十二月 07

インタビュー:細井聡司

Steve Reichやジャングルなどを貪欲に取り入れて革新的なビデオゲーム・ミュージックを世に送り出してきた日本人作曲家がキャリアを振り返る

By Nick Dwyer

 

2017年にHyperdubがリリースしたビデオゲーム・ミュージックのコンピレーションアルバム『Diggin’ In The Carts』の収録曲の中で最もユニークな楽曲のひとつに数えられるのが、ほぼ無名のスーパーファミコン用麻雀タイトルのために細井聡司が手掛けた「Mister Diviner」だ。この楽曲は『Diggin’ In The Carts』プロジェクトの掲げる理念「探れば探るほど、素晴らしい音楽に出会える」が正しいことを示している。

 

かつてビデオゲームを楽しんでいた人たちの多くは、自分たちがプレイしていたビデオゲームの音楽を制作した人間がいることを認識していたわけではなかったため、そのような人間の中に優秀なミュージシャンがいることはほとんど知られていなかった。しかし、そのような優秀なミュージシャンたちは非常に意識が高く、日本のフュージョンやYMO、テクノなどを聴きながら、それらから受けた影響を世界中のリビングルームでプレイされる自分たちの音楽に落とし込もうとしてきた。細井聡司の場合は、Steve Reichのミニマル・ミュージックや久石譲の初期作品から受けた影響が、非常に先進的だった日本のビデオゲーム・ミュージックシーンの中で彼にユニークなサウンドを与えることになった。今回のNick Dwyerとのインタビューの中で、細井はビデオゲームとの出会いや他人とは違う音楽を生み出したいという熱い気持ちなどについて語っている。

 

最初に受けた音楽的影響について教えてもらえますか? 音楽家になろうと思ったきっかけになった音楽は?

 

最初に映像音楽を意識したのは、映画『スター・ウォーズ』だったと思います。子供の頃にこの映画を見て、映像と音楽がシンクロしている様子に感動したことを良く憶えています。音楽だけに関して言えば、兄がずっと音楽をやっていて、その姿を幼い頃から間近で見ていたので、兄から大きな影響を受けたと思います。兄の音楽は非常にマニアックで、フリージャズやノイズ、プログレなどの要素が非常に強いものでした。そういう音楽を幼い頃から聴いていたので、自分の音楽も奇妙になったのではないかと思います(笑)。

 

1970年代後半から1980年代前半は、日本のノイズシーンが誕生した時代でした。非常階段などが台頭してきた1980年代から、日本のノイズシーンは素晴らしい歴史を築き上げてきました。ノイズとの関係について少し話してもらえますか?

 

一番大きな衝撃を受けたのは、大友良英さんのカセットテープ作品でした。それまで聴いてきた音楽の中で最もマニアックで、ほぼノイズだけの作品でした。子供の頃にこの作品を聴いて、音楽の世界の中にこのような音楽が存在するということを知ったんです。とても衝撃的でしたね。

 

日本のサウンドトラックについて話をしたいと思います。1980年代の久石譲のサウンドトラックは高いクオリティを誇っていました。宮崎駿と組む前から、久石譲は高田みどりなどを迎えたムクワジュ・アンサンブル(Mkwaju Ensemble)など、素晴らしい音楽を生み出していましたが、久石譲との関係は?

 

最初に久石さんを知ったのは宮崎駿監督のアニメーション作品を通じてでした。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などを観て、彼の音楽に感動しました。これらをきっかけに久石さんの音楽が好きになったので、彼の過去を遡って、他の作品を聴くようになったんです。それで、初期の作品集やソロアルバムなどを聴いていくうちに、「意外にテクノだな」と感じるようになりました。僕はYMOやP-MODELも好きでしたので、その流れで久石さんの初期作品も好きになったんです。

 

 

 

久石譲の先駆者的功績のひとつに、テクノ的なサウンドを生み出したことが挙げられると思いますが、あなたが特に気に入っている久石譲のサウンドトラックはありますか?

 

久石さんのアルバムの中で一番気に入っているのは、初期の『α-Bet-City』です。僕はSteve Reichも好きなんですが、久石さんも初期はSteve Reichの影響を色濃く受けていたので、シンパシーを感じることができたんです。サウンドトラックに関しては、もちろん、先ほど話した『ナウシカ』や『ラピュタ』も好きなんですが、そのあとの『となりのトトロ』で音楽と映像のシンクロが非常にハイレベルなテクニックを使って実現されていることを知って、非常に感動しました。

 

ビデオゲーム・ミュージックの制作を仕事にする前は、どんな音楽活動をしていたのでしょうか? それとも何か別の道を目指していたのでしょうか?

 

僕は正式な音楽教育を一度も受けていません。音楽の道に進もうと決めた段階で、すでにビデオゲーム・ミュージックの音楽家になることを意識していたので、そこを目標に設定して独学で勉強していきました。音楽の専門学校や音楽大学では一度も学んでいません。自分で音楽を作りながら学んでいきました。ビデオゲーム・ミュージックの音楽家を目指す前は、漫画家になりたいと思っていました。それで、しばらく絵を描いていました。音楽と美術が選択肢として用意されていた高校の選択授業も、美術を選んでいました。その頃の僕の中で音楽は趣味的な扱いでした。絵を学びたいと思っていたんです。ですが、途中で絵の才能がないことに気が付いて諦めました。

 

 

ビデオゲーム・ミュージックを自分でも作ろうと思うきっかけになったビデオゲームのサウンドトラックはありますか?

 

僕が学生だった1980年代は、アーケードゲームのサウンドトラックが盛り上がっていました。Namco(現Bandai Namco)、Konami、SEGA、Taito、Capcomなどのゲームが自分たちの周りで流行っていて、それらのサウンドトラックを聴いて、憧れの気持ちを持っていました。その中で僕が一番気に入っていたのが、『PHOZON(フォゾン)』というNamcoのアーケードゲームでした。このゲームのサウンドトラックは効果音と音楽が一体化したような不思議なものだったんです。それを聴いて、ビデオゲーム・ミュージックなら映画、アニメ、ドラマの音楽とは違う、もっと新しい音楽が生み出せるのではないかと思い、この世界を強く意識するようになりました。

 

あなたはすぎやまこういちが手掛けた『ドラゴンクエスト』シリーズのサウンドトラックも好きだという話を聞きました。彼の音楽のどこに魅力を感じているのでしょう?

 

すぎやまさんは一流の音楽家ですが、ビデオゲームの大ファンでもあるので、ビデオゲーム・ミュージックの作り方や構造について深く理解しているんです。ですので、ビデオゲーム業界に属していない音楽家が参加したビデオゲームが数多く存在していた中で、すぎやまさんが手掛けた音楽はビデオゲーム・ミュージックとして非常に高いレベルで機能していました。これがすぎやまさんの音楽の大きな特徴だと思います。僕が一番好きなのは、『ドラゴンクエストI』のアレフガルドのフィールド曲(「広野を行く」)です。『ドラゴンクエストI』のフィールドは『ドラゴンクエスト』シリーズで唯一、たったひとりで移動しなければならないのですが、「広野を行く」はそこがきちんと反映されていて、シリーズの数あるフィールド曲の中で唯一もの悲しい曲なんです。この機能性が好きですね。

 

 

あなたは1992年にビデオシステムへ入社しましたが、入社した経緯について教えてください。

 

高校卒業後に就職活動をしなければならなかったのですが、半年ダラダラと過ごしていました(笑)。それこそ『ドラゴンクエストIII』と『ドラゴンクエストIV』をその半年間ずっとプレイしていて、仕事は一切していなかったんです。その姿を見た両親にそろそろ働けと言われまして(笑)、京都が地元だったので、京都の近くでビデオゲームを開発している会社を探し始めました。それで、ビデオシステムに採用されて働くことになりました。

 

あなたの作品には、これまで私がインタビューしてきた日本のビデオゲーム・ミュージックの作曲家の作品とは異なる独特の品が感じられます。そして、あなたが当時住んでいた京都も品があると言われています。京都はあなたの音楽に影響を与えたと思いますか?

 

京都は盆地なんです。ですので、他から隔離されているようなところがあるんですね。この地形的特徴があるので、住んでいる人も外向きより内向きの人が多く、個人的には、オタクを生み出しやすい土地だと思っています。ですので、京都に住んでいた当時は、家に籠もって細かいことをやっている人が多いなと感じていました。今振り返ると、僕もそのひとりだったんじゃないかなと思います。家で黙々と音楽を作っていたわけですから。あと京都は… 妖気と言いますか、もののけ的な雰囲気も特徴だと思います。妖怪や天狗についての話がありますし、妖怪などを封印するための鳥居なども市内に置かれているので、他の都市とはどこか違う、独特の空気が流れていたように思えます。

 

当時のビデオシステムの雰囲気について教えてください。他の大手ゲーム会社とはどう違っていたのでしょうか?

 

ビデオシステムはそんなに大きな会社ではなかったので、スタッフの数もそんなに多くありませんでした。ですので、比較的自由にやらせてもらえたと思っています。入社してすぐにタイトルを任されましたし、機材を入れ替えるなど、音楽制作の環境も整えてもらいました。上司が色々と許してくれたんです。自由な空気の中で制作できたのはラッキーだったと思います。

 

社員が数人しかいなかったということは、あなたが作曲やプログラミングなど、サウンドの全てを担当していたということでしょうか?

 

プログラムは担当していませんでした。同時期に入社していた新人のプログラマーを自分に付けてくださいと会社にお願いして、サウンド専門として僕についてもらいました。それで、必要なドライバなどを彼に頼んで、システムを組んでもらいました。僕が担当していたのは楽曲とサウンドエフェクトの制作ですが、プログラマーにも指示を出していました。

 

 

 

“若い頃は、世の中にない音楽を作りたいという気持ちが強かったですね”

 

 

 

サウンドエフェクトに関してですが、ひとつのサウンドエフェクトを制作するのにどのくらいの時間がかかっていたのでしょうか? 当時のサウンドチップはそこまで優秀ではなかったと思います。制作に一番苦労したサウンドエフェクトは?

 

タイトルによって制作期間は異なっていましたが、基本的には1タイトルの楽曲とサウンドエフェクトの制作に半年ほどかけていました。一番苦労したのは、『SONIC WINGS 2』から使い始めたボスの爆発音と、このシリーズのプレイアブルキャラクターのひとり、緋炎の搭乗機が放つレーザービームのサウンドですね。苦労した甲斐があって、良い音になったと思います。

 

爆発音とレーザービームはどうやって制作したのでしょうか?

 

爆発音に関しては、素材集を重ね合わせたり、EQを調整したりしながら作り上げていきましたが、レーザービームに関しては、世の中に存在しないサウンドなので、いちから作る必要がありました。このようなサウンドを作る時は、通常は当時の開発環境として用意されていたコンピューター、Sharp X68000を使っていました。そのFM音源を使って音を作り上げたあと、サンプリングしてから基板に落とし込んでいました。

 

ビデオシステムは数多くの麻雀タイトルをリリースしていました。中にはアダルトなタイトルもありましたね。そのような麻雀タイトルを積極的に開発していた理由は何だったのでしょうか?

 

単純に、アダルトなビデオゲームは儲かったんだと思います(笑)。ですが、徐々に公序良俗的に良くないという雰囲気になり、アーケードが置かなくなってしまったので、シューティングなどの別ジャンルの開発に方向転換する必要が出てきたんだと思います。

 

法律で禁止されたのでしょうか?

 

法律で禁止されたわけではありませんが、世の中がこういうゲームは良くないというムードになっていったんです。それで、アーケードの自主規制的な形で置かれなくなっていきました。

 

『Diggin’ in the Carts』の取材を進めていく中で、私はビデオゲーム・ミュージックの歴史を振り返ってきました。ファミコンのクラシックタイトルや、PC-8801を含む、あらゆるゲームのあらゆるサウンドトラックを聴いてきました。その中で最大のサプライズだったのが、『The 麻雀 闘牌伝』のサウンドトラックでした。あの素晴らしいサウンドトラックが生まれた背景について教えてください。

 

『The麻雀 闘牌伝』のサウンドトラックが世に出た一番大きな理由は、あのような音楽をボツと判断する人がいなかったからです。そういう人がいなかったので、僕は自分の好きな音楽を作ることができていました。また、若かったので、世の中にない音楽を作りたいという気持ちが強かったというのも理由のひとつだと思います。麻雀タイトルと言われて、簡単に想像できるような音楽は絶対に作りたくありませんでした。あとは、スーパーファミコンの音楽はメモリの制約などがあったためにどれも似たような音になりがちでしたので、スーパーファミコンらしくない音を作り出す実験をしてみたいという気持ちもありました。それで、いつもとは違う変わった楽器の組み合わせや自分で弾いたバイオリンのサンプルを使ってみたり、欧米風の楽曲に三味線や太鼓を入れてみたりしました。こういう実験を楽しみながら繰り返していましたね。

 

 

『The麻雀 闘牌伝』はミニマリズム、ミニマルミュージックに大きく影響されています。ミニマリズムに興味を持ち始めたきっかけは何だったのでしょうか?

 

ミニマリズムとの初めての出会いはSteve Reichでした。ビデオシステムでも一緒に仕事をしていた、サウンドクリエイターのPirowoという人物がいるのですが、中学生 − 14歳くらい − の頃に、彼がラジオでオンエアされたSteve Reichの「Six Pianos」をカセットテープに録音して、僕に聴かせてくれたんです。その時も、こういう作品が音楽として認められているのかと衝撃を受けました。それで、自分もこういう音楽を作ってみたいと強く思うようになりました。就職したあともその思いがまだ残っていて、いつかSteve Reich的なミニマルな音楽をビデオゲームに取り入れようと考えていたんです。ミニマル・ミュージックとビデオゲームの相性も良いだろうと思っていました。

 

Pirowoは小学校の頃からの友人で、今も付き合いがあります。僕がビデオシステム入社した時、彼は大学生だったのですが、大学を辞めさせて、無理矢理会社に引きずり込んだんです。

 

Steve Reichの音楽のどこに魅力を感じていたのでしょうか?

 

繰り返し聴いていると気持ちが高揚していき、トランス状態に入れるという点がひとつですね。あとは前衛音楽なのにキャッチーな点です。実験音楽や現代音楽は大好きなんですが、難解すぎる作品や、インプロヴィゼーションの要素が強すぎる作品はあまり好みではなかったんです。その中で、Steve Reichの作品は構成がしっかりしていますし、メロディもはっきりしているので、ポップだなと思ったんです。マニアックさと分かりやすさが共存しているところにとても魅力を感じました。

 

ビデオゲーム・ミュージックの黎明期にも、慶野由利子など、ミニマリズムに興味を示していた音楽家が何人かいましたが、驚くことに、当時の内蔵音源チップは発音数がかなり制限されていた中で、彼女のようにミニマリズムに取り組んでいた音楽家は多くありませんでした。当時の音源チップはミニマリズムの表現にはパーフェクトだったと思うのですが?

 

昔のビデオゲーム・ミュージックはメモリやハードウェアの制限上、発音数に限りがありました。そして、その制限がミニマル・ミュージックや、前衛的で新しい音楽を生み出しました。僕もそういう制限の中で生み出された面白い音楽に憧れて、この道に進んだわけですが、当時の音楽家で、元々そういう音楽が作りたかったわけではなく、偶然、または仕方なくそういう音楽になっただけだという思いを持っている人は少なくないと思います。また、そういう人たちは、自分たちが新しい音楽を生み出していることに気付いていなかったとも思います。これが理由で、ハードウェアの進化に従って普通の音楽が増えていったんです。僕は退屈な方向に進んでしまったなと感じていました。初期ビデオゲーム・ミュージックの面白さに気付き、「新しいテクノミュージックだ!」と言っていたのが、細野晴臣さんや上野耕路さんのような、ビデオゲームに関わりがない人たちだけだったというのは、少し寂しいというか、残念に思いますね。

 

 

 

“『SONIC WINGS 3』は制作よりも、ジャングルを自分なりに消化して、どうやって新しいビデオゲーム・ミュージックに変えていくのかについて考える方が難しかったです”

 

 

 

『The麻雀 闘牌伝』のサウンドトラック制作当時を少し振り返ってもらえますか?

 

当時のプランナーは一般的な麻雀タイトルを開発したいと思っていたはずですが、僕が頑なにそのようなタイトルに合うような音楽を制作しなかったので、途中で諦められました。このサウンドトラックには色々な仕掛けを用意したのですが、その中で一番気に入っているのが、先ほど話に出た、Steve Reich的な楽曲の中の仕掛けです。この楽曲は非常に長いのですが、ループする際に一瞬セリフが入るんです。しばらく聴いているといきなり驚かされるような仕掛けを用意するのは楽しかったですね。

 

『SONIC WINGS 2』のフランスステージの曲も途中で女性の声が入ってきます。このような仕掛けはあなたの作風と言えるのでしょうか?

 

そうですね。不自然な音と言いますか、聴いている人がびっくりするような要素を入れたいと思っています。

 

『The麻雀 闘牌伝』は本当に素晴らしいサウンドトラックだと思いますが、当時の周りからの評価はどうでしたか? 手応えは感じられたのでしょうか?

 

社内で特に評価されることはありませんでしたが、あるゲーム雑誌がこのゲームを取り上げた記事の中で、麻雀タイトルとしてはあり得ない、現代音楽的な音楽や不協和音などが沢山入っていると書いていたんです。あの記事を読んだ時は嬉しかったですね。

 

 

その頃、あなたはNEO・GEOのタイトル群の音楽も手掛けていました。あなたは、特に海外では『SONIC WINGS 2』の作曲家として広く知られています。NEO・GEO時代の楽曲制作、特に『SONIC WINGS 2』の楽曲制作について振り返ってもらえますか?

 

ビデオシステムに入社した頃、オリジナルの『SONIC WINGS』の開発が終盤を迎えていました。『SONIC WINGS』のサウンドトラックは別の音楽家が担当していたんです。僕たち新入社員は、彼がFAXで送ってくる楽譜のマニュピレートを任されていました。僕はそのあとに、別のタイトルで作曲家としてデビューするんですが、その楽曲が社内で高く評価されたので、『SONIC WINGS』の続編を開発するという話が出た時に、音楽を任されることになりました。その時に、開発環境を作り直してくださいというお願いをして、システムを入れ替えたんです。ですので、『SONIC WINGS 2』のサウンドトラックのクオリティはオリジナルよりも遙かに高いと思います。

 

NEO・GEO用タイトルの音楽制作とスーパーファミコン用タイトルの音楽制作の違いについて教えてください。

 

この2つは同時発音数やメモリ容量が大きく異なっています。NEO・GEOの方が性能が良く遙かに自由でしたし、大容量を活かしたフレーズサンプリングや楽曲を丸々サンプリングするような手法も多用されていましたが、僕は内蔵音源を使ったシーケンスに拘っていたので、スーパーファミコンでもNEO・GEOでも制作方法はほとんど同じでした。

 

NEO・GEOの内蔵音源はYamaha YM2610でしたが、この音源チップの特徴について教えてください。

 

一番大きな特徴は、YM2610にはSSG(PSG)音源が3チャンネル用意されていたことですね。当時はFM音源とPCM音源が主流でしたが、SSG音源はこれらより一世代前なんです。ですので、SSG音源を積極的に使用しているNEO・GEOタイトルは多くありませんでした。それで逆に、『SONIC WINGS 2』ではSSG音源を使おうと思ったんです。ですので、このゲームのサウンドトラックにはPSG音源特有の矩形波やノイズが数多く使われています。このようなサウンドが『SONIC WINGS 2』のサウンドトラックのカラーになっていると思います。

 

1994年〜1995年頃にジャングルにのめり込んだという話を聞きましたが、ジャングルとの出会いについて教えてください。

 

これもPirowoのおかげなんです。彼は最先端の音楽に興味を持っていました。『SONIC WINGS』シリーズに関しては、作品毎に全く異なるスタイルを持ち込むということを決めていたので、『SONIC WINGS 2』の開発が終わって、『SONIC WINGS 3』の開発がスタートすると、全く違う音楽を用意するための打ち合わせを重ねていきました。その打ち合わせの中で、Pirowoが「こんな音楽はどう?」などと言って、色々な音楽を聴かせてくれたんです。その中のひとつがジャングルでした。その前にロッテルダム(ガバ)を聴かされたんですが、さすがにビデオゲームには合わないということで却下していたんです。それで紹介されたのがジャングルでした。特に好きなアーティストはいませんでした。様々なアーティストのトラックを聴きながら、ジャングルの本質や特徴を分析し、『SONIC WINGS』シリーズの世界観にどう落とし込めば良いのかを考えていきました。

 

全曲ジャングルのサウンドトラックは『SONIC WINGS 3』が世界初だったと思いますが、この事実を認識していましたか?

 

はい。もちろんそうなることを狙って制作していました。「まだ誰もやっていないぞ」と思いながら制作していましたね。

 

 

NEO・GEOで本格的なジャングルサウンドを生み出すのは難しかったですか?

 

NEO・GEOはメモリ容量が大きく、ブレイクビーツやループを数多く入れることができたので、技術的な部分に関しては特に問題は感じていませんでした。ですが、当時のジャングルをそのまま再現しても、シューティングゲームには合わないだろうと思っていました。ですので、制作自体よりも、ジャングルを自分なりに消化して、どうやって新しいビデオゲーム・ミュージックに変えていくのかについて考える方が難しかったですね。

 

ビデオシステムのような比較的小さな企業に勤めていたことを幸運として捉えていますか? 麻雀タイトル用のミニマルミュージックや世界初のジャングルサウンドトラックのような実験的な音楽制作は、任天堂はもちろん、KonamiやCapcomのような大企業ではおそらく不可能だったのではないかと思います。

 

そうですね。ビデオシステムに勤めていなかったら、ジャングルのサウンドトラックや『The 麻雀 闘牌伝』の音楽、そして『タオ体道(Ta.o Taido)』の音楽は作れなかったと思います。ですので、ビデオシステムと直属の上司には今でも感謝しています。

 

ビデオゲーム・ミュージックの制作を仕事として捉えていましたか? それとも遊びの感覚が強かったのでしょうか?

 

100%遊びでした。楽しかったですね。

 

内蔵音源を使用しながら制作していた1990年代のサウンドトラックの中で、特に気に入っているサウンドトラックはありますか?

 

一番気に入っているのは『The 麻雀 闘牌伝』のサウンドトラックですね。もう二度とこんな自由に制作できるチャンスはないだろうと思いながら、楽しく自由に制作した音楽なので気に入っています。『SONIC WINGS 3』のサウンドトラックも、制作した当時はその先進性を誇りに思っていました。ですが、今聴き直してみると『SONIC WINGS 3』より『SONIC WINGS 2』の方が変わったことに挑戦しているんですよね。ですので、今は『SONIC WINGS 2』の方が好きですね。チャンスがあれば、リミックスアルバムを制作してみたいです。

 

ニュージーランド人から、自分が25年以上前に手掛けた麻雀タイトルのサウンドトラックについて質問されたり、その中の楽曲がコンピレーションアルバムに収録されることをどう感じていますか? ほとんど無名のビデオゲームのために制作した音楽が25年以上経ってから評価されていることをクレイジーだと思いませんか?

 

本当にそう思いますね。もちろん、『The 麻雀 闘牌伝』の楽曲は大好きなんですが、当時は人に評価されることを意識していませんでした。単純に自分の好きなことだけをやっていただけでした。好き勝手に作った音楽が、他人、ましてや海外の人たちに評価されるようになるとは夢にも思っていなかったので、凄く嬉しいですね。

 

あなたがビデオゲーム・ミュージックの制作を始めてから、この音楽の世界はどう変わったと思いますか?

 

先ほども少し話しましたが、かつてはハードウェアの制限が結果的に面白い音楽を生み出していました。そして、ハードウェアが進化し、作曲家が元々やりたかったことができるようになるに連れて、徐々に退屈になっていきました。ですが、今はまたその次の時代に入っていて、テクノロジーやハードウェアの進化によってまた面白い音楽が生まれてきていると思います。たとえば、インタラクティブ・ミュージックがそのひとつですし、実験的な音楽が受け容れられる土壌が生まれつつあるように感じています。若い世代が今まで存在しなかったような新しいビデオゲーム・ミュージックを見つけ出してくれるのではないかとワクワクしていますし、自分もそのひとりになりたいと思っています。