は大変でした。どうして入社できたのかと思う位、音楽が作れませんでした。同僚も何故私が入社できたのか不思議に思っていたと思います。作曲に関しては大学で副専攻として学んだだけでしたので、入社後は本当に大変でしたね。落ち込みましたし、泣きながら帰宅したこともありました。

 

 

あなたは『ストリートファイターII』がヒットする前にカプコンに入社しましたが、当時のカプコンの様子、労働環境はどのようなものだったのでしょうか?

 

今振り返ってみると、当時は比較的余裕があったと思います。社員は決まった時間に出社・帰宅し、それで終わらなければ残業という形でしたので、普通の企業と変わりませんでした。当然ながら大会社ではありませんでしたし、規模はビル2棟程度だったと思います。労働時間が長くなる時もありましたが、雰囲気は良かったです。当時のサウンドチームには10人もいなかったと思います。個人専用ブースもなく、大きな長机に並んで仕事をしていました。一体感のようなものがあったと思います。みんなで一緒に仕事をしている感じでした。

 

女性の作曲家にチャンスを与えたという意味で、カプコンは特殊だったのでしょうか?

 

カプコン入社当時、サウンドチームは 企業向けとコンシューマー向けのプロジェクトに分かれていたのですが、両方のトップが女性でした。彼女たちは非常に優秀で、優れた音楽を生み出していました。サウンドチームをリードしていたのが女性だったので、女性は溶け込みやすかったと思います。私が入社する前から彼女たちはそのポジションにいたので、彼女たちがそのポジションについた経緯は分かりませんが、トップが女性だと女性の気持ちを察してくれるので、下で働くのは楽でした。

 

 

ゲームミュージックの作曲が依頼される時は、同時にどのような情報が与えられるのでしょう? キャラクターやスクリーンショットは事前にチェックできるのでしょうか?

 

当時のゲームは制作方法が決まっていました。グラフィックアーティストがデザインを用意して、それが出来上がると、サウンドチームが仕事にとりかかるという流れでした。ゲーム自体が殆ど完成している場合が多かったので、スクリーンショットを見せてもらえる機会も多かったですね。

 

当時のカプコンの典型的な1日を教えて下さい。

 

当時のカプコンでの1日は、多少残業がありました。ですが、残業と言っても一般的な日本のサラリーマンのそれとは違いました。朝は9時からでしたので、8時前に電車に乗って自宅から会社へ通っていました。会社に着いたら、机を拭くのが私の仕事でしたが、よく遅れていたので、その仕事をこなせない時も多かったですね。松前(真奈美)さんと田宮(順子)さんが私の代わりに拭いてくれていたので、申し訳なかったです。もし今も一緒に仕事をしていたら、机拭き100回分はツケが溜まっていたと思います!

 

プレイヤーが飽きないようなループを作る秘訣は?

 

鬱陶しく感じない音楽を作ろうと心がけています。

私自身もゲームが好きで、プレイもしていたので、奇妙な音楽を繰り返し聴くのはプレイヤーには辛いだろうと感じていました。アーケードではそこまで長時間音楽を聴くことはありません。当時を振り返ったり、昔の作品を聴き返したりすると、ボス戦の音楽がたった20秒のループだったことに驚きますね。アーケードならばそれでも問題ないのです。インパクトがあり、執拗に繰り返される音楽でも、実際のゲームプレイは数分なので。

 

ですが、RPGでは何時間も同じ音楽を聴くことになります。ですので、他のゲームとは異なるアプローチでループを制作します。基本的には同じですが、退屈させない音楽を作るというよりも、鬱陶しく感じない音楽を作ろうと心がけています。作曲中は、このパートを繰り返し聴くのは辛いのではないか、複雑なフレーズが多過ぎるのではないかと考え、必要に応じてそのようなアクセントを減らすようにしています。

 

 

『ストリートファイターII』を手掛けることになった経緯は?

 

『ストリートファイターII』は担当したかったというよりは、偶然担当したゲームでした。その時丁度手が空いたので、いくつかのプロジェクトから好きに選ぶことになり、『ストリートファイターII』を選んだのです。今思うと凄くラッキーでしたね。

 

制作が決まったあと、どのように準備を進めていったのでしょうか? 各キャラクターのテーマがありますが、こういうムードの音楽が欲しいなどという要望はあったのでしょうか?

 

『ストリートファイターII』を担当することが決まった後に担当からどういう曲が欲しいのか説明があり、リストのようなものを受け取りました。記憶が正しければ、担当からは各キャラクターのテーマソングが欲しいと言われました。リストを受け取り、どのような曲調を用意しようかと話している際に、様々な国をモチーフにしたステージを見せてもらいましたが、その時に「本当のインドはこうじゃない」と思いました。海外から日本が芸者と歌舞伎の国に見えるのと同じで、その独特のフィルターを通した外国の様子が凄く面白く思えました。

 

そこで、キャラクターに合わせるというよりも、そのステージのムードに合うような音楽を作ろうという話になりました。例えば、インドではリアルなインド音楽ではなく、自分で想像したインド音楽を作りました。そしてワールドミュージックにコミカルな要素を足すのは面白いのではないかと私の提案が通り、その方向で進めることになりました。またキャラクターの体力が3分の1を切ると、音楽がスピードアップして緊張感を生むようにするのはどうかという提案もしました。

 

 

ブランカのテーマソングは人気曲のひとつです。この曲が生まれた経緯を教えて下さい。

 

ブランカのテーマソングの「タカタンタン」というリズムはすぐに浮かびました。リズムは基本的に仕上がっていたのですが、開発後半に入ってもメロディーが生まれてこなかったので、上手くフィットする音楽が作れないかもしれないと不安になりました。ある朝、会社に向かう電車の中で、ブランカの曲が上がらなければ、締切りに間に合わないかも知れないと考えながらドアの近くに立っていたのですが、その時に網棚の上に黄緑の紙袋が置いてあるのを見つけました。それを見た私はブランカの色だと思ったのですが、その瞬間にあの「タリラリラン」というメロディーが頭の中に浮かんできました。「これだ!」と思い、電車に乗っている間ずっと「タリラリラン、タリラリラン」とハミングしていました。電車を下りて歩いている間もハミングしていました。それで会社へ着き、「おはようございます」と言った直後に机に向かって作った曲がブランカのテーマソングです。あの網棚の紙袋には本当に感謝ですね。

 

ブランカのテーマソングは奇妙に感じるパートがあります。ですので、誰かが編曲する際には、そのパートが修正されることもあります。

音楽を学んだ人には、ブランカのテーマソングは奇妙に感じるパートがあります。ですので、誰かが編曲する際には、そのパートが修正されることもあります。ブランカのテーマソングのリズムのキーはメジャーですが、メロディーのキーはマイナーですので、AとAマイナーを同時に聴くことになります。修正すべき点なのかも知れませんが、修正すると完全に違う曲になってしまいます。あの奇妙で収まりの悪い感じが、あの曲をあの曲にしているのです。間違っていると指摘された時もありましたが、今は多くの人たちが好きだと言ってくれていますので、自分では間違っているとは思っていません。最近ようやくそう思えるようになりました。

 

あなたの音楽には様々なサウンドやトーンが用いられています。作曲にはどのような機材を使用したのでしょうか?

 

『ストリートファイターII』の時は、サウンドシステムが搭載されたマシンで作曲をしなければなりませんでした。YM2151というFMサウンドのチップを使用していました。そのチップで音楽を再生して、プログラム上で修正していきました。今のアプリのような感じですね。アプリとは少し違うかも知れません。ですが、ソフトを立ち上げるためのPCがありました。

 

その頃には個人用のシステムが導入されていたので、私も自分専用のPCで作曲していました。FMで鳴らすとどういうサウンドになるのだろうと想像しながら作曲し、MIDIデータでFM音源を鳴らしてチェックし、都度修正するという流れでした。期待通りのサウンドが鳴らなかった場合は、その場で修正していました。FMサウンドチップだったので、サウンドが作り出せたのです。

 

全部で128から255個のサウンドをセーブして、それを修正していきました。エスニックなサウンドやユニークなサウンド、そしてギターのようなサウンドはFMでは出しにくかったので、なるべく近いサウンドにしました。ドラムにはADPCMを使用しました。そのサウンドを最後に組み合わせて曲にしていきました。

 

意外な場所で自分の音楽を聴いた経験はありますか?

 

スペインに旅行に行った時は感動しましたね。バル(スペインのバー)へ入ると、『ストリートファイターII』の筐体が置いてあり、それで子供たちが遊んでいました。子供たちは飲み食いするためではなく、ただゲームで遊ぶために来ていました。外から近所の子供たちがやってきては、すぐに『ストリートファイターII』の筐体へ向かってプレイしていたのですが、その子供たちが遊びながら「ドスコイ」と言っていました。本当に感激しましたし、誇りに思いました。凄く幸せな気持ちになりました。海外で多くの子供たちが日本語を話していることを嬉しく思いました。そんなことになっているとは思いもよらなかったので。

 

 

『ストリートファイターII』をワンコインでクリアするとあなたの顔が画面に表示されたというのは本当ですか?

 

本当です。ワンコインでクリアすると、スタッフロールの画面にスタッフの顔が表示されるようになっていました。誰も見たくはなかったと思いますが、遊びとして盛り込みました。

 

ワンコインでクリアしたことは?

 

一度もありません。昇竜拳も波動拳も出せません。

 

キャラクターは誰を使っていましたか?

 

春麗ですね。ボタンをカチャカチャ連打するだけでしたが。