八月 19

インタビュー:Lightning Bolt

ロードアイランド出身のベテラン・ノイズロックデュオとの対話

By Red Bull Music Academy

 

Brian ChippendaleとBrian Gibsonの2人から成るLightning Boltは、1994年にRhode Island School of Designでの結成以降、これまでのキャリア20年を通じて7枚のアルバムをリリースしている。メタル、ノイズ、パンク、そして歪んだヴォーカルを組み合わせた彼らのフリーフォームなサウンドは、1999年にLOAD Recordsからリリースされたファーストアルバム以降進化し続けており、生々しいライブパフォーマンスと相まって、Lightning Boltはノイズロック史における地位を確実なものにしている。

 

裏道や駐車場など独特な場所をヴェニューとして使い、目の前の観客を時として完全に圧倒するライブパフォーマンスを展開することで有名なLightning Boltは熱狂的なファンを抱えており、彼らの多くは2人のツアーを追ったドキュメンタリー『The Power Of Salads』で確認できる。

 

Sun RaやCaptain Beefheartに始まり、Philip Glassから童謡に至るまで、あらゆる音楽に触発されて生み出される彼らの音楽は独自の言語と呼べるもので、エフェクターやルーパーなどによって破壊的な音像として襲いかかってくる時も多い。RBMA Radioのインタビューからの抜粋となる今回の記事では、そのサウンドの源流を辿っていく。

 

 

1990年代のプロビデンス(バンドの出身地)はどうでしたか?

 

BRIAN CHIPPENDALE

1990年代のプロビデンスは最高のビーチとシーフード、青い空… ってところかな。あと、凄い嵐、浸水したストリート、屋上からしたたる血、ひからびた人間もいれば、自分に火を付けてる人もいた。多いに触発されたよ。っていうのは冗談で、俺たちはプロビデンスにあるRhode Island School of Designという学校に通っていたんだ。それで1990年代中頃に大きなウェアハウスを借りて、そこをFort Thunderと名付けて暮らしていた。当時のプロビデンスは、音楽と奇妙なアートが出会い始めた感じがあった。それらがすべて上手く結びついたあとは、本当にリッチでエキサイティングなシーンになったし、エッジも効いていた。当時はArab On RaderやSix Finger Satelliteなどをはじめとする強烈なバンドが沢山いたよ。

 

BRIAN GIBSON

Lazy Eyeもね。

 

BRIAN CHIPPENDALE

Lazy EyeはBrian Gibsonの一番のお気に入りだったんだ。

 

BRIAN GIBSON

俺は好きだったね。

 

BRIAN CHIPPENDALE

お前は7インチを2枚持っていたっけな…。全部機材が壊れたからドラムだけになって、その後で誰かがマイクのヴォリュームを上げてフィードバックとドラムだけしか聴こえなくなったはLazy Eyeのライブだったっけな?

 

BRIAN GIBSON

あれは凄かったな。刺激されたね。

 

Fort Thunderの名前が出ましたが、知らない人のためにこれが何だったのか少し説明してくれますか?

 

BRIAN CHIPPENDALE

Fort Thunderは1995年から2001年まで俺と仲間で借りていたウェアハウスさ。10人位住んでいたかな。中は廃材ばかりで、広さは650㎡位あった。だから奇妙なゴミがどんどん集まってきたし、俺たちはそれをまとめて壁に打ち付けて、奇妙なスペースを作ったんだ。インスタレーションみたいなものだったね。ライブやプロレスもやった。よく河口付近にゴミが溜まってるだろ? まさにあんな感じさ。結局追い出されて壊されてしまったけど。

 

 

 

"彼の演奏についていくには、全部の弦を力尽くで叩かないとダメだった"

Brian Gibson

 

 

 

その跡地は何に?

 

BRIAN CHIPPENDALE

Staples(米国の大型文房具チェーン)の駐車場になった。もう今は使われてないね。ぶっ壊した時はクールだったな。壁中に紙を貼ってさ、好き放題描いたんだ。それでいざ壊すと、その紙が町中に飛んでいったのを憶えているよ。あの光景は俺たちのエナジーを放出したように思えたし、紙はウィルスのように飛んでいった。解放されたんだよ。

 

2人が音楽制作を開始したのはいつですか? 最初から2人でやろうと決めていたのでしょうか? それとも結果的にそうなったのでしょうか?

 

BRIAN GIBSON

始めた頃は2人でやるとは決めていなかった。実際、最初は色んな奴らと一緒にプレイしたしね。RISD(Rhode Island School of Design)に入学した時、先輩がひとりいて、彼に学校で一緒にプレイできる奴がいないか訊ねたんだ。彼からは「Brian Chippendaleとプレイしないとダメさ。奴はプロビデンスのナンバーワンドラマーだ」って言われたんだ。どうやって出会ったのかは思い出せないな。パーティでプレイしているのを観たのは憶えているけどね。Fuzzy Doorだったっけかな?

 

BRIAN CHIPPENDALE

ウヘー。大昔だな。

 

BRIAN GIBSON

あそこの上の部屋でお前ひとりでプレイしていたんだよな。下はパーティをしていたけど、下にいてもお前が上でドラムをぶっ叩いてるのが聴こえたんだ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

下の階がパーティしている中で、俺は屋根裏でドラムを叩いていたんだ。

 

BRIAN GIBSON

お前がプレイしていた屋根裏にはあと2人位いたかな。そいつらは全員耳を押さえながら床に座ってた。お前はひたすらトライバルビートを叩いていたよ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

それは憶えてるな。

 

BRIAN GIBSON

あの時にお前に話しかけたかどうかすら憶えてないけど、「いいドラマーだな」って思ったんだ。それでしばらく一緒にプレイしたら、お前がテキサスへ行ったんだ。そして帰ってきたお前にバッタリ会うと、その時は別のベーシストとファンクをプレイしていた。

 

BRIAN CHIPPENDALE

俺がファンク?

 

BRIAN GIBSON

スラップのベーシストに合わせてファンクビートを叩いていたよ。楽しそうじゃなかったけど、上手かったね。

 

BRIAN CHIPPENDALE

この話はカットだな。あれは確かアートエキシビションか何かのオープニングで、「ドラムを叩いてくれよ」って頼まれたんだ。だからファンキーなベースラインを弾いている奴に合わせて、踊れるようなビートを叩いていたんだ。

 

BRIAN GIBSON

「なんだよ、Brianが帰ってきてるじゃないか。また一緒にプレイできるかも」って思ったのを憶えているよ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

「ファンクなビートを叩いてくれるかも」だろ?

 

BRIAN GIBSON

1年生の学年末に少し一緒にプレイして夏休みになると、俺は実家へ帰った。もっと一緒にプレイしたいって思ったけど、持っていたHartkeのコンボアンプをダメにしたのさ。だから実家があるバーモント州バーリントンへ戻って、コックとしてバイトして、SWR 4x10を買うための金を貯めたんだ。確かアンプの絵を描いた手紙をお前に送ったんだよね。

 

BRIAN CHIPPENDALE

そうだった。

 

BRIAN GIBSON

「これが新しいアンプだぜ!」ってね。俺は超盛り上がってたんだ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

俺はまたテキサスへ向かおうと思っていたんだ。

 

BRIAN GIBSON

そうそう。実際また一緒にプレイしたのがいつか憶えてないな。いずれにせよ、1年生の夏休みに新しいアンプを買うために貯金していたのは憶えている。

 

 

一緒に曲を書き始めた時はどうやって作業を進めていたのでしょう? 長年の活動でその部分に変化はありましたか?

 

BRIAN CHIPPENDALE

何も変わってないね。

 

BRIAN GIBSON

最初の頃は、Brianのプレイに対して、俺は超おとなしくしていた。だからノイズとテクスチャだけが聴こえていた。レコーディングしたら、クールに聴こえたしね。ただ、練習している時は、彼の演奏についていくために全部の弦を力尽くで叩かないとダメだった。

 

BRIAN CHIPPENDALE

俺のドラムは超ラウドだったからな。

 

BRIAN GIBSON

初期の作品はテクスチャ感が強くてノイジーだけど、2人ともそれが気に入っていたんだ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

ああ。リズム重視なんだよ。

 

BRIAN GIBSON

多少メロディーがあった方がいいかなと思ったんだけど、ちゃんとした機材が揃うまでは無理だった。実際に揃うまで数年かかったね。でも初期の作品の中にもクールな曲があるよ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

俺たちはとにかくジャムばっかりしていた。曲の殆どはジャムが元になってるね。たまにどっちかがリフのアイディアを思いついたり、俺がビートを思いついたりするけどさ。大抵はただ一緒に自由にプレイして、それをレコーディングして、何か良い部分がないか聴き直すって感じさ。昔からフリーフォームだったんだ。

 

どんな音楽がやりたいかについて話し合ったこともないよ。ただ集まって俺がドラム、こいつがベースをプレイするだけ。それで最後に「今の良かったな!」って言うのさ。ずっとこうだよ。最初から形を決めることはあまりないし、何も形として残さない。何回もプレイするうちに、楽器や環境的な制限から勝手に形が生まれる時もあるけどね。こうしたいとあえてメモしたこともないし、外部から多大な影響を受けたわけでもない。2人を同じ部屋に放り込めば、それが俺たちの音楽ってわけさ。

 

 

作品に残す時の手順は?

 

BRIAN CHIPPENDALE

曲は作品にする頃までにはかなりしっかりまとまっているんだ。大抵はツアーのあとにレコーディングする。作品になるまで数年かかる曲もあるけどね。新作には5年かかった曲が入っているんだ。アルバムを作るまでに5年かかったからさ。このアルバムの収録曲は構成がちゃんと決まっている。中には昔みたいなスタジオのインプロがベースになっている曲もあるけどね。今は両方のスタイルで曲作りをやろうとしているんだ。

 

俺たちのアルバムの大半は構成重視なんだ。そこに気付かない人やそれが分からない人もいるだろうけどさ。昔のアルバムを聴いた連中から「今はちゃんと曲をプレイしているんだな。最高じゃないか」って言われたけど、「それはどうかな。俺たちは昔から『曲』をプレイしてるぜ」って返したよ。別に昔から変わってないんだ。多分昔よりクリーンなレコーディングができるようになったから、世間は曲だって理解できるのかもな。

 

BRIAN GIBSON

練習はインプロを多用する。でも、ライブではインプロの「不確定要素」があまり好きじゃないんだ。何回か試したけど、ライブ全体をインプロで通したのは数回しかないね。何が次に起こるか観客が分かっていないっていう状況はちょっと厄介なんだ。アイディアとしては好きなんだけど、実際にやるとどうも落ち着かない。観客が反応してくれるってあらかじめ分かっているものを用意する方が落ち着くね。でもおかしな話さ。2人とも少なくとも練習では、曲をプレイするよりもインプロの方が好きなんだから。

 

BRIAN CHIPPENDALE

そうなんだよ。地元にいる時と、ツアーに出てライブをこなしている時のLightning Boltは完全に違う生き物さ。オールインプロで、曲を一切プレイしない時代もあった。プロビデンス周辺みたいな、頻繁にプレイするエリアではインプロでも上手く行くんだよな。

 

でも、例えば5年ぶりにロンドンに行くとさ、観客が分かるものをとことん与えたいっていう本能が働くんだ。そこは格闘だよ。アイデンティティとの戦いさ。自分たちはロックバンドなのか、それともフリーフォームバンドなのか? ってね。でも俺たちはロックバンド寄りだし、まぁ「ロックバンド」だよ。だから曲はあらかじめ用意されているんだ。でも、プレイしている時に曲と戦っているような感覚に陥ることがある。右へ左へと曲を振り回して、いつも同じ曲にしようとするんだけど、前の晩とは同じにならないんだ。

 

 

あなたたちはステージではなく、フロアでプレイすることでも知られています。

 

BRIAN GIBSON

そうなんだよ。始めた頃は、別にクレイジーなことだとは思ってなかったんだよね。誰かの家のキッチンや地下室とかでプレイしていたわけだからさ。ステージでプレイした方が良い時にあえてフロアを選んだことはそこまで多くないけどな。

 

BRIAN CHIPPENDALE

クラブのサウンドエンジニアと何回か議論をしたのを憶えてるね。「なんでステージでプレイしないんだ?」って言われるから、俺たちは「ステージがクソだったらフロアは空っぽになって、客が隅に行くだろ。だから俺たちがフロアでプレイするんだ」って返した。最初は単純に楽しかったね。フロアの出入り口の前にセットを置いて、観客が出入りできないようにした時もあったな。

 

BRIAN GIBSON

火事になったらヤバいって感じだった。

 

BRIAN CHIPPENDALE

別に問題なかったよ。あの日は雨が降ってたし。でも、いくつか問題が起きて、ステージをプレイする場所として考えるようになった。プロビデンスの複数のステージがあるヴェニューでプレイした時があって、俺たちがセットを置いたフロアとは別のステージで、仲間のバンドがプレイしていた。でも、俺たちの周りに立って俺たちのプレイが始まるのを待っていた観客が、仲間のバンドに背を向けていたんだ。その時に「こりゃもうやめた方がいいな」って思ったよ。俺たちを楽しみにしている観客が仲間のバンドに背を向けるのは気が滅入った。その時に自分たちがしていたことに初めて疑念を持った。背が低い女の子も観られないしさ。

 

影響を受けたバンドや音楽について伺いたいのですが。そのひとりとして、Philip Glassの名前を挙げています。

 

BRIAN GIBSON

メディアってのは特定の発言があっという間に広がるんだよな…。Philip Glassは多分Wikipediaに書いてあったんじゃないかな。2001年頃に影響を受けた人物として名前を挙げたんだと思う。でも、色んな人から影響を受けているよ。

 

アルバム『Ride the Skies』の頃に俺がアルペジオを弾いている曲がある。当時は3種類のアルペジオが繰り返されるPhilip Glassの楽曲に凄く刺激されてさ。だからアルバムには彼の曲を意識した曲が2曲程入っていると思う。でも、どの曲もそれぞれ違った影響を受けているし、違ったアイディアで書かれているんだ。
 

BRIAN CHIPPENDALE

何年も前にPhilip Glassからの影響は終わったんだ。

 

BRIAN GIBSON

Philip Glassは一部だよ。影響は受けているけど、もう彼の音楽は聴いていない。実際、俺が一番影響を受けた音楽は楽曲には反映されていないんだ。例えばCaptain Beefheartさ。俺は一時期彼に夢中だった。彼を好きな理由は、彼が自分の言語を持っていたからで、つまり、その彼から影響を受けるとすると、そのままパクったり、彼のアイディアを流用するっていうは最悪の手段だった。俺が一番大きな影響を受けたのは、自分の言語を持っている人たちや自分なりのプレイスタイルを持っている人たち、俺の知ってるジャンルの外側にいた人たちだ。

 

 

 

BRIAN CHIPPENDALE

具体的なサウンドに影響を受けるというよりは、彼らのコンセプトに影響を受けるって感じだよ。Sun Raも同じさ。彼のあのルーズで独特な感じが気に入っているんだ。彼はヒプノティックで反復性の強い音楽を作っていたけど、あれは刺激的だったね。彼の作品に深くのめりこんだよ。でも、影響という意味ではコンセプトから影響を受けている。どっちにしろ彼らのサウンドを真似ることなんて不可能なんだからさ。

 

BRIAN GIBSON

2人とも違った理由で、自分たちの曲がひとつのアイディアへ繋がって欲しいと思っているんだ。だから、俺たちは反復にもっと慣れていきたい。変化が多すぎるとある種の不安を感じるんだよね。何かを必死に証明しようとしているみたいだろ。だから、ただロックして、繰り返すことに慣れるべきだし、曲の方向性も少し変えてもいいかも知れない。90度ガラリと変えるってわけじゃなくてね。俺はクラウトロックを良く聴くし、長尺の曲をよく聴いている。そういうのが好きなんだ。

 

BRIAN CHIPPENDALE

それってかなりPhilip Glassじゃん。

 

BRIAN GIBSON

かなりPhilip Glassだな。

 

BRIAN CHIPPENDALE

結局Philip Glassに戻るってわけだ。

 

BRIAN GIBSON

確かに。でも彼の楽曲はちょっと音数が多すぎるんだ。あのアルペジオは難解だよ。聴くのが難しい。クラウトロックは長時間聴いていても楽しいんだ。別に聴いていて楽しい作品を作るのが俺たちのゴールじゃないけどさ。でも、そこが俺たちの不得意な部分なのかもしれないし、自分が聴いていて楽しめるような方向に進みたいと思っているんだ。聴くのがチャレンジになるのは面白いし、挑戦的なサウンドになることに関しては何の問題もない。でも口当たりが良いサウンドに対しては苦手意識がある。俺たちにとってはそっちの方がより大きな未知の領域なんだ。